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死神と目薬。

作者: 結城

 私は死神。

 名はまだない。

 鈍い光沢を放つ鎌と風に揺れる黒衣を身に纏い、今日も変わらず、人の魂を導いていく。



 10月9日、午前11時35分。

 ある一人の男が死んだ時刻だ。


 もちろん、人間が死ぬのは珍しいことじゃない。

 だけど珍しいことに、人間は生前に未練を抱えることがある。

 それが大きすぎると、魂は現世にとどまってしまう。

 目の前に立つ半透明になった男と同じように。


 男は私を見て、あからさまに怯えた表情をする。

 それはそうだろう。

 明らかに"何か"を切り裂くためにあるとしか思えない大鎌。

 闇よりもさらに暗い黒衣。


 それは人間が想像する死神の姿そのものだ。

 そうでなくとも、目の前に凶器を持った人間がいれば誰だって怯える。

 まあ、私は人間ではないのだが。


 だが聞いて欲しい。

 私は悪い死神じゃない。

 むしろ勤務態度は職場でも評判がいいほど。

 つまり私は良い死神なのだ。

 そのことを男に懇切丁寧に説明してみる。


「だから、そんな風に怖がらないでくれ」

「…………」


 それでも男は怯えた表情のままだ。


「少し、傷つく」


 武骨な鎌をだらしなく地面に降ろし、私は寂しそうにそう言った。

 もちろん儚げな表情を作ることも忘れない。

 計算通り、男は少しだけ表情を緩めた。


 それでいい。

 人間、死んでまで怯える必要はない。

 最後くらい笑っていてほしいものだ。

 そのために私たち死神は存在している。


 まあ、仕事がやり易いというのもあるが。

 むしろそっちがメインだ。


「さて、単刀直入に言おうか」


 それから私は少し事務的な口調で、男にいくつか説明をした。


 まず、男が死んだこと。

 これはまあ、こんな場所にいることと、私の外見と、生前の僅かながらの記憶から察していたらしい。

 男は悲しそうな顔で、だけど取り乱すことなく頷いた。


「不思議だな」

「?」

「いや、死んだにしてはやけに落ち着いているな、と思ってな」


 少し皮肉を込めて言ったが、この男にはどうやら伝わっていないらしい。

 まあ、不思議だと言えば確かにそうなのだ。


 ここにくると、大抵の人間は取り乱す。

 自分が死んだと分かると、人間はいつも大げさに、泣いたり、叫んだり、酷い時だと暴れたりする。

 死神である私にはそれが不思議でならなかった。


 死ぬのは、仕方がない。

 いきものである限り逃れることのできない宿命だ。


 だから私は、そんな人間たちを落ち着かせるために、これでもかというくらい丁寧に説明してあげた。

 結果はいつも空回り。

 上司には『君はまだ若いなぁ』などと苦笑された。

 屈辱だ。


 しかし、こうして落ち着いている男を見ると、それもまた不思議だ。

 この男は他の人間とは違い、取り乱すことはない。

 今までの人間と何が違うのだろう。

 なんだか自分のことが分からなくなってくる。


 少し話が逸れた。


 次に、男がここに来た理由。

 大体は前に説明したとおりだ。

 この男には未練がある。

 それが現世に魂を縛りつけた。


 魂の循環が滞ると、私たち死神は困る。

 仕事だからだ。

 だから、きちんと魂が循環するように未練を断ち切るお手伝いをする。


「つまり、君が成仏するためにはこの世の未練を解消する必要があるんだ。何かやり残したことはあるか?」


 私がそう聞くと、男はうんうんとうなる。

 そのままこめかみを押さえ、腕を組み、頬をつねり。

 両手を地面に当て、何度か勢いをつけた後、両足を大きく蹴る。

 つまり、唐突に逆立ちを始めた。


 本当に人間というのは不思議だ。

 何がやりたいのか全く理解できない。


 私が冷めた目を向けているのに気が付いた男は、逆立ちを止めて小さく咳払いした。

 そして、散々もったいぶった後に告げる。

