未収の芽を摘む
東氏の助力がまったく期待できない今の環境では、私の未収金回収業務は孤独な戦いであることが多いのですが、患者や家族はもちろんのこと、親戚に連絡を取り、国保の窓口や福祉事務所、保健所といった役所の各種窓口に相談し、健保組合、ときには保険会社など、必要に迫られて多くの人を巻き込んでいくうちに、思わぬ味方を得ることがあります。
胃癌の手術のために外科に入院した小野村寿伸さん、61歳は決して自暴自棄になるでもなく、まるで病気も治療も自分のことという認識がないかのような、糠に釘の人物でした。
未収金患者をタイプ別に分類するとこの種の人は意外と多く、事情を聞いていると以下のような共通点で結ばれます。
①結婚歴はあるが遠い昔に離婚している。
②離婚の原因は多くの場合、無駄遣いやギャンブル、借金など、金銭感覚のルーズさにある。
③別れた妻は無論のこと、子供とも疎遠または絶縁状態。
④なぜか内縁関係の人がいることが少なくない。
⑤仕事も長くは続かず、職を転々としている。
⑥したがって預貯金もない。
⑦借金はある。
⑧最悪の場合、健康保険にも加入していない。
小野村さんは健保にこそ加入していましたが、その他の多くに該当する人でした。愛想は良く、こちらの話を「はいはい」と頷いて聞いていますが、待っていても何もしません。人生につまずいているうちに、その原因が何なのかを含め、ものを考えることをやめてしまった。そんなタイプと分析しています。
この人との関わりは以下のように始まりました。
限度額適用認定証という、自己負担額を一定の上限額で打ち止めにする証を申請しておくよう、入院予約の際に受付職員から案内しておいたにも関わらず、それをせずに入院した。これが第一報でした。この時点で未収の臭いが鼻をくすぐります。手術を受けて約一ヶ月入院する予定の人でしたので、そのままにしておいたら3割負担額がすぐに数十万円になります。未収になるとは限りませんが、なってからでは手がかかります。異臭を嗅ぎ分けて、水際で防ぐのが有効であることを私は経験から学んでいました。私は小野村さんの入院の翌日に病室を訪ねました。逃げも隠れもできない入院中の患者を急襲です。そして限度額適用認定証の申請の仲介を申し出ました。
6床室の一番手前の左側が小野村さんのベッドであることを病棟の看護師に確認し、カーテンの外から声をかけました。さすがに一瞬、狐につままれたような表情を見せましたが、用件を伝えると体裁悪そうに苦笑して、
「すみませんねぇ。仕事を休めなくて、手続きに行く時間が取れなかったもので」
と取ってつけたような言い訳を口にしました。払えない言い訳、約束を守らない言い訳など、いちいち取り合わず聞き流します。
「それでは小野村さんの加入健保から申請用紙を取り寄せ次第、お持ちしますね。必要な箇所はこちらで記載しますので、ご署名とご捺印だけお願いします。ご印鑑はお持ちになっていますか?」
小野村さんは「持ってます、持ってます」と言って、古くさいナイロンバッグから三文判を取り出して見せました。百円で買えそうなプラスチック製でしたが、ありさえすれば十分です。
「ところで限度額適用認定証が交付されたあとの自己負担額はすぐにお支払いいただけますか?」
「いやあ、生活するだけで精一杯ですからねぇ。毎月5,000円ずつぐらいでも良いですか?」
やっぱり…。
これで気合いと危機感が高まりました。何としても患者負担を初めから圧縮しておかなければなりません。
いったん事務室に戻るとインターネットで申請用紙をダウンロードして、病室に取って返します。こんなに早く戻って来るとは思わず面喰っている小野村さんに考える暇も与えず、署名捺印をさせました。未収患者に心の準備などさせません。まだこの時点では未収予備軍ではありますが。
生年月日や住所、入院日や入院予定期間は私が代筆し、病院職員が手続き代行した旨を一筆書き入れ、返信用封筒を入れて、その日のうちに投函しました。これでまずは一安心です。
