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CHESS FAMILY  作者: 星野白兎
1/3

Ⅰ魔法使いと家族

 雲の上ほど不安定な足場はない。

 男はふわふわと浮いては沈み、宙を切るようなひんやりとした感覚にムズムズしながら進む。

 白い雲を敷き詰めて作られた道の上を、男はまるで歩くことを初めて覚えた子供みたく前進し、周囲から奇異の目を向けられる。ようやく感覚を取り戻してきた男は、顔を上げた。


「うあ、古っ」


 思わず口をついて出た言葉。周囲で彼より楽そうに進む人型の影たち。霧で透けて見える。

 黒いローブに身を包んだそれは、フードと霧のお蔭で全く表情が掴めない。それでも彼らはあからさまに自分を避けるように通行している。男は周囲の反応に呆れつつも至極真っ当な対応だと感じた。冷やかしに声をかけてくるほど暇を持て余した集団ではないのだ。

 やがて彼は、一本(そび)え立つ丈夫な大木の根元に腰をおろした。雲の上ですくすくと育った大木。枝木の先で揺れる花の色は、決して『地球』では見れないものだろう。自由自在に変色し光り輝く薔薇だった。


(古い。地球上で暮らす人間達の方がよっぽど色とりどりの服を着るぜ。全く……一番高い場所に居ながら、いつまで同じ格好で過ごすつもりなんだこいつらは?)


 男は木でつくられた杖を持っていなければ、とんがり帽子もかぶっていない。フードは常に役割を果たせず、彼の背中でぐったりと項垂(うなだ)れてお飾りとなっている。栗色の短い髪を見せびらかす。全身を黒いローブで覆うなんて勿体無いことはしない。

 それをすると「夏」は暑苦しくて、死ぬほど水を欲した記憶があるからだ。すぐに(めく)れるよう、薄手のシャツとズボンを着用している。

 射て凍るような寒さも燃え焦げるような暑さも雲の上では体験出来ない。それを思うと、つくづく自分以外の『魔法使い』たちは太古の時代に取り残されているようで残念だ。

 男は地面とも呼べる雲の群れに手を突っ込む。無論水分そのものの塊など掴めるはずもない。

 だが掻き分けることはできる。次第に白い色の間から真っ暗な闇が覗く。酸素と無縁の空間。

 点々と輝く星の中、青く輝く綺麗なビー玉を発見する。男は『地球』を見下ろした。気の遠くなるような時間を過ごしておきながら、子供のように瞳を輝かせ、小さなビー玉に期待の色を滲ませた顔。


「懲りないヤツだ。せっかく自由になったのにまた同じことを繰り返すつもりか?」


 隣から降ってきた声に男は慌てて手を引っ込めた。そうして声の主を見上げるも霧のお蔭で表情は掴めない。隣の魔法使いは盛大に溜息を吐く。どうやら冷やかしにくる余裕をもっていたらしい。男は舌を打ちたくなった。


「どうも。有名人は大変だぜ」

「有名人? 馬鹿言え、お前の名など知るか」

「あっそ。残念だぜ。俺の名を知らないなんてね」


 肩を(すく)めて笑みを見せる。相手は無言で立ち竦む。どうやらこちらを見下ろしているようだ。

 霧で表情は見えないが、きっと曇っているに違いない。


「火遊びはよくない」


 魔法使いは先刻より一オクターブ下げた声音で男に言った。


「馬鹿だな。火なんてどこにある?」


 空の両手を広げてみせる。魔法使いは木の杖で雲を退け、ビー玉に杖の先を向けた。ごくり。男は喉を鳴らす。魔法使いの二度目の溜息を間近に拾う。


「いいか、よく聞け」


 屈んだ魔法使いは男の肩に腕を回し囁く。ようやく表情が見えた。低い声音に合った皺くちゃの顔に男は胸を撫で下ろす。自分の想像していたイメージとかけ離れていなかったからだ。


「魔法使いは人間に干渉してはならない。これは神が決めたことだ。お前もそれは身に染みて分かっているな? 何せ十四年前に一度人間界へ忍び込んだお前は神の怒りに触れて、こうして今日まで雲の上さえ歩かせてもらえなかった大変気の毒な魔法使いなのだから」


 老人はこう話す合間にもコロコロと表情を変えた。子供に絵本でも読み聞かせるかのように、身振り手振り。あからさまに小さく見られているようだ。男は唇を尖らせる。子供に対する説教を延々と聞かされるとなれば苦痛でしかないのだ。黒いローブで全身を覆う老人は男の顔を覗き込み、数回頷くと、


「いいだろう。納得がいかないから同じ過ちを犯そうと言うんだな? なら何故神は人との接触を禁じたのかを教えてやろう。あまり言い触らすものでもないが、仕方ない」


 咳払いをしてさらに身を寄せてくる。窮屈を感じて男は控えめに(うな)った。


「お前が一度目の過ちを犯すずっと前までは、魔法使いが地球に行くことは別段禁じられていなかった。お前のように何かしら不満を抱いて地球へ飛び出すヤツも居たさ。その中に、禁忌とされていた魔法を人間に使う極悪非道の魔法使いがいた。レオン・バースト! コイツのせいで地球に住む人間の数は減少。神は怒り、レオン・バーストはその首を切り落され、それから魔法使いは人間に干渉してはいけないし、地球へ行くことも許されなくなったのさ」


 年老いた魔法使いはこう語り肩を落とす。ようやく解放された男は、額に浮き出る嫌な汗を拭った。再び男の顔を覗き込んだ魔法使いは二回頷く。男はとにかくこれ以上の長話は聞きたくないと喉を鳴らす。老人は幾分頬を緩め、男の背で項垂れていたフードを掴むと、栗色の髪をすっぽりと隠すように被せた。頭をポンポンと叩かれる。


「よく分かっただろう? 神は敏感になってるんだ。きっとお前も次は無い。ここと違う世界に憧れる気持ちは分からなくもないが、命には代えられないだろう?」


 木の杖を手に老人は立ちあがった。すると肩に突如として黒い猫が姿を現し一鳴きする。それを合図とし、老人は男に手を上げ「じゃあな。くれぐれも道を踏み外すなよ」と満足した顔で去っていく。正しいことをしたつもりでいるのだろう。都合よく解釈してくれるものだと男は安堵の息を吐く。


「さて」


 年老いた魔法使いが去り、男は注意深く周囲を見渡した。また邪魔をされたら堪ったもんじゃない。老人の話す悪逆非道の魔法使いなど男からすれば知ったことではなかった。

 それより待ち受ける罰がどんなものであろうと男はどうしても知っておかなければならないことがあったのだ。

 フードを取っ払い、ゴミのついた犬がするように頭を左右に振る。男は両手を雲の間に突っ込み、こじ開けた。暗い闇の中、一段と目を惹くビー玉にそっと爪先で触れる。「地球」は面白いくらいにクルクルと回っていく。それは確かに禁じられた魔法の一つだった。

 それでも彼は頭の中に五人の男女の姿を思い浮かべて笑みを浮かべる。彼らにもう一度会わなければならないのだ。男はビー玉から指を退けると、更に雲を掻き分け、ビー玉へ向けて落ちていった。


 ★


玉城(たましろ)さん、揃いました!」


 揺れる茶髪のポニーテール。(たび)竜奈(りゅうな)はもう少し上の方で結えば良かったと頭の片隅で気にしながら両側の男性たちと揃って敬礼のポーズを取る。左側の通路を同じ髪型の看護婦が通った。チラチラと好奇の目を向けられるが気に留めない。左側で金髪の男が帽子を少し上げ看護婦へウィンクを飛ばす。肘鉄をくらわせた。

 右側の男性は溜息を吐く。同じく金髪だ。彼の丸く柔らかな目つきの下には少しの疲労が見受けられた。竜奈は両側の態度を一瞥した後、目前へ意識を戻す。背広のスーツを着た男性が煙草の火をスタンド型の灰皿に擦りつけて消す。竜奈の声に柔和な笑みを返したあと眉根を八の字にし「本当に私事で呼び出してすまないね」と松葉杖を手に立ち上がり頭を下げる。


「いえいえ、そんな! どんどん頼ってください!」


 口角を左右に広げてドンと自らの胸を叩く。左側から「女っ気の無い笑み」と小さく聞こえてくる。すかさず第二の攻撃をくらわせるべく肘を構えた。


「それで、大j……玉城さん。僕らに任せたいことというのは?」


 右側が大臣と呼びかけ寸で呼びかたをなおす。


「戦車は必要でしょうか」


 竜奈は逸る気持ちを抑えて、握り拳を前に玉城へ問いかける。前傾姿勢となってしまった。


「し、私事だ! その、指示ではなく、個人的に気になることを調べてもらいたくて君達を呼んだんだ! そ、そこまで過激なことをさせるつもりはない!」


 玉城は左右へ慌ただしく目を向けた後、人差し指を立てて告げる。次に自身の足を見下ろし「情けないがこの足といい、立場上好き勝手に動くことも出来ないんだ」と八の字に眉を寄せた。竜奈はこの眉に弱い。力ある大型犬が耳を垂れ鳴いているように見えるのだ。


「大丈夫ですよ! 私たちに任せてください! どんなことでもやります!」

「その意気込みは大変嬉しいが……」


 玉城は後ろ首を掻き、背を屈めながらクリアファイルを取り出し、書類を右端に居た金髪の男へ渡す。手渡された書類に男は目を落とした。気になって竜奈も隣から覗き込む。一枚の書類。名前と年齢、性別が記され、端に子供の顔写真が貼られている。


「えっと……こ、これは?」


 男が顔を上げ、釣られて竜奈も玉城に視線を戻す。


「イーヴィルバースト症候群に(かか)りうる危険のある子供達だ」


 竜奈は書類を手に持つ男とほぼ同時に喉を鳴らし、もう一度じっくりと書類に目を落とした。

 ――イーヴィルバースト症候群。今より二十年前、唐突にその精神の病に侵された小さな子供、二十代の若者たちは、心のブレーキが外れたかのように人を襲い殺戮の限りを尽くした。人間を同じ種族と捉えないのか、残虐なまでに恐ろしいほど簡単に命を奪う。発症した人間達の手によりたくさんの人間が亡き者となった。

 病気自体が新しく、原因や治療法も不明。発症した人間の共通点は、三十歳未満の若者であり子供に多く見受けられた。感情が希薄な者、短気な者、涙もろい人間など。感情の一部が突出しているような人にこそ現れやすいようで、予兆としては舌の(もつ)れにより言語能力が著しく低下し、コミュニケーションが取れなくなるというこの一点のみつかめている。

 人々はこの病気を恐れた。治療法や原因が見つかるまでは、病気に罹りそうな危険因子は離れた場所で隔離すると新たに法律が作られ、三十歳になるまで毎年心理状態を確認するための定期試験が行われるようになったのだ。

 二十年前の惨劇。竜奈は唾を飲む。所謂(いわゆる)自身が自衛隊に就くきっかけとなった出来事。当時七歳だった竜奈のクラスメイトの中、発症したのは二人。たった二人の手によりたくさんの同級生が幼いままに命を落としていった。心の底から恐怖したし、両隣に立つ彼らにも同じような経験はあっただろう。目元に(くま)をつけた右の男の顔が強張っていく。


「こんなにたくさんの子供達が……どうして」


 呟く言葉にぶつけようのない苛立ちが滲んでいる。


「法律に基づき隔離されるべき子として学校側から受け取った資料なのだが。その子達が隔離病舎に来ていないんだ」

「えっ!? どうしてですか!?」


 竜奈は慄然とした。ざっと見、資料に載っているのは十人。まだ幼い子供達が親元を離されるというのは心苦しくもあるが、そうするより他に手立てがないのだから仕方ない。本格的に症状が出てからでは遅いのだ。また何十人と被害が出てしまう。その子供達が、病舎へ運ばれる前に消息を絶っているというのだ。


「それが分からないからこそ、調べて欲しいんだ。きっと裏で何かが動いているのは確かだろう」


 ごくりと喉を鳴らす。予想以上に一大事のようだ。暢気に左の金髪が、欠伸(あくび)を洩らす。危機感を覚えていないのか。右の金髪が舌打ちを(こぼ)した。そんな男たちに挟まれながら竜奈は拳を更に強く堅める。


「分かりました! 全力で裏を掴んで、子供達もしっかり病舎まで連れて行きます!」


 敬礼のポーズと共に、歯を見せた。竜奈に続くように右が、そのあとに溜息を吐きながら左が。玉城は堅くなっていた顔を緩めて「頼んだよ」と頷き、『入枝(いりえ)小学校』の文字を乗せた書類を竜奈へ差し出した。



 ★


 平坦な道を一台の黒い車が()いていく。


「なあおい、香車(こうま)。入枝小ってマジでこっちの道で合ってんだろうな?」


 操縦席に座る男は、不機嫌な猫の様に目を細めて前方を睨んだまま助手席の女へとぶっきらぼうに話しかける。女は手元の書類に落としていた目を上げた。


「うん、合ってるよ。わ~~にしても本当に田舎だね。あんまり人とすれ違ってないんじゃない?」


 女は窓を下げて、緩い風に髪を(なび)かせる。「閉めろ、勝手に開けんな」と男が口を尖らせた。

 歩田(ふだ)金子(かねこ)はこの二十歳に上がったばかりの若い兄妹の会話を、後ろの席で手を(いじ)りながら聞いている。なんとなく落ち着けなくなって、縋るように手元に置いた鞄を漁り、一枚の写真を取り出す。

 優しい笑みを口元に浮かべた自身の夫の顔だった。金子は胸元に押し付ける。幸せな気持ちで満たされるのだ。どんなに不安なことがあってもこの笑顔が自分の背を押してくれるのだと信じて疑わない。女は真っ赤なレインコートの裾が捲れている事に気付くと、慌てて元に戻し、皺ひとつ残さないよう撫でさすった。


「で、さぁ。ちゃんとアポ取ってくれたんだろうなぁ、角野(すみの)さぁん」


 運転席の男がバックミラー越しに一人の男へ目を向ける。その鋭い目つきに肩を震わせながら金子も視線を追う。真っ赤なローブで全身を覆った男が隣の席に座っていた。フードも被っているため、彼が窓の外を見ている事しか掴めないのだが。


「すーーみーーのーーさーーぁーーん」


 前の席の男が苛立ったように名を呼ぶと、角野は――角野雨竜(うりゅう)は、(にぶ)いながらゆっくりと視線を車内へと戻した。


「ん。すまない。なにか言ったかな」

「遂にボケでも始まったか? 連絡取っといてくれたんだよなって聞いてんの」

「ああ、勿論。車もちゃんと三台用意して頂いているからね。心配はいらないよ」

「あっそ。運転できるんですかね、おじいちゃんは」

「勿論。君みたく上手にはいかないだろうけどねえ」


 皺の入った顔で笑う。金子は雨竜の横顔をじっと眺めた。四十五歳と聞いたことはある。自身よりは十も下だ。金子は指を噛む。この車内で一番の役立たずは自分だろう。きっと今までもこれからも足を引っ張ってばかりでいるのだ。考える度に自分の存在が恨めしくなる。どうして自分が生きて、写真の中の彼は。どうして――。


