プリズンブレイクⅣ
「失礼、こんなものは無粋ですね。こちらにしましょうか」
コクピット内のルナリアは構えていた銃をその場に落とすと、背後から真っ黒い日本刀を取り出す。
シャンと音を立てて鞘を引き抜くと、波紋の美しい刀身が露わになる。
「黒……鉄……」
「あなたの物ですよね? ここ管理がいい加減なので見つけるのに苦労しました」
彼女は座ったまま、俺の首筋に刀を当てると目を細めた。
「監獄に戻ってください、あなたがこの集団脱獄のリーダーというのはわかっています。あなたさえいなくなれば、今回の件逃げた囚人を拾い集めて収集がつきます」
「主犯は俺ですけど、俺だけの力でここまで騒ぎは大きくなりません。買い被りですよ」
「いえ、ここにいる全員が、あなたを侮り過ぎていたと言った方がいいでしょう。ですが、それもここまでです……。もうじき魔軍のアーマーナイツ部隊が到着します。魔軍の戦闘力は、ここにいる看守なんて比較になりません」
それぐらいわかりますよね? と視線で訴えるルナリア。
「でも、今なら我々の力で全てなかったことにできます」
「無理ですよ、こんな大規模な火事までおきてるのに」
「できます、いえ、絶対にしてみせます。もし私の言う事が信用できないのでしたら……」
彼女はパチンと指を弾くと、一枚の羊皮紙を俺の目の前に出現させた。
そこにはビッシリと文字が書かれており、見ただけで嫌になる文量だ。
「これは……」
「悪魔契約ってご存知ですか?」
「魂を売る代わりに力を与えるという」
「そうです。あれって悪魔側が有利に見られることが多いですが、契約である以上悪魔側も縛られてるんです。この契約書にはあなたの魂を貰うかわりに私の魂を差し上げると書いています」
「本気ですか? 全く釣り合いがとれてませんよ」
「本気です。釣り合いがとれているか、いないかを決めるのは私です」
この人たかが囚人一人に自分の命を賭けたぞ。
「あなたの魂が消える時、私の魂も消えます。ですから、絶対にあなたは守ってみせます」
真剣な眼差しのルナリア。彼女の性格から見て嘘をついているようには思えない。
それほどまでに、魔軍と戦いになることを回避したいと願っている。
「……お願いします。あなたさえ捕まってくれれば……」
そう言うルナリアの手は震えており、首筋にあてられた刀はカタカタと小刻みに震える。
「血の拇印を押すだけで契約は終わります……ですから」
「……ボインもないのにボイ――」
ルナリアは首筋に当てた刀をシュッと引いた。
俺の首筋からブシュッと鮮血が舞う。
「次ふざけたら殺しますよ」
「すみません。気をつけてふざけてたつもりなんですが、ついボインに耐えられなくて」
「私も拇印と言った時点でちょっとまずいかなと思いました」
「ですよね、どちらかというルナリアさんの方に非があると――」
そう言うと、彼女はバチッと電流を迸らせて調子に乗らないで下さいと怒る。
くっそ、この人一緒にいて楽しいな。
こんな緊迫した状況なのに、つい顔が笑ってしまう。
だからこそ残念すぎる。
「あなたはとても優しい、自分の立場で精一杯正しいことをしようとしている。だからこそ――」
俺との道は交わらない。
俺たちが欲しいのは環境の良い囚人ではなく、失った自由なのだから。
「すみませんが、この契約書にサインすることはできません」
「なぜですか? 待遇ならこれから協議して、もっと文化的に暮らせるよう我々が――」
そうじゃないと首を振る。
「自由っていうのは誰かが奪ったりしていいもんじゃないんです。痛みや悲しいことを全部背負って、それでも前を向いて歩いていくから道が出来上がる。その道の中に楽しいことや嬉しいことが転がってるんです。それを拾い集めて進むから自由ってのは楽しいんです。苦しむ自由、楽しむ自由、監獄はその全てを奪っている。だから俺はこの場所をぶっ壊します」
俺は首筋に添えられた黒鉄を素手でわしづかむ。
「あくまで我々と敵対すると?」
「ええ。俺たちは住み心地の良い地獄なんて望んでません」
それに魔法で縛る契約書なんて嫌いだ。
「こんなもん使ったらルナリアさん口説けねぇじゃん」そう思っていると、彼女は虚を突かれたように目を丸くする。
「口説く……って……えっ、うっ……あっ……」
…………まずい、口に出ていた?
