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桐とタルト・9

「克也さん、ちょっとお願いがあります」

 有麻はテーブル越しに克也に顔を寄せ、何事かを囁いた。克也はうなずいて、家の中へと入っていく。

 克也が持って来たのは、例の石の入った白い箱だった。それに、お皿だ。

 側面が波打った形の皿を見て、秀治にもそれが何かわかった。タルトを焼く時に使う皿だ。

「この石、河原で拾ったものだと思いますが、どれも形が揃っていて、きれいに洗われていますよね」

 祥子の前に皿を置くと、有麻は箱の中の石をザラザラと皿に移していった。

「こうして、このタルト皿に、この石を入れます。この石の使い方は、これが正解じゃないでしょうか」

 皿を埋めていく石を見て、祥子の表情がみるみる変わっていく。

「まさか……これ」

 有麻がうなずく。慈悲深い笑みを浮かべて。

「タルトストーン?」

「ええ、そうです」

 タルトストーンって何だと首を傾げる克也と秀治に向けて、有麻は教えてくれた。

「タルトストーンと言うのは、タルトを焼く時に重しに使う石のことです。こんな風に市販されているものを、普通は使うんですが……」

 バスケットから取り出した洋菓子のレシピブックを開いて、有麻はタルトのページを示した。そこには確かに、タルトの生地の上に載せられた、たくさんの金属製のおはじきのようなものの姿が見える。

「石とはずいぶん違うけど?」

「オーブンに入れられて重しになれば、何でもいいらしいよ。洋菓子屋さんではこういう専用のものを使うけど、家でやる場合はビー玉やお米なんかも使えるって」

 祥子は皿の中の石を手に取って、しげしげと見つめていた。まだ半信半疑といった顔だ。

「金属製のタルトストーンしか使ったことがなかったから、思いもしませんでした。この石にそんな使い道があるなんて……。でも、本当なんですか? 本当にお母さんはタルトストーンとして使うように、この石を遺してくれたんですか?」

「信じられませんか?」

「だって、私お母さんが病気で辛い思いしてる時、何もしてあげられなかったんですよ。就活とか仕事とかで忙しくして。お母さんの最後の時間に寄り添わないで、自分の夢のために時間を使ってしまったんだから。お母さんは、私のことも、お菓子のことも、恨んで……」

 当時のことを思い出したのか、祥子がギュッと目をつぶる。祥子がそのことを悔いているのが伝わって来る。

「そうですねえ……ああ、ちょうどいいタイミングだ」

 深刻な空気の中、場違いに明るい声を有麻が上げた。有麻の視線につられるように、皆が庭の入口へと目を向ける。ちょうど配送会社のトラックが敷地に入って来るところだった。

 トラックを停めたドライバーは、ドアを開けて、庭に集合している秀治達から一斉に視線を浴びていることに驚いたのか、しばし動きを止めた。だけどすぐに仕事を思い出したようで、トラック後部のドアを開ける。

「宅配便です。荒川祥子様」

 祥子が雷で撃たれたように、ビクンと体を揺らした。そのまま硬直するのを見かねて、克也が荷物を取りに立ち上がる。

 サインをすませて荷物を手に戻って来た克也は、テーブルの皿を避けて、端の方にその箱を置いた。

「ご苦労様です」

 有麻の声に見送られて、ドライバーはトラックに乗りこみ、エンジン音と共に去っていく。

 残された箱を見つめて、大人たちは固まっていた。莉々子は大人達の話に飽きてしまったらしく、ベンチを離れて庭を観察している。

「荒川祥子様へ、荒川美知子様からの荷物ですね」

「――妻です」

 克也の言葉に、場はますます重く沈む。もう死んだ母親から娘への、最後の贈り物なのだ。

「開けてみませんか?」

 有麻に促されて、意を決したように克也がガムテープに手をかけた。中にはもう一つ白い箱があり、手紙が添えられている。克也はまず手紙を取り出し目を通した。

「桐の木の伐採を請け負ってくれた業者です。妻から加工と配送を頼まれていた旨が書かれてあります」

「桐の木を加工するには、渋抜きや乾燥という工程を挟みますからね。自然に乾燥させるとなると、一年くらいかかってしまうものです」

 宮村夫人と桐の木が伐られた話をしていた時、『じゃあもう、一年経つんですね』とつぶやいて、納得したようにうなずいていた有麻の姿を思い出した。

 あの時にはもう有麻は、祥子の母親が祥子のために何かを用意していると見抜いていたのだ。問題は時間が解決してくれると言っていたのも、時が経てばこうしてそれが送られてくるとわかっていたから――。