「もう少しで始まるね、金子さん」


 銀の髪から覗く黄色い瞳が蛇のようにこちらを覗いている。

 金子は氷のように体が固まるのを感じた。彼は見透かしたような笑みを浮かべる。


「ガキ狩りだ!!」


 運転席の男が元気よく叫ぶ。途端に車の動きが早くなった。


「次は真っ二つに割ってやるぜ! この前の斧は面倒だったからな! 今度はチェーンソーだ!」

「もうちょっと穏便に済ませない? 首を落としてあげる方が一瞬だし。苦しくないよ」

「はあ!? うるせぇガキなんか死ぬまで苦しんで死んでも苦しめばいいんだよ!」

「もう! お兄ちゃんはどうしてそう、子供にやさしくなれないの!?」

「こらこら」


 雨竜は手を叩いて前の二人を静めた。


「その問題は、今しなくたっていいじゃないか。それにね桂馬くん。あまり過激に出過ぎないように。なにも私たちがやっている行為は復讐なんかでなく、世のため人のためなんだから」


 雨竜が諭すように話すと、「そうだそうだー!」と香車は賛同の声を上げる。桂馬は「ぐっ」と呻き再び口を尖らせた。


「政府が決めた隔離だなんて、その場しのぎのもの。ああいった手につかない病人を一か所に集めておくということが反ってどれほどの惨劇を生み出すか分かっていないんだよ」


 雨竜の言葉がこう続くと、桂馬はともかく香車も口を閉ざす。金子は後部座席から密かに前の二人の表情をバックミラー越しに観察する。二人の顔にも影は降り注いでいる。そうだ、自分だけではないのだ。金子は少しほっとした。

 二十年前の惨劇を一昨日のように、こうして集ったのを昨日のように思いだす。誰もが地獄の上を歩いてきた。一歩踏み外せば劫火に落ちてしまう、否落ちても不思議ではない綱渡りを行った仲間なのである。一体どれほど大事な者を失ってきただろう。目の前で失った光景は頭にこびりついて離れず、こうして自分を責めていく。あの綱渡りはもう二度と経験したくない。

 あの、人を人とも認識できなくなった化け物に遭遇するのは絶対に嫌なのだ。震える手の甲を抑えながら、金子は窓の外へ目を向けた。『入枝小学校』はその姿を見せている。落ち着け。金子は精一杯息を吸って、吐いた。



 ★


 ――最高の暇つぶしだなぁ。

 砂利を踏んでコンクリート製の建物を見上げた時に思う。肩越しに振り向く。

 歩田金子、居成(いなり)桂馬、居成香車。二十年前に夫やら両親やらを失った面子(コマ)だ。

「世のため人のため」なんて言葉を吐いてやると、金子は縋りつく様に頷き、香車は目を輝かせる。桂馬に至っては鼻であしらう程度。だが実に愉快だ。こいつらがでかい顔をすればするほど潰し甲斐が出てくるというもの。今は黙ってハンマーを握らせてやっていればいい。

『もぐら叩き』――最近この暇つぶしに、こんなゲーセンの一角に置かれて存在が薄れつつあるゲームの名前を付けてみた。ただ清々しい。鬱屈とした空を見上げて舌でも突き出してやる。

 空の上ほど自由があると思っているのは思春期の少年少女まで。あるのは窮屈で狭い上下関係。不公平な力の差。上にいけばいくほど我が物顔で歩き出す魔法使いに、全てが自分の駒だとばかり、空の上で縛りつける神がいるだけだ。

 そして結局のところ、この「地球」でさえ、あまり窮屈さは変わらなかった。力の弱い者、意思の弱い若人、体の劣った高齢者にほど厳しい世界。ただ――空の上では脆弱であれ、こっちの世界では誰より誇れる強さを私は持っている。

『イーヴィルバースト症候群』――私はこれを下剋上の力とし、苦しむ「下」の者へ等しく分け与えた。理性を失くし、秘めていた本来の力を一切の情に邪魔される事なく振るい、周囲に見せつける。その姿はどれほど見ていて爽快だったろう。だが次第に子供や若人が力を持つと、今度は「上」が力を失いもやし同然になった。シーソーが一度上下を変えただけだったのだ。

 これじゃ平等とは言い難い。飽きるまで『もぐら叩き』をするべきだろう。力を持たない者にハンマーを握らせ、頭の出たヤツを殴らせる。ハンマーを持つ側が調子づけば、今度はそいつの頭を叩き潰す。――キリはないだろう。だがそれがなんだ。あくまで日頃の鬱憤を晴らすための暇つぶしに過ぎないのだから、私が飽きない限り繰り返せばいい。

 拡声器から出ているようなやけに響くチャイムの音を耳にする。

 再び校舎へ目を向け一歩踏み出す。


「お待ちください」


 肩に手を置かれた。視界を邪魔するローブの尖端をつまんで少し上げる。青い制服。胸元にバッジ。


「これより試験が始まりますので、教務と警備以外立ち入りを禁じております」


 チッ、と盛大な舌打ちのあとに、桂馬の低い声が飛んでくる。


「おいおい、角野さぁん。話通ってないみたいなんですけどぉ~?」

「なに、話なら今からつけるさ。そう、カッカせず待ってなさい」


 改めて向かい合ってみると、警官の肢体は細長く引き締まっていて、随分と若い印象を受けた。

 今じゃ若ければ若いほど「力」を持っているように見られる世の中だ。もうあと二十年ほど前に出会っていれば彼にもハンマーを握らせてやれたろうに。私は緩く息を吐いて、彼の腕を掴んだ。


「そう警戒しなさんな。私も護りにきたんだよ。弱い人達をね」



 ★


 ――すごく寒い。

 冷えた廊下を踏み、窓越しに落ち始めた紅葉を眺める。

 ネックを着ていても鋭利な刃に撫でられているような寒さを感じ、首を竦めた。

 人気(ひとけ)の少ない通路を進んで、一番端の自分の教室へ向かう。青い制服の警察が教室の中を眺めるようにして立っている。

 僕の気配に気付いたのか、こちらへ視線を向け、肩を震わせた。


「こ、こら。午後から試験だから、昼休み中は教室には寄らないようにって、先生から聞いてるだろう?」


 瞳が揺れている。それ以上は近寄らないよう、僕は足を止めた。


「……忘れ物でもしたのか?」


 張りつめた空気が少し薄れる。僕は頭を下げた。


「ごめんなさい。すっかり忘れて、つい」


 そのまま踵を返す。後ろで溜息が聞こえた。首を竦めながら歩く。突き当たりで曲がってすぐに足を止めた。窓から教室の方が少し見える。チャイムが鳴ったらすぐに入ろう。席に座って筆記用具を取り出して、それで試験を受けて――完璧だったらあとは中学に上がることを考えればいいだけ。淡々と頭の中で確認しなおす。

 狂いさえなければ、きっと今日も家に帰れる。窓に背をつけ脇に抱えていた本から栞を取ってページに目を落とす。

 二十年前の一件があってから作られた法律のため、僕は今日この学校に来て六度目の試験を受ける。母は言った。なんでも完璧にこなせる人間になれば大人になれるのだと。しっかりとした大人にさえなれば、表の世界で生きていける。少しでも欠陥があれば裏の――どこかに収容されて身を隠し生きなければいけなくなる。それが今の世のルール。

 腕時計に目を落とす。チャイムの音は迫ってきている。


「あ、鶴羽くん。早いね」


 隣に黒い無地シャツの男の子が並ぶ。寒くないのかな。平然とした顔で声をかけてくる。


「鶴羽くん、同じ学校行けたらいいね」


 もうすぐ試験が迫っているというのに、彼は目先の問題よりもっと遠くの将来を見据えているようだ。「そうだね」と相槌を打ち調子を合わせた。

 やがて古びたチャイムに促され、僕と彼は連れだって教室へ移動する。


「あれ、誰だろう。関係者かな?」

「人に指さしは良くないと思うよ」

「あっ、うん。そうだよね。ごめん」


 視線の先に目を向けた。人数が増えている。さっきの警官と、また別の若い警官、その後ろに四人、青い制服でも無い、教師の中でも見たことのない顔が並んでいた。

 全身を真っ赤な服で包んでいるが四人の中で一際小柄で背が丸い者。その隣に真っ赤なレインコートを着ている女性。雨なんか降ってたっけ。その後ろに、若い黒髪の男女が並んでいる。

 うち、一人は真っ黒いシャツを着崩しており、眼鏡をかけていても目つきの悪さが際立つ。隣の女性は反して優しい目つきをしている。顔の造形がほんの少し似ているように見えた。兄妹なのかも。


「どうしよう、話してるなら今行かないほうが良いよね?」

「でもチャイムは鳴ったよ」

「そ、そうだけど」


 ふと後ろを振り向くと同じように固まっている生徒が何人もいる。


「話の邪魔をしないように一列に端の方を通って、教室に入ればいいんじゃないかな。警察の人達もそうできるよう配慮して、教室の前はちゃんと開けてるから」

「はいりょ?」

「気配り」

「な、なるほど?」


 曖昧に頷く彼の顔を確認して、僕は通路の端をすり足で歩いた。後ろを彼が続く。

 教室に近づいてくると、若い方の警官の目が充血していることに気付いた。

 警官と真っ赤な人の間にいながらぼーっと宙に視線を向けている。

 寝不足かな。僕はその様子を少し気にした。と、小柄な男が警官の腕を掴む。

 関係ないのだからあまり見ていても失礼だろう。視線を前へ戻すと、扉はもう目前だった。

 ゆっくり横に引いて教室の中へ踏み込む。黒板の前に並ぶ机と椅子の数。一年の頃と比べるとかなり減ったように思う。自分の机に近付くと白い用紙が置かれてある。座って筆記用具を取り出すと後ろから声がかかった。


「鶴羽くん、さっきの人達なんか怖かったね」

「よく知りもしない人の雰囲気だけを見て怖いというのはあまり良くないと思うよ」

「そ、そうだけどさ! だってさっきの赤い人が腕つかんだら、警察の人の目、真っ赤になったんだよ!」

「…………」


 耳を澄ませる。放送が入る気配はまだ無い。席を立ち、窓越しに通路を覗いてみた。


「どう? まだ居る?」

「いや……もう居ないよ」


 例の四人組と警官二人は忽然と姿を消し、通路は物悲し気な雰囲気を漂わせている。

 座りなおすと、彼は安堵の息を吐いたようだった。


「今日、なんか怪しい人多いよね。登校の時といい……」

「登校?」


 首を傾げると、彼は目を見開いて「ええっ、知らないの? 今朝のホームルームからみんなその話題しかしてなかったのに!」と大げさに手のひらで口を覆う仕草をとる。


「ごめん。読書に夢中になっていたかもしれない」


 溜息を吐かれた。首を竦める。対人関係も勿論必要だが、クラスメイトの中、こうして話しかけてくる人間は彼以外にいない。僕の外面に対する評判は最悪に近かった。勉強も運動も平均の上くらいは取れている。それなのに避けられているのだ。何か重大な欠点があるのだろう。ただ一向に僕はそれがなんなのか分からずにいる。


「今朝、迷彩服を着た女の子と二人の男性が手を振ってきたんだよ。入枝小の子たちはみんな挨拶されているみたいだったよ。ああ、そう首から双眼鏡ぶら下げてたんだ。変でしょ?」


 少なくとも登校中、そこまで目立つ服装の大人は見かけてこなかった。彼が登校してきた時間帯を考えると得心がいく。彼のいう人物たちは僕より遅くやってきたのだろう。


「そうなんだ。珍しいね」


 頷く反面、彼のように深くは捉えなかった。偶然さっきの四人組と同じ日に、目立つコスプレをしてしまっただけのように思える。何はともあれ根拠も無しにこの二つを組み合わせて勝手に不気味がるのは良くない。切り離して考えるとそこまで不思議でもないだろうし。ただ僕は彼に調子を合わせて頷いた。怖い話として片付けておきたいのかもしれないから。

 ジジッ……黒板の上に設置された長方形の機器からノイズが入る。机に向き直り、緩く息を吐きだした。大丈夫、大人の求める完璧な答えを出せばいいだけ。三十歳になれば試験からは解放される。あと十八年。満点の答えを出し続ければ、なんの心配もなく過ごせるようになる。

 ペンを握りしめ、指示の通りに用紙を裏返した。



 ★



 終礼時、僕の名前が教師の口から出た。


「鶴羽くん、このあと少し残りなさい」


 短くこれだけ。ほんの一瞬集う周囲の視線。自分がどんな顔をしていたのかは分からない。だが対して変化はないように思えた。実際、心の内は不思議なくらい静まり返っていた。何故だろう。僕は母のいう完璧になれなかったのかな。

 身支度を終えた生徒達が教室を抜けていく中、先生は特に何もいわず教壇に肘をついて僕が一人になるのをじっと待っていた。後ろの席、何も知らない彼は「じゃあ鶴羽くん、また明日ね」と声をかけてくる。「うん、また」手を振り返す。もう会えないだろうけど。

 先生と一緒に教室を出る。彼は部屋の中を一度覗き込んだ後、慎重に鍵を閉めた。


「大丈夫。そんなに緊張しないで。君だけじゃないからね」


 肩に手を置かれる。見るからに緊張しているのは相手の方だった。瞳が揺れている。動揺を隠せないというように。そこで僕は「何故僕が」という疑問を喉の奥にしまう。言葉の選択には慎重になるべきだ。もっとも、もう完璧な対応を取る必要もないのかもしれない。だけど母は無闇に大人を怖がらせてはいけないと言っていた。だから利口な態度を貫こう。


「分かりました」


 頷く。先生は眉を少し上げて肩を震わせた気がした。なにか間違えたのかな。内心で首を傾げる。

 背の高い彼の後に続いて入ったのは体育館だった。

 踏み込んですぐ耳につく声を数えると十数人程度。やけに騒がしいのは事情を把握できていないからだろう。


「脱がなくてもいいよ」


 先生は目で僕の足下を示す。視線を落としながらためらう。知っている(てい)でいこうか、無知な子供を装うか迷ったのだ。どっちの反応を返したほうが適切だろう。無意識に考えてから、「いえ」と彼の顔を見上げる。


