摘み取られる希望 前編
勇咲たちが地下工場を見つけた翌日の朝。
オスカーはゼロゼロワンダフォーの迫った選択に眠れぬ夜を過ごし、悩み抜いた結果を胸に立ち上がった。
「んごー、んごー」
隣のソファーではグランザムがいびきをかいて眠っている。だが、オスカーにはこれがただの狸寝入りで、こちらに心配をかけないようずっと寝たふりをしていることはわかっていた。
普段のふるまいはいい加減でも、本当はこの男の心が繊細だということは長年一緒にすごしてきたオスカーだからこそわかることだった。
グランザムの態勢は気にせず、彼は自身の決意を打ち明けることにした。
「グランザム……いつまでも迷っている時間はない。私は三国同盟と共にここを出ると決めた……。お前には本当にすまないと思う。……お前たちの仇をとるなんて身勝手なことは言わない。だが私は私の使命を果たす。それがウォールナイツ部隊長としての最後の責務だ」
友を置き去りにしてでも自分は前に進む。決して自分だけが助かりたいという気持ちではなく、友の屍を抱えてでも聖十字騎士団を討って見せるという修羅を進む覚悟である。
格子窓からさす朝焼けの光が、オスカーの背を眩く照らしだす。牢獄に捕らわれて尚、折れぬ彼の心を表しているかのように光は煌めいていた。
「んごー……ががが……すぴー……」
「…………」
しかしそんな彼の決意に対して全く反応がなく、グランザムは寝息をたてたままだ。
オスカーはまさかこいつ本当に寝ているのか? と思いグランザムの顔の前で手を振ってみる。
「んごごご……ふへへ」
「…………」
鼻をつまんでみると苦し気にモガモガと言い始め、疑問は確信へとかわる。
オスカーはつまんでいた鼻を離すと、グランザムのことを勝手にわかった気になっていた自分のことを恥じると共に白く陰った眼鏡のつるを持ち上げる。
「こいつ……本当に良いの顔だけだな……」
長年付き合った感想がそれである。
オスカーの修羅宣言は壁に話しかけていたのと同じく、眠っているグランザムの耳には届いていない。
本当なら憎らしく感じるところだが、恐らく今日、明日辺りでこの男の顔を見るのも最後かと思うと胸に張り詰めたものがこみあげてくる。
「許せ……我が生涯の友、グランザム」
眠る友の前で懺悔の言葉を吐くオスカー。
すると、カツコツと高級独房棟に足音が響く。ここにヒールの音を響かせるのは一人しかいない。
看守と共に牢の前に立ったハラミはうっとりとした表情でオスカーを見やる。
「オスカー様、おはようございます。今朝もあなたは美しい。いえ、今朝だけではなく昼も夜も、産まれた時から……、いえ世界創世の瞬間からあなたは美しい。そう……あなたこそノブレスオブリージュ!!」
朝からテンションの高い女だ。完全にノブレスオブリージュと言いたかっただけだろう。そう思いながらオスカーはため息をつきそうになるのをぐっとこらえる。
オスカーは今日の彼女がいつもと違い、つば広の帽子を被り、真っ白のワンピースとその手にバスケットを持っていることからどこか外に出るのだろうと察しがついた。
「今日は出かけるのか?」
「わかります!? さすがオスカー様、私のことを誰よりも理解してくださっているのですね……。ハラミ幸せです」
再びうっとりと頬を染めてトリップするハラミに、オスカーは地雷を踏んだと苦い顔をする。
「今日はお父様がピクニックに連れていってくださるのです。それでご一緒にと思い……。デート……というものですね」
ハラミは頬を染めながらもじゃらりと鎖付きの首輪をとりだし、にこやかな笑みを浮かべる。
お誘いと言いつつもオスカーに拒否権がないことはわかっていた。
「グランザムは?」
「筋肉野郎ですか? う~ん、いらないんですけど、オスカー様がどうしてもと言うのなら連れて行きますわ。ペットの犬みたいなものですから」
「……どうしてもだ」
「仕方ありませんわね。寂しがり屋のオ・ス・カー・さ・ま」
ハラミはオスカーの眼鏡が白く陰っている理由に気づいていない。
無理やり起こされたグランザムはオスカーと共に首輪をとりつけられ、犬の如くハラミに引っ張られて高級独房棟の外へと出た。
施設の前には既にハラミの父デブルと、護衛が数人待機していた。
(オスカー、これどこに行くつもりなんだ?)
