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桐とタルト・7

 迷いに迷っていたカフェの名前を、やっと秀治は決めた。

 ひらがなで『はなのおと』。

 漢字にすれば花の音だが、読む人によっては、花ノートとも受け取れるかもしれない。

 意味はそれぞれが、その字の並びから想像してもらえばいい。

 ツルバラをモチーフにしたデザインを自分で作り、それを基に看板を発注した。

 イスとテーブルが揃い、鉢植えの場所も決め、料理に必要な調理器具も食器も揃った。ハーブティーの入れ方も柴田さんからレクチャーを受けて、合格点をもらっている。

 保健所から営業の許可が下りて、もういつでもカフェを開店できる状態となった。

 まずは、近所の方々に店の存在を知ってもらおうと、開店パーティを開くことにした。チラシに招待チケットをつけ、ご近所一帯に配り、カフェ開業のためにお世話になった人達にも招待状を送る。

 メニューは店で出す予定の物ばかりだが、スイーツで出せるのがスコーンだけというのはやはり寂しい。

「祥子さん、タルト作ってくれないかなあ」

 昼ごはんの後、有麻はウッドデッキでハーブティーを楽しんでいた。その横でカフェの宣伝用ブログをメンテナンスしながら、秀治はつぶやいていた。

「まだ、配送されるって連絡ないからな」

 秀治には有麻に見えているらしい景色が、何も見えない。その何かが配送されたからと言って、本当に祥子の問題は解決するのだろうか。母親が用意したものが、より深く祥子を傷つける可能性だってあるのに。

 雪乃の母親の話を聞いた後だから、余計にそう警戒してしまう。世の中には子供への愛情よりも、自分の感情で動いてしまう母親が確かに存在するのだ。

 ハーブティーを飲みながら有麻が眺めているのは、お菓子のレシピ本だった。自分で何か作れないかと秀治が買ってきたものだが、まだどれも試作できていない。

「お前がケーキ作るのか?」

「いや」

 にべもなく有麻が答えた時だった。家の電話が鳴った。家の中に消えた有麻はすぐに戻って来ると、またイスに腰かける。

「克也さんからだ。例のものが明日届くそうだ。時間指定したそうだから、届く辺りにお宅にお邪魔することにしたから。そうだ、秀治。天岩戸の女神様に出て来てもらうために、スコーンを焼いておけ」


 有麻に言われたとおり、秀治は翌日朝からスコーンを作った。プレーンの生地とチョコチップ入りの甘い生地とを四角くカットして、オーブンで焼き上げる。香ばしい匂いが広がると、途端にそこがカフェの空気になった。

 カウンターに立ち、誰もいない店内を眺める。この空気をこれから自分は作り続け、保ち続けていくのだ。

 土曜日なので、莉々子も一緒にお出かけとなる。バスケットにスコーンとジャムとポットに入れたハーブティーを詰めていると、ピクニックにでも出かけるような気分になってくる。

「わあ、おでかけ? ピクニックだ」

 はしゃぐ莉々子に有麻がうなずく。

「そうだよ。よそのお庭にお邪魔するから、お行儀よくね」

「およばれなら、おはなのワンピース」

 莉々子の要望通りにレモン色に白い小花の散ったワンピースを出してやる。髪にもレースのリボンを結んでやると、本人はすっかりお姫様気分になった。

「ティーパーティ、ティーパーティ」

 アニメで覚えた言葉を口ずさみながら、スキップして莉々子は道を進んでいく。

 やがて荒川家の庭が見えて来る。桐の木が健在だったなら、きっと遠目に確認できたことだろう。

 荒川家の庭には、バーベキューをする時のようなテーブルセットが用意されていた。そこで待っていた克也におじぎをしながら、有麻が言う。

「庭でお茶が飲みたいって、僕が頼んでおいたんだ」

 克也は皿やカップまで用意してくれていた。

「おまねきありがとうございます。莉々子です」

 お姫様モードの莉々子は、スカートをつまんで淑女のようなあいさつを克也にしている。

 招かれたわけではなく、押しかけたようなものなのだが、克也は愛想よく応えてくれた。

「こんにちは莉々子ちゃん。克也おじさんです。よろしく」

 ベンチ式のイスで、克也の横に莉々子がちょこんと腰かけたので、その向かいに有麻と秀治は腰かける。バスケットを広げ、ハーブティーをカップに注ぎ、スコーンをお皿に盛りつける。