ルナリアは顔を赤くしながらも俺を強く睨んだ。
「…………あなたの冗談は嫌いです。……私を……勘違い……させます」
「すみません。まごうことなき本心ですが、今のは忘れてください」
「一言多いんですよあなたは! これ以上私を悦ばせないで下さい」
「悦んで?」
キッと睨まれた。藪蛇だった。
彼女はセキ払いし、真剣な顔を作り直す。
「……最後通告です。私のものになって下さい、というかなれ」
「すみません。男冥利につきるお言葉ですが、聖十字にも魔軍の下にもつくつもりはありません。ごめんなさい。あなたにはこんなに良くしてもらったのに」
彼女の髪色が金色にかわり、バチッと電流を纏う。
これはこの場で殺されるなと思ったが、彼女は小さく息をつき黒鉄を握っていた手を離した。
「そうですか……。これからあなたは私の敵です。一切の迷いも慈悲もなくあなたを殺します。ですが……これまでの借りに免じて今だけは見逃してあげます」
ルナリアは最後まで優しくていい人だった。
俺は黒鉄を取り戻し、鞘に納めた。
「……ありがとうございます。あなたに会えて良かった。さようなら」
俺は感謝と別れを告げてコクピットから飛び降りる。
崩れつつある地下研究所を走り、強化のルーンを輝かせてエレベーターシャフトをジャンプで駆け上がる。
メタトロンの強奪に失敗してしまった。
いや、今はそのことよりもルナリアと決別した方がメンタルに来た。
次合った時、俺はあの人を本当にやれるのだろうか。
◇
勇咲がいなくなってからメタトロンのハッチは閉じられ、コクピット内は真っ暗になっていた。
本当は絶対に逃がしてはいけない相手であり、後で姉から大目玉を食らうことは確定していた。
しかし、それでもあの場で彼を討つことはできなかった。
「何が口説けない……ですか。本当に笑わせてくれますね」
フフッと笑みを作ったのと同時に、自分の頬に熱いものが流れ落ちていくのを感じる。
「あれ……なんで……だろ」
グシグシと目をこするが、涙は止まる気配がない。
ルナリアは真っ暗な天井を仰ぎ、両手で目をおさえる。
「あぁ、そっか……これが」
――失恋というやつか。
精神学書や、他の悪魔たちから聞いて知識としては知っていた。
しかし自分には一生関係のないことだろうと思って、深く調べることはしなかった。
確かとても痛くて苦しいものだと認識しているが。まずい、なめていたとルナリアは失恋に対して考えを改める。
痛い
痛い
痛い
想像以上に痛い。胸がねじ切られる。
たかがさようならと言われ、二度と話をすることがなくなっただけ。
たかが、次合った時は殺し合うだけ。
それなのに、なぜこんなにも心が痛む。
平静を装っていた顔も維持することが出来なくなり、ルナリアは声を上げて嗚咽を漏らす。
「ぅぁああああああっ!!」
自分の体を抱きしめ、身を震わせながら乱暴にコンソールを蹴りつける。
アーマーナイツを我が子のように大事にする彼女からは考えられない行動だった。
胸を内側から切り裂かれるような、かきむしりたくなる痛みがジクジクと広がる。
まるで胸に真っ黒い穴が開き、そこから体中にヒビが入っていく。止められない自己崩壊のようにも思える。
不意に薄暗いモニターに自分の泣き顔と、耳の上に飾られた黄色い花が映っているのが見えた。
ダメだ、この花は痛みだ。
握りつぶそうと思うが、花を包み込んだ手に力が入らない。
―いいじゃないですか。可愛いですよ―
鉄臭く、機械にしか興味を持てない自分にプレゼントされた星形の花。
嬉しくて、嬉しくて、その言葉が頭の中で反響する。
だが、その嬉しさが大きいほど痛みは強くなる。
卑怯だ、卑怯だ、卑怯だ。
これだけ自分をかきむしっておきながら敵に回るなんて。
「なんで、私の味方になってくれないんですか……」
ラボが大きく揺れ、燃え盛る天板が崩れ落ちてくる。
