Ⅱ欠けた駒
翌朝。クイーンは萎れていたのが嘘だったかのように明るさを取り戻していた。
「まだまだだけど、空気読めてなかったり遠慮がなかったりしたら、ちゃんと教えてね!」
誰も文句は言わなかった。ビショップは何か怒鳴ろうとして寸でのところで堪えているように見えたが。昨日からすると、みんな、なんだかんだで欠点をなおそうという気にはなっているように見える。
ルークは起きてから無口で周囲から距離を置き、ポーンは行動と字面で頑張ろうとしているのだろうか。【おはよう みんな!】と、隣に感嘆符をつけ口角も先日より上げるようになった。よほど「暗い」という発言は痛かったのだろう。だとすると、僕は……どうだろう。
つまらないということは、面白く? 何か気を利かせたジョークでも言っておけばいいのだろうか。
「改めてこれからの話をしようか」
「力使って大人をぶっ殺しに行こうぜ」
「殺すのは駄目だって! キングが言ってたでしょ!」
【そうだ そうだ!】
「もぉ~~なんでもいいから家に帰りたいぃ……」
各々が口を開いてしまう。「ちぇっ」とビショップは拗ねた。
ルークに至っては、呟くような声量となっている。
「とりあえず、クイーンの『先生たちに認めてもらおう作戦』でいくにしても、欠点を一日二日でなおすのは厳しいと思う。その間、飲まず食わずってわけにもいかないよね。……どうしようか?」
ここで敢えてクイーンへ視線を送る。何も思い浮かばなければ、詰んだと見做して説得に入ろう。子供だけで出来ることなど限られているのだから。
クイーンは難しい顔をして腕を組んで唸った。今だ。
「何も思いつかないなら――」
「おい、キング。メシ出す魔法使えよ」
「そんな都合の良い魔法はないぜ」
ビショップとキングにタイミングよく遮られてしまった。
キングは相変わらず床に寝転んだままで特に会話に加わってくる気はないのか暢気に欠伸をしている。
「うーん。とりあえず人が居そうな場所まで行って、事情を説明して何かもらうとかは?」
「いっそ奪おうぜ」
「あーまた性格悪いこと言ってる~」
結局大人に頼る時点でアウトな気がするんだけど。でもそれはいいかもしれない。キングは魔法使いだからともかくとして普通の大人ならまず午前中から学校も行かずにふらついている子供なんて異常とみて学校や保護者に連絡を入れてくれるはずだ。そうすれば流れるままに車に乗せられ無事に向こうへ辿り着けるだろう。
「……うん。そうだね。確かに……事情をちゃんと話せば分かってくれるかもしれない」
「でしょ!? やったーー!! じゃあ早速行こうよ! お腹すいたし!」
クイーンが立ち上がり、ポーンも続く。
「じゃあ、いってきて。待ってるから……」
ルークは膝を抱えて緩く手を上げる。待って。僕はまだ朝だというのに軽く眩暈を起こしかけた。全員で行かないと意味がない。
「……せっかくだし、みんなで行った方がいいと思うんだけど」
「えぇ……やだよ、めんどくさいし、疲れるもん……」
頬を膨らませるルーク。「じゃあルークはお留守番だね!」とクイーンがそのワガママを了承してしまった以上、ここで強く出るわけにもいかない。かえって怪しまれるだけだろう。
「……そうだね」
と、なればもう一度この小屋まで戻ってこなければならない。どうやって? 大人に出会ったらすぐ送り出される気がする。でもここまで乗りかかったら今更やめておこうなんていえる訳もない。考えよう。どうすれば送り出されることなく食料をもらって引き返せるかを。
ビショップの強奪や盗みは絶対に駄目だ。なるべく自然と……そうだ。学校の先生から頼まれて……いや、あまりに無理のある嘘だろう。力を使って? こういう時に使える力を誰か持っていただろうか。僕は瞬間移動、クイーンは超高速。ルークはよく分からないけど観察眼としてポーンは眠らせ、ビショップは憑依……。そうか、ポーンとビショップを上手く使えば……。
ポーンは既に乗り気だしビショップは口車に乗せれば早いだろう。光明が差しこんだように思えて僕はそっと両手を合わせた。かなり無茶な作戦の気もするけどこの際、相手の心を折るにはこちらも少しは折れた方が良さそうだ。
「じゃあ、気を取り直してしゅっぱーつ!」
クイーンは元気に扉を開け――ようとして中々開けられず苦戦し、それでもなんとか開いた直後。
凄まじい風が吹き付け、小屋そのものをガタガタと震わせ「ぎゃぁあああ!!」とルークに悲鳴を上げさせた。クイーンは勢いよく扉を閉めた。バターンと大きな音と共に室内に置かれてあるものが一斉に吹き飛んでいく。昨夜火を踊らせていたランプは壁にぶつかってガラガラと転がった。キングは何食わぬ顔で再び欠伸を零す。
「……む、むり。無理無理無理!! 絶対体吹っ飛んでく!! 今日はやめよう!」
「はあ? そんな風逆に吹き飛ばせばいいだろ!」
「そんな力持ってないよ!」
ポーンはいつの間にか隅の、ルークの傍まで移動して一緒に震えている状態だ。
「……うん。もしかしたらもっと強くなってくるかもしれないし、今日はやめておいた方が良いかもしれないね」
すんなりと僕もクイーンに賛成した。ルークとポーンも首が取れそうなほど激しく頷く。
「は~~」
ビショップは呆れたように溜息を吐いて胡坐をかいた。激しい風と、微かにゴロゴロと悪天候を示す音が聞こえてくる。もし嵐なんか来てしまったらこんな古びた小屋はすぐに吹っ飛んでしまうだろう。予感が的中しなければいいんだけど。
★
飛竜奈は窓を横殴りする大粒の雨に溜息を吐きながらベッドに上体を預けていた。
――情けない。
あんなに胸を張っていたのに。まさか脇腹を撃たれて病院へ運ばれるなんて。
心中はどんよりとした雲の色と同じだ。予報によれば、この雷雨は夕方にピークを迎え、夜にはおさまる。窓の外を眺めても人を見かけない。木々の揺れが酷いのを見るに風も強そうだ。
竜奈は窓からそっと目を外し、扉の方へ視線を向ける。
迷彩服に身を包んだ金髪の男性が二人、松葉杖を手に立っている玉城へ昨日の報告を続けていた。同じ顔をしているのに態度は全く違う。報告をしているのは殆ど一人だけだ。
熱心に語って玉城の顔色を赤くさせたり青くさせたりと忙しい。乙成銀。あの工場で見た惨状に心を痛め、腹を立てている。その横で眠そうに目を擦っているのは乙成金。肝心な時にはしっかりとやる気を見せるのだが普段は態度を崩しているせいで良いように見られていない。どちらも二十五と竜奈よりは二つも年下だった。
そんな彼らに報告をさせリーダーである自分は無様にベッドの上にいる。それは竜奈にとって屈辱的だった。あんな非道を平気で行える相手に一発かまされるなんて冗談じゃない。シーツを強く握りしめていると玉城が杖をついてこちらへやってきた。
いつものように立とうとしても鋭い痛みが脇腹へふりかかる。玉城は手で制止した。本当に情けない。竜奈は座ったまま敬礼をとることとなった。
「二人から話は聞いたよ。本当に酷い話だ。君達が見つけてくれていなければ更に多くの犠牲が出ただろう。三人ともよく頑張ってくれた。ここから先は手を引きなさい」
ガンと鈍器で殴られるような衝撃が走った。脇腹の痛みの比ではない。
「ど、どういうことですか。この怪我は大したことないです! ちゃんと任務を全うしてみせますから……!」
竜奈の声は予想以上に大きかったのか、待機していた双子が寄ってきた。玉城は少し慌てた様子で続ける。
「君達が役に立たなかったと言いたいわけではないんだ。むしろとても助かった。でもこれは連続殺人として警察に協力を要請するくらいでいいと思うんだ。君達が動くことじゃないんだよ」
「そんな!!」
竜奈より先に銀が叫ぶ。金はガッツポーズをとりかけていたが銀の声にすぐ手を下げた。
「待ってください大臣。さっきも話しましたがアイツらは連続殺人とかそういうレベルを超えてるんですよ! すごく、すごく酷いんです! なんの罪もない子供の亡骸がたくさん積み上げられていて、それで、それで……っ!」
竜奈は静かに手を上げる。銀はその合図を見て口を噤む。悔しそうに眉を寄せて俯いた。
「玉城さん。分かりました。警察に協力を要請してください。ですが……私たちにも、もう少し任せてもらえませんか」
竜奈はまっすぐ玉城を見つめる。玉城は眉を八の字に寄せて、「その意気込みは大変嬉しいが……」と彼女の脇腹へ目を落とす。
「大丈夫です!!」
強く言い、彼の手を握る。気迫に圧倒されたのか「わ、分かったよ。もう少し君達に任せよう」と玉城は頷いた。
「っしゃぁ!」と後ろで堪え切れなかったのか勢いよく拳を作る銀。金はそんな弟から少し距離を置いていた。
「じゃあ少し席を外すよ。くれぐれも無理をしないように。もう少し安静にしていなさい」
柔和な笑みを浮かべながら玉城が扉を開き、通路へ出ていく。金は丸椅子を引いて腰かけると脱力したのか溜息を吐いた。
「マジかよぉ。あんな頭イカれた連中とまたバトんのかよぉ」
随分と弱気な発言だった。銀がその頭を叩き、竜奈は口元を綻ばせる。
「なんだ金。別に降りてもいいぞ? 私と銀は相当頭にきてるし、一発やられたからには倍にして返してやるつもりだから十分だし」
竜奈は銀と視線を交わす。頷いた銀も続いた。