 男の魂が現世にとどまってしまうくらいの、その願いを。


「二階から目薬をさしたい」

「は?」


 私は思わず自分の耳を疑った。

 私は確かに『何かやり残したことはあるか』と聞いたはずだ。

 それを二階から目薬をさしたいなどと、こいつは馬鹿なのだろうか。

 私が理由を聞くと、


「だって、やってみたくね?」


 正真正銘、ただの馬鹿だったようだ。



「いくぞー?」

「ばっちこーい!」


 ここは男の部屋の中だ。

 真下には、芝生の庭に寝っころがっている男がいる。

 ぱんぱんと二度手を叩き、男は大の字に手を広げた。

 準備は整ったようだ。


 しかし、本当にこの男は何なのだろう。

 詳細は思い出せないが、男が死んだのは部屋の中だったと記憶している。


 死神には一つの掟がある。

 それは、死者の魂を死んだ場所へと誘導してはいけないという決まりだ。

 もちろん、本人の意思で行きたいと確認が取れた場合はその限りではないが……。

 好き好んで自分が死んだ場所に行こうとするような人間には、少なくとも私は会ったことがなかった。


 考え事をしていたからだろうか。

 目薬の狙いが思いっきりずれた。

 当たった場所は男の腹の上。


「へたくそー」

「こ、このっ」


 私はこれ以上ないくらい集中して、だらしなく開いた男の口めがけて目薬を落とした。


「苦っ! ちゃんと狙えよ!」

「もちろん狙ったさ。こんなにうまくいくとは思わなかったが」

「あとで覚えてろよ!」


 そんなこんなで、日も沈み始めた頃やっと目薬をさすことに成功した。

 目薬が直撃した途端、奇声をあげてのたうち回る男。

 笑いながら涙を浮かべる男を見て、私はなんだか言葉で言いつくせないような気持ちを感じた。


 これで一先ず男の要求は叶えた。

 そして、今度こそ男の未練を聞き出そうとして。

 突然、男は意地悪く笑う。


「目薬ってのは、両目にさすもんだろ?」


 なんだかひどく挑発的な笑みだった。

 上司がいつもするのとよく似ている。

 いいだろう、やってやろうじゃないか。

 一発で決めてやる。



「はあ、はあ……」

「ぜえ、ぜえ……」


 辺りが暗くなってから、『目薬両目にさしてやるぞ作戦』(命名:男)はさらに困難を極めた。

 だが、私はもちろん、男も諦めることはなかった。

 時々さす側を交代したり、追加の目薬を一緒に買いに行ったり。

 もちろん目薬は爽快度マックスだ。

 男は嫌そうな顔をしたので、


「ん? 無理ならやめるか? 私は一向に構わんが?」


 さっきの仕返しに、できるだけ『挑発的な表情』になるようにがんばった。

 うまくいったかどうかは分からない。

 ただ、男はすぐに黙り、悔しそうな表情をしていた。

 目論見は成功したと言ってもいいのかもしれない。


「やって、やったぞ……」

「ああ……やったな!」


 結局目薬は両目とも私がさした。

 男は手が不器用すぎた。

 男は片目から涙を、もう片方からは涙と目薬が混じった液体を流しながら悶える。

 でもその表情はとても満足そうだった。


「そういえばさ――」


 唐突に男は名乗り始めた。

 そう言えば、男の名を知るのはこれが初めてになる。


 変な名前だとも思ったし、そんな私の感覚からすると普通の名前なのかもしれない。

 だけど、良い響きだなと感じた。

 それを伝えると男は笑う。


「じゃあさ、君の名前も教えてよ」

「それは……」


 私は言葉を失った。

 なんと言えばいいのか分からない。

 気まずい沈黙が流れる。

 ただ、男は黙って私の言葉を待ってくれた。


「わ、私は……死神だから。名は、まだない」

「そうなの? でも、まだってことは欲しかったりする?」


 自分でも意識していなかったことを指摘され、私は戸惑ってしまう。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、男はぽんと手を叩き、


