ファラオ
俺たちはナハルとセトに案内されて地下水路を進む。
「ファラオは体調が優れませんので粗相のないようご注意ください」
「ファラオって、あのツタンカーメン王とかの?」
「ええ、砂漠の王クレオパトラ・ネフェル・クルアーン・サンスピリット・ファラオ様であります」
「なげぇ……どれが名前だ」
「サンが名前にあたりますが、直接お名前を呼ぶのはご無礼に当たりますので、お声をかけるときはファラオに統一してほしいであります」
「わかった気をつけよう」
俺たちが一番奥の部屋に入ると、この地下水路には場違いな豪華な天幕のついたベッドに、手を組んだミイラが一体横になっていた。
黄金のマスクを頭に被ったミイラは安らかに眠っており、体を包帯で巻かれその上を豪華なアクセサリーで飾られている。
「おいたわしい。こんなにもやつれてしまわれて……」
ナハルはミイラを見てグスッと涙ぐむ。
オリオンは俺を肘で突っつきながら小声で話す。
「咲、突っ込んだ方がいいんじゃないの?」
「ミイラにやつれてしまってって完全にツッコミ待ちにしか見えんが……これはボケなのか?」
「多分高度なファラオギャグだよ」
「でもこれ本気だったら火傷じゃすまないぞ」
「あんたらどこに気回してんのよ。後なんでもファラオつければいいと思ってる雑なボケはやめなさい」
フレイアに呆れられていると、ナハルは十字架の上部が輪っかになった祭具を手にもつとそれを掲げ上げる。すると祭具が光り輝き、ミイラに人の影が宿る。
ほんの一瞬瞬きすると、今さっきまで干からびたミイラだったのにベッドの上には金銀のアクセサリーを身にまとった女性の姿があったのだ。
頭には金のコブラが象られたサークレットに、顔料と宝石を砕いて混ぜ合わせたキラキラと光るアイシャドウをしている。
口元は透けた薄紫のヴェールで覆われていて、豊満な褐色の胸を宝石で隠し、その上を透けた薄布が覆う。くびれた細い腰を金のコルセットで更に締め上げ、薄すぎて頼りない腰布を纏った女性はこちらを見て小さくほほ笑む。
これは病弱系ファラオで茶化したらあかん奴やなと思ったら、寝転がっていたファラオは飛び起き、口を大きく開いて笑みを浮かべた。
「フハハハハハハハハ、ファラオ再臨である!!」
ファラオは孔雀の羽で作られた扇子をバッと音をたてて開く。
その瞬間、一緒についてきたナハルの眷族たちがパーンっとクラッカーみたいな音がなる玩具と、安いラッパをパッパラパーと鳴り響かせた。
ファラオは俺たちを見やると、扇子をパタパタと振り、興味深そうに怪しい笑みを作る。
「ふむ、やはり妾の思った通り、貴様らに邪気はない。良い! 今宵は宴じゃ。皆の者、酒の用意をせ――」
言いかけた瞬間ファラオは大量の血を吐いて、バターンと後ろに倒れた。
「ファラオォォォォォォ!!」
ナハルが慌てて抱き起こしてベッドに戻す。
「だ、大丈夫なのか? 凄い吐血量だったが……」
「一瞬で血の海になったね……」
「ファラオはもう動く気力もないはずでありますが、大のお祭り好きなのであります」
そりゃ迷惑な奴だ。
大量に血を吐いて大人しく寝転がっているファラオをナハルの眷族は心配げに見つめている。
というか一緒になってベッドでゴロゴロしている。本当に心配しているか怪しくなってきた。
「なにがどうなってんのか説明してくれないか?」
そう尋ねるとナハルはこの地で何が起きたか説明をしてくれる。
話を要約するとファラオ自体は数千年前の王族であり、人の身でありながら神化した存在で白のピラミッドを建てた本人だった。
その頃、この地にはたくさんの神がいて、ナハルたちはその神の中の一部で、ファラオはそんな神や人、魔物たちを束ね上げ一大文明を築きあげたのだ。
しかしファラオの築いた文明も数千年の時が流れるうちに、天災や激しい戦、砂漠の貧しい資源によって人間たちは全て滅び、残ったのは神と一部の魔物たちと白のピラミッドだけで、その状態で何百年もの時が経ったのだ。