ところが数日後、小野村さんの加入する協会ケンポの南埼玉支部から私に電話が入りました。
「南埼玉支部の大野と申します。当支部の加入者の手続きを代行して下さって、ありがとうございました。書類は確かにいただいたのですが、小野村寿伸さんは昨年の所得申告をしていないので、限度額の区分を決定できません。区分アでよろしければ、このまま受理しますが、どうされますか?」
自己負担の限度額は前の年の所得額で決められます。収入の多い順にア、イ、ウ、エ、オの5段階に分けられ、窓口負担額の上限も月252,600円から35,400円までの5段階に細分されます。平均的な所得の人ならウに当たり、月々の窓口負担の上限は80,100円です。
小野村さんの勤め先は『㈲安心ガード』と記されていましたが、本人に聞いたところ、職種は警備員だそうです。とすると失礼ながら良いところウだと思います。出来高賃金だとすれば、エかオであっても不思議はありません。南埼玉支部の大野さんの言った「区分アでよろしければ」とは、所得額が不明では支払い限度額を最上位に設定せざるを得ない、という意味です。もちろん、よろしいはずがありません。
ふう、とため息が出ましたが、この程度のことは珍しくありません。所得申告をしていないのなら、させるまでです。
所得申告をしていないということは、該当期間に源泉徴収されていなかったことを意味します。したがって住民登録されている自治体に申告して課税証明書を発行してもらい、それを南埼玉支部に送付して、正しい区分の限度額適用認定証を発行してもらう、という手順を踏む必要があります。
所得申告など、言うまでもなく本来は患者自身がすることであり、それ以前に普通なら遡り手続きなどしなくても期日までに済ませてあるものです。
でもそんな常識は未収患者には通じません。この手の半分世捨て人のような人たちは、尻を叩いてもなかなか動きません。患者に任せて虚しくもどかしい時間を待っているより、仲介の労を仕事と割り切って手続きを代行する方がはるかに早く確実です。いったん退院されてしまうと尻を叩こうにも手が届きません。電話連絡さえ一苦労することになる前に、患者自身が人質として入院している間にできることをやっておく方が結局は手間が少なく済みます。
私は三度病室を訪れ、小野村さんに昨年一月一日時点での住民票の所在地を尋ねました。住民税は元日に住民登録されている自治体に徴収されるからです。
「ええと、去年の正月はもう南埼玉市に移っていたかな?まだ北総市にいたかも知れませんね。どっちだったかな?へへ」
手術を終えて感染予防の点滴も外れ、経過観察中だった小野村さんは他人事のようにそう答えました。と言うより、まともな答えになっていません。
そうです。自分の住所地さえも曖昧な人がいるのです。でも呆れる暇も惜しんで市役所に問い合わせます。
個人情報保護法が施行されたばかりの頃は自治体も実際の運用がどこまで許容されるのか、合法と違法の境目がどこにあるのか判断に苦しんだらしく、それ以前なら電話口で簡単に答えてくれたような質問にも、個人情報保護を理由にいたずらに遊びのない対応をするようになりました。震災のあとの計画停電のように明らかにやり過ぎと言えるものでした。
でもさすがに四角四面な対応では双方手詰まりになり、結果として住民の不利益になることもあるため、やがて裁量を広げて、折り返しの電話で回答してくれるようになりました。
南埼玉市に問い合わせたところ、昨年の元日には同市に住民登録がありました。あったのは幸いでした。自治体が調査して居住実態がないと判断すると、職権で住民登録を抹消している場合もあるからです。そうなると届を出そうにも出す先がなくなります。
南埼玉市から住民税の申告書類を送ってもらい、2日後に手許に届くと、小野村さんのベッドに直行しました。小野村さんも慣れたと見えて、「ご苦労さまです」とへらへら笑って私を迎えます。まるで入院中の退屈や寂しさを紛らわせるために、私の仕事に協力してくれているかのようです。
