黒のピラミッドⅤ(試練7-1)
「フハハハハハ、貴様が妾の婿になると? たわけが、そなたのような軟弱な男に妾を娶れるわけがなかろう。その目をえぐってやろうか」
「何気に恐いな……。う~ん、そうかなぁ……やっぱそうだよね」
ピラミッドの中、財宝が敷き詰められた部屋の中で男女が話をしている。
天幕付きのベッドの上でファラオが脚を組みながら一人の青年を見下ろしていた。
浅黒く日焼けした青年は、誰かに着せられたかのようなピカピカの軽鎧を身にまとい、あぐらを組みながら「う~ん」とうなっている。
「これ、簡単に諦めるでない」
「でも、俺あんまり強くないしな」
「何を言う。人間族のタイチョー? なるものになったのであろう?」
「そうなんだけど、結局俺の父さんが凄いってだけだから。親の七光り感がね」
「どこかの諺にこういうものがある。トンビがアヒルを産んだとな」
「それ弱くなってない?」
「これはトンビのような強い鳥でも、たまにはアヒルのような食用鳥と一晩の過ちを犯してしまうこともあるという意味じゃ」
「えっ、なにその最低な諺。てか、それなんで今言ったの?」
「あれアヒルじゃなかったか? ダチョウか、ニワトリだったか?」
「いや、なんでもいいよ。……ファラオはさ、俺のどこが良いと思う?」
ファラオは青年の頭からつま先を見やる。
「ふむ……優しいではないか」
「他には?」
「…………優しいではないか」
「それだけ!? 嘘でしょ!」
あれだけ長考して、まさか自分の長所が優しいしか見つけられなかったファラオにバカなと訴える。
「まぁ待て、妾だけでは気づかぬこともあるやもしれぬ。セト! セトこちらに来ぬか!」
ファラオが手を叩くと、錫杖を持った筋肉質な犬の獣人が姿を現し、頭を垂れた。
「神官セト、ここに」
「セト、こやつの良いところを答えよ。3秒以内じゃ」
「えっ?」
セトは青年を見やると、慌てて何かないかと考える。
「3、2、1」
「や、優しいのではないでしょうか!」
「お前ら全員嫌いだ!」
青年は泣きながら走り去っていった。
「セト、今のはいかんぞ。優しいは妾がもう二度も言うた」
「そ、そういうことは予め言っていただきませぬと……」
セトは困ったなと頭をかく。
「なぁナハル、気が利かぬ男よな」
ファラオがこちらに向かって手招きをすると、視界が揺れファラオの胸元へと高くジャンプした。
ファラオは優しくこちらの頭を撫でる。喜びで自身の口から「ニャー」と猫のような声が漏れた。
そこでようやく、今自分が猫の目線でファラオたちを見ているのだと気づく。
それから数年、青年は足しげくピラミッドへと通うとファラオやセトと街の話や、自身が率いる軍隊の話など、他愛ないことから街の安全にかかわることなど様々な話をしていた。
ファラオは興味なさげな態度を装うことが多かったが、猫にはファラオがどれだけ青年の土産話を楽しみにしているかわかっていた。
やがて青年の顔つきも徐々に大人のそれとなってきていた。
ファラオは外見はそこそこになってきたが、中身はまだまだじゃなと口癖のように言う。
しかしある時、猫がピラミッドの外に出て目撃した彼の姿は、隊長として部下に指示を送る、凛々しく、人を導けるリーダーとして成長しつつある男に見えた。
徐々にお飾りのリーダーから部下に認められてきたある日、彼はいつものように、ファラオに見守られながらセトとオイル相撲をとっていた。
青年はセトに投げ飛ばされ、壁に人型の大穴を作った。
「痛いよセト。今本気だしたでしょ?」
「知らぬな」
「フハハハ、セトに本気を出させるとは随分腕を上げたな。どうじゃ、妾とも一戦仕合てみぬか?」
「えっ?」
青年はファラオとオイル相撲している姿を思い浮かべ、にへらっとスケベな笑みを浮かべる。
「不敬であるぞ!」
