飴玉
俺は急いで城壁の中へと戻ってイングリッドさんを呼びに行くことにした。
あの人ならなんとかしてくれるはず。
逃げ出す絶好のチャンスを棒に振った気がするが、ルナリアたちが消化されて死んだなんてことになっては寝覚めが悪いどころの話ではない。
壁伝いに走っていると、すぐに巡回中の警備兵と遭遇した。俺はイングリッドさんにルナリアたちがハイドドラゴンに喰われたことを伝えてくれと頼む。
「頼む、緊急事態なんだ! 早くしてくれ!」
「ああ、わかった。とりあえず――」
ゴッと嫌な音と共に鈍い衝撃が頭に走り、視界が明滅した。
目の下が黒い細身の警備兵は唐突に俺の頭を警棒で殴りつけてきたのだ。
「お前みたいなゴミがイングリッド様の名前を呼ぶんじゃねぇ」
俺はその場に倒れ込むと、警備兵は背中を踏みつけながら、囚人認識票を確認する。
「こちら警備三班。脱獄者らしき男を発見した。囚人番号は4545だ」
警備兵は耳に手を当てながら仲間に連絡をとっているようだ。
「脱獄じゃない! 俺はルナリアさんに連れられて」
「黙ってろ。貴様がアーマーナイツにぶら下げられて外を出たのは知っている。しかし一人でいるということは逃げ出したのだろう」
「違う! 逃げ出したらなわざわざ捕まりに来るようなことするか! いいから早くイングリッドさんに話を通してくれ!」
「貴様如きがイングリッド様の名を呼ぶな!」
なんだコイツ、イングリッドの生粋のファンなのか? よくわからないところでブチギレだした警備の男は全くの手加減なしで、何度も何度も頭を踏みつけてくる。
俺の顔面がかなり二枚目に整形されたくらいで、息を切らせて足を止めた。
「あぁ、お美しいイングリッド様、世界のゴミを成敗しました。このパーシーをお褒め下さい」
恍惚とした表情の男は首にぶら下げたロケットを取り出し、中を開いてイングリッドの写真に向かってブチュリとキスをした。
うわ、コイツサイコだ。
宗教関係者は盲目的に神や悪魔を信仰、崇拝したりすると言うが、いささかキモすぎである。
まさかデブル配下の人間で、こんなにもイングリッドに傾倒している奴がいるとは。確かにあの人カリスマ出過ぎてるからな……。耐性低い人間は勝手に魅了されてそうだ。
「頼む、お願いだ。この話を通してくれ」
「脱獄者の話など誰が信じる。まず貴様を牢に入れてからだ」
「そんな悠長なことしてて彼女達が死んだらお前の責任だぞ!」
「黙れクソ虫が!」
警備の男が怒鳴り散らすのと同時に、応援らしき警備兵が三人程やって来た。
「脱獄者は即処刑だ。だが、我が神イングリッド様を気安く呼んだ罪で貴様はたっぷりと痛めつけてから死を与える」
「ダメだ……」
「なんだ?」
「お前みたいな三下じゃ話にならない」
「なんだと?」
警備の男はもういっぺん言ってみろと警棒を振り上げた。俺はその瞬間男に体当たりして、一気に駆け抜けた。
「どけぇっ!!」
人の命がかかってんだぞ、話の通じないサイコに構ってられるか。
人じゃねぇ悪魔だった。人を助ける悪魔もどうかと思うが、悪魔を助ける人間も大概だな。
「待て! 追え! 逃がすな!」
「応援を呼べ! 脱獄者が現在逃亡中! 至急応援を寄越せ!」
すぐにヘックス城壁内から防災サイレンみたいな音が聞こえてきた。
うわ、思ったより大事になってる。
しかしあんな美少女が消化されて、ドラゴンのクソになったら世界的損失だぞ。
「止まれクソ虫が!」
揃いも揃ってクソ虫しか言うことがないのか。
囚人の事はクソ虫と呼ぶようにと上から厳命されてるとしか思えない。
次から次に飛びかかって来る看守たちを躱し、飛び越え、前へと進む。
こいつら脱獄者を追いかけて監獄に戻って来てることに、矛盾していると気づかないのだろうか。
「止まれ止まらんと撃つぞ!」
俺の真横を火球や氷の矢が掠めていく。
「もう撃ってんじゃねぇか!」
ボッカンボッカン後ろで派手に爆発が起こる中、全力で走り抜ける。
躱せなかった魔法が肌を裂き、背中にはヒリついた熱を感じる。何もたかが人間一人相手に、そんな必死に追わなくてもいいだろと変な笑いがこみ上げてきた。
ほんと何やってんだろうな俺は。