「明日も体育の授業で使うでしょう?」


 唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。


「まあ、そうだね。……任せるよ」


 一足、脇に抱えて進む。目を瞠った。試験の直前に見かけた四人組が並んでおり、その前に子供が列を作って座っている。口元で鼻を覆う。曲がるかと思うほどの悪臭によろける。腐った生ゴミのような匂いだ。四人組の大人も同様の仕草をしていることから原因は生徒の中にあることが窺えた。視線で探る。目前だった。


「うわぁあああん!! もうやだ!! 家に帰してよぉ!!」


 泥がこびりついて汚れた靴を履いた女の子が何度も足を地面に振り下ろし、どんどんと響かせながら泣きわめく。同じ列に並ぶ子供達は迷惑そうに耳を塞いだり鼻を摘まんだりと忙しそうにしている。人数調整で決められるなら仕方のないことだが、自分の意思で選んでも良いなら、この子と同じ列に座るのは避けたい。

 年齢は見た限り僕より幼い。丸ぶち眼鏡にそばかす、上下ともサイズの合っていない青色のジャージ。悪臭の原因はその髪にあるだろう。整えられた形跡もなく跳ね返りの多い、無駄に長くて色素の薄い髪には所々靴にこびりついていた泥が付着している。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。一見、何か乱暴を働かれ必死に抵抗した結果ともとれるがどうだろう。

 周囲は声もかけない。これが通常なのかもしれなかった。少なくとも僕には縁のない子だ。


「うるせぇ!! 死ね!! ゴミクズ!!」


 彼女とはまた別の列の先頭から怒鳴り声が飛ぶ。黒いシャツの上に煤けた黒い上着を羽織った男子生徒。彼のことは知っている。同じ学年だ。交流は無く名前すら憶えていないが、姿を見る度に彼はいずれ試験で引っかかるかもしれないと考えていたことは覚えている。その通りとなるとき、同じ場に自分もいることまでは流石に予測していなかったけど。

 一目で校則に反していると見て取れる髪色。地毛はおそらく黒いだろうに上から暗めの青で染め、どうやら今度は白と緑のメッシュを側面にしている。顔を埋める絆創膏の数も増えていた。彼を見かける時は大抵、体育館の壇上で不貞腐れて立たされている事が多い。

 よく六年に上がるまで消えなかったなと称賛を送るほどの酷さだ。言動にも表れている。他人に、しかも自分より年下の子に「死ね」や「ゴミクズ」という暴言は良くないと思う。喉の奥から出かかった言葉を抑える。

 同じ学年の生徒は彼だけのようだ。例の女の子はこの男の言葉に激しい癇癪をおこして一層声を大きくし床に寝転ぶと足だけでなく両腕も振り下ろして泣いた。


「あ? だからうるせっつってんだろ、殺すぞ!?」


 メッシュが膝に手をつき立ち上がる。彼女の五月蠅さに片耳は抑えていた。目つきは猫の様に鋭い。するとメッシュの前に立っていた眼鏡をかけても全く隠せていない目つきの悪い男性が「はいはい、お前もうるさいから」と肩に手を置いて力づくで座らせる。これにはメッシュの後ろに並んでいた数人も息を飲む。少年の額に青筋が入った。

 大人の男性と髪染めの生徒が睨み合っている光景から僕は目を逸らす。自分の意思で決めていいのなら、彼の座る列にも並びたくない。並びは自由なのだろうか。全身真っ赤なフードの人と同じく赤いレインコートの女性は、居合わせた教師と何事か話をしている。黒髪ショートではつらつとした若い女性が、泣き喚く女の子を宥めようと笑顔で対応していた。

 四列。女の子とメッシュの列を除くにしても、挟まれている真ん中の列にも座りたくない。そうこうしていると、何の前触れもなく突然、腕を勢いよく引かれた。


「こっち」


 一番左端の列で最後尾に座っていた少女が見かねたように僕の腕を引いたのだ。引かれるままついていき、僕は彼女の後ろに座った。内側にくるんと巻かれた茶髪。ぐるりと彼女はこちらへ向き直る。緑葉の色が覗いた。もう片方の瞳は髪で遮られて見えない。桃色にリボンの施されたワンピースを見ていると裕福な家庭に生まれたお嬢様じゃないかと思う。

 整った顔立ちに口角を緩める彼女に、清楚で明るい印象を受けた。彼女の頭にティアラを乗せても違和感はなさそうだ。


「もしかして気分悪い?」


 遠慮なく目と鼻の真ん前に顔を突き出し彼女はそう訊ねてきた。少し背を反らして首を横に振る。


「そう見えるかな?」

「うん。なんかね、ずっとぶすってしてるから」

「いつもこの顔だよ」


 彼女は目を瞬かせたあと、観察するように顔を離してじっくりと舐めまわすように僕の顔を見た。


「えーー可哀想」


 やがて八の字に眉をよせ、今しがた大事にしていたペットを亡くしたような顔を見せる彼女に口を開く。


「可哀想?」

「なんか全然面白くなさそう。人生」


 顎に手を当てた。ふわふわとした花園を舞う蝶のような雰囲気を纏う子が『人生』と重い言葉を吐くのは意外に思える。すこぶる失礼な偏見なので口には出さない。

 返事をしないでいると彼女は前に座る男の子の肩を叩いた。ゆっくりとした動作で彼は振り返る。前髪が長すぎて全く瞳が見えない。黒と白のチェックのシャツに包み隠すような黒のブレザー。暗い印象を与える男の子だった。次に彼女は遠慮なく僕に人差し指を向け、


「ねぇ、つまらなそうな顔してるよね! この子!」

「…………」


 第一、前は見えているのだろうか。男の子は数秒後、口元に笑みを浮かべてこくりと顔を上下に振った。視認できているようだ。


「ね、ほらー! つまんないよ、君」


 遠慮なく背を叩かれる。見かけによらない威力に、咳き込む。


「……そういう感想は個人の自由だしいいんだけど、あまり人を指さすのは良くないと思うよ」

「えっ、そう? ごめんね」


 きょとんとした顔に悪びれた様子はなかった。

 パン。

 やがてさっきの教師が前に立って手を打ち鳴らすと、僕らの注意は一点に集中し、館内に静寂が降り落ちた。男は軽く咳払いをする。


「集まってもらったみんなには、国の決めたルールに従い、暫くの間、お父さんとお母さんとは離れて生活をしてもらいます」


 再びざわつく館内。


「少し長い合宿って感じに思ってもらえたらいいかな。大丈夫、ちゃんと良い子にしていればすぐ帰してもらえるからね」


 落ち着かせるように明るい笑顔を張り付ける教師に僕は内心で正直に拍手を送る。ストレートに告げるより優しい嘘で包んで誤魔化す方がよっぽど事は進みやすいのだろう。

 母親からは生涯そこで暮らすことを考えておいた方がいいと聞いている。つまりそれほど難しい病気に罹る危険性をここに集う僕らはもっているということ。低学年も集うこの場でストレートにあれこれ情報を与えては混乱させるだけだろう。なるべく真実から目隠しさせておいた方が気は楽だ。


「でも替えの服持ってきてないし」

「ゲームは!?」


 三年生くらいの女の子と男の子が一斉に叫ぶ。


「替えの服は向こうで用意してもらっているし、向こうじゃ新作のゲームもたくさんあるよ」


 元から用意していた言葉だったのかつまりもせずスラスラと零れる。

 口ぶりからして、きっとこの説明は今回が初めてではないのかもしれない。不安や不満を残しながらも、全員が黙るのに時間はかからなかった。とはいえ、黙ったところで未だ反抗的な目つきをする生徒は一部残っている。教師が赤いローブの男に説明を引き継いだ。

 小柄で少し背を丸めた男が口を開く。()れ声で高齢者であることに気付いた。


「安全運転で皆さんを施設まで送り届けますので、指示に従うようにしてください」


 たった一言なのに、小さく頭を下げられると生徒は皆口を閉ざして黙り込んだ。

 やがて僕の並んでいる列とは反対の端から移動が開始された。

 メッシュが先頭で舌を打ちながら赤いローブの男性の後に続き、レインコートの女性の列が最後尾に引っ付いていく。三列目、ショートの女性に背を撫でられながらボサボサ頭の少女の列が体育館を出ていった。こうしてあっというまに体育館が広くなると緩く息を吐き出しながら、真正面に視線を戻す。

 どうやら僕の乗る車の運転手は目つきの悪い黒シャツの男のようだ。人を見た目で決めるのは良くないことなのだが、先刻問題児とはいえ、メッシュの頭を抑えつけていたところを見てしまったからだろう。あまり良い印象を彼に抱けていない。

 男は出入口の方に視線を向けたあと、ズボンのポケットに手を突っ込みながら「行くぞ」と一言だけ零して歩き出す。男の放つ雰囲気の暗さ、声の低さに気圧されてか先頭の少女は慌てた様子で小走りに後を追いかけた。靴を抱え直し立ち上がってから気付く。律儀に靴を脱いでいたのは僕だけだった。


 外も内も真っ黒な車に乗り込む。運転席、助手席そして縦に三つの席が二列。合計八人が乗れる広々とした車内だった。僕は真ん中の左側へ座って、例のお嬢様は隣の席へ腰かけ僕の視線に気付くとニッコリと微笑みながら首を傾げる。

 彼女の前のシートには、前髪で瞳を隠した例の男の子が気まずそうに手を弄りながら俯いている。車内でランドセルを降ろさず背中に装着したままなのは彼だけだ。突然突き付けられた知りもしない場所での共同生活に緊張しているのだろうか。

 僕は可能性の一つとしてそうなってしまった場合のことは頭の隅で考えていた。だからか、特に緊張はしていない。ただここまで来てしまったのに相変わらず物覚えの悪い子供の様にぐずるのは一つの疑問だった。

 ――なぜ僕が?

 誰かに不満を抱かせるようなことをしただろうか。

 顔色を窺い、言葉の選択は慎重に行った。

 外面を良くするために、常に一歩先の学習をして、

 点数は落としたことも無い。体育の授業も平均以上のスコアを維持してきた。周囲から常に群がられるような人気者ではなかったが、誰とも喋れないわけではない。同じ進路を志す友達だっていた。

 結局僕に足りない物は何だったんだろう。

 母の望む、社会が求める「完璧」に届かなかった点は何だろう。


「つまんない~」


 隣から溜息と共に吐きだされた声に顔を上げると、いつのまにか車は道を進んでいた。振り返っても厚いカーテンで遮られて外の景色は見えない。彼女は項垂れている。

 隠すように垂れ下がったカーテンのお蔭で車中はますます暗い。前の席からゆっくりとした寝息が聞こえてきたり、斜め後ろで前後に揺れる足が見えたり。気分もふさがっているように感じる。

 運転手のことを考えるなら、あまり騒ぐのは良くないのかもしれないけれど……後々のことを思案すると彼女を放っておくのは酷な気がした。


「施設までどれくらいの距離か分からないし、少しでも眠っておいた方が良いかもしれないよ」


 なるべく声を抑えて隣へ声をかける。


「うぅ~ん。でもなぁ。この椅子、背もたれかたいし……あのー! 窓の外見たいですー!」


 臆する事なく少女は運転席へ声を上げた。バックミラー越しにちらりと目が合う。


「駄目だ」


 一言。どこか険がこめられた温度の低さに彼女は首を竦めた。カーテンが閉め切られているのは彼なりの外への配慮なのかもしれない。完璧な大人達からすれば欠点のある子供は足手まといで目にするのも不快だったりするのだろうか。

 がさごそ。例の男の子がランドセルを開けて中に手を突っ込んでいた。

 やがて一冊のノートと鉛筆を取り出して男の子はくるりと体を捻る。後ろの席でがっくりと項垂れた彼女の頭を指先でツンツン突く。少女が顔を上げたタイミングでノートを開いた。鉛筆でページを突く。


「えっ……書けって?」


 目を丸くして首を傾げる彼女に男の子は勢いよく頭を上下に振る。

 ノートと鉛筆を彼女に押し付け、鞄の中からもう一本鉛筆を取り出した。席の上に靴のまま乗り上げようとしたので慌てて声をかける。


「脱いだ方がいいよ。靴の裏の泥がシートにつくかもしれないから」


 男の子は口をぽかんと開いたが、両方の靴を脱ぎ落してくれた。今度こそ席の上に乗り上がる。

 背もたれを邪魔そうにしながら彼女の方へずいっと体を傾け、鉛筆でノートに何か書いていく。彼女が頷いて笑みを浮かべ筆を走らせるところを見るに、ノートで会話を取っているのかもしれない。彼があの体勢にすぐ疲れてしまわなければいいけれど。

 ――ぱぁん。

 乾いた音は静かな車内には十分すぎるほど響いた。

 体感的に車を走らせてそこまで時間も過ぎていない。

 音は立て続けに何度か連続して鳴った。男の子が肩を震わせ、筆の動きを止めて辺りを窺う。「……なに?」ノートと鉛筆を手に少女が席を立った直後――車が大きく揺れた。

 整った道から外れたかのように、グネグネと左右に曲がり始め、真っ直ぐ進まなくなったのだ。たちまち一斉にパニックを起こし子供達が騒ぐ。彼女はバランスを崩して吹っ飛んできた。

 とっさに受け止めるも抱き合う形となって席に沈む。

 暫くして揺れが収まった。男が咄嗟にブレーキを踏んだのだ。


「……、大丈夫?」


 垂れ下がったカーテンのお蔭で、今自分達がどこで停まったのかも分からない。不安でいっぱいになっているかもしれない彼女へ落ち着かせるため、声をかける。


「…………」


 だが大きく騒ぐと思われた彼女は眉を寄せてじっと、カーテンの向こうを見つめて動きを止めていた。

 その彼女の後ろの方で、忙しそうに男の子がノートと鉛筆を回収してランドセルに押し込んでいる。啜り泣く声があちこちから聞こえてきた。皆、酷くショックを受けているのだ。


「……ね、何か聞こえない?」


 やがて彼女はこう返す。僕は耳を澄ませてみた。

 特に何も聞こえない。


「くそっ、どーなってんだよ……!」


 ガンッと男が拳をハンドルに叩きつける。不測の事態のようだ。やがて彼は腰を上げ、こちらを一度鋭い目で見つめた。


「いいか。お前ら、ここでじっとしてろよ。外見てすぐ戻ってくるから」


 有無を言わせない低い声で告げ、ドアを開けて外に降り立つ。

 バン、と閉められた扉。やがて静寂が降ると、子供達はもうなりふり構わず大声で泣きじゃくり始めた。

 彼女は僕の上から身を引くと、屈んだ姿勢でゆっくりと運転席へと進んでいく。「あまり動かない方が――」そう注意するも耳にすら届いていないようだ。ゆっくりと前の窓から外の様子を伺っている。男の子が真似をするように隣から顔を出して覗き込んだ。暫く二人は並んでそうしていたが、先に動いたのは彼女の方ではなく、ランドセルを背負った男の子だった。

