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「……あれ?」
次の朝になってみると、周一郎は元の冷たい態度に戻っていた。俺より先に目を覚ましていたらしいが、昨日の今日ではさすがに力が入らないらしく、俺が目覚めるまでじっと待っていたらしい。目を開けた俺への第一声は、「ありがとう」でもなきゃ、「昨日はどうも」でもない、「書類を取ってきてくれませんか」だった。
そうして今、周一郎はベッドで半身起こしたまま、朝食にも手をつけず、書類の束と睨めっこを続けている。
「……ったく」
昨日とはえらい違いじゃないか。
胸の中でぼやいて、俺は窓の外へと目をやった。
晴れ渡った空は、昨日の雪を見る間に溶かしていっている。膨らんだ水が煌めきながら樹々の緑から滴り、日光を弾きながら跳ね返っていた。
「……うーん…?」
そこで俺は再び、昨日ここへ来た時に味わった既視感と対峙していた。どこかで見た、気がする、跳ね返る光、ガラスに滲む太陽光、針葉樹林で削られた青空……。
コンコン。
「はい」
俺より先に周一郎が答えて、ドアから入ってくる人物を見守る。
「大丈夫ですか、周一郎さん」
そこには心配そうに眉をひそめた慈の姿があった。
「木暮から事情を聞きました。今、屋敷の周囲と調理場を調べさせているところです」
もし、慈が毒を入れた犯人で、それを隠そうとして演技しているのなら、この少年は今世紀最高の俳優になれるに違いない。
「滝さんは……大丈夫だったんですか?」
「あ…俺は、周一郎がとっさに止めてくれたんで…」
「…そんな緊急時に、よく……」
驚いたように目を見張る慈の目の奥に、何か一瞬鋭いものが見えたと思ったのは、気のせいだったのだろうか。
「さすがですね、周一郎さん」
「敵が多いと、つい、ね」
周一郎は淡い苦笑を返した。
「けれども、僕だったら、咄嗟に側の人間まで気が回るかどうか…」
「言ったでしょう、瀧さんは、僕に取って『大切な友人』なんです」
周一郎のことばには、思わず俺が振り向いたほど、冷え冷えとした凄みがあった。
「『巻き添え』はごめんですからね」
「そういえば、滝さんのコーヒーにも、相当量入ってたんですね」
「…つまり、滝さんも狙った、という事になるでしょうね」
周一郎は、サングラスの向こうから、よく光る眼で慈を捉えた。慈もたじろがずに見つめ返す。ブルー・アイが陽を吸って、淡く淡く見えた。
「…でも、その様子じゃ……今夜のパーティは無理、ですね。滝さんはどうです?」
「あ、俺は別に……ただ、着るものがないんで」
「それなら大丈夫です。木暮の物を貸しましょう」
にこりと慈は嬉しそうに笑った。
「木暮の…?」
あの足の長い、スタイルのいい奴と俺に、どれほどの共通点があるだろーか。
「だめ、ですか?」
「いや、だめってことは……ただ合うかなーと思って…」
「じゃあ、今から合わせましょう」
「わっ!!」
「えっ?」
慈が邪気なく俺の手首を掴み、思わず飛び上がった。慈が何事かと手を離すのに、引き攣り笑いをしながら手を振り回す。
「わ…わはははははっっ…」
「…?」
いかん。どーもいかん。前の、周一郎の一件があってから、どーも『そーゆー人種』に過敏になっちまう。別に相手をしろと言われたわけではないのだが。
「あ、後で行きます、後で。はい」
「??……そうですか? それじゃ……。あ…お昼もこちらに持って来させますね」
「あ、どうも」
慈が出て行って、ようやく俺は力を抜いた。振り回していた手を止め、椅子に腰を下ろす。と、ぶっきらぼうな周一郎の声が響いた。
「パーティ、出るんですか」
「一応、な。2人とも出ないっていうのは、悪いだろ?」
「テーブルマナー、大丈夫ですか?」
「う」
痛いところを平然と突くなっつーに!
「だ、大丈夫だ、うん、大丈夫! たぶん……おそらく…」
「………僕も出ます」
「は?」
ふいに周一郎が言い切ってぎょっとした。
「出るって……お前、昨日の今日だぞ?」
「大丈夫です」
「大丈夫って……さっきもまだふらついてたくせに」
「僕も出るんです」
周一郎は一歩も退かない。
「知らんぞ、ぶっ倒れても」
「大丈夫です」
「あのなあ…」
出る、と大丈夫、しか語彙がなくなったのか?
ことさら書類をばさばさ動かし始めた周一郎に、溜息を吐いて椅子にもたれる。
(本当に……無茶ばっかりしやがって)
「ん? おい、何か落ちたぞ」
書類の間からひらりと舞い落ちた一枚のカードを、床から拾い上げてぎくりとした。
例の暗殺予告状、無機質な文字が並んでいる。
『後、7日』