「さあ、どうぞ」

「いただきまーす」

 莉々子が早速、チョコチップのスコーンにかぶりついた。

「おいしい! 莉々、パパのズコーン大好き」

 それはこけた時の擬音だと突っこみたくなったが、おもしろいので訂正しないでおく。

 隣で有麻が肩を揺らして、笑いをこらえているのがわかる。

「ズ、ズコーン」

 同じように肩を揺らしていた克也が、とうとうこらえきれなくなったとばかりに、笑い声を上げた。

「どうしたの? おじさん」

「莉々子、正解はスコーンだ」

「あ、まちがえちゃった」

 莉々子もキャハハと笑い声を上げる。

「いやあ、こんなに笑ったの久しぶりです。小さい子がいると楽しいですね」

「どうぞ、克也さんも、ス、スコーンを」

 スコーンを口にするだけで笑いそうになる。克也も同じようで「ス、スコーン」と震え声で言いながら、皿に手をつける。

「あ、プレーンの方は、ジャムつけるとおいしいですよ」

「ほお、これは自家製のジャムですか」

「はい、毎年イチゴ農家さんにもらってしまうもので」

 先日も有麻経由で大量の規格外のイチゴをもらったので、冷凍にする分を取り分けて二人でジャムを仕こんだところだった。

「ああ、おいしい。うちもね……娘が元気だったころには、ジャムを手作りしてくれたものなんですが」

 話が湿っぽくなりそうだったので、慌てて秀治はハーブティーを勧めた。

「お茶もどうぞ。これはカモミールのブレンドなんですが」

 お茶の香りを嗅いで、克也は目を細めた。一口飲んで、うなずく。

「ハーブティーって飲んだことなかったんですが、飲みやすいものなんですね」

「ええ、カモミールにはいろんな効用があって……」

 秀治が言葉を止めたのは、玄関ドアが薄く開いているのに気づいたからだった。

「カモミールはニキビなんかにも効果があって、肌をきれいにしてくれます。心身をリラックスさせる効果もあって、よく眠れるようになるとも言われますね。不安感も和らげてくれます」

 扉の向こうまで届くように声を張り上げ、秀治は効果を待った。扉の隙間がもう少し大きくなる。

 秀治が有麻から頼まれていたのは、とにかく楽しそうにみんなでお茶を飲めるように盛り上げてくれということだった。どうやら莉々子のおかげで、祥子も外の様子が気になって玄関まで出て来てくれたようだ。

 天岩戸を開けるのは、有麻の役目だった。

 すっと立ち上がった有麻は、音を立てずに玄関ドアの前まで移動する。仕草でもっと盛り上げろと、秀治に要求してくる。

「克也さん、ズコーンじゃなかった、スコーンの味はどうですか?」

「や、やめてくださいよ、御園生さん」

 再び克也が腹を抱えて笑い出す。つられたように莉々子も笑い声を上げた。

 玄関のドアがまた少し開かれる。そこから覗いた祥子がまぶしげに顔の前に手をかざすのが見えた。

 そのタイミングを見逃さず、有麻がドアノブに手をかけ大きく開く。ノブを握っていた祥子は、支えがなくなって外に転び出そうになった。

 すっと有麻が手を伸ばし、祥子の体を支える。「キャアッ」と小さな悲鳴が響いた。

 克也が声に気づいて振り向く。久しぶりに光の中に出てきたのだろうか。有麻に支えられた祥子は、眼鏡の奥の目をまぶしそうに細め、目の前にいる有麻に気づき、見知らぬ男に自分が支えられているという状況に、再び悲鳴を上げた。

「キャー!!」

 部屋に引きこもりがちの生活と聞いたが、元気な声だった。

 人前に出るつもりなどなかったのだろう。祥子は部屋着らしいプルオーバーとスカートという格好で、相変わらず長い髪で顔を覆うようにしている。

「失礼しました。お詫びにこれを」

 魔法のように有麻が取り出したのは、御園生の庭から摘んできたバラの花だった。

 祥子は花を受け取り、ポカンと有麻の顔を見つめた。髪の毛越しにも、瞬時に祥子の頬が、持っているバラと同じ色に染まるのが見えた。

 秀治はいい加減見慣れているせいで、有麻の顔のよさを普段は忘れてしまっているが、こういう時そういえば……と思い出す。あいつ世間一般的には結構なイケメンの扱いなんだよなと。中学時代高校時代と、有麻の連絡先を知りたがる女子に群がられたことを思い出した。

「お茶会を開いているんです。一緒にどうですか?」

 すっと有麻がダンスに誘うように手を出す。あまりにも自然な仕草に、花を持ったのとは反対の手を祥子は差し出していた。

 有麻に手を引かれたまま、夢でも見ているような足取りで祥子はテーブルへと歩いて来た。

「お、お父さん!?」

 ベンチに座る父親を見て、何故か祥子は驚きの声を上げる。

「何だ、いちゃ悪いか」

「だって、王子様みたいな人が現れてバラの花をくれたから、とうとう異世界に来ちゃったんだと思って……」

 祥子が夢見心地の顔をしていたのは、そういうわけだったのだ。父親の顔を見て、ここが現実だと認識したのだろう。

「まりあ君は、王子様だよ」

 莉々子がはしゃいだ声を上げる。

「王子?」

 首を傾げたのは、当の有麻本人だ。

「保育園の先生が言ってたの。まりあ君は、おおおじさまだって」

「大叔父だ」

「だから、おおおじさまでしょ」

「おが一つ多いだろうが」

「じゃあ、おっきい王子様」

「大きい王子って、どんな奴だよ」

 莉々子と秀治のやり取りに、克也がふき出した。祥子を見ると、肩を震わせている。やがて声を立てて笑い出した。克也はそんな娘の姿に驚いたのか、笑うことも忘れて見つめている。

 ひとしきり笑い声を上げ、眼鏡をずらして涙を拭うと、祥子は周りの目線に気づいたのか恥ずかしそうに背中を丸めた。

「久しぶりに見ました。祥子が笑うところ」

「やめてよ、お父さん」

 ますます恥ずかしそうにうつむく祥子を、有麻がベンチに案内する。祥子は克也の横に腰を下ろした。克也を真ん中にして、向かって左が莉々子、右が祥子という形だ。


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