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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

白い髪の第九王子

作者: 空木永茉

子は親を選べないと言う。全く酷い話だ。


自分の中にあの男の血が流れているのかと思うと心底うんざりする。父親などいない方が良かった。



僕の母上は、小国の王女だった。十四の時人質同然にこの国へ嫁いできたと言う。

その時この国の王には妃が三人と、妾が六人いた。僕の母は四番目の妃だ。


母上が十六になって少し経った頃、僕が生まれた。

僕は第九王子か第十王子。どちらかはっきりしないのは、僕が生まれた頃に三番目の王子が死んだからだ。十番目に生まれた男子ではあったけれど、物心がついた頃には第九王子と呼ばれていたように思う。一人死んだからって、番号を繰り上げるのはどうなのだ。所詮この国では王の息子とて、その程度の存在なんだろう。


父親は僕に関心を示さなかった。僕の髪色が自分と違ったからだ。父親は深海のような暗い蒼の髪をしていた。それがこの国の正当な支配者の色なのだそうだ。僕はその色に生まれなくて本当に良かったと思う。

生まれた当時、一番上の兄と言う人は十八歳。既に王太子と呼ばれる身分についていた。



僕の髪色は雪のような白。父親とは正反対の色だった。父はこの髪の意味を知らない。母上の祖国で白い髪は賢者を意味する。母上はそのことをこの国の人間誰一人にも教えなかった。



母上はとても美しい、月のような人だった。銀色に煌めく長い髪に、宝石のような淡い紫色の瞳をしていた。僕は母上の瞳の色が大好きだった。僕の瞳はこの世で最も嫌いな男と同じ色。お前は俺の所有物だと印を焼き付けられたような気持ちだった。


でもその美しさが母上を苦しめた。

正妃だという父親より一つ年上の女は、良く言えば健康だけが取り柄のような、正直に言うならば醜い女だった。見た目だけならばいい。でも残念なことにその醜い姿の何十倍も心が醜かった。

むせ返るような化粧の臭い、いつも僕の拳くらいはありそうな宝石をいくつも指に嵌め、首にも重そうな石を沢山ぶら下げていた。もしかするとこの国では、身に着けた石の重さが高貴さの基準なのかもしれないね。それなら文句なしに正妃が一番だ。


正妃の身分で、王太子を産んで、それでも満足することは出来ないらしい。

でもその気持ちも理解できる。だってあの女から宝石や絹を剝がしてしまったら何が残る?親の権力だけが拠り所の醜くて哀れな女だ。



母上は僕を産んだその日の晩に、正妃の宴に呼ばれたそうだ。

疲れ切った身体を引きずるように正妃の宮へ向かい、僕を胸に抱いて正妃の声がかかるのを跪いて待ち続ける。

化粧と酒と煙草の煙。明け方まで続いた宴がようやく終わりを告げようとするその時、情夫を従え寝所へと向かうまで正妃から声がかかることはなかった。




僕が生まれた頃に亡くなったと言う当時の第三王子、その不審な死の真相を知るものはいない。けれど、誰もが知ってもいた。あれは暗殺だったと。


王太子より一つ年下だった第三王子は、蒼い髪を持つ勇猛で聡明な青年だったそうだ。

内気な王太子よりも王の覚えがめでたく、第一王子が正式な王太子に任ぜられていたにも関わらず、彼を後継者にと推すものが少なくなかった。


もうわかるだろう、ここはそういう所なんだ。

ああ、第二王子は健在だよ。王太子より数か月年上の第二王子。母親は正妃より三つ年上の妾だ。彼の命が狙われることはもうないだろう。髪が砂色だと言うだけではなくて、彼はその・・・声を出すことが出来ないんだ。


プライドだけは誰よりも高い正妃が、自分よりも先に身籠った女がいると知った時、怒り狂ったことは想像に容易い。それでも手を出さなかったのは、王の愛がその妾に向いていたからだ。手を出さなかったんじゃない、出せなかったんだよ。