「そうですね。僕と竜奈さんでやってくるし金は引き返せよ。どうせなんとも思ってないんでしょ?」
「んなわけねえだろ、バカ」
地の底から這い出てきたような怒りを顔に出しながら金が頭を上げる。
「これ以上クソ共にイイ面さして遊んでられっか。脇腹に返してやろうぜ」
不敵な笑みを浮かべる金に銀と竜奈は顔を見合わせ笑う。負けず劣らずの正義感があるからこの職についているのだ。
「おし、ぶちかますぞ!」
竜奈の拳に双子のそれがぶつかった直後、勢いよく扉を開けて玉城が戻ってきた。
慌てて竜奈と銀は敬礼を取り、金は拳を隠す。
「ど、どうしました玉城さん!?」
「あ、ああ。すまない少し動揺していて」
その割には扉を外してしまいかねないほど勢いのこもった開けかただった。彼の現役が垣間見えるような――。
「警察の様子が少しおかしいんだ。連絡を取ってみても、まともな会話にならない。何かおかしい」
ハンカチで額を拭う仕草、いつもより舌の周りが早い。三人は視線を交わす。どの顔にも冷や汗が浮かんでいるように思えた。
「今はとにかく三人に頼るしかない。相手の潜む場所が分かった今、動きを捉えるのは容易だ。動きがあったらすぐに指示を出すよ。本当に、すまない……」
「いいえ!! 玉城さん! 光栄です!」
竜奈は再び拳を掲げる。きっと口元はひきつっているに違いない。それは金と銀も同じだ。それでも笑える。こういう状況だからこそ。
「私たちに任せてください! ブタ箱行きにしてやりますよ!」
歯を見せる。玉城は「ああ、頼んだよ」と彼もまた柔和な笑みを形作り、忙しない様子で端末を手に通路の向こうへ歩き去っていった。
★
「雷怖いなぁ。台風かなあ、角野さん」
香車が角野の隣に膝を抱いて座り、身を縮める。
シャッターを閉めているお蔭で雨風にさらされることはないが、やはり雷鳴の音を聞くと怖いのだろう。金子も同じようにスタンガンと傘から少し離れた場所に座り、鳴るたびに両耳を塞いでいた。唯一の防壁であるシャッターを蹴って桂馬は同じ場所を往復しながら頭を搔き毟った。
「おいおい、どうすんだよ!! あのクソガキ共まさかこれで死んだりしないだろうな!?」
一見、子供達の身を案じているようなセリフともとれるが、彼の場合は真逆だ。
「俺が殺すんだぞ! おい! 俺の獲物だぞ!」
「お兄ちゃん、天気に怒っても仕方ないよ。罰が当たっちゃうよ?」
呆れた調子で香車が桂馬に呼びかける。「あぁあ、クソ! クソッ!」癇癪を起して桂馬は落ち着かないようだ。
「まあ、この天候なら子供達も動きようがないからね。彼らの回収は明日だよ桂馬くん」
角野は落ち着き払って、床に資料を置いて目を通している。昨日の夜更けに、警察の一人が茶封筒に入れてわざわざ送ってきてくれたのだ。一体どんな話し方をすれば警察をそこまで早く動かせるのだろう。金子はますます角野を尊敬した。
「へえ、三人とも自衛隊の方々なんだねえ」
「え……」
自衛隊。体を強張らせる。どうしてそんな偉い方々が邪魔しにきたのだろう。甚だ不思議でならない。彼らの立場なら分かってくれそうなものなのに。
どうやら硬直していたのは香車も同じらしい。
「まあまあ、そんなに青くならなくても。話ならちゃんとつけるさ。安心なさい」
「そ、そうですよね! あはは!」
香車は角野の言葉に安心して笑みを見せる。彼の発言には不思議な力がある。なんの根拠もない言葉なのに、妙な安心感を得るのだ。
「君達も相手の事を知っていて損はないと思うよ。ほら、桂馬くんもこっちに来て一緒に見ないか」
「んなことよりガキなんだよ!」
「大丈夫だよ。若い方が意外としぶとい生命力を持っているんだから」
「はぁ? ほんとかよ……」
荒れていた桂馬でさえ舌を打ちつつこちらに寄ってくる。
(本当に角野さんの力はすごい……それに比べて私は)
最年長で足を引っ張ってばかりだ。明日こそは少しでもいいところを見せないと。
金子は端の書類を手にとる。飛竜奈。童顔の女性についての情報だった。
★
予感は的中。運に見捨てられてばかりな気がする。
僕とビショップは小屋が吹き飛ばされないよう、扉に背を預けて座っていた。対して意味は無いように思うがしていないよりかはしてる方が多少なりとも気は安らぐだろう。クイーンとポーンも抱くように両手で壁を抑えている。ルークは寝転がってるキングにしがみついていた。
当のキングは「風すげー! やべー!」と危機感を覚えていない無知な子供のようにはしゃいでいる。
外は大合唱だ。ゴロゴロ、ピカッ、ドーン! ビュゥウウ、ザァアア。大自然といえばまだポジティブだがコンクリート製の壁ではなく木製でその上、もう使われなくなってから随分と月日の経つボロけたこの小屋だと透明な壁を申し訳程度に与えられているようなもので、直に感じているのだ。揺れるし、強烈な雨風のノックに背は痺れる。
当初はうるさくしていたビショップの口数も減り、今や完全に人の声はキング以外にない状態だった。それほどみんな恐怖を感じているのかもしれない。僕は、どうだろう。あまり意識して自分の感情に目を向けたことは無かった。
確かに今の状況は良くないので出来得ることなら早めに収まってほしいけれど、自然の起こすことなので、屋根が吹き飛んでいかないよう願っているしかない。それ以外にできることといえばこうして扉に背を預けていることと、時たま声をかけて安心させることくらいだろうか。
災害でこうして死ぬのは、結局のところ問題児として処理されて終わるのだろうし良い気はしないけれど、一応覚悟しておいた方がいいのかも。冷静に起こっていることを受け止めるのは慣れている。だからかよくかけられる言葉は「子供らしくない」だった。ただ悪い気はしない。完璧な大人に近づけている証拠に思えるからだ。
「キ、キングって魔法使いってことは、魔法の国からやってきたの?」
ふと静寂を打ち破ってクイーンが声を震わせながら尋ねた。急な質問だったからか、キングは一拍置いて「ん~~いや、魔法の国はないぜ。確かに別のところからは来てるんだけど……」と曖昧に話ながら、ランプに火をつける。仄明るくなり、薄らと表情が浮かぶ。キングは苦い笑みを零していた。あまり話したくないことならクイーンを止めるべきだろうか。
「え~~、どこから来たの?」
「いや流石にタダでは話せないぜ。条件付きだ」
一本指を立てるキングにクイーンは少し呆れた調子で「キングは条件が好きなんだね」と返す。
「で、条件ってなんだよ」
隣でビショップが食いつく。魔法使いの話に興味を持っているようだ。
「ん? 簡単だぜ。俺も話すからお前達も色々話せよってこと」
「なーんだ、それならいいじゃん。ね、みんなもいいでしょ? 黙ってるとすんごく怖いんだもん」
ビショップは文句を言いながら。ルークは急かすように。ポーンは激しく頷いて、同意を示した。勿論僕も反対する理由はない。
全員の反応を見て、キングは口を開いた。
「俺は雲の上から来たんだぜ」
「えっ雲の上!?」
「って何があるんだよ!?」
クイーンとビショップの食いつきとポーンにルークの好奇心に輝く瞳。
キングはまた苦い笑みを浮かべながら続ける。
「ここよりは何もない場所だぜ。ただ霧が濃くて、大きな木に色を変える薔薇が咲いていて、あとは魔法使いがわんさかいるだけさ」
「色を変える薔薇……」
ルークの喉を鳴らす音が聞こえてきそうだ。クイーンも「いいなぁ」と呟いていたが、そのうち首を傾げた。
「でも、どうしてここに来たの? そんなに雲の上はつまらなかったの?」
「まあ、つまらなかったのも理由の一つだけど。窮屈だったんだよ。やれ私の方が上だの、お前は下だの。そんなことばっか。何も無さすぎるって本当に問題だぜ。辛くなって気晴らしに。それが一度目の理由」
「一度目?」
純粋無垢なクイーンの質問にキングは一度口を閉ざし、小屋の中にいる一人ずつへと目を向けた。
「そうだな。今回こっちにきた理由は、お前達に会うためさ」
「…………何言ってんだコイツ?」
あろうことかビショップは隣の僕へと話を振った。純粋にやめてほしい。僕も全く分からないのだから「さあ……」と答えるより他ないのだ。クイーンやルーク、ポーンまで暫くぽかんと口を開いていた。
が、クイーンは次の質問をすぐに見つけたようだ。
「あの、えっと。でも魔法使いがこっちに来るのは自由なの? 上がいるってことは、偉い人にいってから来てるってこと?」
「……いや……。まあ、禁止はされてるけど、どうってことないぜ」
さらっと。魔法使いは後ろ首を掻きながら問題発言をした。僕は口から魂を吐きかける。魔法使いも悪いことをしているということだ。本当にこの小屋には問題児しかいない。
「ええっ、そ、そうなんだ……」
流石のクイーンもそれ以上は聞こうとせず口を噤んだ。
「それより俺の話は終わったぜ。次はお前達が色々教えろよ」
次はキングの瞳が好奇心で輝く番だった。
「教えるって何を」
ルークの問いにキングは「それはもちろん」と頷く。
「本当の家族の話とかだよ」
本当の家族――。つまり、両親の話を聞きたいということだろうか。キングは不思議なところに興味を持つ。僕は母の顔を思い浮かべてみた。どう話すべきだろう。