★
「それで、このボロ雑巾みたいになってるのが脱獄者か?」
あれから約二十分後、俺はアメフトのディフェンスラインみたいにフォーメーションを組んで突撃してくる看守と、しまいにはアーマーナイツまで持ち出してきた警備をかい潜って格納庫へと戻って来た。
そこには丁度イングリッドさんがいて、なんとか声をかけようとあと一歩のところを屈強な看守五人がかりによって取り押さえられたのだった。
「最近の脱獄者というのは帰巣本能があるようだな」
そんな様子をイングリッドは冷たい視線で見下ろしていた。
銀色の長い髪がサラリと流れ、一部の隙も無い軍服で身を固めた悪魔軍指令官。
パーフェクトとしか言いようのない体と冷徹なる瞳に、ある者は畏怖し、ある者は崇拝し、ある者は忠誠を誓う。
人はそれをカリスマと呼ぶのだろう。
「聞いて……ください」
「黙っていろ! すぐに片付けますのでイングリッド様はお気になさらず」
「聞いてください!」
「黙れゴミムシが! このお方の手を煩わせるんじゃない!」
「ルナリアさんたちが、ハイドドラゴンに喰われました!」
俺の口を押える看守の手を噛み、体を痙攣させながらも無理矢理声を絞り出して叫ぶと、それまで無表情だったイングリッドがピクリと反応する。
「デタラメを言うな! 蛆虫が死ね!」
看守は俺の髪を掴んで無理やり地面に顔を押し付ける。握力が強くて頭蓋骨が潰れそうだ。胸が圧迫されすぎて息をするのも苦しい。それでも声を絞り出す。
「ルナリアさんたちはハイドドラゴンの奇襲にあってまる飲みにされました! 外に彼女達のアーマーナイツがあります。ハイドドラゴンはそこから西の方に向かって移動しました。俺がルナリアさんの持ってた注射器でドラゴンの体を刺したので、それが目印になるはずです!」
「黙れと言っている!」
頭を何度となく殴打され、もう失神寸前だ。だが伝えるべきことは伝えた。これでイングリッドさんが動いてくれるかどうかだ。
しかし、俺には確信めいたものがあった。この人なら絶対動くと。彼女は例え嘘の情報であっても仲間は見捨てない。そんな王の気質がある。
イングリッドはカツコツとヒールの音を響かせてこちらに歩み寄る。
「どけ」
「はい、すぐにこのゴミを片付けますので」
「お前に言ってるんだ」
イングリッドは熱を感じられない冷たい瞳で警備の男を睨む。
警備が全員飛び退くと、彼女は俺の胸ぐらをつかみ上げた。
「嘘だったら殺すぞ」
「嘘な……ここまで帰って来ませ……」
飛びそうな意識をなんとか繋ぎ止め、言葉を繋ぐ。
彼女の深いブルーの瞳が、こちらの目玉の裏側でも見ようとしているのかジッと見つめてくる。
真偽の判定は終わったのか、胸ぐらから手を離すと、イングリッドは凛々しく部下たちに命令を下す。
「アーマーナイツを第二種戦闘配置! 通信士、応答があるまでルナリア機に通信を送り続けろ。西側城壁を中心に全方位へ機体を飛ばせ!」
格納庫内に出撃のアラートが鳴り響き、待機していたアーマーナイツに次々に火が入ると、鋼鉄が呻りを上げて動き出す。
イングリッドはインカムのようなものを耳に取り付けると、更に指示を続ける。
「目標は指揮官数名を腹に取り込んでいる、発見しても胴体部分は傷つけずに仕留めろ。またハイドドラゴンには注射器が刺さっている。各機それを目印に二時間以内に捜索しろ」
「ありがとう……ございまふ……」
これでなんとかなる。俺の役目終了、後は任せよう。
オペレーターらしき女性悪魔が、格納庫内の通信機を操作しながらイングリッドに振り返る。
「イングリッド様、アーマーナイツ各機出撃を開始しましたが、展開に最低でも三〇分はかかります」
「重量歩兵型は足がトロいな。ヴィンセントを出す」
「よろしいのですか? デブル提督官の許可がありませんが」
「構わん。出せ」
「了解しました。アーマーナイツ伯爵級ヴィンセント出します」
オペレーターの悪魔がコンソールを叩くと、格納庫にあったコンテナの一つが重々しい音を立てながら開く。
中から現行配備されている騎士甲冑型のアーマーナイツとは異なる、シャープなボディをした機体が姿を現す。