 予兆も無しに地を蹴って、躊躇もせず扉を開いて外へ飛び出していったのだ。引き止める間さえなく。

 連れ戻すべきだ、脳が的確な指示を送ってくる。一方で何が起きているのか分からない外へ簡単に出てもいいのだろうか、大人が戻ってくるまでじっとしているべきでは? と警鐘を鳴らす。


「行こう! みんなも早く外へ! 逃げよう!」

「えっ、ちょっと……」


 結論を出す前に彼女は勢いよく僕の腕を引いた。

 転がるようにして僕は彼女と外へ出た。後ろへ首を回すと、きょとんとした顔が三つ。僕は手で『待て』の合図をして、なんとかブレーキをかけようと踏ん張る。


「だめだよ、勝手に外に出ちゃ。戻ろう。じっとするようにって、あの人も言ってたでしょ?」

 彼女の腕を掴んでなんとか引き止めようと足に力を入れる。

「いいから! ほら! 車の中にいてもきっと危ないだけだよ!」


 彼女はそれでもなお進もうと足を前に出す。顔に色がない。きっと気が動転しているのだ。あの男の子が出て行ったからだろうか。落ち着かせる必要がある。僕は息を吸った。


「それに、『逃げて!』って言ってたでしょ?」

「いや、そんなのだれも言ってなかったよ」

「嘘。聞いてなかったの? 車が揺れた時に言ってたよ! 女の人が! 逃げてって!」

「落ち着いて。車に戻ろう。きっと今パニックになってるだけだよ」

「本当に聞こえたんだって! 信じてよ!」


 ぐいっと胸倉を掴まれる。意外と気性が荒いのかもしれない。


「分かった。信じるよ。だから一旦……」

「あっ、人が来る! 逃げよう!!」


 何処に秘められているのかと疑うほどの腕力に為す術もなく引っ張られる。背後を首だけで振り返れば、赤いレインコートの彼女が遠くから何か叫びながら走ってきていた。必死になるのも無理はない。予想外の事態に相次いで子供まで行方を眩ませてしまえば、『安心安全』が嘘になってしまうのだ。


「大人を困らせちゃいけないよ」

「戻ろう。僕らだけじゃ何もできないよ」

「そもそもどこに逃げるの? 必要ないよ」


 どの言葉にも彼女が足を止めることは無かった。

 息を切らせながら、木々の間を走る。周囲は鮮やかな紅葉に彩られていた。

 やがて坂を見つけて彼女が「上がろう」と声をあげる。

 丁度、坂の途中でランドセルを背負った例の男の子がフラフラと左右に体を揺らしながらも走っていた。小高い山を登ろうとしているのだ。このままじゃ行方不明の扱いを受ける。ますます危ない。


「駄目だよ、今頃心配してる。このままじゃどこにも帰れなくなる。よっぽど今の方が危ないよ」


 腕を引っ張り、もと来た道を指す。レインコートの女性が膝に手をつきながらも、近くまでなんとか追いついてきていた。


「戻ってちゃんと謝ろう」


 あまりきつい言い方にならないよう気を配る。

 それでも彼女は厳しい顔を緩めることなく首を左右に振って、僕とは真逆の方角を指した。坂の上だ。


「上がってどうするの」

「逃げる」

「どこまで」

「家に帰れるまで!」


 口を開いたまま言葉を失った。

 まさか彼女は家に帰りたいだけでここまでの面倒を起こしたとか言わないだろうか。


「こちらへ戻ってきなさい」


 ふと女性の声が割り込んできた。


「大丈夫、危ないことはないから」


 五歩先の距離でレインコートの女性は愛想の良い完璧な笑顔を浮かべて手を差し伸べている。

 僕は女性の言葉に頷いて彼女を振り向いた。


「……戻ろう。いつか、帰れるよ」


 帰れないけど。

 教師がしたように優しい嘘を吐いて腕を引こうとし――ぐんっと、餌にかかった魚の様に引っ張られる。駄目だ、あまりに年が近すぎて効かない。

 悲鳴に近い声を上げて女性が追いかけてきた。が、坂の途中で、足を挫いたのか蹲る。今すぐにでも駆けつけたいのに彼女の力がそれを許さない。


「待って、怪我したかもしれないよ!」


 彼女は首だけで後ろを振り向き、途端に足を止めた。流石に罪悪感を覚えたに違いない。


「ほら、挫いてるかも。戻ってあげようよ」


 流れるように説得に入る。だが彼女の表情を見るに言葉は届いていない。どころか唇が青くなるほど目を見開き固まった。


「罰が当たるよっ!!」


 大声が後ろから飛んできた。怒りを超えて憎しみのような棘まで加わった声だ。振り返るとレインコートの女性は背筋が冷えるような恐ろしい形相で僕達を睨んでいた。足首を抑えているので予感は的中していたのだろう。


「悪い罰が当たるからね!!」


 もう一度同じ調子で怒鳴る。


「わぁあっ!!」


 心の底から恐怖したのだろう。心霊番組を見た時のような声を上げて、彼女は走り出す。腕を痛いほど掴まれている僕も必然的に足を繰るしかなくなった。



 ★


 歩田金子はこの肌寒い季節にそぐわない大量の汗を額に浮かべながら牛歩のごとくノロノロと進んだ。片足を引きずり、木々の間を抜けて道路に出る。幸い車が通らなかったため事なきをえたが、確実に撥ね飛ばされてもおかしくないほど女性はすっかり青褪めた顔で前進していた。金子は燃えるように暑いのに、掻く汗は吐き気を催すほど冷たいことに気付く。

 ――どう思われるだろう、やらかした。捨てられるかも。役立たず。足手まとい……。

 負の感情から湧き出るワードの数々を必死に頭を振って払いのける。それでも停まっている四台の車が目に入り、そこから聞こえてくる怒声やら慟哭を耳が拾ってしまうともう足はがくがくと震えてしまうのだった。


「残りの半分はどこに行ったんだって聞いてんだよ!! 見てただろうが!」


 桂馬が車のドアを蹴り上げて中にいる子供達を脅して泣かせている。


「まぁまぁ、知らないことは知らないだろう。泣かせる必要はないよ」

「そうだよ! 本当にお兄ちゃんってば、怒りん坊なんだから!」


 桂馬を宥めるようにして肩に手を置く角野、その隣で兄を非難する香車。


「だってどうすんだよ! どっか行っちまってんだぜ!? やべーじゃねぇか!」


 頭を掻き毟りながらボンネットに拳を振り下ろす。中の子供はギャンギャン泣き喚き、その五月蠅さに、更に苛立ちを募らせているようだ。金子の進みは更に遅くなる。


「そうだね。私の車からも一人いなくなっていたよ」

「角野さんごめんなさ~い……私のとこも、あの子が……」


 予想だにしない出来事が起こったのだ。発砲の音。直進できず咄嗟にブレーキを踏んだ。それは金子の車だけでなく、立て続けに響く同じ音のあと、前後の車も同じ状況に見舞われた。

 誰かが狙ってタイヤを撃ってきたのだ。角野が車から外に出る姿を捉えると居成兄妹が続く。金子は敢えて残った。自分も同じように外に出たところで相手は武器を手にしている。考えるだけで体は恐怖にひれ伏す。だから残ったのだ。ただ彼らが様子を探りに車から離れたすぐあと、角野の乗っていた車から一人、子供が飛び出した。

 メッシュ頭の、あの近寄りたくない目つきの悪い獰猛な――それこそ目の前で易々と夫を奪っていった醜い悪鬼のような――。

 少年の先にはボサボサ頭の女の子が走っていた。金子はそれを目の端に捉えると、外に凶器を持った狂人がいるだとかそういう恐怖は吹き飛んだ。背中から怖気の走る悪寒。彼女は急き立てられるように外を駆けた。

 あの子達は化け物だ。捕えて、何がなんでもこの世から消し去ってしまわなくてはならない。そうでもしなければまた地獄をみることになる。血飛沫と悲鳴の絶えない、死だけ転がり落ちていく綱渡りの上を歩くのはもう嫌だ。必死になって彼女は追いかけた。

 だがどれだけ足を繰ろうと、前を走る子供の足は速く、距離はどんどん切り離されるばかりだ。膝に手をつき一度でも立ち止ってしまうと彼らは木々の合間をすり抜け、その奥へ姿を消してしまう。二人の子供を見失い、途方に暮れてとにかく仲間に早く知らせなければと戻って来ると、次は桂馬の乗っていた車両の外に二人。

 お互いに腕を引き合って揉めているようだった。これ以上逃がすわけにはいかない。その一身で彼女たちを追いかけたのだが――。話を聞いている限りだと五人の子供を逃がしてしまったことになる。


(私のせいになるかもしれない――)


 今まで子供が反抗して逃げる素振りを見せるのは、錆びれた工場に連れてきたときくらいのものだった。そうだ。こんな風に外部の人間から邪魔をされるなんて――。


「金子さん! そんなにボロボロになってどうしたの!?」


 はっとして顔を上げる。香車がすぐ手前まで駆け寄ってきていたのだ。


「あ、あの、……あの、私……っ!」


 レインコートの裾を掴んで俯く。奥歯を噛んだ。


「……子供たちはどの方角に逃げたんだい?」


 角野の柔らかい声に促され金子は振り返った。


「坂を登っていったので……」


 指し示す方角には小高い山が顔を出している。桂馬は口笛を吹いた。


「馬鹿なガキ共だな。遭難してぇのかよ」

「どうします? 角野さん」


 自然と視線は一点に集う。真っ赤なローブの彼は顎に手を添えて物思いに耽っているように見えた。瞬く間に口元を緩めて黄色い瞳が嗤う。


「まあ、まずは今ここに居る子供を優先するべきだろうね。勢いで突っ込んでしまったのなら、抜け出すのに時間はかかるだろうし。……ただこの車じゃどうにもできないだろう。今から学校の人たちに相談してみるから少し待っていなさい」


 内側から名刺と共に端末を取り出し、亀のような動作で、ポチポチと電話の番号を押していく。見かねた桂馬が両方とも取り上げボタンに指を滑らせた。角野は目を瞬かせる。金子はそれを呆然と眺めた。責めの言葉を誰一人として投げつけてこないのだ。香車が一度車内に戻って、タオルを取ってきてくれた。彼らは何一つ言ってはこない。

 金子は元から自分には「足手まとい」の札が貼られていたのかもしれないと考えた。それでよっぽど焦燥感が募る。今の居場所を失いたくない。これこそ生き残ってしまった自分に出来る唯一の復讐なのだ。夫を失い生きながらにして死んだように日々を暮していた。だがどうだろう、ここに来てからは、生きている意味が見えた気がしたのだ。

 繰り返さないために、死んでしまった人達のために。その足場が不安定ではだめなのだ。金子は爪が肌に食い込むほどきつく掌を握りしめた。



 ★


 木製の小屋の前で彼女は足を止めた。

 振り返れど来た道は暗い影に覆われている。帳が下りていく。僕は緩く息を吐いて首を竦めた。静けさは夜の冷気を運んでくる。夢にも思っていない最悪な展開であるにも関わらず、頭は冷め切っていた。起こってしまったことはどうしようもない。それこそ時間を巻き戻す力があれば話は別だが。そんな都合のいい展開は本の中にしか広がっていないだろう。

 ごくりと隣で彼女は喉を鳴らす。一歩進んで小屋の扉を開こうとドアノブに手をかけた。


「まずはノックからにしない?」

「しーーっ! 誰かいるかもしれない!」


 口を手で覆われる。人が居るかもしれないからノックをすすめたのだが……。

 彼女は恐る恐る息を飲みながら扉を開く。ギキィと歪んだ音が鳴る。中から「ぎゃあぁああああ!!!」というけたたましい叫び声が上がった。

 尻込みしながら全開した途端――人影が飛びかかり彼女を押し倒した。夜闇にまぎれて正体は掴めない。地面に敷かれた彼女は悲鳴を上げて、手足をばたつかせる。悲鳴は徐々に苦しげな呻き声へと変わった。まさか首でも絞められてるんじゃないか。


「やめてください」


 なんとか彼女から引きはがそうと後ろから体に手を回す。がっしりとしていて、女性ではないことが窺える。出会い頭に首を絞めるような相手なんて僕の知っている限りだと一人ぐらいだ。


「……相手は年下の女の子だよ。そもそも首は絞めるものじゃない。離して」

「っはぁ!? 年下ぁ!?」


 案の定。恐らく髪染めをしているだろう彼は僕の腕を振り解いて、彼女から飛び退った。やっぱり薄暗いとよく分からない。小屋の中に電灯は無いのだろうか。


「明かりはないの?」


 扉に触れながら、中へ手を伸ばしてみる。


「んなのさっき来たばっかなんだから探してすらねぇよ。ってか紛らわしいんだよ手前ら!!死ね!!」

「人に向かって『死ね』って言葉は良くないと思うよ」

「はぁ!? 思ってるだけなら黙ってろや、死ね!」


 彼はどうやら吠える癖を持っているらしい。『死ね』という暴言も口癖なのだろう。

 あくまでそういう人物として受け入れるしかない。現時点では。


「で、他にも誰かいるみたいだね? さっきの悲鳴は何かな」

「ああ、そうだ! 手前らのせいでまた叫びやがったんだよ、殺すぞマジで」

「なるほど。さっきの扉の音で怖がらせちゃったってことだね」


 もう一歩進んで勢いよく息を吸ってみる。むせ返るような腐臭で満ち溢れていた。

 きっと丸眼鏡にそばかすの女の子が奥の方で膝を抱いて震えているに違いない。

 とにかく光は必要だ。朝までじっとしているわけにもいかないのだから。

 外の方から盛大な平手打ちの音と「なんでいきなり首絞めるの!? さいてー!!」という彼女の大きな声が飛んでくる。負けじとメッシュも「いってぇなバカ! 紛らわしいからだろうが殺すぞ!」と返す。早く二人を落ち着かせないといけない。というよりも周囲に人が住んでいたりしたらもっとややこしくなる。

 壁伝いに沿って、スイッチを探す。出入口にあれば助かるが、どうだろう。もし全く使われていない小屋ならば電気など通っていないかもしれない。何か漁る音が奥の方から聞こえてくる。もしかしたら女の子もまた明かりを探してくれているのかもしれない。

 そうこうしている内にパッと奥の方で光った。火だ。瓶の中で燻っているところを見るに、ランプの中に火を灯してくれたのだろうか。だが一部が仄明るくなった直後、「ひっ! なになになに!?」と女の子は焦った声を発した。

