精霊樹 一
舞台はこちらで言う文明開化近く、魔法文化と科学分野が混じり始めた時代。暗殺者と騎士というちぐはぐな旅人がいるようです。
世界はマナに始まり、マナに終わる……この世界において最も有名な言葉。今までこの世界で生きてきた者達は、この言葉を心の底から信じている。
心から信じているものがあろうとも、戦争は変わらず起こる。宗教の違いもあるかもしれないが、多くの場合それは両側の大義であり、世界に散らばる、限りある資源を求めて他国を占領、植民地とする、そうして始まるのが戦争という、定番化したお決まりだった。
稀に話し合いのみで解決するといったこともある。だがそれは非常に稀な場合であり、片方が大きく不利な状況を得てたり、話し合いで解決したとしても、再び元通りに武力で争っている場合もある。
それに、たとえ武力行使を行っていなくとも、日々知能あるものは様々なものと戦って居る。
この場合は果たして戦争ではないと言えるのだろうか? 人と人が同じ意識で同じことを考え、同じように生きているわけではない限り……感情があり、知能がある者がこの世界に存在し続ける限り、本当の意味での戦争というものは無くならないだろう。
ここで戦争という言葉を逆に取ってみる。この世の中に戦争という物がなければ、果たして世の中どうなっていたのか……同じように発展していたという意見もあれば、先程までの言葉を聞いてから発展していなかった、という意見もあるだろう。
だがここに一つの答えを置いてみれば、後者であると答える。何の発展もしなかった、である。
戦争が技術の革新を多く生み出すというのは有名だが、最初の戦争、野生動物の狩りに向かった場合はどうだろう。知能ある物が偉大な物に恐怖していたあの時代、戦争というには規模の小さな気もするが、知能ある者は確かに怯えて過ごしていた。
強きものに怯えて暮らすことは、知能ある物に武器を、防具を、建築を覚えさせ文明を生み出していった。
一つの文明を作り上げるのに戦争は、戦いは必要事項であり、戦争の無い発展など、あってないようなものなのだ。
精々抗え。戦争の、戦いの先に希望はある。
死に行く者には花を。生きし者には血を。
───◇
闇夜に紛れて動く者は何も夜行性の動物や、虫だけではない。表沙汰に会えない者達が合うのもまた、真夜中。
希少民族の一つである、エルフ達が住む森である大森林のほとりにある小さな村。そんな中の、どこにでもある民家。その近くに架けられた橋の下で小さな密会は行われていた。
一番目を惹くものは、やはり大きな身体の方だろう。薄いとはいえ十分に鎧としての役割を果たしている物に、フード、仮面によって完全に顔を隠している。
鎧を着ているため本来の体格が大柄なのか小柄なのかは分からず、性別も不明。
もう一人は軽装。何処にでも居そうな軽めの半袖に半ズボン。ただ、たった一つ、大きめのナイフが胸に吊るされており、無用意に近づけば殺されそうである。それだけの隠しきれない殺気が漏れ出していた。
「どうしたの……」
「どうしたも何も、定期連絡の時間だろうが」
「そう……」
消えかけた声。音圧のない鈴の鳴くように透き通った声は軽装の者から聞こえてくる。
よく見れば、腰ほどまで髪を伸ばして一纏めにされた後ろ髪に、眉毛にかかるほどに伸ばされた前髪。前髪の隙間から見える瞳は白い眼帯がされた隻眼の青眼であり、その顔は大層整って少女のように見えた。
「まあいい。何か見つかったか?」
「こんな所が本拠地だと思うの……?」
眠たそうな瞳が細められる。変わることのない表情が暗闇の中、ぼんやりと浮かんでいた。
「相手の連絡とかは?」
「存在しない……」
対する鎧姿の者は仮面によって素顔が隠されており、表情を伺うことはできない。発せられる声は中性的であり、子供や老人でないことはわかるものの、性別の区別はつきそうにもなかった。
「相手もそんなに馬鹿じゃない……価値ある商品を持つ者は、それだけの組織力がある……僕達二人だけでは人数的にも足りない……」
「なんだそれは。依頼主もやる気があるのか?」
「さあ……?」
二人して溜息をついていた。
「私が直接組織に入ってるわけじゃないから文句は言えないが、流石にこの人数じゃ難しくないか? そもそもなんで私が……」
「あの組織は、あなたが僕に協力していることはもう知っている……そしてあの組織が今の地位を築いてきたのは単純に、できない仕事はしなかったから……あなたと僕だけで済む案件だとは思う……」
「でもな、先回りして捉えようとした結果がこれだ」
鎧姿の者は辺りを見回した。そこには何もない。黒く塗りつぶされた長閑な田園風景が広がっている。この時間には情報を得て、大森林に入っている予定だった。
「これじゃあ、あいつらに直接ついていくしかないじゃないか」
「第二段階に移行しただけ……何か問題があるの……?」
「いや……まあ無いけどな。元々この計画だ」
