終わらせる者
ヘックス陥落から数日後。
アルタイルは、ある奴隷監保管所を魔人ザドキエルと共に壊滅に追い込んでいた。
一見普通の民家に見えて、地下には奴隷を保管する監禁室が設けられた屋内には、ぐったりと横たわった用心棒の死体が転がっていた。
アルタイルは死体から鍵を入手すると、それを使って地下室へと降りていく。
薄暗い地下は酷い血の臭いで溢れており、彼は整った顔を不快気にしかめた。
番号の振られた牢屋の中には裸の女たちが人間、亜人問わず転がっていて、五体満足、健全な人間は一人も見つからない。誰もが虚ろな目をして小さく呻きながら口の端から涎を垂れ流していた。
二人は目的の牢屋前へと到着すると、鍵を開いて中へと入る。
中にいた少女も多分に漏れず、視線が定まっていない。突然現れたアルタイルを見てもエヘヘと壊れた笑みを漏らしている。
耳の上から伸びたツノは左右共に折られており、一目で正気を失っているとわかる。
「拷問、性奴、薬物漬けか。保管所が聞いて呆れるな」
「味見のつもりが壊してしまった女を置いておくゴミ捨て場だな」
燕尾服を着た長身の魔人ザドキエルは、牙だらけの口を開いて哀れな少女の末路に薄い笑みを浮かべている。
アルタイルは一目で目の前の少女が既に手遅れだと理解していた。しかしそれでも一縷の望みをかけてザドキエルを見やった。
「無駄だ。もはやこいつの精神は死に、魂は汚染されている。このまま行けばこの女の悪魔化は防げん」
「そうか……なら、いつも通りに頼む」
ザドキエルは拳を軽く握りしめると、目の前の少女は苦しむことなく糸の切れた人形のように倒れ、そのまま静かに息を引き取った。
「毎度言っているが、我ら魔人とは破壊するものだ。救済を求めてくるな」
「すまないな」
アルタイルは少女の開いた目を閉じ、涎を拭うと踵を返した。
比較的薬物症状が軽そうな奴隷の牢に鍵を投げ入れると、そのまま胸糞の悪くなる地下室を上がっていく。
階を上がると留守にしていたらしき保管所のオーナーが、用心棒たちの死体を見てわなないているところだった。
オーナーの男は身なりが良く襟章をつけた貴族で、名をオットーと言う。アルタイルも何度かこの男のパーティーに呼ばれたことがあり面識はあった。
特に金に困っているなどという話は聞いたことがなく、奴隷商をしているという話も聞かない。貴族にしてはホワイトの部類のはずだった。
人間裏で何をしているかわからないものだと彼は小さく息を吐く。
オットーは地下から上がって来た場違いな二人を見て額の血管を浮きだたせた。
「貴公、何が目的でこのようなことする!」
「…………」
「答えろ! 私の商売を邪魔してタダではすまさんぞ!」
オットーは自分の事を、まるで道端で吠える犬でも見やるかのように冷めた視線を向けるアルタイルに更に憤る。
もう一度声を荒げようとした時、人間サイズの麻袋を担いだガラの悪い傭兵が数人、家の中へと入って来た。
麻袋はモゾモゾと動いており、中に何が入っているのかは容易にわかる。
彼らは新しい商品を仕入れる為に留守だったわけだ。
「……オットー卿、あなたは人の命を犬や虫ケラと同視されているのではないですか?」
「何を言い出すかと思えば。アルタイル卿、貴族がそういう生き物だと理解していると思っていたが? それとも私の表の顔を見て、本当にいい人だとでも思っていたのかね?」
「そうあってほしいと……願望は抱きました」
「性善説でも説くかね?」
「いえ、下に監禁されている少女達を見てそれはないと理解しました」
「むしろ私には君の行動が理解できんよ。くだらぬ正義感を振りかざして金になるのか? 快感を得られるのか? 得られるのは他の貴族からの恨みだけであろう」
「正義の味方のつもりはありません。ですが、人間には最低限の品性が必要だと私は思っています」
そう言うと怒っていたオットーは膝を打って大笑いしだした。
「アッハッハッハッハッハ! 品性ね。確かに重要だとも、ならば尚更問題ない。私は品性のない人間しか奴隷にしていないからな!」
「…………」