 ――ということは、明かりを灯したのは彼女ではない別の人物だ。

 女の子が怯えた様子を見せても一言も発さないところから思い浮かぶとすればランドセルの男の子ぐらいか。


「その明かり、君が思う中心に置いてくれないかな。外の二人を呼んでくるよ」


 やがてランプが浮き上がり揺れながら移動を始めると女の子は「もうやだぁあ! 帰りたい!」と嗚咽混じりに叫んだ。正体の掴めない彼女からするとポルターガイストに近い現象なのかもしれない。



 ランプを中心に、取り囲むように輪になって座る。浮き上がる顔は、やはり体育館で見た顔だった。メッシュの彼に両目が前髪で隠れた男の子、そしてワンピースの彼女。もう一人、眼鏡の女の子は隅の方で蹲っているのだろう。この輪には入ってこなかったがその匂いと鼻を啜る音で十分だった。そして僕……。計五人の問題児だ。疑問は一向に尽きそうにない。

 何故、僕はここに居るのだろうか。向かい合わせに座るメッシュの彼とワンピースの彼女は視線だけで激闘を繰り広げている。少なくとも見えないはずの火花が散っているように感じた。

 一度注目を集めて話をしなければならない。パン、と掌を合わせると視線が集った。


「それで? みんなして特に示し合せもせず、ここに集まってきたわけだけど……君達は一体これからどうしたいの?」


 あんぐりとメッシュの彼は口を開いて眉を上げ、両目の隠れた男の子は気まずそうに指を弄りながら俯く。


「とーぜん! 家に帰るんだよ。ね、みんなもそうでしょ!?」


 ワンピースの彼女だけが明るい顔で、周囲に同意を集めようと見回す。両目の隠れた男の子が二度頷いて賛同した。


「どうしたいのとか、一々なんで聞くのぉ。もう自由でいいじゃんかぁ……!」


 と奥の方から泣き叫びすぎて嗄れた女の子の声が聞こえてくる。


「……ごめん、質問を変えるよ。まず、どうして車から出たのか理由を教えてほしいな。……僕は彼女を引き止めようとした結果、引っ張られて来たんだけど」

「えっごめん……でも家に帰りたくない!?」


 ぐいっと隣の彼女に胸倉を掴まれる。


「もう起きたことだから仕方ないよ。ただ、ちょっと揺するのやめてもらってもいいかな」


 ぱっと彼女は手を離してくれた。口より先に手が出るタイプなのかな……。


「私ね、車が揺れた時に『逃げて!』って女の人の声が聞こえて、そしたら外で君と向こうの子が走ってくの見えたから、追いかけたんだよ」


 メッシュの彼と向こうの女の子を指して彼女が続く。隣でまた男の子が首を縦に振って同意を示した。


「声は置いといて……追いかけたってことだね?」

「えっ本当に聞こえたんだよ!? 信じてくれないの!?」


 彼女が信じられないとばかりに僕の顔を凝視した。嫌な汗が背後を伝う。


「信じるよ? でも僕は聞いてないからなんとも言えないんだよ」

「ん~~~まぁそれは仕方ないかなぁ。もしかして難聴?」

「難聴ではないと思うんだけど……」


 言葉を直球に投げてくるあたりオブラートに包むという事も知らなさそうだ。彼女から視線を外して、メッシュの男のほうへ向き直る。


「君はどうして車から出たの?」


 しんと静まり返る室内。メッシュは奥の方へ視線を移したあと、「言ったろ」と不貞腐れる。


「いや、まだ聞いてないんだけど……」

「いいや。言ったぜ。体育館でな」


 体育館での記憶を思い起こしても彼の発言といえば「うるせぇゴミクズ死ね」「殺すぞ」くらいだ。

 ふんと鼻を鳴らしたあと彼は不敵な笑みを浮かべて続ける。


「うるせぇから殺すって言っただろ。そしたらあのゴミクズ、俺に殺されるのが怖いからって逃げ出しやがった。俺様はちゃんと見てたんだぜ。だから追いかけてきてやったんだよ」


 一拍置いて隣の彼女が「こっわぁ!」と叫ぶ。例の男の子は微動だにしていない。もしかしたら芯はしっかりとしている方なのかも。


「私、ゴミクズじゃないし……逃げたりなんかしてないし……」


 奥の方から流れてきた呟きは蚊の鳴き声のように頼りないものだった。


「はぁ!? だったら今すぐ殺してやろうか!?」


 青筋を浮かべて男が立ち上がると、「ひぃっ!」と女の子は悲鳴を洩らす。


「とりあえず今はみんな落ち着いて。状況を整理しよう」


 メッシュの腕を掴むと勢いよく振り解かれたが、舌打ちをしながらその場に座りなおしてくれた。ぐいっと後ろから袖を掴まれて気付く。臭いは真後ろにあった。こちらに近づいてきてくれたということだろう。ワンピースの彼女とメッシュの彼の顔はあまりの臭いに引きつった顔を浮かべている。


「……私、自由になりたくて、出ただけだもん。理由ないし。別に。車嫌だっただけ」


 ぼそぼそと呟くように話す。メッシュの男を怖がっているのか、僕を盾にしたいようだ。


「教えてくれてありがとう。……衝動的に行動したのが二人、その二人を追いかけつつ、家に帰りたいと思っているのが二人ってところだね」

「君は違うの?」


 ワンピースの彼女に瞳を覗き込まれる。もう目と鼻の先に顔があった。距離感の取り方も分かっていないのかもしれない。


「まあ、国のルールなら仕方がないと思うよ。特に帰りたいとは思わないかな」

「それは俺様も同意だぜ。あんなクソみてぇな家は別にどうだっていいんだよ。なんなら燃やして壊してやりてぇわ」


 物騒すぎる発言に咳払いを一つ。本当によく六年に上がるまで消えることなく生活できたものだ。


「え~~なんで自分の家をクソとかいうの~?」


 心底理解できないといった調子で彼女は首を傾げる。男はその様子を鼻で笑い、「ま、ガキにはまだ分かんねぇよ」と心の底から馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「年齢でいうと君も子供だけどね」

「あぁ? 一々うっせぇな、手前。殺すぞ?」


 鋭い視線で睨まれてしまった。いけない、無駄に彼の癪に触れている気がする。僕は視線を中心のランプへ落として、ゆっくりと口を開く。


「両親としばらく離れて暮らすのは確かに寂しいだろうけど、先生が言ってたでしょ? 良い子にしていればすぐ帰れるって。僕らはこの山から出た後、ちゃんと大人に言って、みんなと同じ場所に連れてってもらうべきだよ。今のままじゃ法律を破っていることになるからね」


 無口な男の子の肩が落ちる。「ほーりつとか難しいのわかんないよぉ」と後ろで女の子は拗ねたように言う。


「なんでどっかの誰かが勝手に決めたルールに従ってやんなきゃなんねぇんだよ。ぶっ殺すぞ」


 もはや「ぶっ殺すぞ」の一言のために噛みついてきたとしか思えない。相変わらずの仏頂面で髪染めの少年はぼやく。


「うーん。でもそもそも、どうして私たちなのかな? なんか悪いことした覚えも全然ないんだけど」


 さも不思議そうに隣で少女は首を傾げた。洗いざらい知ってることをすべて話すのはかえって説得に失敗するだろう。不必要に怯えさせることはリスクを伴う。


「そうだね……多分。関係があるとすれば直前に受けたテストの結果なのかもしれないよ」

「テストって……あの三門のやつだよね? あれの答えだけで!? ええ~~!」


 理想としては三門全てが求められた回答なら完璧だ。二門でも、外れた回答でなければ注視されるだけで済む。だがもし二、三門回答を間違えてしまうと病舎へ移動させられる。

 調べたわけでもまして聞いたことすらないため、これはあくまで推測でしかない。だけどきっとそうだろう。だからメッシュの男は問題児として注視されるだけで今までなんとか保ってきたに違いない。


「んじゃ、あのテスト作ったやつ殺せばいいってことだな」

「それはなんの解決にもならないどころか余計に問題を増やすことになるね」


 何より言動や発想に凶暴な性格がにじみ出ているのだ。早々に移動されてもおかしくないはずなのに。きっと無意識の内に大人の求めている回答を出してきたのだろう。

 僕はどうだったろう。もしかしたら今までの試験の結果も、スレスレだったりしたのかもしれない。


「でも私、やっぱり嫌だな。このままお母さんたちと離れるの。きっと後悔するよ」


 彼女は木製の床に目を落とした後、「よし」と頷いて強い意志を宿した瞳で顔を上げた。これはマズい。脳の隅で冷や汗を掻く。彼女を諭すのはこの上なく骨を折るだろう。予感は的中。彼女は一つの提案をした。


「とにかく先生たちに認めてもらえればいいんだよ! だから、お互い悪いと思うところをちゃんとなおして、『私たち、もっといい子になります!』ってアピールすればいいんだよ!」


 彼女は両手で床を叩いて言う。底が抜けないかと心配したのは僕だけだった。


「ふざけんなよ!? なんで俺がイイ子になんか! 冗談じゃねぇ! 首絞めて殺すぞ!」


 目を真ん丸にしたかと思えば、ランプを挟んで腕を伸ばして、彼女の襟を掴むメッシュの少年。両目の見えない男の子は膝立ちとなって、どうにかメッシュの興奮をおさめようとしている。

 メッシュの剣幕に怯むことなく少女は襟を掴み返す。


「だって、こんな結果が嫌だから逃げてきたのはみんな一緒でしょ!? じゃあ君はこのまま大人のいう事聞いてよく知らない場所に行くの!?」

「はぁ!? いう事なんか聞くかよ!! 大人なんか全員ぶっ殺してやる!」


 両者は一歩も引かずに立ちあがり襟を掴み至近距離で睨み合っている。二人を静めようと男の子も立ち上がった。少女は僕の背にしがみ付きながら口を開いて息を吸う。今にも大声で泣き喚きそうで両耳を塞ごうとした直前――。


「いやあ、物騒な話してんねぇ」


 聞き覚えのない陽気な声が隣から降ってきた。

 しんと、静まる室内。襟を掴み合う二人の視線は僕の隣へ移動している。後ろで小さなしゃっくり。


「ね、俺も混ぜてよ」


 肩に腕を回され、僕は真横を向く。

 栗色の髪に、日光を受けて輝く緑葉のような瞳が僕をうつしていた。



 ★


 血生臭い。

 錆びれて古い工場の中、原形を為さない死体の山が築かれる。

 防腐処理は施してあるのだが、下の方に転がっている遺体は一目で限界が近いのだと窺えるくらいの有様だった。


「慣れないなぁ」

「やっぱり角野さんもですか。私もですよ~」


 いつの間にか呟きを拾う距離に彼女はいた。縦に何度も首を振りながら「私だって、本当は心痛むんですよ~」と続ける。自分の行いを正当化したいのだろう。きっと私の次の言葉を期待しているのだ。


「世のため人のためさ。仕方ない。私たちはなにも間違ったことなどしていないよ」


 笑みを貼りつけて頷いてやると、「そうですよね、仕方ないですよね~」と彼女は頬を緩める。

 なんて御しやすい。彼女に限らず、とかく兄妹は手懐けやすかった。顔にすぐ感情が現れるのもそうだが、この女は兄と違ってフラフラしている。ただ信じられる家族は兄だけ。両親はとっくにいない。彼についていけば独りにはならない。そうしてくっついてきて、自分より幼い人間を殺すことになっても、それが『正しい』なら問題ないと思い込む。

 私が理由をつけて「救え」やら「殺せ」などを言えばその通りにするのが居成香車だ。まるで自分を持っていない。誰より壊れているコマと呼んでも差し支えないだろう。


「くっそ、にしても全然スッキリしねぇなァ! 角野サンよォ!」


 身近にあったドラム缶に蹴りを入れながら桂馬は大切な玩具が眠るときにベッドにないと嘆く赤ん坊のように顔を歪める。


「あんのうるっさいクソガキ共、存分に嬲ってやろうと思ってたのによォ!」


 彼の言うクソガキ共というのはおそらく二人に絞られる。あの恐ろしいほど腐った臭いを纏った少女と、顔中に絆創膏を貼りつけた態度の大きな少年のことだ。


「お兄ちゃんったら、子供をいじめちゃ駄目でしょ」


 どこか曲がった返しをしながら妹は溜息を吐く。

 居成桂馬。兄の方は妹と違いぶれていない。根底にあるのは目の前で両親を奪っていった子供に対するどす黒い怒り。その一点に突き動かされている。妹とは違い、世のため人のためなどという正義感や建前の正当には興味を示さない。とにかく復讐を続けられればなんでもいいのだこの男は。

 そしてそれは、工場の隅、暗がりに飲まれかかりながら突っ立っているレインコートの女性、歩田金子にも当てはまることだろう。生き残った自分だからこそできること。使命感そのものだ。一見してわかりやすい。だから手駒に丁度良いのだ。私は内心でほくそ笑む。

 妻子を失った男性としての皮を被りながら、こうして二十年前の被害者にハンマーを握らせてやる。全て暇つぶしのためだ。この世に平等を求めるなら、私は今頃あの病気を誰にでも患わせていただろう。だが私は手を繋ぎ合って同じ目線で歩む彼らを見たいわけではない。

 今まで全くの無能として見下げられてきた奴らが、上の位でのさばってる奴らを懲らしめるところを見たいのだ。そうすれば鬱憤も晴れるというもの。さぞかしスッキリするに違いない。つまりここに居る駒が大きな顔をし始めた時に、子供へ(イー)(ヴィ)()(バー)(スト)を与えてやるのだ。

 今回、タイヤを撃たれ五人の子供を逃してしまったことは予想外の出来事にしろ、いいタイミングではある。しかし、まだ舞台は整っていない。子供にあの力を与えるには。

 私は歩田金子へ目を向ける。彼女は子供を逃がしてしまったことに大きな責任を感じているようだった。自分を足手まといとでも思ったかもしれない。なんの役にも立てていないと感じているなら、彼女は大きな顔をしているとはいえないのだ。どうにかして過信をさせるとするならば、やはり彼女に何かしら別の形で力を与えてみるべきだろうか。


「子供たちの回収は明日に回しても問題ないだろう。それより、まずは今日邪魔しに来た彼らについて、だ」


 私を中心にして集った三人へ目を向ける。一斉に曇った。こんな雲行きにのまれるのは初めてなのだ。


「つか、どういうことだよ。角野サン。あの迷彩のメスガキはよ」


 眉を顰めながら桂馬は腕を組む。迷彩のメスガキというのも……車を降りて探りを入れている最中に見つけた三人組の間に挟まって走っていた少女のことだ。勇敢ながら、手に一丁の銃を持っていたことを思い出す。背を屈めて木箱の中から拳銃を取り出して弄る。はっきりとは見ていないがこれよりは胴の長い武器だった。