「そう……なら偽装した商人に着いていく……相手は流石に魔道機のジャミング、盗聴はやってないみたいだから、連絡は魔道機を用いて行う……これでいい……?」
「ああ、了解した。まだ今度会おう、ニナ」
「そう、黒騎士……」
密会の場で名前を出しても何も問題はない。互いに本名でないことなど最初の最初に知っている。誰かがこの名前を知っても彼らの正体に近づくことはできないだろう。
──◇
全体的に平均気温の低い全国の例に漏れず、肌寒い気温だった。エルフの里へと進む道は奥に進むに従って人の手が入っていかなくなり、頭上には鳥の囀る声。周りには人の目には見えないが、何匹もの精霊が川のように流れるといわれているほど美しい景色へと変わっていく。
エルフが住む森。そのまま大森林と呼ばれているここは東大陸の南東方面にあり、空から見れば巨大な湖が奥の方にあることがわかる。
独自の文化を形成していたエルフ達。その中でも頭の柔らかい、外に興味があった者達が外の種族に向けて一つの里を開いたのは記憶に新しい。とはいえ里を開いたのはエルフの本里とは違い、いくつもある分里。
本里より規模は小さいが、それでもエルフの文化が残る里であることには違いはない。
膠着状態が続いている東の国が、エルフに対して膠着状態から脱することができる何か得を得られるようになれば、比較的友好的なこの関係も終わり、過去から幾度となく繰り返されてきたエルフへの侵略戦争が開始されると予想される。
それを考えてみれば、今向かっている、他種族に対して友好的な里はせいぜい侵略戦争の基地となる程度で、里の全員が殺害されたりはしないのかもしれない。
馬車が精々一台通れるか通れないかぐらいの道をずっと進んでいる。後ろには今まで通ってきた道が果てしなく続いており、前方にも同じ道が続いている。
交流を始めた里も簡単には攻め込まれないように考えたらしく、元々里を隠蔽していた術によって里に近く商人などを蛇行させるようにしている。
そのため直線に見える道は実際は曲がっており、実際はもっと早く着く。こちら側が抵抗もせずエルフ側の要求を受け付けているのも平和だからだろうか。
「お客さん、こんな場所まで珍しいもんだね」
行者が話しかけてきた。行者との間は薄い板一枚で挟んでいるだけで、実際に顔が見えないだけで会話をしようと思えば簡単に話すことができる。
「なんだ、観光客でも来ないのか?」
「はっ、この辺の者達は旅行できるほど金が無ければ、逆に金がある者達は逆に自分たちの方に来いと言ってるよ」
「そうか」
「だからお客さんが乗せてくれと言った時には驚いたもんだよ。それに、世界を旅しているとか言う黒騎士さんとニナさんのペアでしょう。名前が大きすぎるよ」
「……」
黒騎士は頷く。カバーストーリーによってニナと黒騎士は世界を股にかける旅人ということで有名になっている。
この案は、隠密性を保つ依頼が多い中、身動きできなくなる可能性もあったため消極的に受け入れた。有名な顔というものはそれだけで信頼が存在するため、互いの関係性を無視すれば得しかない。旅人という設定も事実を湾曲させているだけで言い訳も簡単。
この案件は今回も役に立っており、観光客の殆どいないエルフの里へと、違和感を持たれることなく簡単に商人達に着いていくことができた。旅人ならば行く、という信頼だけで。
黒騎士と行者は親しそうに話していた。黒騎士と他人が話すのはいつものこと。他人と話を合わすことが嫌いなニナは足を投げ出しながら過ぎて行く景色を眺める。とは言ってもいつもと同じ。昔と何も変わったことはない。
「どうした?」
「何も変わってない……」
「ふん、数年で世界は変わらないだろうよ」
呆れた様子で黒騎士は返した。
「違う……」
「何が違うんだ?」
「変わらなすぎる……」
ニナは森の中に生えている木を指差してそう言った。
この森で最も多く見る種類であり、他の木と変わっている場所も特には思いつかない。当然黒騎士も仮面の姿のまま首を傾げた。
「何が変わってないんだ?」
「……黒騎士───」
「ああ、すいません、そろそろ里の方に着くので、身分証などの準備をお願いします」
ニナの言葉は遮られた。黒騎士はこの出来事はそこまで重大なことに感じていなかったらしく、再び話に上がることは無かった。エルフの技術が全くもって進歩していないことは、この場ではニナにしかわからないものだった。
そうして特に問題もなく大森林を抜けてエルフの里へとたどり着く。
「ふん、珍しいもんだな」
黒騎士が感嘆の声を上げる。エルフの里の家は巨大樹に建てられたツリーハウスであり、地上にある建造物は数えるほどしかない。
空を隠すほどに生い茂った森の中から、突然天までそびえる巨大樹が現れることはとても印象深いことだろう。その中では何人ものエルフ達が作業をしているのを見かける。とは言えそこにいるのは年端もいかない子供や、年寄りだけであり、狩りに向かっているのであろう成人の姿は見えなかった。
