精霊樹 六
「ん?」
しばらく結界内を歩いていた頃。黒騎士がその気配に気づいたのは本当に偶然だった。
「誰かついてきてないか?」
「何が?」
「お前の言うところの追っ手みたいな奴だ」
黒騎士が気付いたことを素直に言う。ニナは少しの間目を瞑り、周りの景色を感知するように魔力を飛ばす。まるでレーダーの反射のようだった。木々の間を、エルフのような上級種族でもなければ気付けないような薄いニナの魔力が走っていく。
「……そうだけど……?」
「やはりか……エルフの奴らか?」
「待って……」
再び探る。その反応の結果は先程の里の中で嫌になる程感じた感覚と同じだった。魔力回路の級は高い。そして皆それぞれに精霊を使役している。この反応は間違いなくエルフに近い種族のもの。
「エルフ……」
「この辺りは本里からは離れているんじゃなかったのか?」
「可能性はいくつかある……狩の途中か、近くに分里があったからか……でもすぐにわかると思うよ……」
そう言った途端、飛んできた一本の矢がニナと黒騎士の目の前の木に突き刺さる。エルフがよく扱う、ここの森に群生している魔力の篭った来てできた矢。間違いなくエルフの放った矢だろう。
「どちらにしろエルフには変わりはないと言うことか」
「それはそうだけど……
何をしに来たの、エルフ達……」
言ってから気づく。勝手にこちらからエルフの領域に入って来たのだ。こちらを排除しに来るのは当然だろう。
だが、エルフ達からの返事は無かった。
「なんだ、愛想が悪いな、エルフの連中は」
黒騎士がそう呟いていると、もう一本の矢が飛んでくる。今度も脅しなのだろうか、どう考えてもニナや黒騎士が当たるコースではない。この性格でニナは本里からの連中なのか、近くにあった分里の連中なのかわかった。
「本里の人じゃない……分里……」
「近くに集落があったってことか?」
「そうみたい……」
結界内に入った侵入者を問答無用で殺すのが本来のエルフの性質であり、その考えに相対するものや、肩苦しい掟を嫌う者が集まって来たのが分里。それでも、さすがに他種族まで誘うほど友好的な里は無いようだが。
「なら、どうするんだ? さすがに皆殺しにするのは私は拒否する」
「相手の性質……本気で殺しに来るのならば容赦はしない……殺したくないのなら、勝手に死ねばいい……」
ニナはそう言って、黒騎士が瞬きをした瞬間、そこにニナはいなかった。彼は当然のように戦いの場を避けようとしている。
「はあ!? あいつ、また私に押し付ける気か!」
黒騎士は何処かへと消えたニナの残滓にそう叫ぶが、答えはもちろん帰ってこない。そうこうしている瞬間、真面目に黒騎士を狙った射線。
「おい!」
黒騎士は長剣でその矢を叩き切った。
その流れのまま背中に持った大剣を抜き、地面に突き刺す。人とは思えない力で抉られた地面が弾け飛ぶ。どこにでもあるそうな、真っ黒な仮面。捲れたフードが鋭角なフォルムを曝け出す。
「お前ら、何の目的だ」
「我らが目的はただ一つ。侵入者の排除です」
木々の間から姿を見せたのは、深くフードを被った集団。それぞれにそれぞれが短剣や、弓矢。槍などを持った集団。エルフの特徴である長い耳は確認できないが、ここ、結界内にいる時点でエルフには違いない。
「ま、まあ、確かにそうだが……」
深くは言い返せないのがきつい。
それでも、ニナとともに行動していること。
その目的のためには目の前の敵が邪魔だということ
自分の言った言葉のせいでこんなことになったということ。
そのどれもが自分に返ってきているブーメランであった。しょうがない。黒騎士は皆殺しにしようとしたニナを止める形でこの場を請け負ったのだから。だから黒騎士は思うのだ。
───感謝しろよ、と
「行くぞ!」
黒騎士はそう怒号を上げると、地面に突き刺した大剣を振り回し、そのままエルフ達の集団へと突撃する。
とても人とは思えないその様子にエルフ達が僅かに怯えた。
その瞬間が隙となったのだろう。惚けたエルフの一人が、上半身と下半身で分かれる。
その手に構えた短剣。着込んだ革の鎧。エルフに存在してある肌に、血液に、骨。その全てに何も抵抗はなかった。ただ、ただ、細身の大剣を振り切った黒騎士がその先には立っており、血や油の滴る大剣が美しい森の中に汚点を作り出していた。
「まだまだ行くぞ」
その言葉を皮切りに一人、また一人とエルフ達が切られていく。彼らも何もしていないわけではない。しかしその何かしたこと全てが、まるで無かったかのように薙ぎ倒されていくのだ。防御することも、攻撃することも、何もできない。
それでも学習はする。自然と作られた円陣。その中心にて囲まれるように立つ黒騎士。まるで疲労感はない。返り血や、油が鎧に付着し、少々不気味になっているだけ。
「所詮は雑兵……」
そこにはいつの間にいたのか、ニナの姿もあった。まばたきをしたら現れたその姿にエルフ達は驚く。手には何も持っていない。武器のように見えるものは殺気のみ。「手を出したらやられる」この時、この感情が浮かばなかった者はいなかった。
「何の用だ、ニナ」
黒騎士がそう言う。ニナは黒騎士に近づくと小さな声で言った。
「妙な気配……」
