黒のピラミッドⅪ
オリオンと別れた俺は、アポピスを扇動する為に再び宝物庫へと走る。
巨大な鉄扉を開いて宝物庫に戻ると、アポピスはそこが好きなのかまだいやがった。だが好都合だ。
「解せぬな人間よ。己の身を削って脱出をはかったというのに死にに戻ったか?」
「うるせー蛇野郎。男の子にはやらなきゃいけねぇ時があるんだよ」
奴が何かの術を唱えると、足元に魔法陣が浮かび、黒い煙と共に呪われた英雄アレスが浮上してくる。
「アレス、あんたを解放してやる」
俺は黒鉄の切っ先を物言わぬ英雄へと向ける。
彼はそれに応じるように砂王の剣を構えた。
戦闘が始まると思われた直前、アポピスが訝しむような視線をこちらに向ける。
「…………貴様、なぜ一人だ?」
俺はその質問にニッと笑みを浮かべる。
かかった。
そう、俺の隣には本来いるはずのオリオンの姿がないのだ。俺は自分が死ねば、ピラミッドの呪いでここに入った仲間全員が死ぬとわかっている。一番死んではならないはずの自分が前に出て、オリオンが傍にいないことは奴にとって不可解でしかない。
用心深い奴がそのとことに気づかないわけがない。ある種奴への信頼が当たったのだ。
疑問を持ってくれてありがとうという気持ちになる。さて、ここからは俺のはったりが頼りだ。
「良いことに気づいたな。教えてやるアポピス。お前がここで遊んでる間に、俺の仲間は全員とっくに脱出した」
「不可能だ。我が呪印は人はおろか墓守ですら解呪は不可能」
「甘いんだよ。ウチの連中なめんなよ。呪いのきかないキョンシー様がいるんだぞ」
「では、なぜこの場にいない? 仲間を集めて我を倒すのが道理であろう」
「頭悪いなアポピスさんよ。既に俺の仲間は全員この階層の番人を倒して抜け出したんだ。つまり第8の試練をクリアしたってわけだ。それがどういうことかわかるだろ?」
俺は大げさにため息をつき、身振り手振りでアポピスを煽る。
「俺の仲間は最後の試練に向かったんだよ。幸い俺は王だからいてもいなくても大差ねぇ。でも、お前にとって第九の試練をクリアされるとかなり不都合があるんじゃないのか?」
ナハルはあくまでピラミッドと挑戦者は対等であり、クリアした者にピラミッドは報酬を支払わなくてはならないと言っていた。
つまり最後の試練をクリアされるとピラミッドは挑戦者から莫大な何かを要求される。
それは財宝じゃなく、ピラミッドに対する願望でも通じるはずだ。
「そう……例えば財宝なんかいらねーから試練のギミック全部解除しろとかな」
「…………」
試練さえ解除されれば、このピラミッドはモンスターもトラップもないただの遺跡だ。
アポピスを守る最大の壁は取り払われ、俺のチャリオットやセトたちが一気に最下層まで降りることができるだろう。
その上、試練をクリアすると王が死ねば全滅という呪いは解除され、例え俺を殺したところで意味がなくなる。
「おまけに第9階層の試練はピラミッドの主が務めることになっている。つまり、この黒のピラミッドに関しては第9階層の番人はお前だアポピス。俺たちは試練部屋にさえたどりつけば、番人不在で試練はクリアになる」
「…………」
「さぁ、アレスが俺を殺すのが早いか。俺のメンバーが第9階層にたどり着くのが早いか。競争だな」
不敵な笑みを浮かべ、アポピスを見据える。
奴の顔色はかわらず、こちらに睨むような視線を向けているだけだ。
「言っとくが俺は時間稼ぎに回るぜ。俺は逃げてるだけで勝ちだ。お前は全力で俺を殺すか、逃げた俺の仲間を追いかけるかどっちかだな」
「…………こいつの相手をしていろ」
アレスにそう命令すると、それまで全く動かなかったアポピスが不意に音もなく消えた。
俺はその時点で自身の勝ちを確信する。
ここで奴が本気で俺を殺しにきていたら勝ちはなかった。だが、お前は用心深く神経質だ。だからこそ引っかかった。
「後はお前だけだな」
俺は残された英雄と対峙する。
アポピスは監視していた鏡を使って、ファラオの使徒たちを探すが鏡には何も映っておらず影も形も見つからない。
まさか、本当に奴らは抜け出して第9階層に向かったというのか?