「迷彩服着てて、おまけに銃は持ってるわ。普通のガキじゃねぇだろ。あれこそ脅威じゃねぇか。もしあのガキがイーヴィルバーストを発症したら……」


 そこで言葉をとぎらせ、眼鏡を正す。隣で金子は肩を震わせながらレインコートの裾を握った。


「うーん……でも本当に子供だったのかなぁ」


 香車が首を傾げて呻く。


「はぁ!? どういうことだよ。どう見たって童顔だったじゃねぇか」

「せ、背の低い……大人とか……?」


 遠慮がちに金子もフォローに入る。ますます眉を潜める桂馬の顔を見て俯いた。


「そうだね。確かに二人の言う通り、彼女は大人かもしれない」


 援護に口を開くと二人の女性は目に見えて弛緩した。


「へーへー。大人の女性ですか」


 桂馬の方でも変化に気付いたようだ。口を尖らせて後ろ首を掻く。拳銃に弾丸を装填した。押し殺した足音を優秀な耳が拾う。音を鳴らさないよう擦るようにして移動しているのだろう。普段警戒心は人一倍強い桂馬でさえ全く気付いていないのだから、よほど侵入には慣れていそうだ。

 ――まずは一人で十分。

 顔を見せた直後に撃とう。痛手となる場所を狙えれば最高だ。例えば足とか。


「あの五人の子供についてだけどね。学校の先生と警察の(かた)と話をして、捜索を手伝っていただけることになったんだよ」


 話題をそらして駒の気を引く。気付いていないふりこそ一番の誘引となるだろう。


「さすが角野さん!」


 手を合わせて笑う香車。気配の気すら感じていそうにない。


「つかなんで拳銃なんか」


 怪訝な表情を浮かべる桂馬の背後、古びた台の下から飛び出してきた。

 銃口を向けすかさず発砲。桂馬の真横を突き抜けた弾丸は脇腹に命中したようだった。

 迷彩服の少女――いや、ただの子供なら声を抑えられるはずがない。恐らく大人の女性だろう。

 脇腹に手を宛がいながら、息を殺して悲鳴の一つも上げないなんて大したものだ。

 銃口の先に目を向け、桂馬は咄嗟に傍らに転がっていたバールを拾い上げた。先端は子供の返り血で既に真っ赤だ。私は銃口を下げた。


「竜奈さん!」


 金髪の男性が駆けつけ、抱き起こす。同じく金髪でコピーしたかのように顔もそっくりそのままの男が二人を庇うようにして前に立つ。手に長くて細い銃を携えている。桂馬の掌にバールを見たのだろう。男は舌を打つと、背後へ向けて声を上げる。


「撤退するぞ! 担げ、銀!」


 銀――呼ばれた男はハッとした様子で慌てて頷くと、肩に竜奈と呼ばれる女性を担いで駆け出す。


「どっから湧きやがったこのクソネズミが!」


 憤りを隠せない様子で、桂馬はバールを床に叩きつける。まだ乾ききっていない血が跳ね返り彼の足についた。男からすれば吐き気を催すほど気の狂った連中としてうつっていることだろう。

 黒シャツにべったりとむせ返るほどの子供の血を貼りつけた男。元々真っ赤なレインコートだからか、さほど変化のないように見えるが隠しきれない頬を返り血で汚した女性。その隣、目元こそ優し気なのに黒い服を真っ赤に染め上げるほど汚した女――そしてまぁ、この老体か。


「……手前ら地獄にすらいけねぇぞ」


 引きつった笑みを浮かべながら男は汚いモノを見るような目で言い、親指を後ろに傾ける。

 先には屍体の山。


「嬉しいね。そこをわざわざ心配してくれなくてもいいのだが」


 拳銃を木箱の中に捨て、手を叩いて私は口角を上げる。


「君のお仲間も殺す気はないから足を狙ったつもりだったんだけどね。まさか出てきたのがあんなに小さな……おっと失礼」


 長い武器の尖端をこちらに向け鋭い瞳となった彼へ、両手を上げる。


「まあ、そうカッカしないでくれよ」

「それは無茶な相談だな。こちとら仲間を撃たれてる上に、こんな惨状を目にすりゃあね、職業柄でなくたって、胸にくるもんよ」


 惨状――彼の背後に積み上げられた死体の山のことだろう。まあ一般の人間であればこの惨状にゲロを吐いて気絶するか、あられもない声を上げて逃げるかぐらいのものだ。

 動じない精神を持つ、それは迷彩の服からして習性のようなものを感じる。それか、二十年前に同じものを見ているからかもしれない。まあ、どちらにしろ。邪魔をするならちと厄介だ。蚊の方がマシなぐらい。


「そこに転がる遺体の山については何ら弁解など無い。紛れもなく真実さ。ただ君の仲間を撃ったことについては、理由がある。分かるだろう? ――次があれば容赦はしない」


 一層冷えた空気に身を抱く。男は白い吐息と共に肩を竦め「さあねえ、どっちのセリフだか」と零した。


「手前!」


 堪え性のない桂馬が安い挑発に乗って、踏み出そうとする。腕を掴んで止めた。相手は長い獲物を持っている。きっと今襲いかかれば確実に撃ち抜かれるだろう。勿論その展開も面白くて好きだが、「今」じゃない。

 目論見が当たったのだろう。男は小さく舌を打つと、颯爽と駆け出し窓の外へ姿を消した。


「クソが!」


 桂馬は相当頭にきており、先刻足下においていた木箱をサッカーボールのように蹴り飛ばす。


「さすが角野さん! 追い払うのかっこよかったです!」


 目を輝かせる香車。


「……」


 何やら神妙な面持ちで、蹴り飛ばされた木箱を見つめる金子。


「さて、参ったね」


 床へ腰を落ち着ける。やはりこの底から這い上がってくるような冷たさには慣れない。身を震わせながら溜息を吐く。


「えっ、何か問題が!?」


 香車のきょとんとした顔に二度目の溜息を洩らしそうになる。


「いやね。忠告になるかと思ったけどさっきの相手の態度を見る限り一筋縄ではいかなさそうだろ? 子供のことも勿論重要だが――彼らの動向にも探りを入れて対策をしておいたほうがいいと思ってね」


 火遊びの感覚でちょっかいをかけてきた子供ならまだしも、相手は恐らく凶器を所持していても許される立場にある。それを考えるとこちらは不利だ。この工場内に残る大きな罪を目にされている以上、おそらく向こうも、『次』は容赦しないだろう。


「私たちも護身用に武器を持って外に出た方が良いだろうね。と、いっても周囲に気付かれないよう隠し持てるサイズの」

「拳銃や小型のナイフ、スタンガン……とかですかね」

「まあ、そこらへんが妥当だろうな」

「うーん。ポケットにしまえるような、ナイフ……」


 少し先まで転がった小箱を拾い上げ、香車は蓋を取った。

 逆さまにすると先刻使った拳銃の他に包丁やナイフ、鋏が転がる。


「ねぇーお兄ちゃん、私どれがいいと思う?」

「はぁ? いつも使ってんので充分だろ」


 不必要になったバールが床に捨てられる。ガランと大きく響いた。

 桂馬は特に気にせず、妹の傍らで物色を始める。

 耳を塞いだのは私と金子だけだった。


「……私、スタンガンと……傘にしておこうかな」


 控えめな声を拾う。隅の方で転がって放置されていたビニールの傘を金子は引きずる。骨は何本か歪に折れ曲がっている。開くと布から骨がはみ出た。


「確かに使いどころはありそうだ。目の付け所が良いね、金子さんは」


 彼女は心なしか目元を緩めて頭を下げた後、


「……あの、さっき。……すぐに拳銃を手離してましたけど、……撃たれたらどうするつもりだったんですか」


 やはりおどおどとした口調で尋ねてくる。


「本当に目の付け所がいいね」

「え?」


 そうか。撃たれる、か。その可能性をすっかり考えていなかった。そこに彼女は目をつけたのだ。答えは決まっている。撃たれる前に、相手と目を合わせれば解決だ。勿論彼女にこう返しはしない。魔法使いだなんてこの世界ではおとぎ話。ファンタジーに出てくる存在なのだから。信じる訳がない。


「そうだね……私は撃ってこないことに賭けていたんだよ。だって、私は相手の仲間を撃ってしまったからね。それも誤って脇腹に。ここで五人、もしくは一人を撃つにしても、とにかく事となるだろう。彼なら、まず問題を増やすより仲間の安否を優先する……と、思ったのさ」


 彼女はあんぐりと口を開いて、暫く黙った。


「……なるほど。確かに戦意を失った相手よりは重傷の仲間の方を優先しますよね」


 ローブの尖端を摘まんで、出来る限り深く下げ、顔を隠す。子供に逃げられることや外部の人間に踏み込まれることよりよっぽど誤算だ。まだ心はざわついている。



 ★


 ――良かった。

 先に覚えたのは安堵。僕の目前に、見るからに成人済みの男がいる。

 男は『キング』と名乗った。本名でないのは確かだがそんなことは気にしない。

 彼は今、メッシュの少年の背に馬乗りの状態だ。仕方ない。大人を目にして飛びかかった子供の方に非がある。メッシュのような問題児の扱いに慣れているのか平然とした顔でいる姿に心の底から賞賛を送った。これが完璧な大人の対応なのだ。


「お、重いんだよ!! さっさと退けよ、殺すぞ!」

「退かないぜ。だって殺されたくないし」


 キングは面白がるように笑みを広げて僕らをジロジロと興味深げに観察した。


「で? 大人を全員ぶっ殺すってそれどういう状況?」


 緑目が細められ、説明を促している。


「私は言ってないよ、その子が大人のいう事聞きたくないから全員殺すって。でも私も今回は普通に家に帰りたいからいう事聞きたくない」


 少女はやや興奮気味に、口を早く回す。心なしか顔も強張ってるように感じる。


「ん、ん~~? 家に帰りたいから大人のいう事は聞きたくないってこと?」


 察しが悪いのかキングは首を傾げた。いや、もしかしたら試しているのかも。

 そこで僕は手を挙げて体育館の中で告げられた法律、そこから車に乗って中途で抜け出してここまで逃げてきてしまったことを話した。その間彼は「ほお」や「ふーん」や「う~~ん?」といった具合に相槌を打ち、僕が口を閉じた後、とうとう「で? なんで家に帰っちゃいけないの?」と再び顔の角度を傾ける。

 それでも僕はまだ試しているのだと思った。自分達で気付かせようとしているに違いない。

 まさか今の世、成人を迎えている状態であの病気を知らないなんてことはないはずだ。ただここで僕が病気について話すのは良くない。

 あの体育館で先生は病気についての情報を敢えて伏せていた。それは混乱を起こさせないためだ。自分達が危険な病気に罹る恐れがある問題児だなんて告げられればショックを起こす子だって出る。特に少女のような、なんの問題も抱えていなさそうな子ほど大きな傷になるはずだ。


「いえ、それは分かりません。でも、法律を破って家に帰ると、家族に迷惑をかけることになります」


 無口な男の子の肩が分かりやすく揺れた。少女が「えっ、そ、そうなの!? でもなぁ……」と口ごもる。下敷きにされた少年は「はっ、勝手に迷惑しろや」と毒づき、僕の後ろで女の子は「ほーりつとか知らないもん!」と嗚咽混じりに怒る。

 キングは心底不思議そうな顔で「でも迷惑かけていいのが家族って俺は聞いたぜ」と僕の瞳を真っ直ぐ見据えてそう言う。やっぱり試しているに違いない。僕はすぐに首を横に振ろうとし――。


「でもお母さんたちに迷惑かけるのは嫌だよ!」


 少女に先を越されてしまった。


「うん、よし! やっぱりここにいるみんなで協力して先生にちゃんと認めてもらうしかないよ! とにかく今のままじゃダメだから知らない場所に連れていかれなきゃいけないんでしょ? だったら変わればいいんだよ!」


 越されるばかりか、彼女はめげない。大人を前にして握り拳と共に語る。


「変わるっていってすぐに変われるもんでもないぜ」


 キングはやはり笑みを浮かべながらそう返す。

 だんだん彼の意図するところが見えなくなってきた。一体どうするつもりなのだろう。事情を聞いたからには、このまま放置しておくはずがない。

 と、男は両の手を擦り合わせ、斜め上へと目を向け少し唸った。


「まあ、でも今の状況を変えたいってなら、力くらいは貸せるぜ」


 キングは目線を戻してくると、にんまりとした笑みを浮かべる。


「えっ、なに!? 力になってくれるってこと?」


 少女が前のめりになり、キングは「んとね、」と腕を組み口をもごつかせた後「ま、いっか」と小さな声で零す。


「俺、魔法使いなんだぜ」


 流れるように出てきたその一言に、場は静けさを取り戻した。


「っはぁ!?」


 空気を割るかのごとく、メッシュが素っ頓狂な声を上げ、


「えっ、ウソウソウソ!! ほんとに!?」


 と少女は飛び跳ねながらはしゃぐ。隣で根暗な男の子まで両の拳を添えて口元に笑みを浮かべている。背後に「わくわく」と書かれていても不自然ではない。

 僕は感心した。確かに高学年くらいにもなれば、そんなおとぎ話に出てきそうな登場人物など、聞いて呆れるくらいなものだが、低学年あたりの子からすると、実現してほしいと願っていた人物のお出ましだ。少しは期待もしてしまうんだろう。

 ……まあ、少女の方は僕より一つ下くらいだと思うけど。後ろの女の子はそもそもそういった絵本や童話に縁がなかったのか、沈黙を貫いている。


「えっ、でも魔法使いならホウキとか、肩に猫を乗せてたりとかしない? とんがり帽子は!?」


 矢継早に少女はキングの肩を揺すって問いかける。大人にもこの距離感、そして躊躇を知らない。キングも流石にコレには困惑していた。


「わ、分かった。落ち着け。魔法を見せればいいんだろ?」


 少女は頭を縦に何度も振りながらようやく男を解放する。キングの下でメッシュが笑う。


「どうせただの子供騙しだろ」


 キングはこれを無視して「魔法、かけられたい人~」と挙手を集う。

「無視すんな! 死ね!」と怒声が上がるも気に留めない。よほど扱いに慣れているようだ。


「はい! かけられたい!」

「…………」


 手を挙げたのは三人だった。無関心を装っていたのだろう。後ろの女の子までスッと腕を伸ばしている。何故か仏頂面で。


「ん~~~、どうしよっかなぁ」


 キングは見定めるように三人を順に見ていく。予想をするなら、きっと彼は騙しやすい一番年下の女の子を選ぶだろう。予想は的中。彼は男の子の頭をポンポンと撫でた後、人差し指をすっと女の子へ向けた。