市民税申告書を広げ、昨年一年間の収入を記す必要を説明しました。給与証明や給与明細があればコピーを添付すること、と書かれていたため、聞くだけ無駄と知りつつ聞くと、やっぱり無駄に終わりました。去年は別の会社にいて日払いの賃金をもらっていた、とのことでした。
こういう人のために月々の収入を手書き申告する欄もあるため、おおよその収入を尋ねましたが、こういう人だからこそ覚えているはずもありません。その場合はどうするかと言うと、1月10万円、2月8万円、…と適当な金額を書き入れていくのです。
適当と言っても、ある計算は欠かせません。年収が100万円を超えないようにすることです。住民税が非課税になり、自己負担の限度額を最下位にするためです。
適当な数字、つまり嘘なのですが、事実が分からず、嘘と証明する手段もない以上、都合の良い数字を書く以外にありません。
「これで南埼玉市に手続きしますが、よろしいですね」
と本人の意思を確認し、署名と捺印をさせ、その日のうちに南埼玉市役所に郵送しました。事前に聞いていたところでは、申告書類を受理したのち約一週間で住民税の課税非課税証明書を発行できる、とのことでした。その間は待つしかありません。
続出する未収案件の対応で一週間はすぐに経ちました。南埼玉市役所の市民税課に電話して、すでに発行可能であることを確認すると、その日の午後に市役所に向かいました。もちろん手ぶらで行っても市民に関する書類を発行してくれるはずはありません。市役所の担当者に有体に尋ねて、患者の委任状と窓口来訪者の身分証明書があれば発行する旨をあらかじめ聞いていましたので、小野村さんに書かせた委任状を携えて行きました。保険証のコピーと割り印させておいたので証拠能力としては十分なはずです。
果たして証明書は発行されました。『非課税』の三文字が輝いて見えました。すでに時刻は夕方でした。大きな一歩を詰めた満足で、その日は病院に戻らず直帰しました。
翌朝、協会ケンポ南埼玉支部の大野さんに勇んで電話を入れました。
「大変遅れてしまいましたが、非課税証明書を取得しましたので、過日の申請書類と併せて、あらためて限度額適用認定証の手続きをお願いします」
ところが「確認します」と言って、いったん保留にした電話から聞いた大野さんの答えは「これで患者請求額、すなわち未収額を最少に抑えられる」という私の嬉々とした思いに水を浴びせるものでした。
「申し訳ありません。先日の書類は仮の受理をした形で、所得の証明書待ちにしていたのですが、すでに月が変わってしまったので、今からではもう限度額適用認定証の手続きはお受けできなくなってしまいました」
「ええ!?急いで所得申告をさせますってお伝えしたじゃありませんか」
「申し訳ありません。こちらの手違いでご迷惑をおかけします」
「月が変わったと言っても、まだ3日しか経っていないのですから何とかしていただけないのですか?」
「申し訳ありません。こちらもあくまで出先機関なので、本部のシステムが締め切られてしまうと、こちらの裁量では動かせないんです」
協会ケンポの前身は、年金記録の不祥事があった社会保険庁の地方支分部局です。健康保険部門だけを切り離して新生したのですが、組織や名前を変えても半ばお役所仕事の体質は変わっていないということです。憤懣は癒えませんが言い争ったところで得るものはありません。
そして、うまくいかないときはうまくいかないもので、この日に小野村さんの退院が決まり、2ヶ月にまたがって、89万9,820円の請求が確定してしまいました。まともに3割負担の金額です。水際作戦は失敗に終わりました。
がくっと肩を落とし、退院手続きに来て支払い誓約書を書く小野村さんを恨みがましく見つめながら、次の2点をしつこく念押ししました。
①高額療養費貸付金の委任払い手続きを速やかに行うこと
②電話連絡には必ず応じること
