城塞都市ヘックス
今より一か月前――
王城を中心に、領地を巨大な壁で囲まれた城塞都市ヘックス。
そびえ立つ城壁の上には見張り台が建てられ、横幅の広い壁の上を貴重なミスリル製の鎧を着た兵達が行き来している。
通常の金属より遙かに値が張るミスリル鎧を一般兵が身に纏っているのは、ヘックス領内にある鉱山から大量に採取できる為であり、領地を取り囲んでいる城壁にもミスリルがふんだんに使用されている。
魔法を弾く性質があるミスリルを惜しげもなく使った城壁は世界最硬とも言われており、よその国からも有名であった。
そんな城壁に腰掛け、長い足を組んでいるのは、線の細い中性的な美少年クリストファーだった。他の鎧を着こんだ兵とは違い、ブルーのジャケットにカッターシャツ、ネクタイ着用で、頭には官帽を被っており、さながら現代の警察官のようにも思える。
この制服こそがヘックス都市を強さの意味でも有名にするウォール騎士団の証でもあった。
彼は金色の前髪をそっとかきわけながら、門に阻まれ立ち往生している大量の難民を見下ろす。
「凄いね。人がウジャウジャしてるよ」
彼の隣に立つ、クリストファーと色違いのモスグリーンの制服を着た理知的な美青年オスカーは、眼鏡のつるを持ち上げながら「助けてくれ、門を開けてくれ」と声をあげる難民たちを睥睨していた。
「教会に住む場所を追われ、長い間彷徨ってきた人間達。助けを求めてここまでたどり着いたが、門戸は固く閉ざされていると。……哀れだな」
「冷たいなぁ君は。もう少し緩く愛と平和の精神で生きようよ」
「お前はもう少し引き締めろ。あの中で一体何人が病気を持ってると思うんだ。入れた瞬間壁の中はパンデミックだぞ」
泥だらけの難民たちが閉じられた大門を何度も何度も叩いた為、門には血と泥の拳跡がいくつもついている。
難民はどこかこの門以外に入れるところはないかと探すが、高い城壁に囲まれたヘックス領への進入経路は閉ざされた正門しかないのだった。
門を守る衛兵たちは難民にとり合うことはなく、オスカーたちと同じように城壁の上で沈黙を守っている。
難民の一人が城壁の上に座っているクリストファーを見つけ、大きく手を振る。
それに対してクリストファーは爽やかな笑みと共に手を振り返した。
当然難民たちは開けてくれという意味で手を振っているのだが、それをわかっていてスルーされていることに気づいていない。
「オスカーはもし彼らを助けられるとしたら助ける?」
「彼らの境遇には同情する。しかし奴らは他の手を差し伸べてくれた小国の王や貴族たちを振り払ってここまで来たんだ。ここに物資や兵力、そして外部の敵から身を守る壁があるとわかっている。助けてもらう身分でありながら助けてくれる人間をえり好みしてるんだよ。そんな傲慢な逃亡者を受け入れるわけがない」
「君は道義にこだわるよね。あの難民放置してたら飢えて死ぬよ」
「死ぬまで壁に張り付いている方が悪い。普通は飢え死ぬ前に諦めて、ここを立ち去る。壁の前で餓死していたらそいつは本物のバカだ」
二人が話をしていると、身なりの良い貴族らしき人間が数人、領地側にある階段を登って城壁の上に上がって来たことに気づいた。
だらしなく肥えた男たちは皆マスケット銃を背負っており、偉そうに背をそり我が物顔で城壁の上を歩いてくる。
クリストファーは葉巻を吹かしながら近づいてくる先頭のちょび髭男を見て「うげ」と頬を引きつらせる。
「デブル伯爵だ。僕あの人苦手なんだよね。臭いし」
「そういうな、あれでもヘックスでは3本指に入る貴族だ」
「だからやなんだよ。目つきがなんかやらしいし」
「伯爵は男色家という噂もある。彼に仕える使用人もほとんど見た目の良い少年だとか」
「ショタで両刀使いとか業が深すぎるよ」
デブル伯爵は二人の前に立つと「警戒ご苦労」と労う。
二人は形式状の敬礼を返した。
「貴公らも大変だな。ヘックスが誇る最強の騎士、流星のクリストファーに知将オスカーのダブルプリンスとも呼ばれる二人が、毎日毎日ゴミの監視とはな」
そう言ってデブルは城壁の下に溢れかえっている難民を見て侮蔑の笑みをもらす。
その目は明らかに人間を見ているのではなく、動くゴミでも見ているようだ。デブルはフンと鼻を鳴らすと、くわえていた葉巻を火がついたまま難民たちの頭の上に放り投げた。
葉巻は赤い火を灯したまま城壁を伝い、クルクルと回転しながら難民の頭へと命中した。
デブルは葉巻が命中した難民がパニックになるのを見てほくそ笑む。
その様子にオスカーとクリストファーが口を挟むことはなかった。
「いえ、ウォールナイツとして当然のことです」
「いやいや無理はいかんな。部隊長である君たち二人が倒れては事だ。我々がしばらくここを受け持とう。君たちは休んでくると良い」