そのことを察したセトに天井へと投げ飛ばされてしまった。
「あ~↑あ~↓」
青年はピラミッドの天井に頭だけ突き刺さり、体はだらりとして力の抜けた首つり死体と化す。
「フハハハハ、セト、構わぬ。女は見られて美しくなるものじゃ!」
陽気にファラオは扇子を両手に持って舞いを披露するが、青年は天井に突き刺さったままだ。
セトは紙吹雪を用意してファラオに花を添える。
「ぬ? あやつはどこへ行った? 妾の舞いを見ぬとは」
「この美しき舞いを見ぬとは不敬であるぞ!」
セトは飛び上がって、青年の体を回収した。
「おぉ、そんなところにおったか! 妾の舞いを見よ!」
「しかと見るのだ!」
セトは青年の瞼を無理やり広げ、目玉を露出させる。
「痛い! セト! 痛い! 爪が目に!」
そんな騒がしい日常。
猫は大変だなと同情すると、解放された青年が近づいてきて優しく頭を撫でた。
「君だけが癒しだよナハル」
猫は撫でられるのは構わないが、オイル相撲でベタついた手で触られるのは嫌だった。
「そうだファラオ、しばらくピラミッドに来れなくなったんだ」
「なに? なぜじゃ?」
「遠征でヌ族の討伐に出ることが決まったんだよ」
「あんな少数の部族、放っておいて害はなかろうて」
「それが最近彼ら、希少な砂亀を乱獲していてね。無暗にとりすぎると絶滅の危機があるからやめさせたいんだけど、何度言っても聞かなくてね」
「砂亀からは肉と燃料となる油もとれるからな。そもそもこの砂の地で己の部族だけでやっていくと決めた連中だ。己のやり方に口出しされて改めるような殊勝な考えを持っている連中ではなかろうて」
「一応話に行くつもりだけど、多分戦いになると思ってね」
「ヌ族は転生説を信じておるから死を恐れぬぞ?」
「転生して以前の能力を引き継いで生まれ変わると信じてるんだよね」
「だから奴らは勇敢に死ぬことこそ誉と思っておる。いくらが貴様が人間にはない頑強な体を持っていたとしても、剣で首を斬り落とされれば死ぬぞ。それにヌ族のシャーマンの力は本物だ。気づかぬうちに呪い殺されることもある」
「あぁ、気を引き締めていくよ」
ファラオは青年が徐々に戦士の顔になっていくことを喜んだ。
「ならばこれを持って行くが良い」
不意に青年の前に金縁の大きな鏡が現れた。
「これは?」
「ラーの鏡じゃ。そなたを悪しきものから守ってくれるじゃろう」
「でも、大きくないこれ?」
「ええい、つべこべ言うでない。背中にでもくくりつけてさっさと持って行かぬか!」
青年は鏡を背にくくりつけられ、シュールな姿になって遠征へと向かったのだった。
それから数日して、傷だらけの青年がピラミッドへと帰って来た。
「やったよファラオ! ヌ族討伐に成功した! 君のおかげだ、この鏡が奴らの呪術を防いでくれたんだ!」
「ほぉ、それは良かったではないか」
「ヌ族が塞いでいた交易路を使えることになったから、また街が豊かになるぞ!」
ファラオは飛び跳ねて喜ぶ青年を慈悲深い笑みで見据える。
「もう少し喜んでくれてもいいんじゃないか?」
「これでも喜んでいる方じゃ」
「そうなの? あっ、そうだ。この鏡返すよ」
背につけたままの鏡を渡そうとするがファラオはそれを止める。
「構わぬ、そなたにそれはやろう」
「えっ、いいのかい?」
「構わぬ」
ファラオはパチンと指を鳴らすと、鏡が彼の使う盾と同じくらいのサイズにまで縮んだ。
「これで使いやすかろう?」
「あ、ありがとう。でも、ヌ族討伐のときにしてほしかったよ。おかげで俺のあだ名はサンシャインマンに――」
「不敬であるぞ! ファラオの慈悲をありがたく受け取れぬと言うのか!」
いきなり跳んできたセトにオイルを振りかけられる。
「ちょ! いきなりオイル相撲はやめて!」
「問答無用!」
猫はその様子を見て、随分かわいがられてるなと欠伸をしながら思うのだった。