高額療養費とは本来は支払いを済ませたあとで健保組合や市区町村国保から支給されるものですが、ほとんどの保険者には、支払いを済ませようにも払うお金を用意できない被保険者(加入者)のために、医療機関の支払いに充てるための貸付金というかたちで高額療養費を先に支給する制度があります。
ただし、これは医療機関にとって危険と背中合わせで、そもそも医療費の支払いさえできない患者は貸付金というまとまったお金を手にすると、滞納していた家賃や公共料金、個人的な借金の返済などに充ててしまうことが少なくないからです。お産の出産育児一時金と同じです。
貸付金の委任払いとは、この貸付金を医療機関に直接振り込んでもらう制度です。患者に代わって代理受領するという建前になります。間違っても小野村さんの手に渡すわけにはいきません。
「非課税証明書は私から協会ケンポに郵送しておきます。委任払いの手続きはとにかく早めにお願いします。よろしいですね、よろしいですね!」
と我ながらくどい調子で求めると小野村さんは、
「ええ、分かりました。明日にでも手続きに行って来ます。手続きが済んだらご連絡しますので。必ずしますから」
と笑顔で約束しましたが、案の定、翌日も翌々日も連絡はありませんでした。
十分に予想していた展開でしたので、うろたえはしません。要はふつうの未収案件になっただけです。未収案件のほとんどは退院後に支払い期限を守らないところから始まります。顔も知らない患者たちに督促の連絡から始めるのと比べれば、すでに道筋をつけてあるだけ、まだましと言えます。
小野村さんの携帯に電話しましたが応答がありません。まずは折り返してほしいと留守録しましたが、それでも連絡はありません。これを数日繰り返しました。定石では次に手紙を書くのですが、約束を守らず電話にも出ない小野村さんが、手紙を読んで返事をくれるとは到底期待できないため、すぐさま自宅訪問に切り替えます。
患者の代わりに東氏の尻を叩いて、自宅訪問に同行させます。『吉村荘』と書かれた住所からアパートであることは想像できますが、どんな場所のどんな家か分からない以上、さすがに一人で行く勇気はありません。東氏は私の身を案ずるのではなく、私一人を行かせて何かあったときの責任回避のために止むなくついて来るのです。
今の仕事を担当して患者宅を訪ねるようになってからと言うもの、私用で町を歩いていても、貧しい家屋に自然と目が向く癖がついてしまいました。以前なら視界に入っても意識せずにいたような、古くて貧相な家屋が今でも意外と少なくないのです。そして連想するのです。「この家の人が入院したらお金を払えないだろうな。いやだなあ」と。
こうした家の住人は当然お金に余裕がありません。健康管理にお金を使えないばかりか気を使うゆとりさえなく、体を壊せばますます収入の口がなくなります。負の連鎖を一人で体現しているようなものです。平成に入って二度の大不況を経験したとは言え、このような生活をしている人が現代にまだ数多くいると知ったことは、良く捉えれば貴重な社会勉強になったと言えます。
さて患者の住所、南埼玉市中村郷2922ノ232には吉村という一軒家と棟続きのアパートがありました。一軒家も決して新しくはありませんが、吉村荘の方は戦後のモノクロ映画に出てきそうな古びた板壁の木造家屋でした。
開け放したガラスの格子戸をくぐると下駄箱があり、粗末なスニーカーやサンダルが何足か置かれていました。住人がいるということです。扉も仕切りもない下駄箱でした。盗る人もいなければ盗られる心配もないということでしょう。
「ごめん下さぁい」と奥に声をかけましたが返事はありません。床は板が反り返って、気をつけないと怪我をしそうでしたが、幸いにして不衛生ではなかったため、私と東氏も靴を脱いでお邪魔することにしました。
入院時の書類には小野村さんの居室は『210号』と記されていましたが、どう見ても二階に10室も部屋はありません。古民家のような急勾配の階段を登り二階に上がってみましたが、木製の引き戸が4枚並んでいるだけでした。一階の間取りも似たようなものです。どう数えれば『210』と命名できるのか想像もつきません。