「しかし……」
クリストファーが食い下がろうとするが、オスカーはセキ払いをして察しろと合図する。
「わかりました。オスカー・リーヴ、クリストファー・カーマインしばらく休憩に入ります」
「それで良い」
デブルはにんまりと笑みを作ると、鼻歌交じりに持ってきたマスケット銃に弾を込め始めた。
「そうだオスカー卿、今度ウチの娘と見合いでもせんか? 何、心配せずともワシに似ておらず美しい子じゃよ」
ワハハハハと自分で言った冗談に自分で大笑いするデブルに愛想笑いを返し、オスカーとクリストファーは持ち場を明け渡すと城壁の下に降りてヘックス城下町へと入った。
それからすぐに自分たちの頭上から銃声と硝煙の匂いが漂って来た。
デブルの’狩り’が始まったのだ。それと同時に門の外側では難民の悲鳴が響く。
「ゲスどもめ」
吐き捨てるように言って、オスカーは一度だけ振り返ったが、デブルに言われた通り休憩に入ることにした。
二人が苦虫を噛み潰したような不快な表情をしながら城下町を歩いていると、重鎧を着た長身の男が駆け寄って来た。
「ぃようオスカー!」
「グランザムか」
グランザムと呼ばれた青年はガッシャガッシャと鎧を鳴らして近づいてくると、目の前でいかめしいヘルムをはずした。すると野性味あふれるワイルド系イケメンの顔が露わになった。
頬に大きな傷があるものの、本人がそれを気にした様子はなく、白い八重歯が眩しい夏が似合いそうな青年だった。
「なんだ二人とも、元気ねぇな? 腹減ってんのか? 肉食いに行くか?」
「お前と一緒にするな」
「オスカー、お前怒ってる時って絶対眼鏡が真っ白になって瞳が見えなくなるよな」
グランザムに言われ、眼鏡のつるを持ち上げるオスカーだったが、彼の言う通りレンズは真っ白になっており瞳を覗き見ることはできない。
クリストファーがデブルが城壁の上で狩りを楽しんでいると告げると、苦い顔をしながらも大きく頷いた。
「あ~……貴族の息抜きなんだからしょうがないんじゃね? あいつらも外に出られないからストレス溜まってるんだよ」
「ストレス解消に難民の頭を撃ち抜くなどありえん。なぜヘックス王は貴族の好き放題を許しているのか。難民を増やす原因となっている聖十字騎士団に対してもなんら対抗策をとらない。なぜだ?」
「そんなこと言ったってオレが知るはずないだろ。王はごビョーキなんだから。まぁもしかしたらもう死んでるって可能性もあるけどな」
グランザムは「なんてな」と茶化して豪快に笑うが、しばらく王と謁見できていないオスカーには全く笑えない話だった。
三人の美男子騎士たちは横並びになって領地を歩いていく。
「しかし聖十字騎士団にも困ったもんだよね。侵略が止まらないし、難民もここまで到達してる」
「でも、俺たちウォールナイツの力があれば、聖十字騎士団なんて――」
「無理だな」
グランザムの言葉を一瞬で否定するオスカー。
「んな、即答かよ……。でもよ、今のウォールナイツは俺やお前、クリフに他にもつぇぇ奴らが揃った黄金世代って言われてるんだぜ?」
「いくら我々ウォールナイツが強力と言っても、所詮個の力。聖十字が本気になって攻めて来れば持たない」
「珍しく弱気だなオスカー?」
「当たり前だ。聖十字騎士団があれだけ好きにできるのは力があるからだ」
「あーなんだっけ? 頭おかしいくらい強い兵器があんだろ?」
「天使兵器」
「ようはロボットだろ。俺のアイゼンテッツァーで両断してやるぜ」
グランザムは背負った戦斧をヒュンヒュンと振り回して見せる。
「脳筋め。一緒にすると痛い目にあうぞ」
「確か機械の中に天使をぶち込んで操縦するとか頭おかしい奴しか考えつかない兵器でしょ? 数々のヘンテコ武器は見てきたけど、あれはズバ抜けてる」
「我々にとって重要なのは一国を相手にできるくらい強力な兵器を、聖十字騎士団が複数所持しているということだ」
「でも、あそこクーデターとかでごった返してたはずだろ?」
「騎士側と教会が争って教会側が勝った」
「頭が二つある国の宿命だな」
「そういう意味では教会側が勝って良かったよね。確か天使兵器って負けた騎士団側の人間しか扱えないんでしょ?」
「クルト族。見た目は子供にしか見えないが、神性が高く天使と契約を結ぶことができる唯一の種族だ。しかしそもそも騎士団側が勝っていたら、こんな侵略行為は起きていない。騎士団はネジが外れているが、教会の頭レッドラムはそもそもネジ穴すらない」
「騎士団が負けたなら天使兵器は出てこねぇんじゃねぇのか?」
「教会は騎士団がなくとも天使兵器を模して作られた機械鎧だけの軍団、鉄人兵団を持っている。それに騎士団は失った立場を取り戻す為に、教会の犬になる可能性は十分考えられる」
「二つの頭に明確な上下関係ができたってわけね」