「お母さんたちの話? いいよ!」
外はまだ騒々しい。クイーンの明るい声に意識を向けると、隣のビショップも同じように黙っていた。
「私のお母さんとお父さんは優しいよ。お父さんは頑張り屋さんだからあんまり家に帰ってこないけど、お母さんはいっつも家にいて、学校であったこととか聞いてくれるの」
自慢をするようにつらつらと語られる彼女の家庭の話。やはりどの家庭でも学校で何をしたのか聞いてくるものなのだろうか。
「きょーだいとかは?」
キングの問いにクイーンは「妹がいるの」と答える。
「時々けんかするけど、すごく可愛いよ。お母さんとお父さんはあんまり私に怒ったりしないんだけど、よく、『後悔しないようにしなさい』って言うの。だから、私絶対後悔しないようにしてるの」
僕は内心で頷く。なるほど。猪突猛進のように真っ直ぐ進んでばかりでブレーキを持っていない彼女の姿勢に納得した。きっとその言葉が彼女を向こう見ずに突き動かす要因となっているのだ。そして一方でまた彼女を憐れむ。『後悔しないようにしなさい』という言葉は柔らかく、娘のしたいようにさせたいという親の暖かさすら見えてくるものだ。
だけど、裏を返せばそれはつまり、彼女のことを諦めているようにも感じる。何故なら、本気で子供を愛しているのなら、そんなことを言うはずがない。厳しく育てるべきだ。表の世界で生きている人間は完璧でなくてはならないのだから。
長く過ごしていて、娘の欠点に気付かないわけがない。僕など出会ったその日に見えたのだから。それなのになおさせようともせず、ずっと『後悔しないように』と言い聞かせてきたのだろう。娘の幸せを願うのなら、なおさら今から自由にさせてやるべきではなかったのだ。まあ、こんな見解は口が裂けても言わないけど。
「今は、とにかく家に帰りたい。大人の言う通りに家族と離れるなんて絶対後悔するもん!」
「妹かぁ」
キングは少しずれたところに目を向けているようだ。クイーンは特に気にしていないのか「よくね、姉妹だから顔似てるねって言われるんだけど、私はそうかなぁ? って感じだよ」と返している。「ふーん、そっか……」キングはそこから黙り込んだ。
クイーンの話はそこで終わったらしく、「じゃあ次、誰?」と彼女はぐるりと僕らを見回す。僕も同じようにした。ポーンがゆっくりと手を上げる。
「もっとこっち寄れよ。そこじゃ字が見えないぜ」
キングは緩く手を振って、ランプの近くに寄るよう促す。それで先刻より雨風が弱まっていることに気付く。ポーンの移動に僕も続くと、他のメンバーも気付いたようで徐々にランプの周りに集ってきた。
ポーンはノートを掲げる。
【ぼくは赤ちゃんのころに じこで頭に大きなショックをうけて しゃべれなくなったんだ】
クイーンは口元を両手で抑えた。ノートを自分の方へ裏返して、ポーンはまた鉛筆を手に文章を書いていく。その間、ビショップは指の爪を噛んでばかりいたし、ルークは膝を抱えて地面を見つめている。やがて次の文章を彼は見せた。
【名前とか みんながなにを言っているのかは分かるけど 話せなくて なんでって聞いても、お母さんはないて、お父さんはあやまってた。ふたりとも すごくやさしいのに ぼくのせいで いつも悲しませてた】
ぶれることなく真っ直ぐな字を見ているといかに大事に育てられてきたのかが分かる。両親は償いのように彼に字を教えてきたのだろうか。
【ぼくも、家にかえりたい。でも かえっても メイワクかけて また悲しませてしまうんだったら かえりたくない】
ノートを掴む手は微かに震えていた。クイーンはポーンの頭を抱いて撫でる。
「暗いなんて言ってごめんね、大丈夫だよ。きっと今、お母さんたちはポーンが家にいなくて悲しんでるはずだよ。早く家に帰ってあげよう!」
鼻を啜る音が混じっている。涙もろいほうなのだろうか。
全体的に暗くなってしまった雰囲気の中、キングは「なるほどなぁ、そっかぁ」と咀嚼するように頷いて、「じゃ、次ナイト」とこちらを見る。
ぎょっとしてビショップとルークに目を向けると、二人とも重石を頭に乗せられたかのように沈んでいた。ポーンの話があまりに重すぎたのか、それとも話したくなくて俯いているのか。
どちらにせよ、次に話せるのは僕だとキングは考えたのだろう。空気を変えようと咳払いをしてみる。それまで俯いていた二人の視線がこちらへ向いた。単純に後者の方だったのかもしれない。
「えっと。僕は物心ついた頃から、母親と家政婦の方に面倒を見てもらってた感じかな」
「かせーふ?」
「金持ちかよ」
「かせーふって何?」
ルークとクイーンが首を傾げたので「雇って家事をしてもらう職業の人のことだよ」と説明をする。「そんなのいるんだぁ」とクイーンは頷く。まだ鼻と目元は赤い。
「まあ、ビショップの言う通り、少し裕福な方だったかもしれない。母は僕の教育にはいつも力を入れてくれる人でね。家庭教師を雇ってくれたり、体操教室に通わせてくれたり。とにかく一人前にしようと動いてくれたんだよ。だから成績やスコアも良い点を取れたんだ」
為になるよう色々な書物を買ってくれたり、母親は常に僕を完璧な大人に育てようと必死だった。思い返すたびに罪悪感に襲われる。こうやって試験に引っかかってしまったのだ。今頃帰ってこない僕に失望しているだろうか。その上こんな問題を犯していると知れたら悲しませてしまうかもしれない。
「なにが一人前だよ。気持ちわりぃ」
心底理解できないという顔でビショップが溜息を吐く。僕だって彼の考え方はこれっぽっちも理解できそうにないのだからお互い様だ。失礼な話だが、きっと彼の境遇は酷いのだと思う。『家庭の環境は人格形成に影響を及ぼす』という話をどこかの書物で目にした記憶があるからだ。
「でも大変そうだね。しんどくない? 勉強とか習い事とか。私だったら嫌だな。宿題とかすぐ放り投げてテレビ観たりゲームしちゃうんだもん」
そもそも勉強の話自体が嫌なのかもしれない。クイーンは顔を歪める。まあ彼女の話を聞く限り、きっとテレビを観たりゲームをして宿題をしなくたって怒られたりしなかったのだろう。つくづく哀れに感じた。改善の余地なしと親から判断されているようなものなのだから。
「いいなあ」
とルークがぼそっと呟いた。それで少し彼女に興味を向ける。そういえば一番不思議なのは彼女だ。どうしてこんなに汚れているのだろう。クイーンに指摘されていた時のことを思いだしてみると、彼女は誰かに汚されているというよりは自分から汚しているのかもしれない。なおさら不可解だ。何故、汚す必要があるのだろう。
「辛いと思ったことは無いよ。だって一人前になったら完璧な大人になれるんだから」
「そうかな。そういうわりには、つまらなそうな顔してるけど」
クイーンの探るような目に覗き込まれる。
「おい、突っ込んでやんなって。元からその顔なんだろ」
少し笑いながらビショップが言う。
「ふーん……」
キングは少し腕を組んで天井の方を見ていた。
「だいたい完璧ってなんだよ。勉強できて運動できたら完璧? そんなの誰が決めた『完璧』なんだよ」
捲し立てるような勢いでビショップに突っかかられる。また知らず彼の癪に障るようなことをしてしまったのだろうか。内心で首を傾げる。
「つかテストで落ちて、こうやって逃げてきてる時点で、俺達は全員悪い子だろ」
そう。確かに今の僕は悪い子だろう。進んでそうなったわけではないにしろ、客観的に見れば問題児なのだから。だからこそ、正規ルートへみんなを連れて行きたいのだ。全員でこの肩書を落としたい。そうすれば僕の評価も一気に上がるはずなんだ。もう表の世界を歩けないにしろ、せめて恥ずかしくない生き方をしたい。
「そうだよ。でも家に帰りたいから、『これからもっと良い子になります』って先生たちに言えるよう悪いところをなおさなきゃいけないんだよ、私たちは」
クイーンの言葉にビショップはあからさまに顔を顰める。
「なにがイイ子だよ。結局その、悪いところをなおせばイイ子になれるってのも手前の勝手な考えじゃねえか」
クイーンも顔に険を混ぜて強気に問う。
「じゃあ何? 他に迷惑かけずに家に帰れる方法でもあるっていうの?」
「は? 家に帰りたいのは手前らだけだろ。俺様を巻き込むなって言ってんだよ。俺はイイ子になる気なんかサラサラねぇし」
「じゃあ僕も聞くけど。ビショップは家に帰らずこれから先どうするつもりなの?」
彼の瞳をしっかり見つめて問いかける。きっと口だけで先に考えなどないだろう。案の定。ビショップは口を噤んだ。鋭い眼光で睨んでくる。
「はいストップ。そうやって逃げようとすんなー。次はお前の番だぜ、ビショップ」
キングの欠伸混じりの声が間に入ってきた。僕は大きく頷いた。なるほど、自分の話をしたくないから突っかかってもみくちゃにしようとしたのか。クイーンは分かっていないようで首を傾げている。ビショップは苛立たしげに舌打ちを零した。図星だったらしい。
「家にいる奴らの事なんてマジで話したくねぇよ、あんなゴミども」
頭を掻き毟って俯くビショップにクイーンが心配そうにたずねる。
「なんで自分のお母さん達のことゴミとか言うの?」