ある一室の引き戸が開いていました。のぞいて見ると四畳半の和室に布団がたたんで積まれていました。部屋の隅には、何と伸縮アンテナの付いた小型のブラウン管テレビが直置きされていました。いったいどこの星の電波を捉えるのでしょう。
一階の突き当たりに共同のトイレがありました。さすがに汲み取りではないでしょうが、ウォシュレット付きの洋式便器があるとも思えません。扉の脇に小さな手洗いがありました。古い公園かどこかで見たことのある、吐水口に水の開閉をするツマミが付いた蛇口でした。
「こういうのを衛生水栓って言うんだよ。わしも久しぶりに見たけど、まだあるんだなぁ」
設備方面に強い東氏は、そう嘆息していました。
「わしが子供の頃はこういう家がたくさんあったけど、まだこんな暮らしをしている人がいるんだなぁ」
高度経済成長もバブル経済もどこ吹く風と遣り過ごした、風格さえ感じられるボロ屋でした。アパートというより下宿と言った方が適切な、ある意味で文化財としての保存価値がありそうな趣です。スラムマニアなら惚れ惚れして写真に収めるでしょう。
さて肝心の小野村さんの部屋がどれなのか判りません。部屋にも郵便受けにも名札がなく、尋ねようにも住人が不在でした。幸いにして郵便受けには部屋番号が手書きされていたため、用意して来た手紙を210号(郵便受けは20以上ある!)に入れて帰りました。詳しい内容は記さず、「過日お願いした手続きの件で至急連絡願いたい」という文面に留めてありましたので、仮に他の人の目に触れたとしても障りはないはずです。
翌日電話をかけると小野村さんが応答しました。家にまで来られた圧力を感じた口調ではありませんでしたが、出たということは少しは効果があったようです。
「すみませんねぇ、平日に仕事を休むとクビになっちゃうものですから、まだ手続きしていないんですよ」
「休むって、委任払いの手続きは協会ケンポから申請用紙を送ってもらって、必要箇所を書いて返送するだけのことですよ。退院されたときに紙に書いてご説明しましたよね」
「あれ、そうでしたっけ?その紙、どこにいっちゃったのかな」
これです。こういう人たちを相手にしながら、東氏のストレスにも耐えているのですから、我ながら忍耐が身に着いたと思います。
「では、もう一度申請用紙をダウンロードしてご自宅に郵送します。記載箇所も鉛筆で印をつけておきます。郵送先を書いて切手を貼った封筒も入れておきます。ですから、届き次第、記載を済ませてポストに入れて下さい。お願いしますよ」
「分かりました。いやあ、何から何まですみませんね」
その一週間後、手続きが済んだか、協会ケンポ南埼玉支部の大野さんに問い合わせましたが虚しく終わりました。小野村さんにかけ直しても応答がありません。小野村さん自身に期待しても無駄であることがこれではっきりしました。
次の標的は勤め先です。これはもちろん慎重に行わなければなりません。うかつに口を滑らせると勤め先での患者の雇用に影響しかねませんし、個人情報の漏洩を問われることにもなります。以前、別の患者の案件で勤務先に問い合わせをした際、それまでは低姿勢だった患者が、
「俺が自分で手続きすると約束したのに、なぜ職場に電話したんだ!仕事を失ったら、生活の補償をしてくれるのか!」
と態度を豹変させたことがあります。
無論勤め先に頼むのは、当院に連絡するよう取り次いでもらう程度のことです。内容までは説明しません。勤め先の人から病院に連絡するよう伝言されれば、一段違う圧力を感じるはずです。
そのため無駄と知りつつ患者に電話を続け、通信記録を残しておきます。連絡を請う旨を記した手紙も内容証明、配達証明の上で送りました。連絡があれば、それはそれで良いのですが、反応がなくても構いません。万一訴訟になった際に備え、通常の連絡手段が無効だったという既成事実を積み重ねておくことが目的だからです。