グランザムはなぜここのトップであるデブルたちが揃って出かけようとしているのか不審に思い、オスカーにしか聞こえない声で話す。
(デブルのクソ野郎も一緒ってのもよくわかんねぇ。こいつらノコノコ城壁の外へと出るつもりなのか? 本気で楽しいピクニックに行くってわけじゃないだろ)
(このタイミングでデブルが城壁の外に出る理由があるとしたら、奴より立場が上の人間からの命令だけだ)
(ってことは聖十字騎士団本国からの命令か)
「オスカー様どうかなさいましたか?」
ブツブツと会話するオスカーの顔を下から覗き込むハラミ。
「いや、なんでもない」
「もう少し待ってくださいね。乗り物がもうじき来るそうなので」
しばらくして彼女の言葉通り乗り物はやってきた。
だが、やってきたそのあまりにもいかつい乗り物にオスカーとグランザムは絶句してしまう。
彼らの目の前にやって来たのは戦闘を目的とした装甲車両で、大きさは二階建ての建物よりでかく、車両上部には巨大な火砲が正面をとらえている。
下部にはどのような路面をも踏み越える武骨な履帯がキュラキュラと音をたて、砂煙を巻き上げている。
車両全体を黒銀鋼と呼ばれる、防御性能に優れる金属に覆われており、ちょっとピクニック行ってくるというより、ちょっと戦争行ってくると言われた方がしっくりとくる。
「オスカー……なんだこのバカが考えた最強兵器みたいなのは……」
「戦車だ。元は荷台に兵士や武器を乗せ早馬に引かせて走るものだったが、それが強化と進化を繰り返し、最終的に自動走行車に火砲を取り付けたものがこの形になったと言われている」
「それがこれかよ……」
驚くオスカーたちをよそにハラミは「この大砲ドラゴンでも落とせるらしいですよ」と恐ろしいことを言う。
彼らが驚愕していると戦車の上部ハッチが開き、そこから白衣を纏ったマッドサイエンティスト、ペヌペヌが姿を現す。
グランザムはその姿を見た瞬間、ヘックスをこんな姿にかえた元凶に対して怒りを爆発させる。
「てめーはあの時のサイコ野郎!! ぶっ殺してやる!!」
グランザムが殴りかかろうとした瞬間、首輪から凄まじい電流が流れ彼は一瞬で地面に四つん這いになった。
「ぐああっあああ!!」
「身の程をわきまえなさい。この方はお父様の大事なお客様なのですから」
電流のスイッチを握りしめたハラミは四つん這いになったグランザムの顔を何度も踏みつけた。
その様子を見てペヌペヌは愉快気に頬をつり上げる。
「ヘローエブリワン!! そこのデカい男! いい気骨だ気に入った今度サンプルにしてやる!」
両手の人差し指でグランザムを指し、ペヌペヌは白衣をひらりと翻して戦車から飛び降りると、ゴキゴキと肩を鳴らす。
「というのは冗談で。ふ~~んむ。やはり戦闘力は申し分ありませんが、送迎には向かない車ですね」
顎に手を当てて戦車を見やるペヌペヌに、待ち構えていたデブルがすぐさま手揉みしながら近づいていく。
「いらっしゃいませ。ペヌペヌ様」
ペヌペヌはデブルの顔を見て、誰だコイツ? 本気でわからん。みたいな表情をした後、しばらくしてからポンと手を打った。
「あぁ、この街の管理をお願いしているデブ君ですね」
「デ、デブルでございます」
こめかみに青筋を浮かべるデブルであったが、ペヌペヌが元から奇人変人なことは理解しているし、彼がいなければ今の立場がないこともわかっているので怒りをぐっと押しこらえる。
この男こそが今のデブルにとっては出世の足掛かりなのだ。
「調子はどうですか? ワタシのあげた可愛いペットは元気にやっていますか?」
ペットとは頭を二つ持つドラゴンのことであり、それが毎日人を喰って大変なのだがデブルは造り笑顔のまま「それはもう元気です」と答えた。
「グ~ドグ~ッドベリベリグ~ッド。あの子は初めてキメラとして成功した試作55号。ワタシも感慨深くもありますよ。ライトヘッドは生肉が、レフトヘッドはスライムの肉が好きなのでちゃんとそれぞれの好物をあげてくださいね」
「それは勿論」
両方とも生肉しかやっていないが、ドラゴンの管理状態を知らないデブルは「当然です」と嘘ぶいた。
「さてさてワタシが皆さんを楽しいピクニックにお誘いしたのですが、何かと物騒な世の中。デブ君なんかいつスナイパーに頭を撃ち抜かれて、潰れトマトにされてもおかしくない存在です。ですので今日は頼もしい護衛をお誘いしていますので、そちらの紹介を先にいたしましょう。イングリッドさん! イングリッドさん!」
ペヌペヌは戦車に向かって叫ぶが、中からは何の反応もない。
「イングリッドさん! イングリッド社長! 指揮官! 将軍! 大佐! 総帥!」
やかましいペヌペヌに戦車の中で待機していたイングリッドは小さく舌打ちすると、ハッチを開いて上半身を戦車から乗り出す。
するとデブルたちから「おぉ」と感嘆の声が漏れた。
てっきり筋肉マッチョの傭兵でも出てくるのかと思っていたら、官帽を被った銀髪の見目麗しい女性が姿を現したからだ。