「天使が教会の豚どもに顎で使われるとは世も末だぜ」
「それに教会は天使兵器を超える兵器を持っているという情報もあるし、一夜にしてゼスティンの街を滅ぼしたとも聞く」
「聞けば聞くほど気がめいって来る。なにか弱点ってねーのかよ?」
「聖十字騎士団は基本利権と既得権益にしがみつく人間ばかりだ」
「だから?」
「指揮系統が腐敗している。ようは無能たちが指揮をとっている。戦術の基本や、拠点の重要性を理解していない。あくまで奴らは戦争屋ではなく宗教屋ということだ」
「なるほどな餅は餅屋にってことだろ?」
「?」
グランザムの言ってる意味がわからず首を傾げるオスカーだったが、いつものバカが炸裂しているだけだろうと気にしなかった。
三人が城下町を歩くと、周囲の女性はそれだけで色めき立つ。線の細い中性的な美少年クリストファー、兄貴肌で勇敢な男グランザム、それらを纏める知的な美青年オスカーの三人は街でも有名人であり、彼らを見ているだけで花屋は持っていた花瓶を落とし、鍛冶屋はハンマーで自身の指を打ち、占い師は持っていた水晶を叩き割り、訓練中の女性兵達は揃って溝に落下する。
男女問わず住民は皆美しいと口にして、うっとりと目を細める。
そんな彼らに近づく一人の少女の姿があった。金色の髪をカールさせ裾広スカートのドレスを身に纏った貴族の少女は、侍女と共に三人の前に立つと優雅な所作で礼をする。
デブルの娘、ハラミだった。確かにどういう遺伝子操作があれば、あの父親からこの子が出てくるのか謎なくらい美しい少女で、美形のオスカーともつり合いのとれた女性である。
「オスカー様、クリストファー様、グランザム様ご機嫌麗しゅう」
「これはハラミ様」
「あなたの姿が見えたので、ついここまで走ってきてしまいました」
「ありがとうございます。ですが、あまりご無理をなさらないように」
「ウフフ、これでも私体力には自信があるのですよ。それで……その……」
ハラミはもじもじと頬を赤らめて、持っていたバスケットをオスカーに差し出す。
「これ、よろしかったら食べていただけませんか? 昨日作ったケーキなんです」
「ありがとうございます。受け取っておきましょう」
オスカーがバスケットを受け取ると、ハラミと手と手が触れ合う。それだけでハラミの頭の中はお花畑になり、顔を真っ赤にさせていた。
「また、お屋敷にいらしてください」
「近いうちに伺わせていただきます」
「その時は是非お泊りで……ウフフ」
ハラミは最後まで顔を赤らめながら侍女と共に去って行った。
その様子をグランザムは頭の後ろで手を組み、軽く口笛を吹きながら眺めていた。
オスカーはハラミが見えなくなると、パッパと手を払う。
「さすがオスカー。女の方から抱かれにやってくる。お前なら裸で街を歩いてても捕まらないだろうな」
「それは捕まえなよ……」
「やる」
オスカーは受け取ったバスケットをグランザムに手渡す。
「おっラッキー。でもいいのか?」
「構わん」
「後で味聞かれても知らないぜ」
グランザムはバスケットの中の色とりどりなケーキをムシャムシャとほおばっていく。
「美味いなこれ。あの女料理もできんのか、すげーな。金も権力もあるし、あの女と結婚すりゃいいんじゃねぇのか? デブルの豚野郎に目をつむりゃほぼ満点だろ」
「ふん、汚らわしい。あの女、人に媚薬を盛る人間だぞ」
バクバク食っていたグランザムの手が止まる。
「なにそれ」
「あの女以前差し入れを持ってきたとき、中身にアカマムシと自身の陰毛を粉末にした媚薬を混入させていた」
「ちょっと待て。これには?」
「多分入っているだろうな。頭のおかしい親に育てられた娘が普通なわけないだろう」
「お前ふざけんなよ、全部食っちまっただろうが!」
「お前そういうの好きだろ?」
「いや、好きだけどさ……。自分で食うのと食わされるのはまた別だろ?」
「お前の趣向は理解できん」
「あぁムラムラしてきたクリフ、ケツ貸してくれ!」
「やだよ! 死んでよ!」
グランザムはクリストファーからミスタードリラーという不名誉なあだ名をつけられていた。そんな二人を尻目に、オスカーは今日も平和なヘックスの街並みを見やる。
高い城壁に囲まれたこの街は、安全な城塞都市として機能する。しかしその反面壁によって外の様子を見ることが出来ず、守られた民たちは外に火の手が迫っていたとしても、それに気づかず平和な日常を謳歌するのだった。
「ここの住人は悪い意味で危機感が薄い。難民が壁のすぐ外にまで押し寄せているというのに」
「パニクられるよりいいだろ。壁の中が安全なのは間違いねぇし、聖十字騎士団も壁を越えなきゃ俺たちには手出しできねぇ。見晴らしは悪いが安全と天秤にかけりゃ安いもんだ」
「…………」