里とは言え独立した他種族である以上、他国に移動するのと同じようにニナと黒騎士は身分証を見せて里の中へと入る。馬車とはそこで別れる予定になっていた。
「ありがとな」
「いえいえ、あなた方のような著名人を載せていただけだけで多大なる幸運でございます」
「そう……大袈裟だね……」
「そんなことはございません。お二人はご自身が持たれている名前の大きさが、どれだけのものなのか理解していないようです。
お二人さんが購入した商店は売り上げが倍以上に増え、向かった先の土地には観光客が溢れかえる。そしてかの大国にも貴族にならないかとのオファーまで来る始末。こんな方に価値がないはずもないのです」
「そ、そう……」
「ええ、はい」
ニナはカバーとして用意したストーリーの影響に若干引いたが、そうなることも予想していたため普段通り行者と接した。
「それで代金の方だが、このくらいでいいか?」
「ええ、当初の予定通り、ありがとうございます」
黒騎士が貨幣であるアウを袋に入れて行者に差し出すと、笑顔で受け取りそのまま馬車の置き場へと去っていった。
エルフの里はどこか閑散としており、玄関であるはずのここも賑わってはいない。
「静かなもんだな」
「単純に人が足りてない…….」
ニナと黒騎士は事前に連絡をつけてあった宿屋へと向かう。
「エルフ以外の人が居ないのに、賑やかさを求めて何になるの……?」
「賑やかにするもんが居ないってわけか」
何人ものエルフが物珍しそうにこちらを見てきた。大変整った顔に、長い耳。軽いワンピースのような形の民族衣装をみんな着ている。衣装に多様性はなく、せいぜい色が変わっている程度だ。
「そもそも狩り民族であるエルフ達が安全である日中、里の中に大勢居るわけない……」
「それもそうか」
「森の中に住んで居るからね……」
「ふうん。それにしても気持ち悪いくらいみんな美人だな。みんなコピーしたホムンクルスみたいだ」
「顔のいい人だけ残っているんだから、当然……醜い人は消されて、綺麗な人の遺伝子だけが継がれていく……」
ここには醜い顔のエルフは居ない。当然だ。彼らはエルフという種族にとって無かったことにされたのだから。
「悪いことは切り取っているだけか。どこも一緒なんだな。何でも切り取れば解決するわけでもないのに」
「案外そうでもないかもしれないけど……」
「知らんな。私は私が感じたことしか話さん」
宿屋の近くに着く。高い森の上にその小屋は存在しており、そこまで登るだけでもかなりの労働になりそうであった。黒騎士はめんどくさそうに家屋を見つめると、溜息をついた。
「何で上に作るかね……」
そう言いながらも幹に突き立てられた階段を鎧姿のまま登っていく。かなり軽量化された鎧とは言え金属の塊をまとっている黒騎士がスラスラと登っていくのは違和感すら感じる。
宿屋は酒場などとともに併設されているらしく昼間から酒を嗜む老人と、それに追われるエルフ。休むための宿屋は賑やかなものだった。
「事前に知らせていた者だが……」
カウンターに立つ主人らしき者に黒騎士は話しかける。主人もまた人間達の世界に居れば国一番の美男子となるそうなレベル。無論、そのような美形に囲まれているエルフの里ではその感覚も麻痺してくるが。
「ああ、はい。身分証か何かを見せてください」
「これでいいか?」
黒騎士は旅人としての活動時に持っているものを見せ、またニナも同じように見せた。
「ええ。良いですよ。ここの廊下から奥に進んで、奥から二番目、右側の部屋を使ってください」
「ありがとな」
エルフの里にはまだニナや黒騎士の噂は広がっていないらしく特に問題もなく中へと入れた。
「今後の予定の確認……」
「ああ」
窓によって所々光源が作られた廊下を歩く。木造建築の宿屋は高く、エルフの里の景色がよく見えた。
「ハーフエルフの所在は掴んでいるとは言い難い……」
「そうだな。物のない探し物ほど面倒なものも無いだろ」
「そして特殊なコネでもない限り相手側も同じ条件……エルフの膿でもあるハーフエルフの所在をこの里が教えてくれるわけでもない……」
「でもここまで来たってことは、何か手がかりがあるんだろ?」
扉を開ける。そこまで豪華でもないが、寝泊まり程度ならば特に問題はないだろう。二人部屋だということでベッドは二つあるが、夜にもまた予定があるので使うかどうかは微妙である。ここには旅行に来たのではない。
「それを今から調べにいくのだと思うけど……」
「面倒なもんだな」
「あなたのことは戦闘以外には期待してないけど……?」
「まあ契約が契約だからな」
黒騎士はそう言うと椅子に座り腰に下げた長剣を磨く。
「時間はあるんだろ? 何かあれば飛んでいくが、それまで私はここに居よう」
「役に立たないね……」
「忘れるな。お前は監視対象だと言うことを」