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桐とタルト・4

 厨房の工事が終わると、今度は壁とウッドデッキを塗り直す作業が始まった。工事の人間が出入りするのと、ペンキの匂いが充満するのとで、また花達から不満の聲が上がる。

 こういう時動物ならば食べ物でご機嫌をとることもできるのだろうが、植物となるとそれもできない。必要もない時に栄養剤をあげたら有麻に叱られるだけだし、秀治にできることは、言葉で慰めたり幹や葉を撫でてやるくらいだ。

 厨房の中の機材を揃え、備品を揃え、棚に飾るちょっとした小物も買い揃えていく。テーブルの配置を考えて、客がゆったりと過ごせるように、目隠しになる鉢植えを幾つか置くことにする。

 植物関係のことは、やはり有麻に任せるに限る。知り合いだという花屋にさっそく話を通してくれた。カフェに合いそうな鉢植えの植物を有麻と二人で吟味して、花屋に注文して仕入れてもらう。

 壁はアイボリーを基調にして、下部分をフォレストグリーンに塗ってもらった。床はワックスで磨き上げて、ウッドデッキは焦げ茶色に塗り直す。

 そろそろ店名を決めて、看板も作らなければならない。やっとペンキの匂いの薄れてきたウッドデッキに腰かけて、秀治は庭を眺めていた。

 レースのような花をつけるオルラヤが花壇にも小道沿いにも咲き群れて、異国の草原のような風景を作り出している。生垣に目立たないように備えつけられたフェンスにはツルバラが巻きつけてあって、ポツポツとベージュや薄紅の花をつけ始めていた。

 ふいに生垣のツゲの向こうに顔が覗いた。成人男性が背伸びすると、ちょうど庭が覗けるくらいの高さの生垣なのだ。秀治と目が合って、相手は少しばつの悪そうな顔をする。克也だった。

「荒川さん、どうもお世話になってます」

「すみません、こんなところから。ちょっとした報告なんですが」

「そっちに進んでみてください。裏口がありますので」

 秀治が手で示すと、克也の頭が引っこんだ。裏口で待っていると、すぐに克也が現れる。今日も作業着姿だ。

「せっかくだから、コーヒー飲んでいきませんか?」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「まだ、修業中みたいなものなんですけど」

 克也にウッドデッキのイスを勧めて、秀治はテーブルにカップやミルを並べていく。ガスはもう引かれているので、ポットでお湯を沸かし、ついでに有麻にも声をかけて、三人分の豆をミルで挽く。

 カフェでは注文が入るたびに手動で豆を挽くつもりだった。電動のミルを使うと、莉々子が音が怖いと耳をふさぐのだ。小さな子が嫌がる音は、庭の植物達も不快にするだろう。カフェのお客さん達にも嫌がる人はいるかもしれない。

 手挽きのミルもガリガリと音はするが、どこか親しみのある優しい音だ。秀治の労力は増えるが、秀治自身電動のミルよりも、手挽きのコーヒーの味が好きなのだ。

 温めたカップに一杯一杯、ハンドドリップでコーヒーを注いでいく。時間も手間もかかるが、秀治はカフェをそういうものにしたいと思っている。

 莉々子の世話をすることで秀治が学んだのは、子育てというのは膨大な手間と時間がかかるということだった。ここの庭だって、膨大な時間が費やされて今のこの景色を作り上げているのだし、曾祖父と祖父と有麻の惜しみない努力のおかげでこの景色が維持されてきたのだ。

 秀治もそんな風に、自分の店を育てていきたいと思っている。

 コーヒーを淹れる時間も、そこで過ごす人々の思いも、カフェを包む景色も、全てが店の歴史となり、店の持つ空気となっていくのだと思う。

 コーヒーを淹れ終えたところに、手を洗った有麻がやってくる。莉々子はウッドデッキの隅で塗り絵に集中していた。

 克也がカップに口をつける瞬間、思わずじっと様子を観察してしまった。コーヒーを口にして、克也は『おっ』と言いたげな顔をする。その後ふわりと表情がほどけた。

「これは、おいしい」

 行儀よく微笑みを返しながら、秀治は胸の内でガッツポーズをしていた。

「ところでご報告って」

「ああ、そうでした」

 カップを置いて、克也は秀治に向き合った。

「この間、桐の木をどうしたかって、聞かれたでしょう。それで妻が依頼した業者に問い合わせてみたんです」

 克也から聞いたことは全て、有麻にも話してある。

「どうでした?」

「それがですね、もうすぐ発送できますって言われたんですよ」

「発送できますって、何を?」

「教えてくれないんです」

「え?」

「依頼主との約束で、発送するまでは教えられないって言うんです」

 有麻がカップをソーサーに置く音が、カチリと響いた。その音に、秀治も克也も有麻を見つめる。

「すみません。奥様のお話、秀治から伺っております。発送するということは、奥様が桐の木材を何かに加工することを依頼していたということですね?」

「そ、そうです。そこの業者は木の伐採から加工まで自社で行っているようで」

「桐の木っていうことは、やっぱり箪笥かな?」

 秀治のつぶやきに即座に有麻が首を振った。

「それはない」

「何で言い切れる」

「祥子さんのお母さんは、それを望んでいなかったからだ」

「何か、わかるんですか?」

 有麻に顔を向けた克也の表情は、何だかすがるようだった。

「私にはわからないんです。妻の気持ちが。どうして祥子の記念樹の桐の木を伐ったのか。どうして祥子に遺した物が、ただの石ころなのか。薬のせいで判断力がおかしくなっていたのかとも考えましたが、思い出してみても妻は最後までそんなおかしな様子はなかったんです。妻のあの行動には、何か意味があるんでしょうか」

「意味はあると思います」

 有麻はうなずいた。横で見ている秀治が不安になるほどにきっぱりと断言して。

 妻という身近な人の行動が理解できないという不安さは、秀治にもよくわかる。どんなに身近な存在でも、心の内までつまびらかに知ることはできない。

 夫である克也にわからないことが、有麻にはわかるというのだろうか。

「教えてください」

 そう有麻に頼みこむ克也の必死な姿に、秀治も身に詰まされるようだった。

 雪乃の行動の理由がわかるなら、自分も必死になって有麻に頼みこむだろう。

「まだ、その時ではありません」

 有麻は静かに首を振った。

「その、何かが発送されたというお知らせが来たら教えてもらえませんか。それが届いたら奥様のしたことの意味がわかると思いますよ」

 家の電話番号をメモした紙を、有麻は克也に手渡した。


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