これを一週間続け、患者からの着信がないことを見届けた上で患者の勤務先、㈲安心ガードに電話をしました。協会ケンポの保険証に社名が載っていたので偽の勤務先ではないとは思っていましたが、ちゃんとつながり、それこそ安心しました。
「私、京北大学病院の水野と申します。小野村寿伸さんにお尋ねしたいことがあって何度か電話を差し上げたのですが、ご多忙でお出になれないご様子でしたので、不躾ながらお勤め先に電話をさせていただきました」
「小野村でしたら現場へ警備に出ておりますが」
落ち着いた声の男性がそう答えました。この会社に勤めていることが嘘ではなかったこともこれで確認できました。
「そうですか。私に電話を下さるようご伝言願うことはできますでしょうか?」
「大丈夫ですよ。交代時間になったら事務所に戻りますので、そのときに伝えておきます。京北大学病院の水野先生ですね」
「あ、いえ、私、事務員です。医事課の水野と申します」
「事務の方…。もしかして入院費を支払っていないのですか?」
「いえ、内容を申し上げられずにお願いだけするのも心苦しいのですが、支払っていただく前に済ませていただきたい手続きがありまして」
「払ってないんでしょう。しかたないなぁ。いくつ借金すれば気が済むのかって思うぐらい、うちにも借金取りからの電話がかかってきますよ。あ、失礼。そちら様は借金取りとは違うのでしょうが」
あまり違いませんが…。
「しかし体を治してもらって、そのお金も払わないなんて、ひど過ぎるな。分かりました、私、庶務係の橘川と申します。必ず電話するよう、私からきつく言っておきます」
橘川氏にはほぼ言い当てられてしまいましたが、会社の人の協力を得られると非常に助かります。橘川氏は翌日丁寧に
「伝えておきましたよ。今日中に水野さんに連絡すると言っていました」
と電話で知らせてくれました。わざわざそんな嘘を知らせて来るとは思えないので、橘川氏の言った通りにならなかったのは、嘘をついたのが患者の方だったからでしょう。
その後も朝昼夕と時間を変えて、一日置き程度に患者に電話をしましたが、出るのは決まって丁寧な女性です。つまり留守録になるのですが、法的措置を検討するなどと吹き込んだところで暖簾に腕押しなのは分かっています。
一週間ほど日を置いて再度、小野村さんの勤め先、㈲安心ガードに電話して橘川氏を呼び出してもらいました。その後の事情を説明すると橘川氏は「ええっ!?」っと絶句し、
「ちゃんと電話したって言っていたんですよ。ふざけやがって、信じられない奴だな」
と、憤然と言い捨てました。騙されたばかりか、自分の顔を潰されたのですから、そのはずでしょう。
「個人的に借金するのは勝手だけど、治療してもらった病院に迷惑をかけるなんて人間として許されません。今後もお世話になることですし、及ばずながら会社としてもできることはさせていただきます」
橘川氏も一緒に怒って、協力を申し出てくれました。力強い味方ができました。ただし「今後もお世話になる」というお気持ちにはいささか後ろめたい思いもありましたが、それは結文に譲ります。
二日後の午後4時頃、橘川氏から私に電話がありました。「水野さんですか?いま小野村に代わりますから」という思いがけないものでした。
「何度も電話をいただいたそうで申し訳ありませんね。なかなか仕事中に電話できなかったもので」
小野村さんの体裁悪そうなうすら笑いが目に浮かびました。ここで責めたりはしません。なだめすかして、こちらの思う通りに動かすのみです。ただし、もはや小野村さん自身には何の期待も持てません。
「お忙しいところ電話して下さって、ありがとうございました。小野村さんもなかなかお時間が取れないでしょうから、安心ガードさんの事務所で待ち合わせて、手続きの用紙を書いていただけませんか?日時を決めていただければ、こちらから参りますので」
私と橘川氏に挟み撃ちにされている小野村さんにこの申し出を断る術などありません。そもそも手続き自体は患者に何の経済的負担もかけさせません。すべてお膳立てして、署名捺印をさせる程度のことなのです。
