サンショウとハーブティー・12
莉々子を間に挟んで、三人で並んで御園生の家へと向かった。莉々子は二人と手を繋ぎ、時々「ブランコ」と言っては、二人の肘にぶら下がってくる。
「ねえねえまりあ君。いもむしはちょうちょのお母さんに会えないの?」
莉々子の何気ない問いに、胃の底がヒヤリとした。例え虫の話題であっても、母親を思い出させる話は避けたいところだ。
だけど有麻は、無理やり話を変えるようなことはしなかった。
「そうだよ。チョウは卵を産んだら、飛んで行ってしまう。幼虫が生まれるころには、もう死んでしまっているかな」
子供相手でも、母親が失踪中の子供相手であっても、有麻は事実をそのまま伝える。横目で注意深く観察してみるが、莉々子が泣き出しそうな気配はなかった。
「サンショのはっぱは、いもむしが好きなんだよね」
「そうだよ」
「お母さん、子供の好きなものにたまごうんであげるんだね」
「うん。アゲハは種類によって、好みの葉が違うし、モンシロチョウの幼虫はキャベツが好きだろう。お母さん達はちゃんと幼虫の好きな葉を見分けて卵を産むんだ。ところでチョウはどこで味がわかると思う?」
「え、口じゃないの?」
秀治もストローのような口を思い浮かべたところだったので、莉々子と一緒に首を傾げた。
「口は蜜を吸うためにストロー状になっているけど、実はそこでは味を感じないんだ」
「じゃあ、どこ?」
そもそもチョウに味覚が存在するのかと秀治が疑い始めていると、有麻は見越したようにニヤリと笑った。
「足だよ。メスのチョウは前脚で味を感じることができるんだ。成虫はもう葉を食べることはないけど、子供のために味を確かめてから、幼虫の好きな葉に卵を産んであげるんだ」
我が子に会うこともないメスチョウ達は、それでも我が子のことを思って幼虫のエサとなる葉を探して卵を産みつけるのだ。そこには確かに、母親の愛情が存在する気がする。
「好みの葉があるっていうことは、芋虫には味覚があると思っていいんだな」
「そうだな。虫に食べられたくなくて、わざとまずくなる植物もあるって言うし」
「それなら、いい」
子供がおいしいと感じてたくさん食べて育ってくれるなら、自分がそれを食べられなくても、おいしいと感じられなくても構わない。親というのは皆、そう考えるものじゃないだろうか。チョウも人も、それはきっと変わらない。柴田さんも、小百合さんも、そして……雪乃も。
ふと、料理する雪乃の後ろ姿が浮かんで来た。
莉々子の離乳食にするため、ニンジンやジャガイモを裏ごしていた姿。食の細い莉々子が少しでも食べてくれるようにと、試行錯誤していた姿。
あの日々も莉々子に注がれた愛情も、確かに本物だったはずだ。
それとも、愛情があるからこそ、折れてしまったのだろうか。
それでも……と思う。
この空の下のどこかにいるはずの雪乃も、莉々子の幸せを願ってくれているはずだ。今でも、きっと。
その夜、莉々子の寝ている傍らで、秀治は雪乃宛てにメッセージを送った。有麻に聞いたチョウの話だ。親とは云々などと説教じみた文句は入れず、ただ簡潔に図鑑の説明文のような文章を送った。
今まで送ったメッセージも、未読のままだ。手紙を入れたビンを海に流すような当てのなさで、送信マークをタップする。
何の変化もない画面を、それでもじっと見つめていた時だった。
秀治の送ったメッセージに、既読の文字が入った。今まで送ったもの達にも、次々と既読の文字がついていく。
何か返事があるだろうかと、しばらく待ってみるが、画面にそれ以上の変化は起きなかった。
それでも秀治は、安堵に胸を撫で下ろして、傍らの莉々子を柔らかく抱きしめた。
(生きていた)
一番心配していたのが、人知れず命を絶っているのじゃないかということだった。ともかく、それだけは否定されたということだ。
(生きていてくれるなら、それでいい)
雪乃が戻ってくるかはわからない。それでも彼女が戻ってきた時、莉々子が少しでも痩せていたり落ちこんでいたりしないよう、自分は明日も精一杯莉々子を育てるのだ。
そう決意して、秀治も目を閉じた。
莉々子の髪は相変わらず、日向の枯れた芝の匂いがした。小さなころ過ごしたこの庭の、秋の芝の匂いと同じだった。