「……そんなのゴミだからに決まってるだろ。イイ子にしろ、イイ子にしろってうるせぇし。イイ子にしてたってしてなくたって殴ってくるんだから。あんなの家族とか思ったこと一度もねぇよ」
諦めたのかビショップは少しずつ話し始めた。「えっ、殴るの!?」クイーンはよほど衝撃だったのか何度も瞬きをしている。
「イイ子にしないと殴られるから、最初は頑張って俺もいうこと聞いてたんだよ。家のこと手伝ったり、嫌な勉強にも向き合ったり。でも俺は何をしても普通の奴らみたいに上手くいかねえ。そしたらイイ子じゃないって殴ったり蹴られる。それが嫌だから頑張ってんのに失敗するたび傷だらけになる。ふざけんなって思って家出した」
ビショップの顔に貼られているたくさんの絆創膏は、喧嘩をして負っているものとばかり思っていた。両親にされているのだとしたら、甚だ疑問だ。自分の息子に暴力を振るような大人が表の世界でどうして生きているのだろうか。
悪いことは相手も納得できるようちゃんと口で注意をするべきだと僕は母親から教わった。でもビショップの話を聞く限り、彼の両親は注意をする際に暴力を振るっている。ビショップの性格が曲がってしまうのも無理ない。
それか、完璧な大人だったけれど生れた息子が他の子供より劣っていることに不安を募らせた結果、捻くれたのだろうか。『イイ子にしなさい』というのは道理だ。悪い子になってしまったら表の世界では生きていけないから、それをビショップに教えたかったのだろう。
【家出して どうしたの?】
ポーンが生唾を喉に流し込みながらたずねる。
「近所に住んでる中学生のアニキに見つかって、全部打ち明けたんだ。そしたら、無理してイイ子になる必要ないって。そんな嫌な場所よりはマシな場所がきっとあるっていってくれたんだよ。ちょーかっけぇだろ!?」
近所のアニキの話になると、急にさっきまで項垂れてばかりいたビショップが握り拳と共に顔を上げた。自慢の存在なのかもしれない。自分より年上の中学生や高校生はやっぱり僕達からしたら眩しい存在だから。勿論、僕も中学生と聞くと憧れる。早くなりたいと思っていた。結局なれなかったけど。
「だから俺様はイイ子になるのをやめた。あのゴミどもがイイ子になれっていう度に悪いことをしてやるって決めたんだ」
僕は心から母親の教育に感謝した。ビショップの家庭に生れなくて本当に良かったと失礼ながら心の内で感じながら。
「なんでそんなことするのぉ」
しゃくりを上げながらルークが立ち上がる。「は?」とビショップは首を傾げた。
「殴られて良かったじゃん……だって、それほど見てくれてるってことじゃん!!」
嗚咽混じりに訴えるルーク。急な展開に追いつけないクイーン。ポーンはノートを床に落とした。
「はあ? 言っとくけどな、家の奴らは、俺がイイ子にしようがしてまいが関係なしに、殴ってきたんだぜ。見てねぇじゃねぇか、全然」
「見てるよ! だって殴られたんでしょ!? 痛くてもいいじゃん! 無視されるよりいいじゃん!」
「ふざけんなよ、無視されるほうが殴られるより百倍マシだろ!」
「殴られる方がマシなの!」
こうなると二人は止まらない。徐々に距離を縮めながら相手の顔に向かって吠える。意外だ。ルークはなんだかんだ強がることはあってもビショップを恐れていると思っていた。恐怖さえ退けるほど突き動かされる何かがあったのだろうか。
何はともあれ僕はビショップの腕を掴んで止める。
ルークの方はポーンがなんとか止めているようだ。クイーンは珍しくおろおろしている。ルークが怒るのは想定外だったのだろう。もちろん、僕も。ポーンも同じだろう。
「うわぁあああん!!」
ルークは昨日の夕方ぶりに大声で泣いた。隣でポーンは狼狽し、ビショップですら「は? 急に泣くなよ! なんだよ!」と困惑を交えた怒声を上げる。
ただ一人、魔法使いであるキングだけは落ち着き払って「よしよし」とルークの頭を撫でていた。
ようやく落ち着いたルークは「ゴメンナサイ」と渋々、頭を下げた。
「私も、みんなと同じように早く家に帰りたい。帰りたいの。じゃないと忘れられちゃう……」
弱々しい声で言うと俯く。
「そんな。子供を忘れる親なんていないよ」
【そうだよ】
クイーンとポーンに宥められるも、いやいやをするようにルークは首を左右に振る。
「忘れるよぉ! お姉ちゃんは忘れなくても、お母さんは忘れるの! 私のこと!」
クイーンとポーンは顔を見合わせる。といってもポーンは前髪で瞳が隠れているのだが。ルークの場合、まだ幼いからか説明の時に言葉の繋げかたが上手じゃない。所々飛んでいるから情報を掴みにくいのだ。ポーンはクイーンより先に頭を回したのか、ノートをルークへ見せる。
「違う、病気じゃない! そんなこと言わないでよ! 違うの! お母さんは、私のこと全然見ないから、だから忘れちゃう……」
ノートを叩き落とす。ポーンは慌てて拾い上げた。ルークは依然としてしくしくと両手で涙を拭うばかりだ。
「でも、どうしてお母さんはルークのこと見ないの?」
「……分かんない」
首を左右に振り力なく零すルークにビショップは溜息を吐いた。
「そもそも、どういうときに無視されてるって感じるんだよ」
そうだ。確かにルークの思い込みという可能性だってある。
ルークは答えた。
「いつも。私にアレをしなさいとか、こうしないとダメって注意とかするのは、お姉ちゃんなの。お母さんはお姉ちゃんには色々言うのに、私にはなにも言わない。声をかけても、なにも言わないし、見てくれないの」
「あー、そりゃ嫌われてるなあ」
二酸化炭素を吐くかのようなビショップの発言に「うわぁあああん!」とルークはさらに泣き喚く。
「ちょっと! そんなこと言っちゃ駄目でしょ!」
クイーンがビショップを咎め、ルークの頭を撫でまくる。
「うん、まだ決めつけるのは早いと思うよ」
僕の言葉にルークの泣き声がピタリと止んだ。
「お母さんは、君の面倒をお姉さんに任せてるだけなんじゃないかな。そういう教育方針なのかもしれない」
「…………」
ルークは眉を八の字に、少し黙ったあと、やはり勢いよく首を振る。
「いやだ! 私もお母さんがいい! お姉ちゃんはいや! 嫌い!」
実直な訴えだ。「そ、そうだよね~……」と妹を持つクイーンにすら頷かせた。ルークからすると姉は母親の愛情を独り占めしている存在に見えるのかもしれない。
「お姉ちゃんとソックリだからダメなんだと思って。だったら悪いことしたら見てくれるかなって思って。怪我したり、服汚くして家に帰ったりしたの。でもお姉ちゃんがうるさいだけで、お母さんはなにも言ってくれなかったから、言ってくれるまで綺麗にしないの」
頬を膨らませてルークは言う。その結果、ここまで不潔になってしまったということだろうか。母親は日を追うごとに汚くなっていく娘にすらなにも言わず姉に全て任せたのだろうか。
「普通に逆効果だろ。そんなんじゃますます嫌われるぜ」
ビショップの言葉にルークは目を見開く。
「そんな臭くて汚れてる奴、誰も見たくないし相手にだってしたくないに決まってるだろ」
「ビショップ」
クイーンの瞳の温度はどんどん下がっている。隣でポーンが身を震わせていた。
「だ、だって、普通にしてたって無視されるんだもん! どうすればいいの……」
「だから、向こうが無視できないくらい大きくなればいいじゃん。お母さんのことずっと見てきたならどんなヤツなのかは分かってんだろ? だったら、手前がお母さん超えて『あっ』って言わせれば勝ちだろ」
いつの間にかビショップの中では勝ち負けの話になっていたらしい。それにしても昨日は「殺すぞ」の一点張りだったのが嘘のようだ。ルークは目を瞬かせ、きょとんとしている。
静かになったのをいいことに僕は外へと耳を澄ませた。いつの間にかあんなに強かった雨風や雷鳴はすっかり黙りこくっている。
「間違えたくないな」
呟きとして外に出たソレを、キングに拾われてしまった。
「完璧でいたいから?」
返された言葉に頷く。
「そっか」
とクイーンまで会話に入ってきた。
「分かったよ、君の悪いとこ!」
「つまらない、じゃなかったっけ?」
「うん、それもそうだけど! 感情がないんだよ、きっと。それがダメなところなんだよ!」
僕は彼女の言葉をすんなりとは受け止められなかった。
「ほら、だってさ。全然表情動かないじゃん。笑うとか怒るとか、悲しむとか、ビックリするとか。顔に全然出てこないじゃん。だからつまんないんだよ! ロボットみたい!」
相変わらず彼女も遠慮を知らない。ロボット。感情がない。そんなことを指摘されたのは初めてだった。表情については母親にすらなにも言われていない。
身近に育ててきた母が僕のこんな重大な欠点に気付かないはずがない。気付いていて何も言ってこなかったのだとしたら? まさか。だけど僕はクイーンの言葉に何も返せなかった。だって鏡で自分の顔を見つめる機会など滅多にない。興味がなかったのだから。
「まあ、でも」
クイーンの頭に手を置きながらキングが口を開いた。
「確かにお前達の悪いとこをなおそうとする姿勢はいいかもしれないけどさ。家族ってのはお互いにないものを補い支え合うもの、なんだぜ」
「そっか、そうだよね!」
クイーンやポーンが頷く中、僕はどうしても理解できなかった。
ないものを補い、支え合う?