「じゃ、今からソイツの時間だけ巻き戻すぜ。そうだなぁ。まあ、じゃあここに入ってくる前あたりで」


 ようやくキングが退いてくれたお蔭でメッシュが体を起こした。長いこと体重をかけられていたせいか少し疲れた顔をしている。

 キングは女の子の前にくると、一度こちらを振り返り、「何があってもコイツが入ってくるまでは、お口のチャックは閉めるんだぜ」と自分の口にチャックをかける仕草を取る。少女が真似をし、本当に閉まって開かない素振りを見せた。キングは女の子に向き直り、その肩に手を置いて――。

 女の子は忽然と姿を消した。

「んんっ!??」と少女は慌てふためき、男の子はそれでも無言のままで口をあんぐりと開く。メッシュなんかはお構いなしに「ああっ! はあ!? どこに隠した!?」とキングに詰め寄る。すかさずキングに口を塞がれて静かになった。直後、閉じられた扉の向こうから荒い息遣いが聞こえてくる。

 ギキィ、と歪む音と共に、ゆっくりと扉が引かれる。この音が鳴るとすぐに悲鳴を上げる少女は今ここに居ない。恐る恐る開かれた扉の向こうに女の子が顔を見せた。


「ぎゃぁあああああああああっ!! いるぅううう!!」


 女の子は暗がりの部屋の中、ランプに照らされ浮かび上がる僕らの顔に気絶せんばかりに悲鳴を上げて踵を返して逃げ出そうとする。予知でもしていたのかキングがすかさず腕を伸ばしてその後ろ襟を掴んだため、女の子は走れど前に進めない状態に陥りますますギャイギャイ騒いだ。

 ズルズルと引きずられるように部屋の中に戻されていく。男の子が扉を閉めてくれた。


「な、なななんであんなに外暗くなってるのぉお、てか誰ぇえ!? もうやだぁ! 家に帰してぇ!!」

 わんわんと泣き叫ぶ女の子。少女が身振り手振りで何かを訴えようとしている。

「あ、もうチャック外していいぜ」


 その言葉を聞くと少女は律儀にチャックを外す仕草をした。そして女の子の肩を掴んで揺さぶりながら言う。


「私たち、さっきまでここで話してたじゃん!? 覚えてない!?」


 女の子はというとぐわんぐわんと揺さぶられ首がカクカクしている。


「いや……流石にそれはやめてやれよ……」


 良心の欠片もなさそうなメッシュが口を挟むほどとにかく激しかった。

 ようやく少女から解放された女の子はというと顔面蒼白となっている。無理もない。


「ソイツの時間だけ巻き戻したんだぜ。この部屋に入って来る前までの記憶はあってもその後のことはリセットされてるんだよ」


 よしよしと頭を撫でるキング。確かにあの女の子にここまでの演技が出来るとは思えない。現に目の前で急に消えたことだって……どんな手を使えば、こんな芸当が出来るのか……。


「……おい……ってことは本当に魔法使いなのかよっ!??」


 今までの態度はどこに失せたのだろう。メッシュの瞳がとにかく輝いて眩しい。


「すごい!! すごい!! じゃあ、その力でみんな家から出て来る前まで時間を戻してもらえればいいじゃん!」


 少女が何度も繰り返しジャンプする。


「うーん。巻き戻せるのは俺が触れたものだけだぜ。確かに家から出る前までは戻せるけど」

「あ、そっかぁ。結局迷惑かけるってことは変わらないんだよね」


 眉を八の字にして少女は項垂れた。まるで子犬のようだ。


「まあ、あくまでこれは俺の力。でも俺なら、今の状況をどうにかできる力をお前たちに貸してやることが出来るんだぜ」


 得意気にキングが笑う。ごくりと生唾を同時に飲むメッシュと少女。動じない男の子と、キングの腕の中で口から魂が抜けている女の子。客観的に見ると、この状況はとにかく彼らにとっては良くても、世間にとっては非常にまずい。

 ここまでくると、一人で施設まで行き、魔法使いの話をしたり彼らが家に帰りたいという意思があると告げたところで印象は悪い上に信じてすらもらえないだろう。どこかで頭でも打ったのかと心配されるかもしれない。

 僕は今の状況をどうにかしたい。ここにいる全員のメンバーが納得できるようなやり方で穏便に終結させたい。そのためには――そっとキングに目を向ける。彼はこちらを試しているどうこうではもはやないのかもしれない。きっと恐ろしいほど無知で世間知らずだ。魔法使いが本当ならなおさら。だけど今はその力に頼るしかない。僕は頭を下げた。


「お願いします。力を貸してください。僕はこれ以上周囲に迷惑をかけたくないです」

「君は本当に家に帰りたくないんだね」


 ずいっと再確認するかのように覗き込んでくる彼女に少し後退る。


「帰りたくないわけじゃない。でも法律を破ってまで帰りたいというわけでもない。僕は国の決めたルールに従いたいんだ」


 難しい顔をしたが彼女はそれ以上踏み込んでこなかった。前に向き直ると、手を挙げて「私も力、貸してほしいです。家族に迷惑をかけずに家に帰りたい」ときっぱり言い切る。男の子も頷く。


「まぁ、確かに。コソコソするなんてぜってー嫌だ。おい、魔法使い。俺様に力を寄越せよ」


 明らかに頼む側の態度ではない。掌を向けて偉そうだ。


「ま、力を貸すのはいいけど、それには条件とルールがあるぜ。タダってわけにはいかないからな」


 キングは二本指を立てた。メッシュが眉間に皺をよせ舌打ちをする。


「まずルールは一つ。人を殺すな」

「っはぁ!? なんでだよ! 舐めた口抜かすんじゃねぇ殺すぞ!」


 と叫ぶのはメッシュの少年しかいない。少女は呆れかえり、「駄目なものは駄目なの~」と容赦のない拳を彼の腕に叩き込む。


「破ればその時点で力は没収だぜ」


 男はにんまりと有権者たる余裕の笑みを浮かべる。流石にメッシュも食い下がった。不愉快な表情のまま。

 人が人を殺すなんて事は二十年前から途絶えている。そんな夢物語を起こそうなんてよっぽど性格が捻じ曲がらない限りは考えもしないだろう。つまり髪染めの少年のような存在は表の世界では生きていくことも出来ず、隔離された環境で生涯を過ごすしかないのだ。


「条件は簡単。俺と家族になることさ」


 やはり彼の言葉の後には()が訪れる。喉の奥から出すべき言葉を失う。


「……家族、ですか? 血の繋がりも無いのに?」


 キングは真っ直ぐ視線を僕に向ける。


「血の繋がりがなくても家族にはなれるだろ?」

「……そうかもしれませんけど」

「いいぜ。オッケーオッケー。じゃ家族になってやるよ」


 反発しそうなメッシュが真っ先に手を挙げて同意を示す。僕は驚いた。彼にだって本当の家族がいるはずだ。なのに躊躇なく了承するなんて。そんなに家が嫌いなのだろうか。


「うーん。お母さんたちにどう説明しようかなぁ」


 などと言いながら少女も続く。その後に怖々と男の子も小さく手を挙げた。

 僕は悩んだ。キングは説明を聞いていたのだから、僕らに本当の家族がいることを知っていながらこの条件を提示したのだ。意図は掴めないけれど。真似事をしたいだけなのだろうか。

 ふと視線を感じて顔を上げた先でキングと目が合う。やはり何かを試しているような瞳だった。

 僕はゆっくりと目をそらさず挙手をする。キングは口元を緩めると次は目線を下げ放心状態となっている女の子へと向けた。一気に脱力する。読めなかった。やっぱり分からない。


「よう、俺と家族になろうぜ」


 緩く揺さぶっているとようやく女の子の意識は戻った。開口一番キングがそう言うと女の子は呆けてしまう。すかさず少女が女の子の肩を掴んだ。嫌な予感を覚えたのは僕だけじゃなかった。

 メッシュに至っては、両耳を塞いで全く違う方向へ目を向けており、男の子は少女を止めようとじりじりと距離を詰めている。


「ねぇ、君も家族になろうよ! 家に帰るために!」


 少女は明るい声音で呼びかけた。女の子は「えっ? な、なに? なんで?」と顔を真っ白にしている。二人の間近にいるにもかかわらず、キングはというと珍しい物を見るような目でジロジロと少女を見ているばかりで止めようともしない。


「だって君も嫌でしょ? この状況はさ!」


 はじまった。ガクガクと再び揺さぶられる体。女の子はとうとう泣きだした。


「うわぁあ~~ん!! やだぁあ!!」

「だよね! じゃあ家族になろうよ、ね!?」

「わ、わかったぁ! わかったからもうやめてよぉおお!!」


 女の子の言葉に少女はニッコリと笑顔で頷き、ようやく手を離す。なんて鬼だろう。ティアラを乗せていても違和感がなさそうだと思っていた頃の僕はとうに消えてしまっていた。ありありだ。むしろ今はツノをつけた方が落ち着く。


「あーあー、うるせぇ。どっちもぶっ殺してぇ……」


 げんなりとした表情でメッシュはぼやいた。



 驚くことにキングは末っ子を所望した。このメンバーの中で最年長でありながら一番下を選ぶだなんて。本当に何を考えているのかさっぱりだ。家族となったのだから堅苦しい話し方はしないでほしいと言われてしまい、これにも困った。家族になったとはいえ血の繋がりのない大人に対して敬語を外すなんて……。加えて彼は力と共に証として名前を与えるとも。


「言っとくが長男は俺様だ。手前ら全員俺様のいうこと聞けよ」

「嫌でーす! 私が長女やるよ!」

「はぁ? ふざけんじゃねぇ殺すぞ!」

「殺すのは駄目でーす!」

「じゃあ死ねよ!」

「死にませーん!」


 お互いに襟を掴み合い両者一歩も引かずな状態はこの小屋に来てから二度目の光景となる。

 その間キングはというと忙しなく首を回して何かを探しているようだ。

 やがて傍にまで来て小声で僕に口を開いた。


「あのさ、変なこと聞くけど、もう一人女の子いない?」

「え? ……いえ。僕の知る限りだと今いるメンバーしか見てませんけd……見てないけど。他にもいたんでs……いたの?」

「えっ? いや……別に。見てないけど。なんとなく」


 歯切れが悪い。キングは後ろ首を掻いた後、おもむろに人差し指をこちらに向けた。人を指すのは良くないことだと口を開く前に、キングは言った。僕はまたしても言葉を失う。


「お前、長男でいいよな?」

「「はあ!?」」


 二人分の驚く声が重なる。集う視線。咄嗟に返す言葉も出ない。

 確かにこの中で年長者といえば、僕とメッシュの彼くらいで、長男という立ち位置で見ると、彼より僕の方に任せたがるのも分かる気はする。だけど、そもそも最年長のキングが末っ子を所望する時点で年齢は関係ないのではないだろうか。


「えっと……なんで僕なのかな」


 慎重に言葉を選んで問いかけると、難しい顔をしてキングは唸った。


「なんでっていうか、そうだなぁ。一番落ち着いてるから?」


 栗色の髪を掻き毟りながら末っ子が後付けのように付け足し、


「っていうか、一番合うぜ。長男。なぁ?」


 と同意を彼らに求める。男の子が無言で頷き、女の子はそもそも興味を示さない。


「えー、別にいいけど。でもつまんないお兄ちゃんは嫌だよ?」


 少女は口を尖らせながら言う。メッシュはやっぱり噛み付いた。


「はぁー? そんな一々小うるさい兄とかいらねぇし! いいから黙って俺様についてこいって! つか、お前弟なら言うこと聞けよ! 殺すぞ!」


 キングはというと、ジト目になって「ふーん。でもさ、長男ってみんなを引っ張ってく、お手本のような良い子じゃないと駄目なんだぜ?」と狐のように口角を上げる。


「……、誰がイイ子になんか!」

「はい、じゃ長男は決まりー。お前は次男な」


 キングは全く悪気のない笑顔を見せる。もしかしたらすごく我儘なのかもしれない。

 メッシュは壁を蹴ったあと不貞腐れて黙り込んでしまった。



 ★


 僕のファミリーネームは『ナイト』となった。

 一人ずつキングと対面して話をし、力と名前を授かる。長男として一番に授かった力は、とにかく不思議なものだった。キングの説明によると、僕が敵だと認識した相手のいる傍にすぐ瞬間移動できるというもの。一体この力が今の状況の打開にどう役立つというのだろう。使い方次第だと彼は言った。

 まず今の僕からして敵にするべき相手がいるのだとすると、おそらくそれは彼女だ。とうの彼女は現在キングと対話をしている。戻ってきたメッシュの――いや、『ビショップ』はというと、異物を口に押し込められたような苦い顔をしていた。


「君は――いや、ええっと。ビショップはどんな力をもらったの?」


 声をかけてみるもビショップが反応を返したのは一分後となった。


「触れた生き物に、憑りつけるんだと」

「憑りつく?」

「意味分かんねぇよな、マジ。そもそもビショップってどういう意味だよ。変な名前つけやがって」


 ビショップは頭を抱える。授かった魔法が想像以上につまらないもので落ち込んでいるだけなのか、もっと他に何か言われたのだろうか。

 未だ名と力を与えられていない男の子がノートと鉛筆を手に僕とビショップの元へ寄ってきた。

 ランプの光が当たるようにしながら見せてくる。ナイトとビショップ。チェスの駒の絵だ。


「そうだね、チェスの駒だね」

「チェスの駒?」


 僕の声に顔を上げたビショップが男の子の差し出したノートに目を向ける。


「ビショップはチェスでいうと僧侶。キングは騎士だよ」


 ここに実物があれば、色々と説明してあげられるのだけど。

 確かナイトは、他の駒があっても構わず飛び越して前後左右に移動できる。

 ただ、味方の駒のある位置には移動が出来なかったはずだ。

 ビショップも同じく味方の前では立ち止らざるを得ない駒だが斜めならどこまででも移動が出来るので優れている。

 ただこれを口で説明するよりは実際に動かす方が早い。

 男の子はまたノートを広げた。剣を持った人物がドレスを着た女の子の横に立っている絵だ。

 口元を綻ばせて自慢気に見える。


「絵、上手いね」


 実直な感想を述べると男の子は慌てて首を左右に振って、剣を手にした人物を指して、僕を見た。


「それが手前なんだろ」


 ビショップが先に読み取ると、男の子は嬉しそうに何度も首を縦に振る。

 騎士は守り手。隣にティアラを乗せたお姫様。いやいやまさか。


「なんの話してるの!?」


 僕と男の子の間にずいっと遠慮なく割り込んでくる少女。少し赤く染まった頬から上機嫌なのだと分かる。


「あのねあのね、聞いて! 私すごい力もらったの!」


 背後で花開くかのように無邪気にはにかむ少女。額に青筋を浮かべるビショップ。ノートをそっと閉じると逃げるようにキングの元へ向かう男の子。


「あのね、普通の人よりすごく速くなれる力だよ! 身体能力が上がるんだって!」

「逃げ足が早くなるってだけじゃねぇかよ」

「えー、じゃあ試してみようか?」


 とにかく彼女は口より先に体が動くタイプだった。両手を打ち鳴らすとパッと姿を消す。


「どーん!」


 背中から突き飛ばされて地面に倒れる。普通に痛い。


「どう? 見えた? 今の動き。軽く二人の周りを二週くらいしたんだけど」

「…………」


 ビショップが口を開いたまま固まってしまった。必死に目で追おうとしていたのかもしれない。僕にはまず姿すら見えなかった。それほど高速で動いていたという事なのだろうか。