「分かりました」と返事をしたところで橘川氏に再度代わってもらい、用向きを伝えて快諾を得ました。大きな前進の予感です。
ところがここでもう一つ、新たな障害が生まれました。協会ケンポの大野さんに速やかな手続きを取り計らってもらうために事前に連絡したところ、以下のように言われたのです。
「申し訳ないのですが、すでに先月分のレセプトの審査が終わって、診療報酬も確定しましたので、貸付金の手続きはお受けできなくなってしまいました。今からですと、約2ヶ月後の高額療養費そのものの支給を待っていただくことになります」
この意味がお分かりでしょうか。
レセプト(診療報酬明細書)、つまり医療機関から健康保険への請求書は、適正な診療内容であるかどうかを審査機関で審査したのち、それぞれの健康保険組合や市区町村に届けられます。高額療養費の貸付は審査での減点も見越して、概ねの高額療養費相当額を貸し付ける(委任払いであれば医療機関に送金される)制度です。審査で大きく減点されると貸し過ぎとなり、返金を求められることもあります。
審査を終えると診療報酬が確定しますので、それに伴い高額療養費の額も決定します。そして、医療機関のレセプトが健康保険に届いてから2ヶ月程度で高額療養費は加入者に支給されます。これが本来の支給の流れです。
つまり暫定の高額療養費を借りるのではなく、確定した高額療養費の支給を待って下さい、というのが大野さんの話の向きです。
こうなると委任払いはもう無理です。しかも支給先は健保の加入者です。慎重な健保組合であれば支給する前に領収書を提示させるなどの方法で、患者が病院の支払いを済ませたかどうかを確認しますが、協会ケンポは前述したように半ばお役所仕事なので、患者が病院の窓口負担を払っていようがいまいが、時期が来れば機械的に高額療養費支給の通知を加入者宛てに発送します。中にはそれに味を占めて、医療費の支払いから逃げながら2ヶ月後に支給される高額療養費を着服する、度の過ぎた確信犯もいます。悪質に繰り返す患者には顧問弁護士を通して裁判所に申し立て、給与の差し押さえをしたこともあります。
弱りました。小野村さんのことですから、支給の通知が届いても手続きするかどうかは分かりませんが、いったん患者の口座に振り込まれたら、もう終わりです。支給日をあらかじめ確認して、当方の立会いのもとで、振り込まれたと同時に病院に送金させるしかありません。そのぐらいのことをする筋合いはあると思います。でも法律がそれを許しません。
法的措置を採ろうにも、小野村さんのように蓄えがなく、収入も乏しい人からは実効が期待できません。万策尽きたか、と肩を落としかけたとき、大野さんが思わぬ福音をもたらしました。
「個人の口座であれば、高額療養費の振込先に指定することもできますよ」
「え?」
「高額療養費は貸付金のように医療機関に振り込むことはできませんが、被保険者(加入者)が委任すれば、個人の口座に振り込むこともできます。つまり、病院の職員のどなたかの個人口座であれば代理受領の手続きをお受けできるんです」
初めて聞く話でした。大野さんは続けました。
「協会ケンポの高額療養費支給申請書には『受取代理人の欄』というのがあって、本来は立て替え払いした家族の口座に振り込む、といった用途のものですが、小野村さんのように支払っていないことが明らかな場合であれば、病院の職員さんの口座に送金することも可能です。『給付金の受領を下記代理人に委任します』という欄に小野村さんの署名と捺印があれば制度の援用として受け付けます。過去にも『○○病院事務長 ○○○○』という形で送金処理したことがありますので」
予期せぬ救いの手に飛びつきそうになりました。これはおそらく他県の支部が聞いたら首を傾げるような、例外的に融通の利いた解釈だと思います。でもこれを利用しない手はありません。