イングリッドは銀の髪をなびかせながら眼下に見えるペヌペヌたちを見下ろす。
美しいというのは一般人の感想だ。すぐに相手の力量を見抜いたオスカーとグランザムはその視線にさらされた瞬間冷や汗がとまらなくなった。
「オ、オスカー……なんだありゃ……人の皮を被った怪物か」
「人間じゃないのは間違いない。魔人か……それに近しいものだ。全く底が見えん」
「正直こんな戦車よりあの女の方がよっぽど恐ろしいぜ……」
お互い心臓を鷲掴みにされているような圧迫感と不安。
息が詰まるなんてものじゃない。気を抜けば失神してしまいそうなほどの威圧感。
丹力だけは人一倍なグランザムの膝が笑っている。
あそこにいるものの恐ろしさがわからぬデブルたちは「お美しい」などと見た目通りの事をのたまっている。
「イングリッドさん。パイレーツ危機一髪じゃないんですから、ちゃんと降りてきてください」
ペヌペヌが促すがイングリッドはハッチにはまったまま「くっ! はっ!」と何やら両腕に力を込めている。しかし一向に降りてくる様子がない。
「くっ……」
「イングリットさん? 日が暮れてしまいますよ?」
「うるさい黙ってろ! チッ、だから上部ハッチは嫌いなんだ」
イングリットは苛立ちながらめいいっぱい力を込めると、戦車からメコッと鈍い音が鳴り、明らかにハッチが歪んだのがわかった。
「どんな怪力だよ……」
グランザムがクロムメタルさえ歪めてしまうイングリッドの力に顔をしかめる。
どうやらハッチに尻が詰まって出られなくなっていたようだが、ハッチを無理やり歪めて出てきたらしい。
彼女の格好は肩章のついた真っ黒いジャケットに真紅のネクタイ、胸には金のチェーンが揺れ、下はタイトスカートに黒のストッキング。
まるでどこかの将校のようであり、見た目二十代そこそこに見えるが威圧感だけは歴戦の将軍にも引けを取らない。
あまりにも美しく氷の彫像のような冷たさを感じる為、グラマラスな体つきをしているというのに女性を意識させず、むしろ芸術品が立って歩いているかのようにさえ思えてしまう。
「ま~ったくおケツでかいんですから。ちゃんと尻のサイズを測ってからハッチを設計して下さい」
ペヌペヌが煽るように尻を振って見せるとイングリッドは無言でペヌペヌの首を掴んで持ち上げた。
「あ~ごめんなさい嘘嘘! 嘘ですよ!」
珍しく大慌てになるペヌペヌを乱暴に放り投げると、イングリッドは不機嫌気な表情で黙り込んだ。
「ご紹介しましょう。この戦車ケーニッヒフォートレスの操縦、というより指揮をされているイングリッド・ラングレー社長です」
「社長?」
デブルの質問にペヌペヌは頷く。
「彼女は正規の聖十字騎士団とは違う、武器屋さんなのですよ。ウチで開発した物のテストや量産化、現地への引継ぎなど様々な面で役立っていただいているのです。我々としては是非とも彼女達を聖十字騎士団に引き入れたいのですが、そうもいかない理由がありましてね」
「理由ですか?」
「えぇ、彼女達悪魔なんですよ」
はっ? と驚くデブルは彼女の股下に覗く悪魔特有の尻尾が見えたことに驚く。
逆にオスカーたちはやはりなと苦い顔をする。
「ハーフデーモンというやつでして。彼女達の頑強な体はテストで非常に役立っていますよ。技術者としては皆悪魔くらい頑丈になればいいのにと思わずにはいられません。デーモン最高と声高らかに叫びたいところですが、これでも我々は神を敬う宗教屋。悪魔と一緒にいるというのも問題がありますからね」
「た、確かに……」
「ワタシとしてはくだらないと切って捨てたいところですが、人の信仰とは無下に扱うと呪いじみた怒りが湧いてくるのも確かです」
「その、悪魔とは人間を敵視し、襲ってくるものだと」
「彼女達はそんな本能に任せたおバカさんではありません。利害の一致があれば協力関係を結び、互いに益にならないと思えば手を切る、実にわかりやすい関係ですよ。ただ先ほどのワタシみたいに調子に乗ると首をゴキッとやられるので気をつけて下さい」
デブルは先ほどケツが抜けないイングリッドに「良いクッションをお持ちですな」とセクハラ混じりの皮肉を言ってやろうかと思ったが、押しとどめて正解だったと冷や汗をかく。
「博士、新型の搭載を始める。貨物四両でいいな?」
我が事を紹介されていることなど、全く意に介した様子もなくイングリッドは冷たい声で事務的に話す。
ペヌペヌはそれに大きく頷き、指示書が挟まったバインダーを手渡す。
「ええ、よろしくお願いします。あっと二両目は客車にしてくださいね。我々ピクニックの予定ですから」
イングリッドは何も答えないまま部下に指示を送り、戦車の後部に貨物車両を連結させていく。
予想通り、コンテナにはピクニックに相応しくないアーマーナイツが順次搭載されていくのだった。
「まだまだ紹介したい方はいるのですが、自己紹介だけで日が暮れるのは勿体ありません。さぁさ皆さん楽しいピクニックの始まりですよ」
ペヌペヌの含みのある言葉にオスカーたちは嫌な予感しか感じなかった。