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『そして、別れの時』〜猫たちの時間13〜  作者: segakiyui
5.青の恋歌(マドリガル)

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3

 俺は広間に戻ってから、浅田に、とりあえず父母と会おう、と告げた。

 ただし、今度の一件が片付いてから、だ。

「今度の一件?」

「ああ、どうしても放っとけない奴がいるんでな」

「…わかりました。恋人ですね? それなら大丈夫ですよ、多木路夫妻はそんな狭量な人達じゃありませんし」

「違うっ」

 ったく! 周一郎は恋人じゃないっちゅーとろーが! 恋人でなくとも、とにかく放っとけないんだ!

 それに、いくら狭量じゃないとは言っても、人の親なら自分の息子が殺すの殺されるのという騒ぎに毎回巻き込まれるのを良しとはしないだろう。かてて加えて、その自分の息子こそが、他でもない、トラブルメーカーと言えばまだ聞こえはいいが、『厄介事吸引器』なぞと言う汚名の下、人の厄介事に首を突っ込み続けるのにいい顔はしないだろう。

 その辺はどう解釈したのか、浅田は首を傾げつつも納得し、父母に俺の意向を伝えることを了承した。ついでに、うまくいけば俺の作品が載るだろうと言う雑誌を手渡した。

「そういや、同じ大学の人間がもう一人、載りますけどね、来月。まるっきりの新人…ですが面白いンです」

 浅田は千夏のことから立ち直ると、いつもの飄々とした調子に戻っていた。

「それじゃ、また。次会う時ぐらい、新作、見せて下さいね」

 去っていく浅田の後ろ姿を見ながら、俺は、何となく、子どもが一番初めに恋をするのは親に対してなのかもしれないと思っていた。それは全存在を懸けるほど激しい恋で、決して報われないとわかっている悲恋でもある。そうして人は、その失恋を癒そうとして、この世の中でもう一人、自分と魂を分かち合える誰かを探し歩くのかも知れない。いつか親になった時、自分が今度は子どもに失恋の味を覚えさせるのだとは思わずに、その時覚えたやるせなさだけを繰り返し心の中で温めて……あるいは、報いてやれないことをどこかで知っているから、子どもが誰かを探し求めて歩き出す、その背中を押しやりながら、親は無限に子どもに心を注ぐのかも知れない、自分が生まれてきた、その意味に込められた無償の想いを。

「ふうん……これ…かあ…」

 広間に戻って、周一郎がまだ大丈夫そうなのを確かめ、本を開く。中身をパラパラ捲り、来月号の予告を見て、あれ、と思った。

「『虚偽』……浜津……良次ィ?」

 あれ? 確かあれは中西の作品で……え? どうなってるんだ?

「うわははははっ…こ、こら、ルト!」

「にゃい」

 急に足首の辺りにまとわりつかれ、思わず声を上げた。きちんと前足を揃えて座っているルトをじろりと睨めつけたが、そんなことで堪える相手じゃない。

「大体なあ、お前と言う奴は…」

「こんな所にいらしたんですか」

 背後から木暮の声が聞こえ、俺は慌てて振り返った。

「あ、君、それを」

「はい」

 近くを通りかかったウェイターを呼び止め、シャンパングラスを二つ取り、木暮はこちらに近づいてきた。ルトが心得て、すいっと姿を消す。

「今、お暇ですか?」

「あ…はあ…」

「何ならどうです? 周一郎さんと慈も話が弾んでいるようだ。こちらもゆっくりお話ししませんか?」

「はあ…あ?」 

 何となく頷いて、俺は周一郎の方を見遣った。例の暗殺予告の事もあるし、あまり周一郎の側を離れたくないな、と思った途端、にっこりと笑う見慣れた顔が視界に飛び込んだ。

(お由宇!)