「ず、ずりぃぞ手前! なんだよその力! ずりぃ!」

「ずるくないよ! あっそうだ、君、名前は何? 私クイーンだよ!」


『クイーン』……縦、横、斜めに何マスでも移動ができる駒。初心者はとにかくこの駒に頼りやすい。とにかく優秀なのだ。なるほど、確かに動きは速い。その力が相手に渡ってしまうなんてつくづく不運だ。

 クイーンはおそらくチェスを知らないのだろう。ビショップの名前を聞いてもストレートに「変な名前」と笑い、僧侶の怒りを買った。クイーンはもはや鬼の角を持つ女王だ。ティアラなどとっくに落として失くしているに違いない。

 男の子がノートを開きながら戻ってきた。


【名前→ ポーン 周りにいる人を五分間ねむらせる。 プロモーション。 みんなを信じる じぶんも信じる】


 メモ書きのようだ。歩兵を表す『ポーン』。この駒は非常に特殊だ。将棋の歩と違い、最初は二マス進ませることができる。一説では少しでも早くゲームを進めるためとか。相手の駒と真正面に対峙すると動けなくなるのだが、斜め前に敵の駒があった場合は取ってしまえる。

 そしてポーンの一番の強みはやはり、相手の陣地に踏み込んで最奥へ特攻してしまえば、他の駒と同じ力を扱えるようになるという点だ。これをプロモーションという。

 キングはおそらくそのことについて言っていたのだろうが、その後に続く『みんなを信じる じぶんも信じる』はよく分からない。それもキングに言われたのか、はたまたは自身でそう決意したのか定かでない。

 女の子の手を引いてキングが奥の方から姿を見せた。女の子は風船ガムを膨らませる勢いでむくれている。名前は聞かなくてもここまで駒が揃うと分かってしまう。彼女の名前はきっと『ルーク』に違いない。

 チェスでいうと、王と女王の城、または王の最終兵器の戦車ともいえるだろう。縦と横に何マスでも移動することが出来る駒。動かさないでおくと、キングがピンチに陥った時、安全な場所へ移動させることが可能だ。王の最終手段のようなものだろう。

 キャスリングというのだが、ポーンの時の説明でプロモーションの名前を出している以上、きっとルークにも説明しているに違いない。理解できているかは別として。


「力は与えた。使い方はお前たち次第だ。俺はここで見守らせてもらうぜ、末っ子らしくな」


 ここから先は傍観するようで、キングは肘をついて寝転がった。ビショップは今にも殴りかかりそうな勢いで顔を真っ赤にしている。


「とにかく、これからのこと話し合おう!」


 クイーンは気付いていない様子で拳を元気よく天に掲げる。「おー」と続くような子はこの場にいなかった。


「そうだね」


 あまりに寂しく思ったので相槌を打つ。まずは相手の調子に合わせよう。きっとその作戦に詰まるときがくれば、すんなり説得して諦めさせることもできるだろう。今は合わせておくべきだ。


「まずはやっぱり改めて自己紹介とかしようよ!」


 床を軋ませながら立ち上がり、彼女は胸に手を当て、息を吸った。


「私はクイーン! 五年生で! えっとね目にも止まらない速さで動ける力を貰いました!」


 いち早く自慢がしたかったのかもしれない。なんだかとってもご満悦な表情で胸を張るクイーンにビショップの顔は更に不機嫌となる。なのにクイーンは続きをビショップへと促すのだ。


「……ビショップ。いいか、俺様が一番年上なんだから全員言うこと聞けよ。……以上」

「えー!? どんな力貰ったのか教えてよ~!!」


 しつこくせがむ彼女に口を閉ざしながら面倒臭そうに周囲へ目を向けるビショップ。一応僕も同い年だけど……とは流石に言わない。きっと一番上の立場だと言いたいのだろうから。あまり癪に障っても後々面倒になるだけだ。

 どれだけ腕を揺すっても教えてもらえなかったためか、盛大に溜息を吐きながら、「じゃあ次」とクイーンはポーンへ視線を移した。ポーンは待機していたのか、すぐにノートをこちらへ向ける。


【ポーン。四年生。力は、まわりにいる人を五分間ねむらせることと、プロモーションだよ。よろしくね】


 一文として書かれた字は、とても見やすく端整な字だった。


「へー、四年生なんだ! ねぇねぇ、ずっと思ってたんだけどなんでノートに書くの? 口で話したりしないの?」

「いや、そこは突っ込まないほうがいいと思うよ」


 ずかずかと遠慮なく踏み込もうとする彼女に注意を促す。ポーンは気まずそうに俯いて小さくなってしまった。


「えっ、え? あ、聞かれたくないことだった? ごめんね!」


 クイーンは慌てて両手を合わせて頭を下げる。悪意がないと見ていてはっきり分かるからこそ、きっと対応を難しく感じるのだ。


【気にしないで】


 再び上がったノートに短く書かれた一言と口元の笑みを見てクイーンは安堵の溜息を吐いた。


「ルーク……三年生。なんか、みんなの帰る家なんだって。よく分かんないけど。みんなが何して、何を話してるのか。私には全部見えるって。だからヒミツはつくれないよ」


 次に目を向けられたルークはというと、少し怒った調子で早口に述べる。簡潔に述べられた言葉の中で少女の力がどんなものなのかを特定することは難しかった。仲間の行動を観察したりマークすることができる、ということだろうか。

 ルークの紹介が終わった途端、ビショップはばたりと床に寝転がった。気を失ったかのように、瞳を閉じて寝息をたてている。思えば怒涛の一日だった。疲労がピークに達したのだろう。無理もない。


「えー。これからのこと話さなきゃいけないし、長男の自己紹介まだなのに~」


 クイーンは膨れて、ビショップを起こそうと近付く。


「いや、起こすのはやめてあげよう。今日話し合ったこと、そして自己紹介くらいは僕から彼にちゃんと伝えておくから」

「うーん。まぁそれならいいけど……!?」


 僕の言葉にクイーンが動きを止めた時だ。彼女の腕に鼠が一匹噛み付いた。


「いったぁ!? 何!? ネズミ!?」


 クイーンは慌てて鼠の尻尾を掴んだ。ぶら下がる鼠。死んだふりをして逃げるチャンスを窺うだろう。その予想は外れた。大人しくするどころか余計に暴れる。あまりに激しい動きにクイーンは慌てて手放す。床に着地した鼠は逃げるかと思えば、またクイーンの腕をのぼって今度はその肩に歯を突き立てようとした。


「――なるほどね」


 ようやく合点がいった僕は鼠の背を指でつまんで彼女の肩から取り上げる。自身の掌の上にそっと降ろしてやった。


「そのネズミ暴れん坊だよ」

「うん……多分これ、ビショップだよ」

「うん…………ん?」


 クイーンは瞳を丸くして僕を見る。僕は鼠に視線を下して問いかけた。


「ビショップだよね?」

『ちげぇし、殺すぞ』


 ――普通に声まで聞こえてしまった。

 耳にしたのは僕だけじゃないかどうか、そっとクイーンの様子を伺う。口をぽっかり開けたまんま鼠を凝視していた。


「えっ、今の声。ネズミから?」

「いやああ!」


 ルークが立ち上がって奥の方へ逃げる。蹲って嗚咽混じりに「ネズミになりたくないぃ!」と叫ぶ。


「いや、大丈夫だよ。多分この力、ビショップにしか使えないと思う」

「えっ、ネズミになれる力だったの!?」

「ごめん、そうじゃないんだけど」

『は? 手前ら殺すぞ』


 ビショップはというと鼠になっても結局同じ言葉しか繰り返さないようだ。


「僕とポーンに教えてくれたんだ。触れた生き物に憑りつける力なんだって」


 視線をポーンに向ければ、二、三回頷いている。今思い出したように。


「えー! すごいじゃん! じゃあ私に憑りついてみてよ!」


 クイーンは瞳を好奇心で揺らしながら(ビショップ)の額を指で撫でる。

 暴れん坊の鼠はというとすかさずその指に噛みついた。クイーンの小さな悲鳴が上がる。


『家族は無理なんだよ。おら、さっさと紹介終わらせろ』


 鼠に急かされる日がくるとは思わなかった。


「僕はナイト。彼と同じく六年生だよ。力は……えっと。敵だと思った人の傍へ瞬間移動できるって感じかな」

「敵って、大人?」


 クイーンの質問に首を振って否定する。


「いや、僕は大人を敵として見ていないから違う。それにそんな目で誰かを見たことなんかないよ」


 さりげなく嘘を吐く。今の状況で僕の一番の敵は彼女だ。最初に心を折るのは無理そうだから周囲から先に諦めさせていくしかないだろう。


「じゃあ難しい力なんだね」


 クイーンは端的な感想を述べて、僕から視線を逸らしてパンと手を叩いた。


「これからのことだけど! やっぱり私はお互いの悪いところをなおして、大人のひとたちに認めてもらうのが一番だと思う! から! 今からお互いの悪いところを言い合ってなおしていこう!」


 周囲の空気が一変して重く変わる。だがクイーンは気付いていないようだ。


「じゃあ、まず私が言うね! えっと、まず君はつまんない!」


 人を指すのは良くないと注意したからか、クイーンは僕の肩に手を置き言う。


「で、君は性格が悪い!」


 掌の上にいる鼠を覗き込んで。鼠は勿論、臆することなく飛び上がり頭突きのようなものをかました。が、擦る程度で彼女は大して痛がっていないようだ。


「それから君、えっとルークは臭い! 汚い! あとうるさい!」


 容赦のない言葉にルークは口をぽっかり開けて固まる。


「ポーンは……えーーっと……うーん……暗い!」


 ばさっ。ポーンは持っていたノートと鉛筆を床に落とした。よほどショックを受けたのだろう。

 確かにクイーンの言う通り。ポーンは前髪で両目を隠し、その上一言も喋らないから暗いという印象を受ける。ルークは生ゴミの腐ったような臭いを充満させ、上下のジャージも所々泥まみれで、あと泣きだすと耳に堪える。ビショップは口が悪く、大人と間違えたとはいえ、すぐに首を絞めたりする点を考えると災いの元になりかねない。

 だがこのクイーンは僕と同じく全く自分の欠点には盲目なのだ。

 クイーンは言い切ったぞとばかりに腰に手を当てたあと、


「次はみんなが言う番だよ。私に悪いところがあったら頑張ってなおすから、教えてね」


 笑顔で言うのだから、余計に注意をする側は躊躇する。ストレートに告げると大きなショックになるだろうし、かといって、クイーンの場合は真っ直ぐ伝えないと届かないかもしれない。遠回しな発言は、頷いてはくれど絶対に理解しない気がする。

 と、アレコレ配慮を配っていたのは僕だけだった。


『手前が一番性格悪いんだよ、死ね!』

「別に臭くても汚くてもうるさくてもいいもん! おまえが一番うるさいの! 嫌い!」


 足を床に何度も下してドンドン鳴らしながらルークがビショップに続いて叫ぶ。

 ポーンはというと、あまりにショックだったのか肩を落として俯いている。


「ええっ、なんでなんでなんで!? 嫌いにならないで!? えっ、私うるさい!? ごめん! なおす! で、でも性格悪いってのは絶対違うでしょ!」


 クイーンは狼狽し、『いいや絶対手前はいじめっ子だ!』と鼠は鳴いた。


「いじめたりなんかしないもん! ねぇ、ナイトは!? 私、いじめっ子じゃないよね!?」


 慌てた調子でクイーンに襟を掴まれる。このままではルークの二の舞だ。


「とりあえず一旦みんな落ち着いて。クイーンも。話すから襟を掴むのはやめてほしいな」

「ご、ごめん……」


 萎れた様子でクイーンは手を離した。自分の事はやっぱり他人の目になってみないと分からないのだから動揺してしまうのも当然だ。やっぱり注意するにしても少しオブラートに包むべきだろう。


「クイーンにはブレーキがないところが欠点だと僕は思うよ」

「ブ、ブレーキ?」

「そう。青信号の間、車はちゃんと止まって、みんなが道路を渡りきるのを待っていてあげなきゃいけない。車は止まるときにはブレーキを、進む時にはアクセルを踏むんだ。ところが君の場合は、青信号でもブレーキがないからアクセルを踏み続けるしかないんだ。でも、青信号で車が止まらなかったら……事故になるよね」


 想像しやすいように身近にあるもので説明をする。クイーンは口を「あ」の形にしたまま聞いていたがその内顔を青くした。


「わ、私人を轢いたりとかしないよ! そんな……ちゃんと止まれるよ……」

『てかなんで車に例えるんだよ。ハッキリ言えばいいだろ。空気読まない、遠慮がない、強引な女って』


 ビショップも相当空気を読んでくれない。現に今、柔らかく、且つ分かりやすく伝えようとしていた僕の慎重さを打ち砕いたのだから。


「…………」


 クイーンは俯いて黙った。僕の例えも良くなかったのかもしれない。少し罪悪感を覚えていると、彼女は「うん、そうだね……空気読まないとか、遠慮がないとかは、よく言われてた気がする」とゆっくり顔を上げた。


「自分に嘘をつけないというか、我慢が出来ないというか。口も軽くて、言わないでねって秘密を黙ってられなくてすぐ言っちゃうし。そういうところで悪い子って思われたのかも……」

「それに今は、勢いだとしてもこんな状況になってるわけだし……不安とかいろんな感情で我慢が出来てないんじゃないかな」


 フォローするように言葉を選んで返す。鼠はズボンのポケットの中に軽く押し込んでおいた。何か言っているのは分かるがくぐもって聞こえない。


「う、うん……。でもみんな、嫌な気持ちにさせてたならごめん……頑張ってなおすよ」


 本気で沈んでいるようだ。溜息を吐く彼女にポーンがノートを見せた。


【だいじょうぶ。みんなで、なおそうね】


 綺麗な一文。完璧な励まし方だ。ルークは泣いたり怒ったりで疲れたのか、既に大の字に四肢を広げてすやすやと寝息を立てている。とにかく一度休んで、明日起きてから色々考えようという結論に至った。鼠から元の姿に戻ったビショップに遠慮なく殴られ、頬の痛みと格闘しながら眠りにつく。脳裏には『つまらない』の五文字が貼りついていた。

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