第二王子の誕生が正式に発表されたのは、正妃が第一王子を産み落とした後だった。その経緯を知るものはいないけれど、皆が言う正妃が自分の懐妊を盾に王に迫ったというのが真実なのだろう。


母上はとても美しい人だったから、僕に興味があろうとなかろうと、王は母上の宮に通うことを止めなかった。僕が同じ宮の中にいることすら忘れていたかもしれないね。もしかしたら生まれたことさえ覚えていなかったかもしれない。


母上は一番若くて一番美しい妃だったから、あの王が夢中になるのも無理はない。でもそれは妻を愛するというものとは遠くかけ離れていた。気に入ったおもちゃを手元に置いておく、そんな感覚だったように思う。



亡くなった第三王子と同腹の妹、第二王女の縁談話が失敗に終わった。相手は北の大国の国王陛下だった。生涯ただ一人の逑と添い遂げると言われる、この国とは全く異なる風習を持つ国。お気の毒なことに、その国の王は若くして愛する妃と死別したと聞いた。広い王宮に忘れ形見の王子と二人で暮らしているのだと。さぞかし寂しい毎日を送っていらっしゃることだろう。その悲しみに付け入るように父親は第二王女を送り込んだのだ。こんな人間が自分の父親だとは、恥ずかしくて消えてしまいたいくらいだ。


けれどその話は正妃を大いに喜ばせた。正妃は第三王子だけじゃなく、第二王女のことも心の底から憎んでいたからだ。だから意気揚々と王に進言した。

「大国の王に三番目の妃の娘などを送るから失敗するのです ここに正妃の娘がいるではありませんか」

正妃の娘、第四王女は外見は母親の生き写しだけれど、中身は兄王子とそっくり、内気でいつもおどおどと、母親の機嫌ばかり伺うような娘だ。子供の僕から見たって、第二王女にたったひとつでも勝る部分があるとは思えない王女だった。



正妃は北の王に感謝しなくちゃならない。その場で斬り捨てられたって仕方ないほどの無礼を働いたのに、第四王女は無傷で帰ってこられたのだから。

なのに正妃は烈火の如く荒れ狂った。どれだけ狂ったかと言うと、王に戦争をせよと持ち掛けたくらいだ。正妃は北の大国のことを知らないのだろうか。あの国が本気で攻めてきたらこの国なんかひとたまりもない。この王宮など一日と持たずに陥落してしまうだろうってことは、子供の僕にだってわかることなのに。




この国に身寄りなんて一人もいない母上の小さな宮にも貢物は届いた。割と頻繁に。

趣味の悪い衣装やうっかり針が縫い込まれた羽毛布団なんてのはまだいい方で、焚くと身体が麻痺する香木や、もっとわかりやすく毒蜘蛛が届いたことだってあった。


正妃ってのは随分と暇なんだなと思う。

だって妃が三人と妾が六人もいるんだよ。一番美しい母上が一番目障りだったのはわかるけれど、他にも蒼い髪の王子を産んだ妾や、有力者の娘である妃が何人もいて、それに分け隔てなく嫌がらせをし続けるのだから。暇な上になかなかの努力家かな。




孤独だと思っていた母上に手を差し伸べる人が現れた。息子を失った三番目の妃だ。最初は警戒していた母上だったけれど、月日が経つにつれ、二人は本当の姉妹のように見えるほど信頼し合うようになっていた。

三番目の妃の実家は正妃のそれに匹敵する勢力を持っている。しかも正妃の父は文官だが、三番目の妃の父は武官だ。この国で一番の武力を誇る家門。これには流石の正妃も、正面切って喧嘩を売ることは出来ないみたいだった。