それだけ言うと、ニナは太腿に挿してあった、リングを付けた短剣を抜き、指でくるくると回す。エルフ達は機会を失い、動きに迷っていた。
「あなた達に構ってる暇はない……行くよ……」
ニナはその先に黒騎士の手を引くと……その場から跳び、包囲など無かったかのようにエルフ達から離れていった。
「どうしたんだ!?」
大剣を握りながら木を跳ぶ黒騎士。手に回していた短剣を握ったニナが速度を抑えて並走する。
「追ってきてる……」
「何がだ!?」
「国お抱えの暗殺者……」
「は?」
黒騎士が思わずその場で立ち止まる。画面越しにでもわかる困惑の感情。しばらく先から戻ってきたニナが黒騎士を見つめる。
「すまない、もう一度言ってくれ」
「国の暗殺者……」
「何処のだ?」
「セイラ……」
「あの狂信者共の国の暗殺者がなんでこんな場所に来るんだ。そもそもあの国はクラルル王国との戦争中の筈だろ?」
「言葉が悪かった……相手は暗殺者と諜報部の混成らしき部隊……」
「もっと悪くなってるじゃないか。とにかく逃げるぞ。こんな場所で暗殺者なんぞと戦えるか!」
二人は今までよりも速度を出し、現在の場所からの脱出を図った。
セイラ聖国の陰の部隊。ここで出会うとしたら、まさに最悪と言って過言ではない。
前提として敬愛なる信仰者達が集まった国がセイラ聖国。別名、狂信者達の国。
当然ながら、見逃してもらおうにも宗教の思考の違いから、まず話し合いというものが最初から存在していない。取引という点でも余程良いものでないと引きはしない。
それに所属している軍隊は、西側の国の連合部隊とされている西峰騎士団を筆頭に、それぞれ高い技能を持った者達が集まっている。当然影の者たちの技量も高い。
しかしながら当然、影である以上、目標の達成に関係ないものは無視し、邪魔をしたものは間違いなく消される。要するに目をつけられなければ良いのだが、今回のケースはまさに最悪の事態。
黒騎士とエルフ達が戦っていた場所に接近していた彼等は、明らかに邪魔になる彼らを全員排除しようとしていた。
完全に気配を消し、牙を蓄えた彼らは、運が悪ければ既にその場にいたエルフを惨殺し、こちらを追ってきていることだろう。
こちらには不利な要素がいくつもあった。圧倒的な数の差に、クラスの相性。
クラスというものは、その人の役割のようなもので、要職についてあることでもある。各々自分からクラスを語ったり、精霊から自分のクラスを聞いて人は初めて知る。
商人が商人と呼ばれ、貴族が貴族と呼ばれるということ。戦闘職でも同じこと。
黒騎士が黒騎士と呼ばれるのは、クラスがそうだから。黒騎士は基本的に騎士の上位とされているおり、もっとも戦争に駆り出されるクラスで多いことから、当然無、正面からの戦闘に一番強い。
そして暗殺者。アサシンとも言われている彼らは、正面の戦闘の強さも一定レベルはあるものの、身軽さを生かした奇襲を取ることが多い。場所が場所ならば国も落とせるが、正面からでは簡単に倒される。クラスで、それぞれ得意不得意があるのは当然のことだった。
そんな相手が森という格好な遮蔽物の中、集団で襲ってくる。それに国お抱えというある一定以上の実力を持った者達。こちらはニナと黒騎士の二人きり。不利という言葉以外が見当たらなかった。
「奴らは!?」
黒騎士がニナに叫ぶ。向こうもこちらが逃げていることに気づいたらしく、全力で追っかけてきている。黒騎士とニナ。両者の種族は二人とも言う気がないので何もわからないが、とても普通の人間が出せるような速度ではない。それでも相手はなんらかの方法を用いて追いかけてくる。
「付いてきてる……」
ニナは静かに言いながら、身を翻して嫌がらせ紛れに短剣を投げる。
暗闇に吸い込まれた短剣は、当たっているのか当たってないのか。それによって相手が減ったのか、減っていないのか。何もわからなかった。
「人間……なのかな……? それとも……」
「考察はいい! ここから先には何がある」
「エルフの里の結界に、先に行けば湖が存在してる……」
「なら結界で奴等を撒けないか!?」
「……」
ニナもその考えが良いと考えたのか、僅かに下がった黒騎士とは反対に、先頭へと躍り出る。すれ違いざまに黒騎士を見れば、ほんの少しだけだが、疲れているようだった。
忘れそうだが、ここは木の上。枝を伝って飛んでおり、鎧もきている黒騎士の負担も大きいだろう。
「強行的に結界を通り抜けるから、衝撃が来る……」
そう言ったニナの周りが僅かに明るくなる。移動しながら発動の待機をし始める魔法陣は残光を残しながら、主の指示を待っていた。
そして───
「!!」
「うわ!」
まるでガラスの中に飛び込んだような痛みが全身に渡った。
ニナと黒騎士はそのまま地面へと無様に転がる。そこには入った時と同じ、結界を支えている木が生えていた。エルフの本里の結界を超えたらしい。
「黒騎士……行くよ……」
悠長にしている時間はなかった。相手側にはない手段。ニナが扱った魔法によって結界を抜けたものの、相手側もエルフの本里の結界の中に居た以上、なんらかの手段を用いている。休んでいる暇はなかった。
例え、ニナの左腕から鮮血が出ていても。