 パールグレイのロングドレス、片方だけ上げた髪にオパールとパールの髪飾り、紅の唇の鮮やかな艶姿だ。俺が自分に気付いたと悟ると、お由宇はシャンパングラスを持つ手と同じ、やはりパールグレイの手袋に包まれた指で、ちょいちょいと広間の食堂へ通じる戸口を指し示した。

「うわ」

 そこに居るのは紛れもなく厚木警部、お由宇同様、正装はしているが、いかつい顔立ちは変えようがない。

「…私がお呼びしました」

「っ」

 俺の考えを読んだように木暮が口にして、ぎょっとする。お由宇達の方を振り返りもせず、わずかに目を伏せ上品に、

「周一郎さんのお知り合い、ですよね? そればかりじゃない、今ここに集まっておられる方々は、多かれ少なかれ、朝倉財閥の今後を楽しみにしていらっしゃる方々ばかりですよ」

「どうしてだ」

 俺は尋ねた。突かれて痛い腹は木暮の方にもあるはずだろう。

「いえいえ…お困りになるのはそちらだけです。昨夜の毒物混入にしても、私達は知りませんでしたからね。コーヒーを持って行った者も、この屋敷の者じゃない」

「……ひょっとして」

「そうですね、今頃は、風光明媚な観光地でも目指しているかも知れませんね」

 木暮は平然とことばを継いだ。

「お前が…九龍か!」

「ここでそんな話をしていいんですか?」

「う」

「さあ、別室へでも…」

 先に導く木暮の後ろを歩きながら、俺は何とか周一郎に合図が送れないかと思った。が、木暮は俺の気配を感じ取るのか、巧みに周一郎への視線を遮り、やがてするりと背後に回って冷ややかに言った。

「馬鹿な事を考えないでくれよ、滝君。これでも私は少しばかり拳法を齧っている。手加減し損なうと苦しいことになる」

(は、はは、はははは…)

 頭の中を消防車が走って行った。続いた広報車が「相手はプロ相手はプロ」と喚き散らす。そして再び今度はパトカー、ご丁寧に拡声器で注意を呼び掛けてくる。「気を付けろ、注意一秒、阿呆一生」…あ、あのなあっ! こんな時ぐらい、まともになろーっつー気にならんのか、俺の脳味噌アタマは!!

「そこのドアを開けたまえ」

「…」

 言われるままに右手のドアを開けた。控え室らしく小さくあっさりとした一室、それでも置かれている調度は、一つ100万や200万では収まらないだろうという感じがする。

 カチン。

 俺が入ると、木暮はドアに鍵を掛け、それをポケットに入れた。

「この部屋の鍵はこれ一つしかないんだよ………滝君、何をしてる?」

「あ…いや…」

 俺は木暮の声を耳に、きょろきょろ足元を見回した。今、するっとルトが抜けて行ったような気がしたんだが……気のせいか。

「まあ、掛けたまえ」

 木暮はソファに腰掛け、シャンパングラスを、俺と自分の前へ一つずつ置いた。俺が渋々腰を下ろすのを待ってから、薄く笑って、

「お察しの通りだよ、滝君」

「…」

「『九龍』とは裏の方の名前でね。ある人間達にはこっちの方がよく知れ渡っている。例えば、周一郎、佐野由宇子さん、などにはね」

「……殺し屋なのか」

「ある意味ではね」

 木暮は曖昧な笑みを浮かべた。

「但し、フリーの、ではない。私は慈の命でしか動かない。今まで随分、あの子のために危ない橋を渡って来たよ……何度も、ね」

 僅かに瞳を翳らせた木暮は、ふと思いついたように俺を見つめた。

「君はどうして、周一郎に付くようになった?」

「…言っとくが」

 俺はつい勢い込んだ。

「あんた達みたいな意味じゃないからな。もちろん、『青年』趣味でもない。俺は女の方がいいんだ! 何があっても、女がいい!」

「くっ……くくっ……わかったよ…」

 木暮は低く嗤った。

「どうやら『本当に』そう、らしいね」

「当たり前だ!」

「しかし……それならそれで、一層分からなくなる」

 木暮は笑い止むと、目を細め、俺を視線で射抜いた。

「君が金らしい金を受け取っていないことは知っている。日々の小遣い程度、それでも時々佐野さんや高野さんに、交通費や飯代を借りている」

「う」

 あ…あのなあ……そんなとこまで調べなくとも……。

「ちなみに先月は、通りかかった家電店舗で、コードに引っ掛かってラジオを壊し、全額弁償しているから、25,823円の赤字だ」

 あ……あの……あの…な……。


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