サンショウとハーブティー・7
莉々子を連れ柴田家に向かいながら、有麻はその家の事情を教えてくれた。
ハーブ栽培を始めたのは、仕事が定年になってから。ハーブは元々奥さんが趣味で植えていて、自分達だけでハーブティーを楽しんでいたのだが、奥さんが亡くなってから旦那さん一人でやるようになったこと。知り合いのカフェにハーブティーを提供したら評判になり、規模を広げてやるようになったこと。
「子供さんはいるのか?」
「娘さんがいたはずなんだけど、遊びに来てる姿は見たことないな」
御園生の家から歩いて五分ほどのところに、柴田家はあった。
広い敷地は、青々としたサカキの垣根で囲まれている。二階建ての和風の家が建ち、庭にはイヌツゲやイヌマキが植えられ、きれいに仕立てられている。
「ここの剪定も、お前が?」
「そう。先代からのお得意様だ」
庭師の目になって植木達の様子を見る有麻を置いて、秀治は家の前へと進んだ。ドアのチャイムを鳴らしてみるが、誰も出てくる気配はない。
「秀治、たぶん裏のほうだよ。日中は大抵ハーブ園にいるから」
有麻にそう声をかけられて、秀治は家の裏手へと向かった。莉々子は有麻にくっついている。
家の裏は広い畑になっていた。時期的にまだハーブは育っていないが、初夏のころになれば爽やかな香りが漂っていそうだ。
その畑の隅のほうで、作業している人がいた。麦わら帽子をかぶり、タオルを首にかけ、長靴を履いている。この人が恐らく柴田隆だろう。
「柴田さんですか?」
声をかけると、その人は秀治のほうを見て、帽子のつばを上げた。予想以上に鋭い眼光だった。睨みつけられているようで、秀治はたじろぐ。
「訪問販売はお断りだ。保険の営業もな」
「いえ、俺、私は、御園生有麻の甥っ子で、御園生秀治と言います」
「有麻さんの? 何か用か?」
「有麻からこちらのハーブティーを頂きまして、苦みがなく、とてもおいしかったものですから」
「わざわざ礼を言いに来たか?」
「いえ、そうではなく」
秀治が言葉に詰まると、もう話は終わったというように柴田さんは苗の手入れに戻ってしまった。その背中に向かって声をかける。
「実は、カフェを開きたいと考えていまして、そのお店でこちらのハーブティーを提供させていただけないかと、お願いに参りました」
一息に言うと、秀治は頭を下げた。だが柴田さんは、振り向きもしない。
「悪いが、断らせてもらう」
「どうしてでしょうか」
「今卸している店だけで手一杯なんだ。私一人でやるには、これ以上は無理だ」
「そこを何とか、お願いできませんか」
「しつこい、無理なものは無理だ」
尚も食い下がろうとする秀治を止めたのは、有麻だった。
「言っただろ、一筋縄じゃいかないって」
「ああ、有麻さん、あんた若そうに見えて、こんなでかい甥っ子がいたんだね」
「ええ、うちはフクザツな家庭なもので」
さらりと言って、優雅に有麻は微笑む。こういうところは本当に、真似ができないと思う。
「それで、どうしても無理ですかね。ハーブティーを分けてもらうこと」
「無理だね。手一杯なんだ。他を当たってくれ」
「他と言っても、この辺りでハーブを栽培してるの柴田さんだけですよ」
「あんたんとこにもあるだろうが」
「うちはカモミールとラベンダーですからねえ。何をどうブレンドするかは、柴田さんしかご存じないし」
「とにかく、うちは無理なんだって……」
柴田さんの言葉が途中で途切れて、その視線が一点に注がれた。有麻も秀治も通り越して、二人の背後を呆然と見つめている。
視線の先を追って秀治が振り向くと、そこに女性がいた。秀治達よりも少し年が上くらいの、若草色のワンピースを着た落ち着いた雰囲気の女性だ。
「何しに来た!」
固めた拳をブルブルと震わせて、柴田さんが叫んだ。女性は言葉の弾丸を浴びたように、体をビクリとさせて、だけどしっかりと柴田さんを見据えた。
「ご無沙汰してます。お父さん」
お父さん? と、秀治は思わず有麻と顔を見合わせた。
「今さら何だ! 母親の葬式にも顔を出さないで」
「事情は手紙で説明したでしょう? カナダからすぐに戻れなかったんだし」
「カナダ! まだあんな男と一緒にいるのか」
「久しぶりに日本に帰って来られたから、来てみたの。主人も、お父さんに会いたいって言ってるのよ」
「誰が! 娘をたぶらかして、国に連れ帰ったような男になんて会うもんか。いいから、お前も帰れ!」
帰れ帰れの弾丸が、容赦なく女性に浴びせられた。秀治は有麻と目配せし、瞬時に役割を決めた。有麻が柴田さんを落ち着かせる係。秀治が女性をなだめる係だ。
「言い過ぎですよ、柴田さん。ほら、お医者様に血圧のこと言われてたじゃないですか。あまり興奮するの、よくないんでしょう」
有麻が柴田さんの背中をさすり、さりげなく女性から引き離していく。女性はハンカチを目に当てて、泣きじゃくっていた。
「大丈夫ですか?」
「ごめんなさい、今日はひとまず帰ることにします。お父さん、また来るからね」
「来るな! お前の顔なぞ、見たくもないわ」
再び容赦ない言葉を浴びせられて、女性はクシャリと顔を歪めた。踏みにじられた花を見るようだった。
そのまま女性はハンカチを顔に当て、家の門を飛び出していく。
「あ、ちょっと……」
追いかけようとした秀治は、莉々子のことを思い出し辺りを見回した。
莉々子は庭の木の前にいた。秀治にしてみれば見慣れた光景だが、木を相手にうんうんうなずき、言葉を交わしている。オジギソウに似た葉っぱの木だった。
「莉々子、もう行くぞ」
「うん、あのね、パパ……」
「ごめん、莉々子。後で話聞くからな」
莉々子の手を引いて帰ろうとすると、柴田さんがギョッとしたような顔でこちらを見ているのに気がついた。
「あ、すみません、今日は失礼しますので」
「その子は?」
「ああ、娘の莉々子です」
「……あんたの子か」
「え?」
気のせいか、落胆したような声に聞こえた。だけどもう柴田さんは秀治に背中を向けて、ハーブ園へと向かってしまっている。
「またお願いに参ります!」
大声で言って、秀治は柴田家の門を出た。