ある日母上は、三番目の妃から複雑な模様が掘り込まれた翡翠の首飾りを貰い受けた。

「私に万一のことがあれば あなたもここを離れなさい この首飾りを持って私の実家へ行くの いいわね」

母上はその首飾りを首から下げて微笑んだ。

「ありがとうございます おねえさま でもそんな日が来ないことを願います」

二人が抱き合って涙を流しているところを見た。三番目の妃にとってもここは悲しくて辛い場所なんだ。




でもそんな暮らしもある日呆気なく終わりを告げた。

母上が亡くなったのだ。


ある冬の日の朝、どういうわけか母上が肌身離さず下げていた翡翠の首飾りを僕の首に掛けてくれた。

「首飾りもあなたの首の方が気に入ったみたいよ 大切にしてね」

どうして?僕なんかより母上の方が余程似合っているのに。それにこれは三番目の妃から頂いた大切なものじゃないの、どうしてなの?


その日、正妃は上機嫌で母上の宮を訪れた。母上の宮に仕える全ての使用人をかき集めたよりも多い数の侍女を引き連れて。

上座に座るのは勿論正妃だ。母上と僕は、敷物すら敷かれていない板の上に跪く。

「嫌だわ それではまるで使用人のようじゃない 私は坊やの誕生日を妹と共に祝うためにここへ来たのよ お座りなさい」

僕達を飲み込んでしまうのではないかと思うくらい、真っ赤に塗られた大きな唇がそう動いた。誰の誕生日?僕が生まれたのは冬ではないけれど。


「ありがとうございますおねえさま 同席する栄誉をお与え頂き厚謝申し上げます」

母上は跪いたまま答えた。僕も隣で微動だにせず声がかかるのを待つ。

「おめでとう坊や かわいい私の子 あなたも顔をお上げなさい」


「お越し下さりありがとうございます おかあさま」

どうして僕がこの唇おばけをおかあさまと呼ばなくちゃならないんだ。悔しくてやるせなかったけれど、それでも僕は微笑みを浮かべて完璧な挨拶をする。


母上と僕も椅子に座り、テーブルの上には次々と菓子が運ばれてきた。用意するのは全て正妃が連れて来た侍女だ。茶が注がれ、このくだらないお茶会が始まるのだと思ったその時、足のついた大きな器を仰々しく頭の上に掲げながら歩いてくる侍女がいた。侍女はその器を母上の目の前に置くと、前を向いたままするすると後ろへ下がって行った。


見たことのない菓子だ。正妃の唇のように真っ赤なそれを見た母上は、僅かに震えていた。

「嬉しくて言葉も出ないようね そうよあなたの故郷の菓子 特別に作らせたの 感謝なさい」


これが母上の故郷の菓子?母上から聞いていた国の印象とは随分と違う。こんな禍々しいものが母上が愛した国の菓子なの?