ファラオたちはいつかまた、この地に人が住んでくれることを願いながら深い眠りについた。
そしてようやく近年、と言っても数百年前だが、ようやく人が再びこの地に住み始めたのだ。
ファラオはそのことを喜び、今度は自身が指導者となるのではなく、人が滅んでしまわぬよう影ながら神として人間たちを支援していた。
しかし資源の乏しい砂漠の街では経済が回らず、そのことをなんとかしようと考えたファラオは白のピラミッドをダンジョン化し、冒険者たちに財宝があると言って外から人間を呼び込んだのだ。
結果その策は成功し、砂漠の街マンスラータリアはよそから来る人間とピラミッドダンジョンのおかげで人が根を張れるほどの大きな街となったのだ。
人がいる場所には人が集まる為、厳しい砂漠の中でも行商がやってきてくれたので、資源の問題も同時に解決することができた。
住民たちは偶然だと思っているが、全てファラオの思惑通りに人が増えていったのだ。
更に冒険者が逃げてしまわないように、時にダンジョンの下層まで来れた冒険者に財宝を渡し挑戦した人間たちに飴を与えることで、ダンジョンの活性化を図った。
「なるほどな、適度に財宝を渡して、その財宝を手に入れた冒険者たちが他の冒険者を呼び込む。そうやって外部から人を集めたのか」
「はい、財宝が奪われたくないが為に全ての冒険者を追い返してしまったら、誰もよりついてはくれませんので」
難攻不落のダンジョンよりも、攻略実績があるダンジョンの方が当然人は寄って来るだろう。
しかし、財宝を分け与えるということはつまり自身の身を切っているわけだから、いつかはなくなるんじゃないか?
俺が思っていたことをオリオンが代弁する。
「良心的だね。でも財宝っていつかはなくなるんじゃないの?」
その疑問にナハルは首を振る。
「金色の蛇という金塊を産み出すファラオの眷族がいるであります。その蛇がいる限り財宝は尽きません」
「ん~? それなら、金をいっぱいあげちゃっても良かったんじゃない? いちいち冒険者の財布目当てにしなくても、いくらでもお金が入るんでしょ?」
ナハルは続けて首を振る。
「金が争いの元になるとわかっているファラオは、決して多量の財宝をこの地の住民に分け与えたりはしませんでした。このような地でも努力して生きる人々の手助けになる程度で十分なのであります」
「つまり酷い天災や、お金がなくて経済破綻を起こさない程度に調整していたわけか」
そう聞くと、本当にやっていることは神様のようだ。人が滅ばぬよう補助だけして、後は見守る。言い方は変かもしれないが都市構築型のSLGに近いような感じがする。
あれも最初は小さな町から始まって、住民がいなくなってしまわないように適度に問題に対応する。だが、やってることは基本的に人間を見守っているだけだ。
恐らく神が人間可愛さにお金をばら撒きまくったら、きっと街も経済も発展せず神だけに頼る人間ばかりになってしまうだろう。
それに大量に金ばかり排出すると、金の価値が崩れるしな。
「しかし……そのことが災いを産んだのであります。金色の蛇の存在を聞きつけた一部の欲深な人間が、兵を率いてピラミッドに攻めてきたのであります。奴らは手段を選ばずピラミッドの周辺に地下穴を掘り、無理やり最奥に押し入ったのです」
「我は欲深な人間など皆殺しにするようファラオに進言したが、ファラオは寛大であった。今ではあの時の対応を後悔している」
そう言ってセトは首を振る。
「ファラオは攻め行ってきた人間を懲らしめ、逆に金へとかえてやりました。ですが、その時逃げのびた人間の一人が財宝の一つである死者の書を奪っていったのです。使い方もわからぬ愚かな人間は死者の書を開き、邪神アポピスを呼び出したのであります」