一人で何でもできなければ、出来ないところを補われているようでは、完璧とはいえないじゃないか。だって僕は何度も言われてきたのだ。完璧な人間だからこそ、表で生きていられるのだと。もしそうでなかったのだとしたら――。
★
すっかり晴れた青空の下、僕とクイーンは並んで斜面を下っていた。
ルークはワガママを言ってついてこなかったので、今はポーンやキングと留守番をしている。
灰色の鼠――ビショップを連れ出せたのは好都合だった。ポーンがルークと小屋に残るとノートに書いた時にはどうしようかと思っていたけれど、ビショップに「力を見せてほしい」と頼んでみると、すんなり同行してくれたのだ。
その際、やはり本体を持っていくと、憑依中に眠られても困るので、鼠に憑いてもらうことにした。鼠なら、ポケットの中で捕まえておけるし、万が一逃してしまったとしたら、その時は付近の虫を捕まえて、憑いてもらおう。
話し合いの結果としてはビショップには手ごろな大人に憑いてもらい、そのままその大人の家から食料を頂くという、……なんともいえない作戦となってしまった。五人そろっていたのなら、そんなことをしなくても済んだのだが、仕方ないだろう。
なだらかな道まで下りると、二軒ほど対面して建っている家を見つけた。
「や、やっと見つけた……」
空腹な上に随分と歩いたこともあって、クイーンは漸く見つけた建造物に安堵の息をつく。
「でもこんなところに家を建てているってことは、少なくとも一人暮らしはありえない。別荘って可能性もあるよ」
別荘の方だと何かしら備蓄されている可能性もあるがあまり期待はできないし不法侵入となってしまう。
『そんなの俺様が体乗っ取りゃどうにでもなるだろ』
「人質を取るみたいな言い方はやめたほうがいいよ」
『は?』
服越しに肩を噛まれる。普通に痛い。
「ま、とにかくさっきの作戦を実行しようよ」
クイーンは僕の肩から鼠を取り上げると、右側に建っている家に近寄っていく。
すると――。
「あ、そこ今家空けてるよ!」
左の家から声をかけられた。窓から若い女性が顔を突き出している。
「旅行でしばらく家を空けるって言ってたから。あんた達、その家の人に用事?」
あまり僕らに対して怪訝な表情を見せない。ひょっとすると普通に話しても分かってくれるんじゃ。そんな考えも虚しく彼女の顔に何かがぶつかった。クイーンへ目を向けるとボールを投げた後のポーズで止まっている。クイーンならそうするだろうと思っていたけども。
力を使ったのかクイーンはいつの間にか窓の前で鼠を捕えていた。「ナイト持ってて」と渡され、逃げられないように尻尾の先を掴んだ。
「なあ、どうせなら金目の物も盗ってかねぇ?」
女性――に憑依したビショップはというと、早速その体で家の中の物を物色していく。せめて扉を開けてくれたらいいものを。クイーンは「流石にそれは駄目だよー」と注意しながら無遠慮に開いた窓から中に侵入している。
「ビショップ、冷蔵庫の中を調べて。クイーンは、他に誰かいないかちゃんと確認しておかないと危ないよ」
僕は躊躇しながら恐る恐る窓の縁に手を置いて中を覗き込む。他人の家の中をジロジロと見るのは悪いことだからだ。僕はどんどん道を踏み外してきていないだろうか。なんだか少し不安を感じてきた。
僕の見ているところ、幸いにも女性以外に人はいないようだ。ソファーに置かれたクッションの数、椅子の数からして何人かで住んでいることは確かなのだが、単純にこの家にいないだけか、外に出ているのだろうか。
「人の気配なし! 冷蔵庫の中よりは戸棚とか調べた方がいいんじゃない? 非常食とかのがいいよ、多分」
そう言いながら自分で戸棚を開いている。冷蔵庫を半分開けていたビショップが勢いよく閉めた。
「あっ、お菓子だ!」
クイーンの弾む声。スナック菓子を見つけたのか胸に抱いて嬉しそうにしている。ビショップも隣から覗き込み、二リットルの水を手にすると棚を閉めた。ついでにクイーンから菓子を奪い取る。
「えっ、ちょっと!」
「手前が持ってたらおかしいだろ!」
「あっ、そっか」
家の主が水とスナック菓子を持っているのだから何ら不思議はない。あとはそのまま引き返せばいい。僕の作戦ではこのまま彼には女性の姿のままで小屋の近くまで戻ってもらい、そこで女性を解放する。我を取り戻した女性へ今までのことを話して小屋まで連れて行く。
そこから先は、大人に任せれば万事解決。まあ、簡単にいくとは思っていない。いかに自然な形で誘導できるかが試されている。疑問を持たせたら終わりだ。
「二人とも、長居するのは良くないよ。そろそろ引きかえそう」
傾きかけた陽を指して出てくるよう呼びかける。するとクイーンの顔がさっと青褪めた。
僕の後ろへ目を向けているのか体を硬直させている。後ろから肩を掴まれた。
首だけで振り向くと、一昨日見かけた顔と目が合った。
★
歩田金子はあまり刺激させないよう柔らかい笑顔を作る。
坂を下りてくる二人の子供に目をつけてから香車と二人で後を尾けた。
まさか大人に助けを求めるとは想定外だったけれど、考えてみると無理もない。
昨日の嵐は流石に子供達の精神に堪えるものだったろう。金子ですら恐怖を感じたほどなのだから子供達からするとトラウマになったかもしれない。
急な子供達の来訪に怯えるかと思っていた女性はすんなりと少女を家の中に入れた。
そのことも金子からすると信じられないことだった。子供を家に入れるだなんて。
(あの人、危機感がないのかしら。……早く子供を離してあげなきゃ)
少年だけは家の中に入らず外で待っているようだった。そこで香車と顔を見合わせ頷き合ってから二人の女性は後ろからそっと少年へと近づく。香車は上着のポケットの内に拳銃。こちらは片手に傘とポケットの内にスタンガンを忍ばせているのだ。捕えられないわけがない。
気絶させてでも連れ帰る。だけどその前にしっかり話を聞いておく必要がある。勿論他の子供たちの行方だ。それに知らないようなら彼女にだってしっかり説明しておいた方が良いだろう。金子は心の内で強く頷くと、少年の肩へ手を置く。やけにゆっくりとした動作で少年は首だけでこちらを振り向いた。
「こんにちは」
優しい笑顔を意識して口角を上げる。
「この前は怖かったよね、昨日の嵐もだけど。迎えにくるの遅くなってごめんね」
隣で香車も家の中にいる少女へと安心させるように微笑んでいた。
女性の方はというと何故かスナック菓子と水を手に抱えて仏頂面だ。二人に振る舞おうとしていたのだろうか。金子はゆっくりと唾を飲む。
「とりあえず、外に出てきてほしいな。ほら、ここはあなたの家じゃないし、あまり迷惑をかけるのもよくないでしょう?」
金子はこういって少女の方に外へ出るよう促す。彼女は困った顔で少年の方へ視線を向ける。
少年はというと、驚いたような表情一つせず、変わらぬ顔で「こんにちは」と礼儀よく返してきたあと、金子の言葉を受けて、
「足の具合は大丈夫ですか? 挫いているように見えたのですが。ごめんなさい。あの時は僕らも怖くて逃げるのに精いっぱいだったんです」
スラスラと用意していたかのようにつまりもせず返す。その表情に金子はぞっとした。子供のする顔ではない。足の具合をたずねる時、謝罪のときですら眉ひとつ動かないのだ。
明るい橙色の切り揃えられた前髪の下から覗く猫のように落ち着き払った瞳。それは金子をじっと見つめる。観察するように、底を覗き込むかのように。金子は無意識に後退る。
「え、ええ……そ、そうね。もう大丈夫よ。あ、あの時は私も焦ってたから怖い顔をしていたかもしれないわね。余計に心配させたならごめんなさい」
必死に追いかけていた時は一々子供の顔など気にしている余裕すらなかった。もしやその時も全く今と変わらない表情をしていたのだろうか。その心の内で何を考えているのかさっぱり分からない。だからこそ一層金子に不安と焦りを植え付ける。
少年は部屋の中へと視線を戻し、少女へと頷く。少女は窓からジャンプして少年の隣へ着地した。
「……あの、なんなんですか」
女性のこの上ないほど不機嫌な顔に金子は戸惑う。香車が代わりに口を開いた。
「彼らはイーヴィルバースト症候群に罹患する危険性のある子供たちなので。こちらで保護します」
「いーびる?」
少女は眉を顰めて首を傾げる。そう、敢えて病気のことは伏せていた。けれど大人はその名前を聞くだけで理解を示す……はずなのだが。女性は扉を開けて外へ出てきた。手ぶらなところを見るに、スナックや水は置いてきたのだろう。腕を組んで仁王立ちとなった。
「そんな病気、知らないんですけど」
金子と香車は信じられない気持ちでお互いに顔を見合わせる。知らない? イーヴィルバーストを知らないだって? 目の前の女性は若くても成人のはずだ。否、そうでなくとも近い年齢の人間なら知っていなくてはいけない常識。いくら山の麓に住んでいるからといって、知らないわけがない。
「……とても危険な病気なのです。発症すれば無作為に人を殺害しまくる化け物になるんですよ。野放しにはしておけません!」
香車が女性へ説明し、金子はそっと子供たちの様子を盗み見る。真っ青な顔で口を開いている少女と表情の変わらない少年。感情が希薄なのだとしたら危険だ。傘を持つ手に力がこもる。今この場で始末をつけておかないと大変なことになると、脳は警鐘を鳴らす。金子はポケットの中へ手を突っ込んだ。
「うるせぇよ! 死ね!」
ガンッと大きな衝撃を顎に受ける。金子の視界は不安定にぐらつく。
二人の子供を注意深く見つめていたはずなのにどういうわけか彼女は地面へと倒れてしまったのだ。ハッとして上体を起こすと、ちょうど香車が女性に蹴り倒されていた。なら自分は一体誰に攻撃をされたのだろう。
「走って!」
気付くと二人の子供は随分先まで走っていた。
「香車さん!」
「分かってる!」
香車は拳銃を構えて二人の足下を狙う。
「なに向けてんだよ!」
女性の二度目の蹴り。引き金を引く前に蹴り転がされる拳銃。
「あっ」
その上、あろうことか女性は拳銃を拾い上げると、そのまま子供達を追いかけていく。
二人は暫く呆然とした。
「あ、あの人ってなんなの? 昨日見た書類には載ってなかったよね!?」
「え、ええ。……お、追いかけましょう! このままじゃまた……!」
「そ、そうだね!」
慌てて立ち上がり足を繰る。子供の足の速さは異常なもので、追う度に離されていくように感じた。
★
「ねぇ、ねぇ……っ、どういうこと? 病気って、なに。バケモノになるってなんなの!」
荒い息を吐きながら隣で走るクイーンは器用にポロポロと涙をこぼしていた。伏せるべきだったのだ。こうやってショックを受ける子がでてくるから。あの大人の女性はよほど切羽詰っていたのだろう。無理もない。相手が悪かった。
見た目は成人済みであれ、中身は無知で生意気なビショップだ。二人の女性はそれを知らないからこそ困惑し子供が傍にいることも忘れて口走ってしまったのだろう。僕は敢えて無知な子供を貫く。
「さあ……でも今は考えている場合じゃないよ。あの感じだと追いかけてくるはずだから」
問題から目を逸らさせるより他ない。クイーンは目元をこすりながら頷いた。
「おい、やべえって。アイツらこんなのお前らに向けてたぜ!」
ようやっと追いついてきたビショップの手に拳銃。「うそっ! 殺す気なの!?」とクイーンの声は悲鳴に近いものになった。
「落ち着いて。きっと脅しだ。そこまで向こうも焦ってるってことだよ。本当の銃のはずない」
「なんで焦るの!? 私たちがバケモノになっちゃうから!?」
ヒステリックに近いクイーンの叫び。ビショップが長い腕を僕らの前に伸ばす。足を止めた。
前方に真っ赤なフードの男と眼鏡をかけた目つきの悪い男性が並んで歩いている。方角は小屋の方だ。ビショップに押し出されるようにして僕らは一旦、木々の間に蹲り身を潜める。小声で話し合った。
「なんで? ど、どうしよう。このまま小屋に行かれちゃったらどうしよう」
「これで撃ってみるか?」
「駄目でしょ! 本物だったら殺しちゃうよ!」
もちろん、僕にとってはこの上なく都合の良いことだ。ビショップとクイーンの肩に手を置いて「諦めよう」と呼びかければ、もう問題児も卒業できるのだから。クイーンも弱っている今がチャンスだ。だけど僕は結局二人に声をかけられなかった。代わりに口をついて出たのは新たな作戦。
「ビショップ、今の君なら二人に声をかけられるだろう。子供を探しているならこっちの方に逃げたって嘘を言うんだ。なるべく自然な形で」
僕は今しがた走って来た道を指し、今は女性の姿をしているビショップへと声をかけた。
ビショップは先を歩く二人の背に目を向けて舌を打つ。
「仕方ねぇな、やってやるよ」
手にした拳銃をデニムの後ろポケットに突っこんでビショップは二人組の男性へと近づいていく。
僕らはその後ろをなるべく音を立てないようにしながら進んだ。
★
「な~~角野サン。クソガキまだ?」
香車から二人の子供が坂を下りていくところを見たという情報を得てからというもの、他の子供を探すために坂を登っているのだが桂馬はひっきりなしに同じことを聞いてくる。
「さあねえ。強く願っていたら早く会えるかもしれないよ」
私は彼の前を歩きながら、徐々に強くなる違和感に首を捻る。
おかしい。何がおかしいのか説明もつかない不思議な予感に眉を顰める。
「なあ、あんたら。子供捜してんだろ?」
後ろからかかる女性の声。「あ?」と桂馬が反応した。足を止めて振り返る。二十歳前後の若い女性が腕を組んで立っていた。
「だったら何? あんた、ガキがどこ居んのか知ってんの?」
絡むように訊ね返す桂馬に溜息を吐く。ここであまり足を止めたくないのだが。
「ああ、あっちへ走って逃げてくのは見たね」
親指を後ろへ向ける彼女。桂馬は大きく目を見開き舌打ちした。
「ちっ、やっぱ逃がしたのかよ!」
やっぱり、というのも。桂馬は子供を見つけたという金子の情報を知った時から、あの二人に任せるのは良くないと頻りに訴えていたのだ。私も確実に捕まえるなら兄妹に任せていただろう。だが金子を選んだのはやはり自信をつけさせるためだ。失敗したというのなら今回の子供も用済みとなる。早いところ回収に向かった方が良いだろう。
「はぁ……角野サン。先行っててくれ。あとで追いつく」
「……ああ、分かったよ。気を付けて」
私は女性を疑惑の目で見る。おかしい。何故彼女は私たちが子供を捜していることを知っているんだ?