「アルタイル卿、虫には鳥に食われる、家畜には人に食われる役目というものがある。それが神に定められた運命というものだ。ここにいる奴隷たちは皆落ちるべくして落ちたものたちばかりだ。それはなぜか? 運命だからだよ。高貴な人間たちに食われる為にね」
「そうですか」
アルタイルは静かに瞳を閉じた。だが、一呼吸おいて彼の碧色の瞳が開かれる。
「ならばそのように定めた神。私が殺してみせましょう」
戯言のようにも聞こえるはずの言葉は、なぜかオットーたち周囲の人間全てを黙らせほどの威圧感があった。
「フ、フン、おいお前たち、もういい奴らを殺せ。報酬は払う!」
「いいんですかい? 相手は貴族ですぜ?」
「構わん。全てもみ消してやる。いつも通りな」
「さすが坊ちゃんだ」
筋肉質な傭兵たちが武器を手に取りアルタイルの周囲を取り囲む。
「人さらいや奴隷犯すのも飽きてたんだ。ちょっとは楽しませろよ優男」
傭兵の男がバカにした笑みを浮かべながら、アルタイルに顔を寄せる。
すると、その瞬間傭兵の首がゴロリと床に転がった。
「えっ?」
首の落ちた傭兵が天井を見上げると、首のない自分の胴体と右手を血に濡らし笑みを浮かべるザドキエルの姿があった。
「獲物の前に舌なめずりとは、教育がなっていないな。即殺しが基本だ」
なんの躊躇いもなく人を殺した燕尾服の男に傭兵たちは一瞬どよめく。
人の皮を被った魔人は、首のない胴体から飛び散る血飛沫に目をギラつかせる。人殺しを心底楽しんでいるような、その邪悪な顔は傭兵たちを萎縮させるには十分だった。
「貴様らは不快だ」
感情のないアルタイルの瞳が怒りに彩られる。
そして静かに命令を下す。
「殺せ」
アルタイルの命令に牙だらけの口を三日月のように歪め、悪魔の笑みを作るザドキエル。
それから数分後、何事もなかったかのように外に出たアルタイルは、帽子を目深に被って街へと出た。
保管所には神の運命に抗えなかった貴族の死体が転がっていた。
人を避け俯いて顔を隠しながらながら歩いているというのに、彼の美形オーラは消せるものではなくすれ違う女性達がポッと頬を染め、背中で声をかけてみたらどうかなどと話しあっている。
そんな注目から逃げるように、アルタイルはザドキエルと共に落ち着いた雰囲気のカフェへと入った。先ほどの嫌な臭いを消すためにウェイトレスに熱く濃いブラックコーヒーを注文する。
「死体ばかりが増えるな、ククク」
ザドキエルは心中を見透かすように、大きな口に笑みを作る。
アルタイルは手帳を取り出すと、奴隷市場や奴隷を監禁している保管所の名前がいくつも書かれたページを開き、今壊滅させた保管所の名前にバツ印を記入する。
既に奴隷市場、保管所の大半に×印がついており、彼らが一体いくつの奴隷取引を潰してきたのかがわかる。
アルタイルは小さく息を吐くと、ペンを置いて運ばれて来たブラックコーヒーの匂いを楽しみながら一口口に含む。
口の中に広がる熱さと苦みに、鼻の奥に溜まった少女達の死臭が溶かされていく。
「梶卿がラーの鏡を持ち帰ったのが収穫だ。あれがあれば騎士団を復活させることができる」
「黄金の神を味方につけたとか。人間にしてはやる」
「神に貸しを作ってくるとは本当に恐れ入る」
「神が一個人に肩入れすることなど本来ありえんからな。しかし上手く行ってるとはいえそこだけだ。鏡は魔力の充填中であろう。時を復元する古代魔法だ。一度奇跡を発現させるだけで、どれほどの魔力を使うかわからんぞ」
「その間に出来る限り奴隷に落とされた騎士団を救い集める」
「しかし、大半の騎士団員は死んでいた。どいつもこいつもハードなプレイを好む変態の元へと送り込まれていたわけだ」
「見つからなかったが正しい。明らかに発見できた騎士団員が少ない。これだけ潰して発見できたクルト族は僅か三人。隊長格に至っては未だ一人も見つかっていない」
「隊長格は教会で監禁され、司祭共の玩具にされているだけだろう」
ザドキエルは遅れて運ばれて来たコーヒーの中に角砂糖を大量に入れ、氷山みたいになっているコーヒーを一口で飲み干した。
「苦いな」
まだ溶けきっていない角砂糖を噛みながらザドキエルは顔をしかめる。
「アルタイル……苦いぞ」
まるで地獄の底から響くような声で言うザドキエル。
アルタイルはメモ帳に視線を落としながらウェイターにシナモンケーキを注文した。