「そいつはそんなにやばい奴なのか?」
「別名黒の太陽王。ファラオと我々神々が多大な犠牲を払って封印した大邪神だ」
「アポピスの力を得た人間は、ピラミッドの呪いを無視し最奥まで攻め入るとファラオを打ち破り、金色の蛇を奪って行ったのであります。その時の傷と金色の蛇が奪われたことにより、ファラオの力はみるみるうちに弱体化して民を守る力も失い、やがて神官ですらファラオの力を信用しなくなったのであります」
「そんなことが……でも、神様なら対抗する力とかないのか?」
「信仰のない神ほど無力なものはありませぬ。信じられぬ神とはいないも同じなのであります。今はこの祭具のおかげでファラオを現存させることができていますが、その力もあの黒のピラミッドのせいで弱くなってきているであります」
「あの黒のピラミッドってアポピスが建てたのか?」
「その通りであります。ピラミッドとはそもそも結界と神殿を兼ねており、あの黒のピラミッドはファラオの白のピラミッドを侵食し、結界を破壊しようとしているのであります。その為に今、冒険者たちを呼び寄せているのでありましょう」
「それが不思議だったんだ。なんであいつらが白のピラミッドのかわりをしているのかって。当然邪神は冒険者集めて街を活性させようなんて優しいことは考えてないんだろ?」
「はい、あれは人食い神殿であります」
「人食い神殿?」
「中に入って来る人間を殺すことにより、アポピスの力になるのであります」
「つまりあそこで死ねば、その魂は冥界に行くことは叶わず、アポピスの養分として消滅するのだ」
その話に俺は先に入って行ったアラン達のことを思い出していた。
「ちなみに白のピラミッドが黒のピラミッドに完全に侵食されたらどうなるんだ?」
そう聞くと、ナハルもセトも苦い表情をする。
「ファラオは力を失い、消滅することでしょう。恐らく我々も……」
「…………」
「アポピスをなんとかするには黒のピラミッド最下層にある死者の書を再度封印するしかありませぬ。しかし黒のピラミッドには呪いがあり、魔物と神しかいない我々は入ることすらできませぬ。……状況はかなり厳しいであります。お願いであります。どうか我々に力を貸してほしいであります!」
ナハルは深くこちらに向かって頭を下げる。セトもその様子を黙って見つめると、自身の無力さを嘆くように視線を外す。
どうしたもんかと深く唸る。
「どうするの? 正直アタシたちの目的とはかなりそれてるわよ」
「そうだな。……ナハル、俺たちがここに来た目的はラーの鏡っていう時を戻したり固定できたりする財宝を求めてきたんだ」
「ラーの鏡でありますか? あれは人間には使えないでありますよ?」
「使うのは俺じゃなくクルト族の子だ」
「あの天使共の末裔でありますか」
「あいつら天使の末裔なのか?」
「正確には違うでありますが、まぁその者たちになら使えるでしょう」
「鏡は今どこにあるかわかるか?」
そう聞くとナハルは一瞬視線を泳がせた。
「…………黒の……ピラミッドの地下にあるであります」
「そうか、やっぱりそこなのか」
ピラミッドの地下にあるなら結局そのアポなんとかって奴の拠点に踏み込まなければならないだろう。
やるしかないかと思った時、ファラオはそれを遮る。
「そこに鏡はありはせぬ」
「えっ?」
「ナハル、神が嘘で人を惑わせてはならぬ。ラーの鏡は押し入ってきた人間に価値がわからなかった為、踏み割られた。今や存在せぬものだ」
「本当なのか?」
「すみません……財宝のほとんどは奪われ黒のピラミッドに移されたでありますが、その中で使い方がわからない魔器やファラオの神器の類はほぼ全て壊されたであります……」
俺たちチャリオット一同が、とうの昔に目的の物が失われていたと聞き表情を曇らせる。
「咲、これが無駄骨ってやつなのか?」
「わかんねぇ……」