そんなバカな、どうやって抜け出した? と言う気持ちと共に、アポピスは閉じ込めた部屋の一室へと入った。
壁一面に壁画に描かれた正方形の部屋は、番人と戦った痕跡が部屋中に残されていた。崩れた石像や、穿たれた壁は激しい戦闘のやりとりが伺える。しかし、やはり肝心のファラオの一味の姿はそこにはなかった。
バカなと周囲をもう一度見渡す。ここにいないとなれば第9階層へ急がなくてはならない。そう思ったのと同時に
「よく来たネ。ゆっくりと……死んでいくよろし」
アポピスが声のした方を見上げると、そこには天井に張り付いた黒衣の女戦士の姿があったのだ。
レイランは飛び下りざまにアポピスの首筋に青龍刀を突き刺した。
「ぐっ! やはり虚言であったか」
「神のくせにまんまと引っかかったネ。その上ワタシのところ来てくれるとは熱烈的歓喜。謝謝ネ」
そう言ってレイランは突き刺した青龍刀をグリっと捻る。
「ぐぅっ……なぜ我がここに来るとわかった!?」
「それお前知る必要あるか? でもワタシ優しい、バカなお前に教えてやる。我が王からお前超絶神経質、絶対見張ってる。いなくなった思ったら、お前勝手にドア開けて確認しに来る。それ待ってろ言った。お前まんまとハマっただけネ」
「くっ……」
「神経質な奴、鍵かけて外出した後に本当に鍵かけたか気になるアレ、逆手にとられたネ」
「奴の喋りも全て計算か……」
「勘違いするのよくないネ。我が王頭キレるんじゃない。敵に言われて本当に見に来たお前がアホなだけネ」
王がこの場にいたら、その注釈いる? と言いそうである。
アポピスはレイランの体をふりほどき、すぐさま逃げようと転移を試みるが、彼女がそんなことを許すはずもない。
レイランは首筋から引き抜いた青龍刀をアポピスの胸に突き刺し、朱文字で書かれた霊符を貼りつけると、その瞬間胸から大爆発が巻き起こる。
「がああああっ!」
アポピスはどす黒い血をまき散らしながら倒れるが、尚も転移をやめようとしない。
「逃げられる思うな毒虫」
レイランの脚が垂直に振り上げられ、踵落としが華麗に決まる。
奴の胸から青龍刀を引き抜くと、今度は頭部を狙って剣を振り下ろす。
「なめるな! 我は神であるぞ!」
アポピスが叫ぶと、全身から黒いオーラが放射線状に発射され、レイランの青龍刀を弾き落とす。
「ククク、呪術で貴様の魔力を封じた。武器と魔力を失った無手の状態で我に勝てると思――」
アポピスが笑みを浮かべた瞬間、その顎にレイランの掌底が突き刺さり、それと同時に電撃が走る。
「別にワタシ武器なくても強いネ」
「バカな。なぜ魔力が使える!?」
「お前生粋のアホネ。己が優位と思ってないと力出せないタイプ。雑魚に多いネ」
レイランはアポピスの反撃を流れるように躱すと、肘鉄からの裏拳をその鼻面に叩き込む。
「ホァタァァァァァァッ!」
「ぐあああああっ!」
盛大に壁をぶち破って吹き飛んだアポピスを、レイランはヒールで踏みつける。
「ワタシに呪いの類はきかないネ」
「バカな、我の魔術はアンデッドであろうが朽ちさせる力を持っている!」
「じゃあきかない相手がでてきただけの話。勝手に自分の技相手に全部通じる思うの大きな間違いと知るよろし」
「くっ、化け物め」
「お前が言うな。殺すぞ」
レイランは邪神に化け物扱いされイラっとし、太ももに巻かれたベルトから霊符つきのナイフを引き抜いて、問答無用でアポピスの頭に突き刺す。
そしてパチンと指を弾くと、ナイフを中心に凄まじい電撃が流れた。
「ぐおおおおおおっ!!」
「悲鳴は神も人間も大してかわらないネ」
レイランの口元が三日月のように、邪悪に吊り上がる。
