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「あ、悪い……え?」
「あ!」
はっとしたように周一郎が腰を浮かせた。俺が拾い上げたそれを、さっと奪い取る。
「え? おい」
「…」
「俺宛じゃないか」
「………」
周一郎は下唇を噛んで、俺を凝視している。俺はと言えば、訳が分からず、周一郎を見つめ返している。
「何だよ、見せろよ」
「いいんです」
固い声で周一郎は応じた。小さく、首を振る。
「いいって……俺宛だろ?」
「でも、滝さんには関係ないんです」
「どーして、俺宛で、俺に関係ないんだよ? 見せろって」
「『嫌だ』…」
ポツリと、けれどもどこか自信なげに、周一郎は答えた。
「嫌……だ…あ?」
(何なんだ?)
「…まあ、とにかく、見せてくれよ、周一郎」
「…………」
一瞬、サングラスの向こうの眼が怯えたように見えた。周一郎は少し眼を伏せ、そろそろと封筒を差し出した。俺が封を切る間、ずっと身を固くして立っている。
「招待状…? ……高柳慈!」
それは慈からの手紙だった。文面によると、慈は既に日本に来ており、今、朝倉家の別荘に居る。今度そこで誕生パーティをするので、周一郎と一緒に是非出席してほしい、とあった。付け加えて、身内だけの気軽な集まりなので、服装には構わないでくれ、と配慮の行き届いた一文が添えられていた。
「…どうして、隠してた?」
「…」
「周一……」
重ねて尋ねかけて、俺はことばを失った。相手があまりにも幼い、今にも泣き出しそうな表情をしていたせいだ。怒られる、と思っているらしく、目を伏せ唇を噛んだまま、身動き一つしない。
俺は溜息をついた。ったく。怒れるかよ、こういう状態の相手に。万が一『泣き出されて』みろ、狼狽えるのはこっちなんだ。
「…お前は出るのか?」
「…はい」
「ん、じゃあ、俺も出る」
「っ」
ぎくん、と体を震わせて、周一郎は俺を見上げた。今までのしょんぼりした顔ではなく、何か別種の危機感が見る見る表情を変えていく。
「…、……」
周一郎は緩く首を振った。自分がそういう反応をしているのに気づいていないように、視線を固定させたまま、もう一度、首を振る。
「だめ? どうして?」
「だって」
周一郎は呟いた。
「だって…」
「周一郎?」
その、揺れ動いた一瞬の表情をどう表せばいいのだろう。不安、恐怖、哀願、そして僅かに嬉しそうな笑顔、それらが入り混じり……そしてそれは、現れた時と同様、唐突に消えた。凍てついた眼で一言、
「…勝手に、すれば、いいでしょう」
もう一度、掠れた声で独り言のように、
「勝手にすればいいんだ」
それから後は、周一郎は俺を見向きもしなかった……。
がくん!
「んっ」
「着きました」
運転手の声に目を開けた。
いつの間にか熟睡していたらしい。時計はあれから2時間近く経っている。側に居るはずの周一郎は、もうさっさと車を降りて、正面の洋館の入り口に向かっていた。
「冷たい奴だな……よい……しょっ…と」
もそもそと車を降りる。外は小雪が舞っていて、足元には既に数cm、雪が積もっていた。
「ぅふぁ……寒…………ん?」
急に寒いところへ出たせいで、一気に奪われていく体温を取り返そうと身震いした俺は、目の前に聳える洋館に奇妙な感覚を覚えた。
チョコレート色の洋館、上空から見るとコの字になっているのだろう。凹んだ所が玄関入口となって、左右に一棟ずつ建物が突き出ている。二階建てで長方形の窓が整然と並び、長方形の窓の上方に、明かり取りなのか、半円形の窓が付いている。窓枠は白、屋根の深い焦茶と相まって、ケーキ
のような洋館だ。そのイメージは、洋館のコの字の空間と、そこへ続く1本のくねくね道を残してびっしり植わった背の高い針葉樹のせいで、一層強まっていた。今しも降り始めた雪がそこここに積もり、御伽噺の古びた城か、さもなくばシュガー・パウダーをかけたクリスマスケーキ、と言えなくもない。
だが、俺の奇妙な感覚は、洋館の童話的なところと、全く別のものだった。ある種の既視感とでも言うのだろうか。俺には洋館の間取りが、手に取るように分かったのだ。
1階の右端は大広間になっている。続いて小部屋は数部屋、右翼の突端は食堂、調理室だ。中央には客間、控え室などがあって、左翼は家人用の私室が続く。2階は中央に書庫や客間、左右翼はそれぞれバス、トイレ付きの客室になっている。妙なことに、俺の頭の中には、部屋の中から見た外の景色まで思い浮かんだ。広大な針葉樹林は、三方を山に、一方だけを平野に開く。平野には街があり、そこからここへ来るには、自動車で小一時間、うねうねとした分かりにくい道を走らなければならない。
(俺は……ここを知っている……?)
俺はゆっくりあたりを見回した。風の冷たさも忘れていた。内側から湧き上がる心を騒がせる感覚は、俺の五感を周囲から遮っていた。蒼く深い緑、ざらつく木肌、チョコレート色の洋館…。
(周一郎)
その俺の視界に、唐突にそれは飛び込んで来た。洋館の玄関、次第に吹雪いてくる雪の向こう、小柄な、三つ揃いにコート、サングラスを掛けた少年がじっとこちらを見つめて立っている。
待っている、そう思った途端、俺は雪を蹴っていた。不可思議なデジャ・ヴュを放り捨てて玄関に駆け寄る。
「入ってりゃ良かったのに」
「……あなたがいつまでやっている気なのかと呆れていたんです」
憎まれ口が、なぜか優しく聞こえた。