俺は自分が滅びるかもしれないのに、あまりにも慈愛に満ちたファラオの目が気になった。
「あなたは怖くないんですか。その、自分が消えてしまうことを」
「良い、人の子よ。妾らが潰えるというのもまた時の選択。長くこの世界にあり続けた魂もようやく冥界へと向かう。願わくば常闇の旅路にこの者たちを連れていきたくはないと言うところだか」
ファラオはベッドでゴロゴロしている風呂敷猫たちを優しく撫でる。
やめてくれ、そういう死を全て受け入れて尚且つ笑うのは。
「すまぬな冒険者。話を聞いてくれた礼に財宝の一つでもくれてやりたいところだが、あいにく持ち合わせは今着ているものくらいしかない」
ファラオはペラりと透けた薄布をめくると、豊満な褐色の果実がチラ見えする。
一瞬胸に釘付けになってしまったが、そのことを察したオリオンとフレイアが俺の足を同時に踏む。
「スケベ」
「サイテー、死にかかってる人に欲情するなんてクズよ」
「すみません」
それを見てファラオは大きく笑い、ベッドに座り直し足を組む。
「フハハハハ、よいよい、男に会うのは妾も久しぶりゆえ、存分に妾に欲情するがいい」
「咲、神様でエッチなことするのよくないよ」
「わかってるよ」
「若いな娘。神の中にはわざと男を欲情させるものもおるのだ。それにお主、かなりの美形言い寄る女も多かろう」
「そうなんですよ。皆俺にゾッコンで体がもたな――イィィィィ!!」
俺の両足が強く踏まれる。
「フハハハハ、良い。妾が何かを与えることは叶わぬが、忠告を一つ授けよう。己が信じた道を進むが良い。それが例え間違っていたとしても、そなたの歩く場所が後ろを歩む者の道となる。そなたが旗を振り続けるだけで他の物は安心して戦えるのだ。王とは他者の光であり、決して影を落とすことは許されぬ。そなたならできるであろう」
「…………」
つまり止まるんじゃねぇぞ……ってことか。
ファラオは妖艶な笑みを浮かべると、俺は深く頷いた。
その時、ファラオの寝室にあの時のガイドが駆け込んでくる。
「た、大変です! 自警団の奴らに仲間が捕らえられちまいました! ファラオを出さなければ首を斬ると!」
「ふざけたマネを!」
セトは肩を怒らせながら立ち向かおうとするが、ファラオがそれを止める。
「よい、妾が行こう」
「なりません!」
「どのみち妾に残された時間は短い。先のあるものが生き残り道を作るのだ」
ファラオの固い決意に、セトとナハルは跪く。
「……ファラオの御心のままに」
ファラオはベッドから立ち上がった。
その背にナハルとセトが続く。
ファラオは振り返らないまま俺に告げる。
「そなたは妾の愛した男によく似ておる。中身は別物であるが、その魂の色はあの男と同じく優しく輝いておる。……アレス、これよりそなたに会いに参ろう」
「…………」
死んだ男の名を呟くと、ファラオはコブラの装飾がされた杖を手に取り地下水路を出ていく。
…………だから俺はそういう滅びの美学みたいなのは大嫌いなんだよ。
残された俺たちは、彼女らの話を信じるのか割れた空気が流れる。
「奴らの言ってることはどれも証拠ないことばかりネ」
「そうです。アポピスという存在も、自警団が操られているということも我々で裏をとってはいません」
「それはそうなんだが……」
だが、嘘をついている人間があのような死を覚悟した目をするだろうか?
「なぁ……俺は褐色美人が好きなんだよ」
「そうねボインちゃんに弱いわね」
「エロい女にすぐ飛びつくネ」
「咲は人の話聞かないからね」
「ディーが頭を悩ませるのがよくわかります」
「でも……だから、わたしたちは助かった……」
「お前らすまんな。またちょっと付き合ってくれ。不幸の中で笑う女は嫌いなんだ」
人を愛し続けたファラオの末路が、裏切られた人間によって消滅なんて、そんなバッドエンド見て誰が面白いんだ。