だが目の前の女性の情報は昨日の書類には載っていなかった。新手にしても随分軽装で無防備に見える。様子を探るため敢えて私は彼を止めずに向かわせることにした。
桂馬は訝しむことなく彼女の隣を横切る。女性はそれまで組んでいた腕を解いて、桂馬の肩に触れた。
その直後――桂馬の足はピタリと止まり、女性はきょとんとした顔で周囲を見渡し、
「あれ? あれ、え? どこ? なんで私……」
と困惑した顔を見せる。
更に強い違和感を覚えて、私の注意は完全に彼女へと逸れてしまった。
「どこ見てんだこのジジイ!」
聞き慣れた怒声と共に頬へくらう一撃。私はなんとか体勢を保つ。熱くなった頬を抑えながら視線を上げる。なんだ? 何が起きた?
女性は悲鳴を上げて慌てて坂を駆け下りていく。
拳を固めて口角を上げる桂馬。その目に映る自身の姿。
「なっ……」
直前の状況を思い起こす。桂馬の肩へ手を置いたあと、女性の雰囲気が変わった。呆けた表情、踵を返し私を殴る桂馬。
「おら、かかってこいよクソジジイ! 殴り殺すぞ!」
ボクサーのポーズを取る。全く似合わないし彼はそんな構えをしない。
まさか。坂の上を進む度に感じていた違和感の正体に思い当り、首を左右に振る。
いや、ありえないことではない。勿論、この地球へやってくる魔法使いは私だけではないはずだ。だがここまで間接的に絡んでくるだろうか。
ふと脇の茂みが大きく揺れて、幼い少女が顔を出す。
「ビショップ! 殺しちゃダメだよ!」
桂馬へ向かって声を上げている。ビショップ……?
私はすかさず銃口を取り出し桂馬へ突き付けた。
彼はというと、半身を少女へ向けた状態で止まる。
「動いたら撃つ。質問に答えなさい。私の仲間に何をした?」
少女へと向けた問いだった。だが少女は銃口を見て顔を青褪め震える。
「乗っ取らせていただきました。危害を加えさせないので、銃を下してください。もっとパニックを起こしますよ」
冷静な声が返ってきた。中性的な声音に相手も少女と同じ子供なのだと推測する。いや……子供の姿に化けた同族かもしれない。現に私はこうして年寄りの姿を借りているのだから。
「顔を見せなさい。話がしたい」
「分かりました。でも銃は下げてください。怖くて動けません」
「ああ、そうだね。すまない」
銃口を下へ向けると、「手前!」と桂馬が吠える。「ビショップ!」少し大きな少年の声に「分かってるよ、死ね!」と返す。少女の隣の茂みから、声の主が色の無い顔を見せた。やけに静かな瞳とぶつかる。隣の少女が全面に焦りと恐怖を押し出しているのに比べて、まるですべての感情を奪い去られたように無。病原体を埋め込むのにここまで最適な人間も珍しい。
「この力は君のものかい。それとも誰かに貰ったものなのか?」
「貰ったというよりは、条件付きで貸して頂いている状態です」
無機質なロボットを相手に話をしているようにすら感じる。淡々と紡がれる言葉の中に嘘は見えない。
「へえ……その人のところまで案内してくれるかな」
「いえ……彼が今どこにいるのか、僕は知りません」
少女は目を丸くして隣へ視線を送る。少年は眉ひとつ動かさない。それでも隣の少女が全て説明してくれた。なるほど、私にとってケリのつけやすい方向へ動いてくれて助かる。
もはや目の前の子供が同じ魔法使いであっても、そうでなくとも。自ら顔を見せない魔法使いに気まぐれに力を貰ってはしゃいでいるだけならば興味はない。玩具として使われてしまったようなものだろう。私にとっては力を所持していようと、持ち主であろうと。もぐら叩きの邪魔をされるのは気に食わない。
下していた銃口を真っ直ぐ少年へと向けた。与える時間も惜しい。指をかけて引く。渇いた音に上がる血飛沫。丁度左胸を貫通し、倒れたのは狙っていた相手の横にいた人物だった。
「クイーン!」
目前で倒れた少女へ、やはり顔色一つ変えず少年は駆け寄る。ピクリとも動いていない。恐らく即死だろう。それにしても……。銃口を向けてから引き金に指をかけ発砲するまで彼らに時間など与えていない。彼女はあの一瞬で足を動かし飛び込んできたというのだろうか。それこそ人の力ではない。彼女の動きなど全く見えなかったのだから。
この肌寒い季節には不釣合いなワンピースが真紅に染まっていく。すかさず二発目を撃つべく少年へと銃口をむけた。
「この野郎!! ふざけんな!!」
拳を避け、距離を取る。桂馬に阻まれるとは。いっそ面倒だしこの場で撃ち殺してしまおうか。
いや、まったく面白みがない。ハンマーで殴られる側へと回るとき彼にはいてもらわないと困る。誰より興味深い反応を示してくれるはずだ。と、なると撃つタイミングは――桂馬から違う人物へ移ったあたりか。
「ビショップ!」
ふと少年の鋭い声と共に桂馬へと何か小さな物体が勢いよく投げられる。
「走って! 早く!!」
少年はとっくに死体を背負い、片膝をついた姿勢で残りの一人を待っていた。
小さな物体を手に掴んだ桂馬の体が揺らぐ。合図とばかり少年は亡骸を背負ったまま木々の合間を縫うように走り出す。すかさず桂馬の手元から抜け出したソレへ向け発砲したが手応えを感じなかった。
「あ? あれ……なあ、角野サン。今さあ、ここに女いなかったっけ」
どうやら体を支配されていた間の事は記憶にないようだ。
「桂馬くん、後を追うよ。子供に逃げられてしまうからね……といっても、背負って走っているなら随分とスピードも落ちているだろうし。この調子だと他の子供たちの場所まで案内してくれそうだ」
弾を余分に装填しながら逃げた方角を顎で指す。
「っは!? ガキ見たのかよ!?」
「うん、うち一人は撃ったし、おそらく死んでるだろうけど」
赤く濡れた地面へ視線を下せば、「俺その間なにしてたんだよ!? は!?」と桂馬は更に動揺する。
「「角野さん!」」
聞き慣れた二人の女性から名を呼ばれる。丁度追いついたようだ。
「いいところにきたね。急ぐよ。きっともう近いはずだ」
「蜂の巣にしてやる!!」
もはや隠す気もないのか桂馬は拳銃を手に先頭を突き進んでいく。私は当然のように最後尾へ回る。あくまで自身を最弱な人間として見せるために。
★
竜奈は小高い山を見上げた。工場内で見かけた連中の動きを追い、辿り着いた場所に胸騒ぎを覚える。竜奈は背後の双子へと注意を呼びかけ慎重に山を登る。
全治してはいないため、あまり無理に動かないよう、玉城からだけでなく銀にまで注意を受けた。竜奈は渋々頷いてはみせたものの、相手を目の当たりにして無理をしないでいられるかは別問題だと考えている。
「にしてもアイツら、どうしてまたここに来たんですかね」
「俺らのこと待ち伏せてんじゃね」
誘き寄せ――それは竜奈も考えたことだ。ただ本当にそんな単純な理由なのかと不安を覚える。脇腹へと激痛が襲う直前、耳にした例の男の話。竜奈は足を止めた。後ろで双子は同じタイミングで肩に担いだ銃の口を撫で、周囲を見渡す。
「……聞いてくれ、二人とも。そういえば、私が撃たれる直前、五人の子供を警察に捜索させるみたいな話をしてた気がするんだ。アイツら」
「はぁ? なんだそれ」
目に見えて面倒臭さを纏った金の声。
「まさか。竜奈さんはこの山で子供が迷子になっていると思ってるんですか?」
「……一理あるかと」
「ありえません。昨日はあんなに酷い嵐だったんですよ。子供がこんな山の中で。建造物もさっきからなにも見当たらないのに……」
竜奈は押し黙った。そのとおりだ。昨日の雨風は強く、雷鳴も轟くような悪天候。普通の子供がこんな過酷な環境下で耐えられるはずがない。
(でも、もし……あの時、私の声で動いた子がいたとしたら)
狙撃をし、車の動きを止めた際、咄嗟に『逃げて』と叫んだことを竜奈は思いだした。
モヤモヤとした胸中にむず痒さを覚えながら歩みを再開した時だ。
パァンと乾いた音に三人は顔を見合わせる。風船の破裂したような――だが、風船のそれとは違う重みをもつそれは、彼らには聞き覚えがありすぎた。
「随分と先の方からだな」
「なんで、撃ったんだ……?」
「急ぐぞ!」
竜奈は先陣を切って地を蹴る。いやに速まる鼓動と、銃声を耳にして得た確信に背を押されながら、彼女は必死に先を急いだ。
★
「いやあ、本当に分かりやすくて助かるぜ」
栗色の短い髪に緑目の男。先頭を走っていた桂馬の行く手を遮るように。いや、まるで私たちがやってくるのを待っていたかのように仁王立ちしていた。
「……なんだよ、あんた。こっちは急いでんだ、退けよ」
今にも噛みつきそうなほどの殺気を背に桂馬は低い声で告げる。
彼は今回の子供達に、何度もお預けをくらわされているからこの上なく不機嫌だ。
だが青年は気にもかけず、顔の前で手を振る。
「いやームリムリ。悪いんだけど、引き返してもらうぜ」
その苦い笑みに桂馬は手に持っていた銃を相手へ向け、「なー角野さぁん。コイツ撃っちゃっていい? うざいし」とこちらへ選択肢を投げた。男の狐のように細くなった瞳が私を捉える。私は暫く彼と目を合わせた。中にビショップという人物がまた入っている可能性を考える。もしくは――。
「いや、桂馬くん。君は銃を下しなさい。私が撃つ」