僕は信じられない気持ちで母上の顔を見上げていたけれど、母上は何も言わなかった。


「さあ手に取りなさい」

正妃は命じた。母上は言われるまま菓子をひとつ自分の皿へと運んだ。

僕も―と手を伸ばそうとしたけれど、先程の侍女が音もなく進み出て皿ごと遠くへ運んで行ってしまった。

「坊やにはまだ早いわ もう少し大きくなってからにしましょうね」


すると今まで人形のように静かだった母上が突然大きな声を上げた。

「お許しくださいませおねえさま この子 この子だけは どうか後生でございます」

取り乱した母上の両脇を体格のいい侍女が取り押さえる。

「何を言っているの?嫌ねえ 坊やには別のお菓子を沢山用意しているじゃない」


正妃の言っていることはてんで意味が繋がっていなかったけれど、今から何が起こるのかは理解できた。

わかってはいてもどうすることもできなかった。僕は無力な子供だから。僕の頬を一筋の涙が伝う。


母上は僕の方を向いてとびきりの笑顔を見せてくれた。さようなら大好きな僕の母上―



母上が菓子を口にするのを確認すると、すぐさま正妃は立ち上がった。振り返ることなく宮を出ていく。残されたのは僕ただ一人。



「ああ あああああ!」

母上の顔はみるみる紫色になっていった。眼球はこぼれ落ちそうなほど飛び出し、真っ赤な血を噴き出している。唇は腫れあがってダラダラと涎が垂れ続けていた。


僕の悲鳴を聞きつけて数人の使用人達が駆け付ける。下男や下女に扮して母上を支え続けた祖国から付き従ってきたもの達だ。


「姫!」「姫ー!」「なんとむごい・・・」

母上の変わり果てた姿を見て泣き崩れている。僕はと言うと、少しずつ少しずつ、冷たく硬くなっていく母上の側から一晩中離れることが出来なかった。




翌日父親が宮を訪れた。ベッドの上で静かに横たわる母上を一瞥すると信じられない言葉を吐いた。

「これはなんだ?」


処分しろと言い捨てると踵を返し出て行った。

泣いてほしかったわけじゃない。怒ってほしかったわけでもない。


僕の大切な大好きな母上は、あなたにとってはその程度の存在だったんだね。


もう宮に残っていたのは母上を姫と慕っていた僅かなものだけだ。僕はそのもの達に告げた。

「母上をこんなところに置いてはおけない 僕はここを出る」


止めるものはいなかった。僕のその言葉を聞くと、一人の下女が僕を厨へ連れて行った。

「王子の髪は目立ちますから 今だけ 今だけご辛抱くださいね」

そう言って僕の真っ白な髪を染めた。

下男の一人が母上を箱に入れて背負った。馬を一頭引いてきたかと思うと、それに準備されていた荷物を乗せた。あまりに用意周到ではないか。知っていたの?いつかこういう日が来ることを。


僕達は正門を目指した。逃げるのではない、正々堂々出て行くからだ。僕の髪がありふれた砂色をしていたからか、怪しまれることなく門を出ることが出来た。



初めて見る門の外の世界。でも僕達に知り合いは一人もいない。これからどこへ行ったらいいの?

けれど下男は迷うことなく真っすぐに歩いていた。どこか向かう場所があるみたい。


随分と歩いた。僕はどこまでだって歩くつもりだったけれど、僕一人だけ馬の背に乗せられていた。

そして着いた先は、宮殿のように立派なお邸の前だった。

僕は王宮に戻ってきてしまったのかと慌てたけれど、入り口に掲げられている旗が違う。良かった、ここがどこかはわからないけれど、あの正妃と父親のいる王宮ではなければどこだっていい。


すぐに門が開けられた。僕達は広い庭を通って邸の入り口へと案内される。

そこで待ち構えていたのは、父親よりも二回りは大きい立派な男の人だった。

「第九王子 よくぞご無事でした ご安心ください 私が命に代えてもお守り致します」

初めて会うのに、その人は真っ赤な目をして僕を抱きしめてくれた。


すぐに温かいご飯が用意された。僕の胃はちっとも受け付けようとしてくれなかったけれど、誰も叱ったりはしなかった。それから温かいお風呂で隅々まで綺麗にされて、ふかふかの布団に寝かせてもらった。

どうしてこんなに優しくしてもらえるのだろう?僕はこの後殺されてしまうのかな。寝てはいけない、そう思っていたのに、疲れていた僕は深い眠りに落ちてしまった。



目が覚めると、枕元には下女が一人座っていた。僕の顔を見るとほっとした顔をして笑いかけてくれた。

「おはようございます王子 お疲れは取れましたか?」

「うん?ここは?・・・ああ思い出した 僕達は外の世界にいるんだね」

僕の言葉に、少し悲しそうに笑うとゆっくりと背中を支えて起こしてくれた。


「姫様―お母様にお別れのご挨拶をしましょう 皆様もお待ちでございますよ」

おかあさまとお別れ・・・?お母様? 母上のこと?!

