1人の大学生はイタリアで夜歩きをする
「おかしい…」
俺はホテルの部屋でボソッと呟いた。
この部屋は3人部屋ではあるものの、他の2人は今ここにはいない。
ここはイタリアローマにあるホテル。
その一室に俺はいる。
ローマの中心部から少し外れたこの街は都会の喧騒を感じない。感じるのはせいぜい海外特有の匂いくらいか。
「奴らは先にお酒を飲みに行った…」
俺たちはまだ寝るのが億劫だったため、近くの飲み屋でお酒を飲むという結論を出した。
ここからが問題であった。
俺がシャワーを浴びている間に彼ら2人は先に行ってしまったのだ。置き手紙を残して。
(店の名前はマティーニってところ。場所はここだよ)
俺はその手紙を見た瞬間特段驚きもしなかったが、冷静に考えて事の重大さに気がついた。
「イタリアの夜の街を1人で歩いて行くの…?」
よく海外旅行に行くと「夜は1人で出歩くな」という注意をよく受ける。俺はその注意を無視せねばならない状況に陥ってしまった。
絶望した。
ただ、現代にはスマホがある。目的地に向かいながら彼らにメッセージを送り続ければいい。
そうすれば道に迷ったり恐怖を感じたりしない。
ここはイタリアなのでポケットWiFiが無いとスマホは外で機能しない。
充電してたポケットWiFiを取ろうとした。
「なんでだァァ!!」
奴ら2人はあろう事かポケットWiFiを持っていきやがった。これで俺のスマホは外では使えないことが確定してしまった。
守るものは何も無い身1つで道も知らないイタリアの街を彷徨うのだ。
恐怖以外何者もでもない。
「そうだアイツらに連絡!」
そう思い立ち連絡を入れてみたが案の定連絡が全然つかない。ポケットWiFiの電源をあいつら入れてないのだと確信した。
「なんでだァァ!!」
ホテルに留まることも考えたが、今日がイタリア旅行最終日。最後の最後まで思い出を作るべく俺は急いで私服に着替えて腹を括った。
襲われても逃げれるように動きやすい服をセレクト。靴は元々ランニングシューズを持ってきていたので、それ一択。
まるで朝のジョギングをする人のような格好になった。
「夜なのに朝のジョギングの格好…意味わからん…」
文句など言ってられない。
外では地図アプリも碌に使えない。目的地までの道程をGoog○eマップで丸暗記。
どこをどう曲がって何が目印で距離感はどんな感じなのか。全てを暗記した。
ここで暗記漏れがあると俺は路頭で迷う。
そのままどこにも帰れないことを指す。
「よし、行くぞ…俺!」
ホテルを飛び出した。
エントランスで「お前外出んの?アホなの?」みたいな目で受付の人に見られたことは気のせいだ。
「イタリアの夜…俺に牙を向くなよ」
ホテルを出て俺は右折した。
海外特有の匂い。どんな匂いかと言われて直ぐに答えられないのが億劫だが、とてもいい匂いとは言えない。鼻腔を刺激しても脳はその匂いを解読しない。
日本ではかいだことの無い匂いのため、照らし合わせるデータが無いのだろう。
そんな匂いを浴びながらは歩み進める。
「誰もいない」
イタリアの夜の街は人っ子1人歩いていない。
見渡す限り誰もいない。
この街で俺は今ひとりぼっちになっているのでは無いだろうか。住人全てが消えたこの街で俺は1人闊歩する。全ての関わりを遮断されたこの身は、しがらみを全て取り払って真の自由を得ているのかもしれない。
「ドキドキしてきた」
覚えてきた道を少しでも忘れたら1発アウト。
そこでゲームオーバーだ。そのヒリヒリする感覚を俺は未だかつて味わったことがない。
新鮮な…いや、もう二度と味わうことの無い稀有な感覚なのだ。
「この公園を右に…」
目印の1つである公園まで来た。
滑り台にブランコ等々…日本と違いは無いごく普通の公園。滑り台にゾウが描かれていた。
ゾウと目が合う。