塗装がされていないのか、まだ全身が真っ白で頭部の一角獣のような角だけが半透明の黄色をしていた。
従来のアーマーナイツと違い、装甲の厚みを絞り、より人間の体型に近づけている。
しかし、その最大の特徴は騎士のような上半身ではなく下半身部分だ。二足歩行型ではなく、馬のような四足の脚部となっていた。
それに円錐型の突撃槍を装備した人馬型の風貌は、正しく鋼のケンタウロスと呼べるだろう。
「もしかしてこれがレイ・ストームって奴なのか……?」
しかしオスカーの言っていた特徴と随分異なっている。確か青銀で翼の生えた機体と聞いていたが、色も違うし羽もない。それにこんな特徴的な脚部をしていたら、きっとその情報は伝えられているはずだ。
イングリッドはヴィンセントと呼ばれた機体の前へと進む。
俺が不思議そうな顔をしていると、彼女は背を向けたまま呟いた。
「アレが組んだ機体だ。足が速い」
アレとはルナリアさんのことだろうか? それにしても説明が足が速いというだけはいささか雑過ぎではないだろうか? いや、本来俺に説明する理由なんて微塵もないだろうけど。
ヴィンセントの起動準備が終わったのか、胸部のコクピットハッチがひとりでに開いた。
「乗れ」
「はっ? えっ?」
「お前が一番現場を知っているのだろう?」
だとしても乗っても良いものだろうか?
「話が嘘だった場合、その場で射殺する」
なるほどそういうことか。自分を殺すと言っているのに、なぜか納得感の方が強かった。
「殺すと言っているのに穏やかな表情をしているな」
「嘘は言ってませんから。それに殺されるならムサい看守より美人の方が良いですよ」
イングリッドは不思議そうにこちらを見やると、俺の体のいたるところが擦り切れ、青痣と内出血だらけになっていることに気づいた。
特に側頭部の傷は酷く、あのパーシーとかいう看守にやられた傷が未だに血を噴きだしている。
「なぜそこまでして帰って来た? あいつらが喰われたならお前は逃げることができたはずだ。お前の話で一番理解できないのがそこだ」
「ルナリアさんは俺の毒を治してくれたので」
「それだけか?」
「あと顔が好みです。怒ると可愛いんですよね」
そう言うと、冷たい仮面を被った女性は俺を睨みつけた。
まずい、これだからお前はいつも一言多いとか言われるのだ。
よくそのツラで人の顔の評価が出来たもんだな、死ねと言われても文句は言えない。
しかし、彼女の反応は俺の予想とは異なったものだった。
「アッハッハッハッハッハッハッハ」
格納庫内に響き渡るイングリッドの笑い声。
これには他の悪魔も驚き、呆気にとられながら目を見開く。彼女が笑う姿は相当貴重なのだろう。
「アレをそんな風な目で見た奴は初めてだ」
「そうですか? ちょっとかわってますが、顔も性格も良いと思いますが」
「アレもお前には言われたくないだろう」
イングリッドはこちらを見やるが、ほんの少しだけ冷たさが消えた気がする。自惚れかもしれないが。
「…………痛むか?」
なんのことかと思ったが、イングリッドは遠慮なしに側頭部の傷口に触れた。
「いえ、大丈夫です」
そんなことはないズキズキと痛む。
見え透いた嘘は簡単に見抜かれたのか、彼女はポケットの中から飴玉を取り出した。
飴でも舐めて、痛みを紛らわせろってことかな? と思っていると、イングリッドは普通に飴を自分の口に含んだ。
さもしい期待をしてしまった自分が恥ずかしい。
そう思っていると、彼女は何を思ったか俺の顎をつかみ、無理やり口を開けさせると自身の舐めていた真っ赤な飴玉を吐き出してこちらに放り込んだ。
「……(コロコロ)」
甘い。リンゴ味。彼女の口から移動してきた飴は、アイスのように冷たかった。
甘さを感じると同時に、自分の中の痛みが引いていくことに気づいた。
「あれ、痛くない」
「私の魔力を飴に移して、お前に渡した」
なにそのご褒美。優しい。そしてやらしい。
「早く乗れ」
あっ、この人多分今機嫌が良い。ちょっと声のトーンが上がっている。
普通は気づかない、そんな微かな差異に気づけたことが嬉しい。
この人、表面はめちゃくちゃ冷たいけど、中身は甘々な気がする。