僕はベッドから飛び降りた。

「嫌だ!僕を一人にしないで!母上を連れて行かないで!」

僕は大きな声で何度も頼んだ。


「王子 落ち着いてください 一人にはしません 姫様も一緒ですよ」

「嘘だ!今お別れのご挨拶って言ったじゃないか」

僕は取り乱してしまって、聞き分けのない駄々をこねる子のようなことを言い続けた。

そんな僕の声が聞こえたのか、扉を開けて誰か人が入って来た。


「第九王子 あなたとお母上を引き離したりは致しません 安心してくださいませ」

僕の前にかがんでそう優しく言ってくれたのは、三番目の妃。

「ほんとう?」

「ええ 本当です」

そう言ってキュッと抱き締めてくれた。三番目の妃は母上みたいな匂いがして少し落ち着く。


「ではお母上の許へ参りましょう」

そう言って僕のことを抱き上げてくれた。僕はもう七歳だし、ちゃんと一人で歩けるのだけれど、僕のことをこうして抱き上げてくれる人がまだいるんだって思うと胸がいっぱいになった。


母上は真っ白な棺桶の中で静かに眠っていた。柔らかいピンク色のドレスを着て、身体が見えなくなるくらい沢山の花で飾られていた。そして顔の上にはレースのハンカチが乗せられていた。僕の知っているハンカチ―これは母上が編んでいたものだ。

僕は母上の子だ。ちゃんとお礼を言わなくちゃいけない。

「母上を・・・最期に綺麗にして下さって ありがとうございました」

すすり泣く声が聞こえた。でも僕は泣かない。しっかり母上とご挨拶もしなくちゃならないから。


膝をついて、母上と最期のお話しをする。

「母上 今日まで僕を守ってくれてありがとうございました 僕は生きます 母上よりうんと長生きして 母上が見れなかったものを沢山見てきます 僕のことを遠くから見守っていて下さい」


暖かな火に守られるようにして母上は天に昇って行った。




三番目の妃はずっと僕の側にいてくれた。

そしてとても驚いたことに、王宮から出てきたのは僕達と三番目の妃だけじゃなかった。二番目の妃も王子と王女を連れてここへ来ていたんだ。


二番目の妃と第五王子と第一王女。

妾腹の二番から四番の王子には継承権がないから、第五王子は二番目の継承権を持つ王子だ。王宮では遠くからお目にかかる程度だったけれど、ここに来てからは僕のことを弟のように可愛がって下さる。僕もお兄様が出来たみたいで嬉しかった。知っているよ、僕達は半分だけれど本当に血の繋がった兄弟だ。でもあの王宮にいた時、僕に兄弟がいるなんて感じたことは一度だってなかった。だからここに来て、初めてお兄様、お姉様って呼んでもいいと言われたことが嬉しくて少しだけ恥ずかしくて、やっぱり嬉しかった。


二番目の妃と三番目の妃は古くからの親友なのだと教えてくれた。二番目の妃も僕の母上のことを、自分の妹を失ったように悲しんでくれた。


数日はこうして王宮を出てきたものが寄り添って静かに過ごしていた。このままこうしてここで暮らすのかなと思っていたけれど、そんなことは出来るはずがない。だってお二人はあの父親の妻なのだもの。



三日目の夜、三番目の妃のお父上が鎧姿で僕達の前に現れた。初めてここへ来た日、僕のことを抱きしめてくれた大きな人だ。

「第五王子 第九王子 お二人の帰るべき場所を取り戻して参ります」

僕以外驚くものは誰もいなかった。そうか、これが目的だったのか。

「お父様 ご武運を」

「閣下 武運長久をお祈り申し上げます」

「ああ 王子達を頼んだ」


皆で集まり夜が明けるのを待つ。二人の妃はまんじりともせず祈り続けていた。僕も頑張って起きていようと思ったけれど、ついうつらうつらとしてしまって、とうとう第二王女の膝の上で眠ってしまった。