「開けてみましょう、祥子さん」

 段ボールの中から白い箱を取り出して、秀治は祥子へと差し出した。箱は長方形で横幅は八十センチほど、重さもそれなりにある。

 祥子は箱を見つめたまま固まっていた。箱を開けて石が詰まっていた時の絶望感を思い出しているのだろうか。これを開けて今度こそ決定的な絶望を突きつけられたら、祥子は二度と立ち上がれないかもしれない。

 だけど秀治は有麻を信用している。しばらく待てば、必ず彼女には立ち上がるきっかけが与えられる。そう語っていた有麻を信じている。そのきっかけが、今なのだ。

「お母さんからの、最後の贈り物ですよ」

 有麻の声に顔を上げ、祥子は箱の蓋に手をかけた。意を決したように蓋を持ち上げたが、その目は固く閉じられたままだった。

 秀治はその箱の中身を目にして、思わず微笑んでいた。高鳴っていた胸の音が凪いでいくのがわかった。

「大丈夫ですよ、祥子さん。目を開けてみてください」

 秀治の声に、恐る恐る祥子が片目を開ける。片目だけではよく見えないのだろう。気持ちを奮い立たせるようにまた目を閉じ、開けた。

 まぶしそうに瞬きして、祥子は箱の中のものを見つめた。

「これ……」

 箱の中からは、桐の木のかぐわしい香りが漂って来る。

「めん棒……それに、まな板」

 箱の中に納まっていたのは、長さの違う二種類のめん棒。それに長方形と四角形のまな板だった。

「洋菓子を作るための、道具、ですね」

 秀治が段ボールをどけて白い箱をテーブルに置くと、祥子は震える手で一つ一つ取り出していった。

「焼き印が入ってる。私の……名前」

 確かにどの道具にも、端にアルファベットで祥子の名前が入れられている。

「これで、お母さんがあなたに何を望んでいたか、わかりましたか?」

 語りかけた有麻に、祥子は手にしていたまな板を抱きしめた。その目の端から雫が流れ出し、頬を伝っていく。

「お菓子を、作ること」

「ええ」

 有麻がうなずく。

「お母さんは、あなたと共に育った桐の木を、嫁入り道具ではなく、あなたの仕事道具にしたんです。それが、お母さんの意思ですよ」

 まな板を抱きしめて祥子は声を上げて泣いた。母親を亡くしてから閉ざしていた感情を、一度に放出させるようだった。

 その洪水のような泣き方に、驚いた莉々子が駆け寄ってくる。

「よし、よし」

 ベンチに膝立ちし、自分より小さな子にするように、莉々子は祥子の髪を撫でた。

「ハンカチもどうぞ」

 莉々子のお気に入りの、イチゴ柄のハンカチを手渡され、ようやく祥子の涙が小雨程度になった。ハンカチで涙を拭い、スンと鼻を鳴らす。

「莉々子ちゃんは、パイとかタルトとか好き?」

「タルトはわかんない。パイって、アップルパイみたいなの?」

「そう、アップルパイは好き?」

「好き」

「じゃあこのハンカチ洗って返す時、アップルパイ持っていくね」

 祥子の言葉に、思わず秀治は有麻と顔を見合わせた。

「お菓子、作るんですか?」

「リハビリがてら、ちょっとずつ……」

「じゃ、じゃあ、それでしたら、」

 秀治は勢いこんで、開店パーティのチラシを祥子に手渡した。

「カフェの開店パーティに、タルトとパイを作ってもらえないでしょうか。人数は三十人ほどを見こんでます」

 チラシを見つめて、祥子は悩むように眉を寄せた。

「待ってますのでよろしくお願いします」

 祥子は最後まではっきりとした返事を寄こすことはなかった。


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