ミツバチの見た世界・9
有麻は結局、荒れた庭を見捨てられなかった。
仕事上の人脈をフル活用して、有麻は礼の庭の現在の持ち主を突き止めた。家の主人は当に亡き人になっていて、その孫に当たる人物が相続したものの、東京に住んでいるために放置したままになっているのだという。
その人物に電話で掛け合って、有麻は無償で庭の手入れをすることを申し入れた。無償ということに裏があるのではないかと相手は最初身構えたようだが、隣家の住人が有麻の人となりを電話口で保証してくれて無事受け入れてもらえた。
そういうわけで、休日となると朝からお弁当を作り、例の庭へと三人で出かけていく。
長らく放置されていた庭だったから、最初は雑草をむしり、落ち葉を片づける作業からだった。木は剪定されていないと、日の当たらない部分が出てきてしまって、枯れ枝の原因になる。有麻はそういった枯れ枝の処理も粛々と行った。ノコギリで枯れた枝を切り落とし、切り口をナイフで滑らかに削るとそこに防腐剤を塗りつけていく。
庭に有麻のハサミの音が響くようになると、みるみる風通しがよくなっていくのがわかった。
秀治はせっせと草むしりに励み、莉々子はコナラの木の下で絵本を読んだり例の人形を相手におままごとをしていた。
そんなことを三週間ほども続けると、庭はもう、荒れた庭ではなくなっていた。
片づけた落ち葉の下には宿根草が芽を出していて、光が当たると茎を伸ばし花を咲かせ始めた。スズラン、ビオラ、サクラソウなどがあちこちに小さな花を揺らすと、庭が呼吸を取り戻したようだった。
有麻が剪定した木はすっきりとした姿となり、針葉樹は青々とした新芽を伸ばしていく。隙間のできた木と木の間は、莉々子の格好の隠れ場所になった。
「さあ、今日はこれくらいにして、もう帰ろう」
有麻のかけ声で、莉々子は広げたおもちゃや絵本をリュックにしまい始める。秀治もお弁当箱や飲み物をバッグに入れ、莉々子と手を繋いだ。
庭を出ようとした時だった。
「さようなら。また来てね」
腕時計ははずしている。秀治と莉々子が振り向くと、それに気づいた有麻も振り向いた。
緑色の帽子と服のあの男の子が、コナラの木の下に立って手を振っていた。
「またね」
莉々子が手を振る。保育園の友達にするように。何の不思議もそこにはない。
彼らとの付き合い方は、莉々子自身が見つけていくものだ。
近づいて来るものがいいものか悪いものか、経験を積んで自分で判断できるようになるしかない。
秀治は傍らで見守るだけだ。
死ぬほどの危険な目に遭わないように。何かあった時、すぐ助けられるように。
有麻とも秀治とも違う道を、莉々子はきっと進むことになる。
その道が花で溢れ、光に満たされていることを、今は願うだけだ。