試してみようじゃないか。相手がただの人間ならば死ぬだけだ。同じなら、何か手を打ってくるだろう。私はさきほど少女の左胸を貫いた凶器を手に、その口を男へと向ける。
青年は両手を上げるでも、後退るでもなく。挑戦的な瞳で私を覗き込んでいた。気味が悪い。
引き金に指をかける。渇いた銃声。なのに弾丸は男を貫きはせず、指先に当たると、戻ってきた。
音だけを残して、弾は出て来る前の状態に戻ってしまったのだ。私は咄嗟に受け身の姿勢に入る。遅い。弾に気を取られている間に栗色の青年はこちらの懐にまで踏み込んでいた。その瞳は真っ赤な色に変色している。男の突き出した掌に軽く押され――。
私はすっかり闇に飲まれつつある空を見上げた。
「おい! なんで夜になってんだよ!」
「わ、ほんとだ! さっきまで普通に朝だったのに!」
私の隣を横切った兄妹は同じようにして空を眺める。
――時間を戻す魔法か。
ふと、触れられた部位に手を当てる。真っ先にその力を私へ使ったところを見るに、彼は私のことを分かっていたのだろう。
なるほど。触れたものだけを巻き戻す力か……。
私以外の面子はどうやら記憶を引き継げていないようだ。工場から出てきては、急激な空の変化に驚いている。空は自然な流れで動いているため特に問題はない。あるとしたらそれは私たちの方だ。私は咄嗟に口を掌で覆う。あの魔法使いとその駒たちはまた仕掛けてくるだろう。こちらは一つ奪っているのだから存分にあり得ることだ。
「中に戻ろうか。少し考えたい」
「待てよ、クソガキ共は!?」
踵を返すと桂馬の焦った声に引き止められる。巻き戻された分の記憶は残らないなんて、厄介な魔法をかけられてしまったものだ。
「私たちから向かう必要はないよ。きっと向こうから来るだろうからね」
「は、はあ……?」
当然三人からすれば、昨夜は迎えに行くと話しておきながら、急にやめるなどと言い出したのだから、さぞかし私に疑問を抱いているだろう。誰も反対はしなかったがやはり一目瞭然な表情をしていた。
★
頭では分かっていた。
相手は追いかけてくるはずだ。一度撒くために敢えて小屋から遠ざかるべきだと。
直進して戻ってしまえば他の子供にも危害が及ぶかもしれない。そうなったら僕の判断ミスで――いや、もうとっくに間違えてしまっている。やはりもっと早く諦めさせるべきだった。相手が銃を出さないような、穏便な解決策など僕は知っていたはずなのに。そう、ただ一言「諦めよう」と二人の肩へ手を置けばよかったのだ。
どうしてあの時、二人を逃がそうなんてことを考えてしまったのだろう。意味などないのに。
結果的にこうして――。いや、そもそもどうして相手の銃からは本当の弾丸が飛び出してきたのだろう。脅しに本当の武器を持ち出してきたのか? ――もしもに備えていただけなのかもしれない。でも、どうしてあのタイミングで? そもそも誰も暴走などしていなかった。ビショップの動きだって変に刺激をさせないようにと止めたのに。何故? 分からない。
自分の激しい呼吸だけが耳を占めた。僕の間違いで彼女が死んでしまったらどうしよう。いや、出血箇所は左胸だった。背負ってもピクリとも動かなかったのだ。もしかしたら――もしかしたら。首を左右に何度も振る。足を繰って前に進んでいるはずなのに、本当に動いているという実感がわかない。
がむしゃらに走って、結局僕は戻ってきてしまった。扉を開ける前からルークの慟哭が耳につく。こんな非常事態に大きな声を上げるなんて、まるで自ら場所を示しているようなものだ。早く泣き止ませないと。ポーンはなにをしているんだろう。腹の奥からこみ上げる熱い何かに胸がざわつく。
扉を開けて中へ飛び込む。キングを探す。見当たらない。熱は喉の奥から零れだしそうになる。
クイーンをおろす。ポーンは棒立ちで口をぽっかり開けて固まった。ルークはさらにしゃくりあげる。体を元に戻したビショップが壁を何度も蹴った。うるさい。まず呼吸をしているか、そして心臓が動いているかどうかも確認しないといけないのに。こんなにうるさいとそれもできない。悠長にしている暇はないのに。
まるで彼女はもう二度と目を覚まさないとでもいうかのようにルークは涙をぽろぽろ零し、ビショップは頭を掻き毟って蹲る。ポーンまで両手で顔を覆って、涙を拭う仕草を取った。
「うるさい! ちょっと黙って! 確認するから!」
僕の声にルークの泣き声が止まる。代わりにしゃっくりを上げた。そっちの方がまだマシだ。
血まみれの胸に耳を、口に手の平を当てる。なにも聞こえない、感じない。それなら、次は――。
「ルーク! キングはどこに行ったの!?」
「えっ、え、キング……? えっと、ま、待って。待って……今見るから!」
ルークは涙で腫れた瞳をきつく閉じて、両の手を重ね合わせる。
「わ、分かんないぃ、……まわりは木だらけでどこにいるのかっ、分かんないよぉ!」
首を左右に振り、余計に泣き出す。
「おい……キング探してどうする気だよ」
ビショップの一言に、どうしてわからないのと大声でぶつけそうになり、寸で踏み止まる。
「キングならクイーンを撃たれる前の状態に戻してくれるからだよ。ルーク! キャスリング!キングと場所を交代できるはずだ! やってみて!」
「えっ、で、でも、そんなのやりかた分かんないよぉ!」
ルークは顔を白くして首を左右に振る。何に対して怯えているのだろう。ポーンがいつの間にかノートを広げていた。大きく書いてある。
【おちついて】? 僕は落ち着いている。動揺して何一つ行動に起こせないのはポーンの方じゃないか。
「今の状況でルークを外に出せるわけねえだろ!」
ビショップに怒鳴られ僕は驚く。ビショップはあまりにショックで目の前の状況を理解できていないのかもしれない。一緒にいた子の命が危ない状態なのに。
「……分かったよ、じゃあ僕がキングを探しに行く」
「はあ? っおい、ちょっと待てよ!」
クイーンの前から立ち上がって扉を押し開けようとすると、慌てたビショップに腕を掴まれる。
「外には銃持ってる奴らがいるだろ! 手前、死ぬ気かよ!」
少し強めに振り解いた。
「だからって、このままじゃクイーンが死ぬだろ! 心臓動いてないんだよ! 息もしてない!なんで、止めるんだよ! 分からないの!? クイーンがっ!」
後に続くはずの言葉は全て彼の拳の前で消えてしまう。痛みと共に、床へ体を打ち付ける。本気で殴り飛ばされた。ビショップに襟を掴まれる。
「……いい加減にしろよ。もう死んでるんだよっ!! クイーンはっ!」
壁に突き飛ばされ、背中から打ち付けてズルズルと座り込む。立つ気力は奪われた。ビショップは肩を震わせながら俯いている。床に雫が落ちていく。
「頭回せよっ! それ得意なの手前だけだろ、なに一番に取り乱してんだよ!! ふざけんなよっ!!」
上げた顔はびしょびしょに濡れている。クイーンはもう死んでいる。左胸を撃たれて、ピクリとも動かなくて、心臓も止まっているし、息もしない。言葉にしてぶつけられてもそれほど衝撃は襲ってこなかった。頭の隅では冷静に受け止めていた事実だったのだ。
それを、受け止めたくない自分が邪魔をした挙句、こうして彼に言わせてしまった。どうして僕はこんなに間違えるようになったのだろう。これじゃあ本当に悪い子だ。
「……ごめん、僕が、間違ってた。……そうだね、クイーンはもう、生きてないんだ」
しっかりと見ることを拒んできた彼女の遺体へ目を向ける。真っ赤に染まったワンピース。眉間にほんの少し刻まれた皺。彼女は横たわって、きつく目を閉じて、何も言わなくなっていた。
ルークは枯れ切った声でもっと泣いた。それを止めようとはしない。
「みんな。よく聞いてほしい。本物の銃を持った大人達がこっちに向かってきてる。ハッキリ言ってこうなった以上はなりふり構っていられない。ポーン、君はランプに火をつけていたよね。マッチかライターを持っているのかな?」
ポーンは静かに頷くと、ランドセルを開いてライターを取り出した。随分奥に入れてあったのだろう。少し時間がかかった。
「おい、なんでライターなんか持ってんだよ」
ビショップの当然な疑問に対し、ポーンは俯いて黙り込んだ。
「いや、今は聞かないでおこう。それより少し借りてもいいかな?」
ポーンは頷いて僕の手にライターをそっと置いた。
「おい、それでどうすんだよ」
「扉を開けた相手がさっきの男だったら投げつける」
しんと静まる室内と口をぽっかり開ける三人。
「ん、何?」
「いや、なんかすっげぇ言葉が出たなあって……」
「えっ、でも燃やして死んだらどうしよう……? ころした、ってなったらダメなんじゃないの……?」
心配そうなルークの言葉に頷く。
「もちろん。殺すつもりはないよ……。それに相手はきっとそんなのくらいで死んだりしない」
「そ、そうなの……?」
全身を赤い服で包んだ男。おそらく彼はキングと同じ魔法使いだろう。会話のやり取りを思い起こしても、相手は隠す気さえないようだ。咄嗟にキングの居場所を知らないと嘘を吐いたが、実際その通りとなった。彼が撃ってきたのは質問の後だ。キングと同じ相手として見ない方がいいだろう。その上、何かしら力を持っていることは確かだ。