地上にある収容棟が火事によって崩れつつあるのだ。
このままだと瓦礫に埋もれてしまうとわかっていたが、ルナリアは動けずにいた。
心の痛みを前に、何もする気が起きない。
この痛みとともに全部燃えてしまうのもいい。そう思うと頭の中が白んでいく。
しかしその一瞬、冴えない少年の影が脳裏に映る。それと同時に目を見開き、歯を食いしばった。
「…………諦めてたまるかあああああああ!!」
彼女の中にある嘘偽らざる気持ちが、チリチリと胸の内を焦がし咆哮となって爆発した。
敵か味方か、そんなことはどうでもいい。
この燃え上がる感情を、簡単に消せるくらいならば涙など流れはしない。
恋の炎は不死鳥の如く燃え上がり、更に強い感情へと昇華する。
その瞬間、目の前のコンソールに火が灯る。
小さな駆動音と共に真っ暗だったモニターに幾何学的な起動式が走っていく。
【スタートアップメタトロン】
【マッチングシークエンス……最適化完了】
【コア活性化――ブートアッププロセススタート】
【メタトロン、搭乗者登録……完了】
機体の初期起動が完了すると、メタトロンの相貌にグリーンの光が灯る。
それと同時にモニターに地下研究所内の様子が映し出された。
何が起こったのかと困惑していると、コクピット内に機械音声が響く。
【おはようございます。マイマスター。私はこの機体のコアユニットです】
「嘘、メタトロンが動いた……しかも、私にマッチングした?」
【肯定。本機はあなたを搭乗者として登録しました】
ルナリアはごくりと喉を鳴らす。
「悪魔種と光の起源聖霊のマッチング率はほぼ0%と実験結果が出てるのに……」
【本機はマスターの感情によって起動が確認されました】
「感、情?」
【はい、コアが起動に必要な強い感情の昂ぶりを観測しました】
「……ちなみにそれってどんな感情ですか?」
【言ってもよろしいのですか?】
「やっぱりやめて下さい。なんとなく察しはついてますから」
感情の昂ぶりと言われれば、さっきのアレ以外に考えられない。
それを機械と言えど第三者に口にされるのはルナリアの精神が耐えられない。
【愛です】
「なんで言うんですか!?」
ルナリアは目の前のコンソールに頭突きを繰りだす。
【コア協議システムがマスターに対する隠匿を否定した為、事実をお伝えいたしました】
「なら最初からもったいぶらないで下さい!」
【失礼しました】
「確か姉さんとマッチングしたレイ・ストームはプライドという感情に強く共鳴すると研究結果がでていましたが……」
それが搭乗者とコアのマッチングに結びつくかどうかの判断は出来ていなかった。
やはり感情がカギだったのかと思うが、よりによってその感情が【愛】とは、他の悪魔に聞かれたら失笑ものである。
「あ、愛って、あなた私悪魔ですよ」
ルナリアは頭を抱えてそんなバカなと身をよじる。その顔は火が出そうなくらい赤面していた。
「それは確かに否定できないくらい、身を焦がれましたが……」
【とてもよい愛でした】
「黙っていてください!」
ルナリアは、喋る度にピカピカと光るコンソールを拳で叩く。
【ご命令をマイマスター】
「……暴徒化した囚人を鎮圧します」
【了解、戦闘システムセットアップおよび、魔導機関アイドリングまで380秒お待ちください】
「……メタトロン。あなたの力であの人を取り戻せますか?」
【協議システム3基による演算結果を通知します。……肯定1、条件付き肯定1、否定1、結果はポジティブです】
「……条件付き肯定の条件とは?」
【向こうはマスターに気があります。マスターのありったけの気持ちをぶつければ、違えた道を再び交差させることは可能でしょう】
メタトロンの人間味ある解答に、ルナリアは思わずふっと笑みがこぼれる。
「……いいですね。あなたのこと好きになれそうです。メタトロン」
【恐縮です】