「君のような強面がケーキを食べる姿は、なんともシュールだ」
「言っておく、魔人は例外なく甘いものが好きだ」
「その話は他の魔人に確認をとってから信じることにする」
メモ帳にはまだいくつか回っていない奴隷市場と保管所があるが、これまでの傾向からするとどうにもこの中に捕らわれた騎士団員達がいるように思えなかったのだった。
それに現状人手が使えない中、一つ一つ潰していくのも効率が悪い。
「少し人手が足りないか」
「梶という男、あいつにもやらせればいい」
「彼は優しすぎる。あれは目に見えるものは出来うる限り助けようとするモノだ。我々のように終わりを与えることが難しい」
アルタイルは先ほど、壊されたクルト族の少女の命を終わらせたことを思い出していた。
あの光景は初めてではなく、既に何度も行われている”少女たちの終わり”だった。
「人間とは愚かだな。あぶくのように生まれてくる命をいちいち気にしているとは」
「そこが美徳でもある」
「しかし遊ばせているわけにもいくまい」
「当然だ。我々では難しい作戦を行ってもらう。それと同時にゼノを引き込まなくてはラーの鏡に魔力が充填されたとしても使用することができない」
「裏切りは女の武器だからな」
「一途で誰かを頼ることができないだけだろう」
「物は言いようだな。ペテン師にでもなれ」
二人が話をしていると、カフェにローブを目深に被った女が入って来た。
女はそのまま一直線にアルタイルの席まで来ると、無言で空いている席へと腰掛けた。
「コーヒーを彼女に」
アルタイルが注文するとウェイトレスは笑顔を返した。
ザドキエルは女に向かって鼻をつまみ、大げさに手を振って見せた。
「相変わらずトカゲ臭い女だ」
「黙れ、殺すぞサメ男。アンビエントを二度とトカゲ呼ばわりするな」
憤るローブの女に、ザドキエルはクツクツと悪役のような笑みを返す。
彼女の名は竜騎士ドラニア。元聖十字騎士団の部隊長の一人であったが、オンディーヌ領での作戦の失敗の責任をとらされ奴隷市場に流された。買われた貴族に酷い拷問を受けていたところをアルタイルたちによって助けられたのだ。
以降、彼女は散り散りになってしまった自身の部隊を探すべくアルタイルと協力関係を結んでいた。
「遊びに来たのか?」
アルタイルに鋭い視線を向けられ、ドラニアは「うっ」と詰まった。
「仕事はちゃんとしている」
ドラニアは羊皮紙を数枚テーブルに出すと、アルタイルはその一枚に目を通した。
「…………やはりヘックスは落ちたか。あそこにはミスリルの城壁だけでなく強力なウォールナイツがいたはずだが」
「夜襲を受けて、すぐに落ちたらしい。今はご自慢の壁を利用し、強制収容所として領民たちの多くが収監されている」
「収監?」
「ああ、あそこは良質なミスリルが採れるから、それを使ってアーマーナイツの生産工場にしようとしている」
「玩具にミスリルとは、随分高価だな。ククク」
「ただでさえ強力なアーマーナイツに魔防性能が追加されるのは芳しくないな。指揮をとっているのは誰だ?」
「デブルっていう元ヘックス領の貴族だ」
「王を売ったのか?」
「ああ。街自体を襲ったのはペヌペヌだが管理はそいつがやっている。どうやら街を差し出すことで立場を得たらしい」
「実に人間らしく好感が持てるな。ククク」
「王はどうした?」
「ヘックス王は強襲を受ける前から既に毒殺されていたらしい。それもデブルの犯行だと思われる。元から武器や薬、奴隷の売買など、悪いことならなんでもござれのクズで、その手の界隈では有名人らしい」
「聖十字騎士団の動きを見て、王の首を手土産に裏切ったか」
「素行調査をしたが、残虐で胸糞の悪くなる人間だ」
「ほう?」
「…………親子の首に爆弾をつけて殺しあわせていた。手を抜いたら爆発させると言ってな。息子を殺せなかった父は自害した。デブルは死体にすがりつく息子の頭を笑いながら吹っ飛ばした」
「……そうか。デブルの詳細情報もこの中に入っているのか?」
「ああ。集めた情報は全てそこにある」
小さく頷くとアルタイルはコーヒーカップを置いて、ドラニアが手に入れたヘックスの資料を一まとめにする。
「彼ら向きの仕事ができたようだな」