「じゃあ――」


 先程とは違い、一切の迷いなく私に名前を付けた。

 やっぱり不思議な響きだ。

 だけど、悪い気はしない。

 それに、死神である私が変に感じるのだから、とても素敵な名前なのかもしれなかった。


 なんだか体がむずがゆくなった私は顔をそむける。

 すると男は調子に乗り始めた。


「どう? いい感じでしょ? ねえねえ、どうなのさ?」

「うるさい! しつこい男は嫌われるぞ!」


 私がそう言うと、男は目に見えて落ち込んでしまった。


「気に入らなかった……? 一生懸命考えたんだ。君に似合うようにって……」

「うっ……悪くはない」

「ホント? 良かったー」


 本当に人間というのは不思議だ。

 私の言葉一つで、こんなにもだらしない顔をする。




 それから私たちは、誰もいない家の屋根で二人で話し続けた。

 満天、というには少し足りない、だけど綺麗な輝きを放つ星空を見ながら。


 男のこと、それから、死神の仕事についても。

 不思議と、何でもない男の話を聞いてるだけで退屈はしなかった。


 私のことも聞かれたけど、特に話せるようなことはない。

 それでもいい、と男は私の言葉を待ってくれた。


 聞いてる側からしたら、イライラしたかもしれないけど。

 少しずつ、私のことを言葉にしていく。

 秘密のことも多かったから、全てを話せないのが残念だった。


 私のことをもっと知ってほしい。

 ほとんど空っぽな私だけど。

 今までにない感情に戸惑いながらも、一生懸命伝えていく。


 そして、私は気付いてしまう。

 男の話の中に、この世の未練に関することは何一つないということに。


 でも、もう私に話せることは何もない。

 からっぽだったと思っていた私にも、案外、私というものがあったけれど。

 もうすべて絞りつくしてしまった。


 男は話してくれないのだろうか。

 訳の分からない願いだったけれど、それも叶えて、二人で楽しくお話をして。

 私の努力が足りなかったのだろうか。

 それが少しだけ、悲しくて、つらくて、どうしようもなくて。


「なあ、いい加減この世に残した未練を教えてくれないか?」


 ただ、知りたかった。

 そして、男の願いを叶えたかった。

 どんなことでもいい。

 今にも消えてしまいそうな半透明になった男と。

 もう少しだけ、ほんの少しだけそばにいられる証が欲しかった。


「私も仕事が終わらなくては、上司に怒られてしまうのでな」


 本心とは逆の、その言葉。

 それは終わりの言葉だった。

 星空よりもキラキラと輝く、眩しい時間の終わり。


「そっか……。そうだよな」


 先程までと変わらない様子で笑った男の体が、唐突に光に包まれ始める。

 それはこの世界で幾度もみてきた、人間の魂が未練から解き放たれた証。


「ど、どうして!」


 私は叫んだ。

 だって不思議で仕方がなかった。

 まさか本当に、こいつは二階から目薬をさしたくて現世にとどまったとでもいうのだろうか。


「君のおかげだ」

「私の、おかげ……?」

「うん」


 男は、これまでで一番の、真っ黒な私には眩しいくらいの笑顔で。


「ありがとう。最後に君と話せて楽しかった」


 光の粒子となって跡形もなく消えた。

 私は何もない虚空を掴み、いつの間にか頬を伝う何かに戸惑いながら。


「私も、楽しかった。ありがとう」


 届くはずのない言葉を発した。



 私は死神。

 名は今日できた。

 泥がついた鎌と、皺くちゃになった黒衣を身に纏い、明日も変わらず、人の魂を導いていく。

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