「神がどこまで耐えれるかテストするネ。簡単にくたばるの良くない。耐えるよろし」
もう一度指を鳴らすと、先ほどよりさらに強力な電撃がアポピスの体へと流れ、バリバリと激しい音が鳴り響く。
「ぐおおおおおおっ!!」
電撃がおさまるとアポピスの体からシュウシュウと音をたてて煙が上がる。
「我が王、電気流すとすぐアフロなるのにお前ならない。不思議ネ」
「――に乗るな。調子に乗るなアンデッド風情が!!」
アポピスはレイランを突き飛ばして、無理やり立ち上がると雄たけびをあげる。
その瞬間、体に人魂のような黒い光が五つ吸い込まれていく。それと同時に後ろにある転移の鏡が光りを取り戻した。
邪神は攻撃に耐え切れず、呪印の力を自身に戻したのだ。
ムハンの体がドロリと溶けると、アポピスは完全に人の外装を脱ぎ捨て、半人半蛇の真の姿へとかわる。
筋肉質な男の上半身に大蛇の下半身。禿頭の頭部には呪印が刻まれ、金月のような瞳が縦に割れる。先割れした不気味な舌がチロリと覗く。
黒く艶やかな全身からバチバチと電流を放つその姿は、アポピスが完全に本気になったことの顕れだった。
「来るがいい。我の本当の力を見せてやろう」
「ハハッ、ゴキブリみたいな色してるネ」
レイランが煽った瞬間、アポピスの姿が掻き消える。
「死ね」
一瞬で背後に回ったアポピスは曲刀を振りかぶり、レイランの首筋めがけて振り下ろす。
回避する間もなく彼女の首は無惨に吹き飛ぶと、コロコロと石床を転がる。
「所詮、この程度か」
アポピスが勝ちを確信し、レイランの死体を見下す。
あまりにも呆気なく死んだ首なしの遺体を見て、完全に興味を失い背を向ける。
しかし、首が飛んだ彼女の体がむくりと起き上がったのだ。アポピスは気配を感じて振り返ると、首なしの体はよろよろとよろけながら吹き飛んだ首を拾い上げる。
その光景はあまりにもシュールで、ブラックジョークのようにも思える。
「なっ……」
レイランは首と胴体をくっつけ合わせると「ふぅ」と息を吐く。
それは彼女が首を吹っ飛ばされたのに、簡単に復活したことを意味する。
「傷口縫合するのに時間かかるネ。我が王傷増えるとすぐ心配してうるさい。どうしてくれるか?」
「不死の力が相当強力なようだな……。今度は再生できぬほど切り刻んでや――」
言いかけた瞬間、アポピスの足元で何か光りがあがる。
それは石床に貼られた霊符で、朱文字で[行動禁止]と書かれている。
彼女が首を斬り落とされると同時に床に貼りつけたものだ。
「そこで止まってるよろし」
レイランの嘲笑と共に、霊符から光る鎖が飛び出てきて、アポピスの体を完全に拘束する。
「ぐっ、これは!?」
「お前の好きな呪術ネ。ただワタシとお前の魔力系統全然違うから、解呪にはちょっと時間かかるかもしれないネ。その間にワタシたち第9の試練クリアしてくるから、そこで指くわえてみてるよろし」
「バカな、この好機を貴様は逃すというのか!」
「お前しつこいのわかってる。王から泥仕合なる前に試練クリアしろ言われてる」
アポピスの動きを封じた今最大のチャンスだが、この時間王は一人でアレスとやりあっているのだ。
そう簡単に死なないとわかっているアポピスに、ここで時間を食われるわけにはいかない。
本来悪であるアポピスを滅する良い機会であるが、愛しの王の為、そこは主義を曲げても彼女は撤退を是とする。
レイランはもがくアポピスを尻目に機能が復活した鏡の中へとその身を滑らせた。
「お前殺してる間に王死んだら本末転倒ネ。ワタシこう見えて尽くす女。再見」
「おのれ、おのれえええええええっ!!」
余裕綽々の美少女の笑みで手を振るレイランにアポピスの怒りの声が木霊する。