数日前のクラスメイトとの会話を思い出す。あの男に腕を掴まれた者は目が赤くなる。きっとそれだけじゃないだろう。あの時は充血して疲れ切っているのだと思っていた。だけど、もしかしたら思考力を奪ったり、意のままに動かせるような、そんな危ない力なんじゃないだろうか。
「相手とは極力目を合わせないように注意して。それに向こうは一人じゃない」
「女の人が二人、男の人が二人……いっぱいいた……」
その場に居合わせていなかったはずのルークの発言にビショップが首を捻る。
「なんで分かるんだよ」
「見えるんだもん……目を閉じたら」
【なにを話しているのかも、聞こえるんだって】
小屋に入る前から聞こえてきた大きな泣き声は、クイーンが撃たれるところを見てしまったからだろうか。彼女の力は、見たくないものや聞きたくないものであっても、制御できない内は拒めないのかもしれない。それは苦痛だろうな。ポーンはルークの頭を撫でた。
「……キングがいなくなったのはいつ?」
僕の問いに二人はお互いに顔を見合わせる。そのうちルークが口を開いた。
「あのね、赤い人とナイトが話してる時に、ナイトが力のこと喋ったでしょ? ……だから、ナイトが喋った! って言ったの。そしたらキングが相手は驚いてる? って聞いてきて。それで、じっと見たんだけど、フードで顔隠してるから分かんなくって。で、ナイト、キングがどこにいるか分かってるのに嘘吐いたから、それもキングに言ったの。そしたら消えちゃった……」
ちょうどクイーンの撃たれる直前だ。彼も相手の正体に気付いたのだろうか。
ふと、砂利を踏む足音を耳が拾う。咄嗟にポーンはルークの口を手で塞ぐ。丁度声を上げそうな顔をしていたのでタイミングはバッチリだった。ビショップは扉の真横へ移動する。僕は正面に立ち、静かにライターを構えた。
★
竜奈たちは小屋を目にして足を止める。随分と長いこと放置されているのか古びていた。
「罠か?」
小声で金が呟き、「確かに何か怪しい」と片割れの弟も頷く。
足跡のように続く血痕を目にし、追いかけた先に小屋を見つけたのだ。血の量からして撃たれた方は既に虫の息だろうと竜奈たちは悟っていた。担ぎ上げて移動したのだとしても、まるで誘き寄せるかのようだ。
竜奈は扉の正面に立ち、左右の双子は周囲を警戒し、銃のショルダーを肩に乗せる。血痕を見下ろし、竜奈は一度大きく息を吸った。ドアノブを掴み、一気に引き開ける。
瞬間――目の前にゆらりと燃える火。竜奈は目を瞬かせ、後ろ足を引いた。ライターだ。目の前に同じ身長くらいの男の子がライターを構えて立っている。少年は蓋を閉じて、身を引く。
ネックに赤い血が染みついている。平然とした顔をしていることから少年の血ではないのだと気付く。室内に目を走らせる。恐ろしい腐臭だ。髪がクシャクシャの女の子は隣の男の子の腕を掴みながら威嚇するかのように目を尖らせている。顔中を絆創膏だらけにした少年は口をぽっかり開いていた。
竜奈は首を傾げる。そういえば学校へ登校していく生徒の中に見た顔だ。
後ろの二人へ手を上げ銃口を下させる。
「ちょっと退いて」
正面に立つ少年を押し退けて中へ踏み込む。服を真っ赤に染めた少女が床へ寝かせられている。傍に膝をつけて念のため脈を調べた。
「くそっ、なんでこんな……っ!」
やがて銀も傍まで寄ってきて膝から崩れる。悔しさとぶつけようのない怒りを拳にかえ、床へ打ち付けた。
先刻ライターを構えていた少年は傍まで寄ってきて言う。
「呼吸、心臓の音も確認しました。彼女は死んでいます」
淡々と事実を述べる少年へ異物を見たかのような視線を送る金。
「……あなた達は、あの時逃げたの? ここに」
「あの時……?」
「車が止まった時」
少年はそこで漸く眉を顰めた。少し表情に険を交えて頷く。
「そうですよ。……あなただったんですね。『逃げて』って声は」
まるで威嚇する猫のように尖る瞳。
「あなた達があの時邪魔をしてこなければ、僕らは全員無事でいられたんです。なぜ……」
「それはっ!」
すぐに口を開こうとした銀の口を押える。感情任せに工場での出来事をありありと語られると子供達の気分を悪くするだろう。竜奈は慎重に言葉を選んだ。
「君達の選択は正しかったんだ。あのまま車に乗っていたら……」
「どういう意味ですか。あの車は病舎へ向かっていたはずです」
「いいや。全く別の方向へ走っていたんだ。だから私たちは車を止めた」
少年は口を開いて暫く黙った。竜奈は相手が言葉をしっかり飲み込むまで待つ。
「……ならあの車は一体どこへ向かっていたんですか? 中に乗っていた他の子達は……」
「行き先はボロボロの古い工場だった。中に入って目にしたよ。でも、みんなは……」
言葉には敢えて出さない。少女の遺体へと目を下す。
「……ま、マジかよ。じゃあ……」
絆創膏の少年は口を押えて蹲る。銀がすぐ傍へ寄って背を撫でた。
「…………」
ネックの少年はガリッと爪を噛んだ。ブツブツと何か呟く。竜奈は聞き取ることが出来なかった。
「みんな辛い思いをしているだろうけど。ここよりは施設の方が安全だから。下りるよ」
少年から視線を上げて呼びかける。
「やだっ!! 絶対ここから出ない!!」
【かえって】
低学年の男女は首を左右に振って必死に拒んだ。当たり前の反応だと竜奈は心の内に思う。
大人に友達を殺されているのだ。今の彼らは疑心暗鬼になっている。易々と警戒は解けないだろう。
「そうですね。その方が確かに安全かもしれません。でも今はいいです」
少年は頷いてからやんわりと断りを入れる。
「今は?」
「おい、まさかここらの土を掘って遺体を埋めたいとか言い出すんじゃないだろうな」
鼻を摘まみながら金はげんなりとした顔で呟く。
「いえ。彼女のことは、ちゃんと家の人達のところへ帰してあげてください。お願いします」
丁寧に頭を下げられた。竜奈達は顔を合わせる。ならば、何をするつもりなのだろうか。
やがて彼は竜奈達へ背を向けると子供達へ視線を向けて言った。
「みんな、クイーンの仇を討とう」
女の子も男の子も口をぽっかり開いて動かなくなる。
「うおおおおっ!!」
銀の腕を振り払い髪染めの少年が立ち上がって叫んだ。
「そうだ! アイツらぶっ殺す!」
「いや、殺すのは駄目だよ、ビショップ。それじゃ相手と何も変わらない。倒すんだ」
「た、倒すって、どうやって……?」
小刻みに震えながら少女は二人の男子に訊ねる。それがまともな反応だ。少年は顎下に手を添えてしばらく考える仕草をとり「歩けないよう足の骨を折る程度だよ」と返す。
金はそれを軽く笑い飛ばした。
「流石子供だねぇ。勇敢に立ち向かう姿勢はいいけど、まあ……そんなことさせるわけないっしょ? 大人しくいうこと聞いとけって」
ビショップと呼ばれる髪染めの少年が金へつかみかかろうとするのを阻止しながらネックの少年は首を振った。
「従えません。絶対に許せないので」
「よく言ったナイト! そう! アイツらは俺様が皆殺しにするんだよ!」
「いや、だから殺すんじゃないし。みんなで倒すんだよ、ビショップ。あと、ちょっと首に腕を回すのはやめてくれないかな」
上機嫌なビショップに頭を撫でられるも、不機嫌な顔で拗ねる、ナイト。
何故かチェスの名前でお互いを呼び合う少年たちに、銀と竜奈は少し戸惑った。
「いやいや……。アイツらは俺達の獲物なんだってば。ってか相手は拳銃とか、一発で人殺せる武器持ってんだぞ? お前らただの無力な子供だろうが。何が出来るんだよ」
「無力じゃない」
ナイトはきっぱり言い切る。年相応に口を尖らせて。
「僕らは無力ではありません。力を合わせれば絶対に倒せます」
竜奈は腕を組んだ。ナイトの言葉に呼応するかのように、隅の方で男の子が首を何度も縦に振った。ぐすぐすと泣きながら女の子まで頷いている。説得に疲れたのか金がこちらへ顔を向けた。
「あーー……竜奈サンこいつらどうするよ。面倒臭ぇし気絶させてく?」
「いや、それは駄目だろ流石に……ああっ、身構えないで! コイツにそんなこと絶対させないから!」
金の発言に更に警戒を深めたビショップがボクサーのポーズをしだし、銀は慌てて両手を左右に振る。
「なるほどねぇ……」
竜奈は天井を意味も無しに眺めたあと、再びナイトを見据えた。
「面白いじゃない。でもね、私もアイツらには一発やられてんだ」
服を捲り、腹部に巻かれた包帯を指す。
「ってわけで、私たちも協力させてよ」
「ええっ、ちょ、竜奈さん!?」
「うあ、マジかぁ……」
銀は焦りと驚愕の表情を浮かべ、金は肩を落とした。
「いいだろ、別に。目的は一緒。一発ぶちかましたい気持ちがあるならさ」
「でも、流石に危ないですよ……」
「銀、諦めろ。竜奈サンは一度決めたら曲げないからな」
竜奈は双子に構わずナイトの瞳を見つめる。その内に確かな強い意志を感じた。それがどれほど折れないものなのかははっきり分かる。玉城に手を引けと言われたことを思い出し、竜奈は手を差し伸べる。
「一緒に戦おう」
ナイトは真っ直ぐ手を掴んできた。