何を語る訳でもなくただただこちらを見つめて嘲笑う。無事に飲み屋にたどり着いた場合は帰りもこの公園を通る。その時このゾウはどんな目線をこちらに送るのだろう。安堵なのか嘲笑なのか。
未来の俺にその答え合わせを託した。
俺は更に歩み進める。
「バス停…汚いなぁ」
バス停付近は様々な落書きが施されている。
イタリア語で書かれた落書きは何と書かれているのか分からない。もしかしたら、これは俺がイタリア語が分からないだけで実はアート作品なのだろうか。
凝視したり俯瞰したり。見方を変えては見るものの俺にはやはりただの落書きにしか見えない。
壊れたベンチはそのままにされ、ゴミも置かれている。俺はその状況を見て悟った。
「あれ、ここ…治安悪い?」
ベンチが壊れているということは誰かが壊したということ。ゴミが放置されているということは誰かが捨てたということ。昼間にベンチ壊すなんてことはしないはず。てことは、夜に誰かが壊したのだ。
「ヒィィ…」
俺はそのベンチから目を逸らして反対側の歩道を見た。
「あ…」
住民第1号を発見した。
俺は瞳孔をできる限り開いてそれが本当に人間なのかを確認する。
汗は皮膚をつたって呼吸は荒くなる。
外気は針のように皮膚を刺激する。
「あ、あれ人間だ。怖い!逃げる!」
俺は目的地方面へ思いっきり走る。
身体は思いの外軽い。
足の筋肉は最大限の力で動いている。
イタリアの夜の街で俺はダッシュしている。それが楽しくもあった。
立ち止まって空を見てみた。
日本とは違う星の配置に俺は感動した。決して星座に詳しいという訳では無い。だが、俺の脳は日本で見る夜空との違いを認識する。
物音1つせず、耳は音1つも拾わない。そんな状況だからこそ俺の目は夜空に集中できた。
夜空を見たことで落ち着いたので、そのまま歩み進める
飲み屋まではもうそう遠く無いところまで来た。
80m位先に見える信号を右に曲がれば目的地だ。
怖い思いをしたが、何事も無く目的地へと着くことが出来るようだ。
俺は一瞬気を抜いた。
気を抜いた俺の身体にとある音が入り込んできた。
なんの音かわからなかった。ただ、どこかで聞いた事がある。
記憶を辿るとそれは体育館で聞いたものだった。
この独特で規則的なバウンド音。
バスケットボールだ。
「バスケなんてどこで…あ…」
俺は道路に沿うようにバスケットボールコートが作られていることが確認できた。
若者が楽しそうにバスケをしていた。
一瞬で危機感を最大限にあげた。
夜に若者がストリートバスケをしている。しかも、そこそこガタイのいい人達が。
「ヒィィ…見つかったら終わりだ…」
俺はとてつもない恐怖に苛まれた。
人っ子1人歩いていない街で若者がバスケしてるなんて、怖いと感じて然るべきだろう。
車やバイクで来てるらしくバスケコートの近くに車が置かれている。
俺にはそれが恐怖にしか感じなかった。
どうにかそのバスケットボールコートの前を通らない方法を考えた。
だが、80m先の信号までは一直線。逃げ場なんてない。下手に道を変えれば今度は迷って目的地に着けなくなる。
方法は1つしか残されていない。
走る。
俺はバスケットボールコートに1回も目線を向けず一目散に信号機へと走った。
若者の笑い声を横目に全速力で。
心臓は鼓動を早める。肋骨はその鼓動を俺に伝える。
「信号を右!」
素晴らしいコーナリングでスムーズに信号を右折した。
右折した先には1軒明かりのついている店があった。
道中どこの店も空いておらず、明かりの灯ってた店なんて1軒も見ていなかった。
俺にはそれがオアシスに思えた。
安全地帯なのだとホッとして膝に手を着いた。
膝は笑っている。
せっかくシャワーを浴びたのに俺の身体は汗ばむ。
明かりのついた店の前に立った看板を見た。
そこには英語が書かれていた。俺にはその英語が読めた。
「マティーニ」
馴染みのある友の背中2つを見て俺は笑顔で入店した。