協会ケンポの高額療養費支給申請書をダウンロードすると、確かに簡単な委任の署名と捺印をすれば受取代理人の口座に送金される書式になっています。委任者と受取代理人との関係を限定する注意書きもありません。
念のため病院の顧問弁護士に確認しましたが、「この書式であれば民法上問題はない」との見解でした。もはや迷いはありません。
ただし、個人の口座、というのが唯一関門になりました。最たる個人情報をそんな書類に記載する訳にはいきません。経理課長や病院の取引銀行の支店に相談した上で、この目的のためだけに院長名で口座を作ることになりました。院長も鷹揚に「所得と判断されて課税されるのは勘弁してよ」とだけ言って了解してくれました。
今度こそは時を移さず実行です。橘川氏の都合も聞いて、三日後の午後6時に、時間外業務を嫌がる東氏と連れ立って安心ガードの事務所に赴きました。警備の仕事を終えた小野村さんは橘川氏に事務所に待機させられていました。
橘川氏は40台後半と思われるスポーツマンタイプの人でした。まずはこの機会を作ってくれた橘川氏に礼を述べ、勧められた席にかけて、正面に座る小野村さんに向かいました。約一ヶ月ぶりの再開です。
「お久しぶりです。お変わりありませんか?」
といささかの皮肉を込めて言うと、小野村さんは例によって表情だけは面目なさそうに「おかげさまで」と答えましたが、この人の反応になど、もはや一顧の価値も感じません。
橘川氏の立会いのもとで手続きの内容を説明し、高額療養費支給申請書に署名と捺印をさせました。やっとここまで来た。一種の感慨が去来します。
「これで先日の入院費の大部分は当院の院長の口座に送金されます。送金され次第、小野村さんの入院費に充てさせていただきます」
患者への説明と言うより、自分の満足を確かめるようにそれを口にしました。
「最終的に小野村さんに支払っていただく金額が確定したら残額の支払いをお願いします。それをお約束いただくために一筆書いて下さい」
そう言って、ワープロで打って用意して来た文書に署名と捺印を求めました。橘川氏が小野村さんを睨んで記載を促しました。
「ありがとうございます。高額療養費が振り込まれたらご連絡しますので、電話には必ず応じて下さい」
ここで橘川氏が口添えしてくれました。
「必ず約束は守らせます。小野村さん、分かったね。病院の方にここまでしていただいたんだから、もういい加減な真似しちゃだめだよ」
小野村さんは卑屈に笑って、「分かりました」と答えました。
こうして約20分の面談を終え、東氏とは最寄りの駅で別れて帰途に着きました。
翌日、協会ケンポの大野さんに書類に不備がないかをあらかじめファックスで確かめてもらった上で、申請書類一式を郵送しました。院長室の秘書から「院長宛てに届いていましたよ」と言って協会ケンポからの通知を手渡されたのは一週間後のことでした。大野さんも速やかに取り計らってくれたようです。通知には高額療養費80万8,800円を○月○日に院長の口座に振り込むと記されていました。万一、小野村さんが取り下げ申請をしたとしても、一度決定通知が発行された以上、そう簡単に覆ることはないでしょう。もっとも小野村さんにそんな知恵があるとも、そんな手間をかけるとも思えませんが。
あとは二ヶ月にまたがる自己負担額、約9万円を分割払いさせるためにひたすら督促を続けるのみです。それはそれで負担ですが、90万円近い未収総額を十分の一に圧縮できたのですから、まずは胸を撫で下ろします。
冒頭にも紹介しましたが、このタイプの患者は意外と珍しくありません。
このような生活を続けていれば、いえ、もはや続けるしかない人生だと思いますが、再び入院して治療を受ける日が遠からず来ることは間違いないと思います。
でも、橘川氏には申し訳ありませんが、患者はこれだけ追及されると知れば、次はうちの病院を避けるでしょう。対応が緩いと、この手の患者は甘えられるところにいつまでも甘えます。非情なようですが、未来の未収の芽を摘んでおくことも未収金圧縮の有効な方策なのです。