遠くでラッパのような音が聞こえる。

プァーーーッ!と長く鳴らすその音は少しずつこちらへ近づいてきているみたいだ。

「終わった・・・」

二人の妃と二人の王女は立ち上がり、第五王子の前に並んで跪いた。僕も慌ててその横に跪く。

「新国王陛下 おめでとうございます」

「おめでとうございます」

「新国王陛下万歳」


全員泣いていた。僕の顔もぐちゃぐちゃだ。

「私達の妹にもお見せしたかった」

「ええ 四番目の妃にもこの音を聞かせてあげとうございました」



翌朝僕達を乗せた馬車は、閣下を先頭とした騎馬隊に先導され王宮へと戻った。城門には父親と正妃、そして正妃の三人の子の首が下げられていたけれど、誰一人それに目を止めることはなかった。

即日第五王子が正式に即位し、メルトルッカに新しい時代が訪れた。



継承権が一位に上がった僕は、三番目の妃に養子として迎えられた。

国王陛下は僕に王宮に留まってほしかったみたいだけれど、決して無理強いはなさらなかった。





それから月日は流れた。

大人になった僕は長い旅に出た。その頃の僕は陛下にお世継ぎがお生まれになって、継承順位も下がっていたけれど、それでも王族の一員であるということが窮屈に思えていた。だから誰も僕のことを知らない町を旅することは、とてもワクワクの連続だった。本当の自分になれたような気持ちがしたんだ。


「久しいなロンブラント 何年振りだろうか」

「四年になりますか メルトルッカを隅々まで旅して参りました」

「この国はどうだった あなたのお母上にご満足頂けるような国になってきただろうか」

僕は懐の中にいる母上の欠片を静かに握って答える。


「はい きっとお喜びになっていると思います」

陛下は目を細めて喜んだ。

「それではそろそろここに帰ってきてくれるのだな」

「いいえ 今日はお別れの挨拶に参りました 僕は王位継承権を放棄してこの国を出ます」


余程驚いたのか、手に持っていたカップが大きく傾いて、中の茶が流れ出ていることにも気がついていないみたいだ。

「い・・・今なんと?」

「母上と約束しましたから 母上の見れなかったものを沢山見てくると」



暫く頭の中の古い日記のページでもめくるように、記憶を辿られている様子だった陛下は、フッと寂しそうに笑った。

「そうか・・・そうだったな」

「お世話になりました 兄上」

「寂しくなる」

「今までも離れておりましたでしょう」

「この国のどこかにいると思えば待っていられたのだ で 行き先は決めているのか?」

行き先は決めてある。多分ずっと前から。


「北へ向かおうと思います 北の大国ステファンマルクへ」

「戻ってくるのだろう?」

「そうですね  いつかステファンマルクに満足する日が来ましたら 戻ることもありましょう」


「・・・わかった 気を付けて行け お前はいつまでも大切な私の弟だロンブラント」


「申し遅れましたがその名前はもう捨てました 今は母上の祖国の名を名乗っております」

「そうか 名前すら置いていくか・・・ して今はなんと?」

「レノーイとお呼びください」

「賢者レノーイ 幸運を祈る」

「ありがとうございます 兄上もどうかお元気で」




あれから十六年、この国は変わった。これからも変わり続けるだろう。

生涯好きになることはないだろうと思っていたこの国だけれど、今の僕は言える。ようやくこの国を好きだと言える自信がついた。だから僕は出ていく。今度は外からこの国を見てみたい。世界はメルトルッカをどう見ているのだろう。僕は伝えたい。僕の故郷は良い国だと。

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― 新着の感想 ―
「」内に『。』がなくて少々読みづらく感じましたが、作り込まれたとても素敵な作品でした。 妾腹の子供達に継承権が存在しないのであれば、王子や王女と言う肩書きもなさそうですね。
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