アイアンシェフⅧ
ハゲテルは動けないロイヤルバニーを一人一人担ぎ、まるで人形を一体一体突き立てるように沼に浮かべていく。
泥沼は彼女達の膝上くらいまで飲み込むと、それ以上は沈下しない。だが、少しでも動くと徐々に沈んでいくようで全く身動きがとれない。完全に沼の中に立てられた案山子と同じになっていた。
身動きできないバニーの上空を巨大バエが舞う。
ハエはパンパンに膨れた腹は卵をたくさん貯めこみ、孵化間近になった卵を別の生き物の体内へと産み付ける。
そして孵化した瞬間、産み付けた生き物の体を内部から食い破るのだ。
当然産み付けられるのは身動きできない生贄たちである。
「いやぁ……」
あまりにもおぞましい光景に目を背けたくなる。
その異常な光景を、まるで赤とんぼが戯れる様子を見るかのような穏やかな目でハゲテルは見やる。
「ふふ、仲良う順番に卵を産めばええ。……さて、後はお前と、お前じゃな」
ハゲテルはサクヤの体を掴もうとするが、カリンが声を上げる。
「私からにしなさい」
「どっちでも構わんわ」
ハゲテルはカリンの髪を掴んで、体を担ぎ上げる。カリンは横たわったサクヤに目で合図する。
サクヤはその瞬間、片足だけで地を蹴ったのだ。両足の腱を切ったように思われたが、サクヤの左足の腱はまだ生きており、カリンが隙をつくったことにより跳びあがることができたのだ。
「ぬっ……逃げおったか。まぁ一匹逃げたところでどうにもならん。貴様ら奴隷に手を貸す人間なんかおらんとまだ気づかんか」
ハゲテルはサクヤの決死の離脱を鼻で笑うと、カリンの体を腐敗した沼に浮かべたのだった。
サクヤは左足だけで森を駆けていた。いや、走るには遅すぎる速度で、歩いているのと大してかわらない。
体中血と泥にまみれ、美しかった銀色の髪も今や白髪のように光を失い、ゼェゼェと息を切らせながら逃げてくる姿は、尊厳を奪う暴力を受けた後のように無惨な風貌と化している。
生きていた左足もハゲテルから逃げ出す為の跳躍で深いダメージを負い、足を無理やり引きずって歩く以外に方法はなかった。
永遠とも思えるほど森の中を彷徨ったサクヤは、方向もわからず、とにかく森を抜け出した。
彼女の目に眩い日の光が差し、美しい青い海が広がる。誰か、誰か助けを呼ばなくては。
どこかにキャンプはないか、そう思い見渡す。するとそこには天幕のついた豪華なテントが見えた。
なんとか助けを求めなければ。足を切られた痛みと、麻痺毒によって体が思うように動かない。だが、それでも仲間の為、彼女は歩く。
ほとんど匍匐状態でキャンプにつくと、身なりの良い二人の女性が優雅に紅茶を嗜んでいた。
貴族風の女性は泥と血にまみれたサクヤを見て露骨に顔を歪める。
「な、なんですの、この汚らしい人間は! それにその首輪……奴隷じゃありませんか」
「病気を持ってるかもしれませんよ。触っちゃいけません」
「当たり前です。誰がこんな汚い”ドブネズミ”触るものですか! アラン! アランいますか!」
女性が大声をあげると、アランがキザったらしいポーズをとりながら現れる。
「何かお困りですかな。マドモアゼル」
「そこにいる汚らしい”モノ”をどこかにやってちょうだい!」
アランは泥にまみれたサクヤを見て、うっと顔をしかめる。汚泥にまみれた彼女の体は非常に嫌な臭気を放っていた。
「うっ、なんて臭いんだ……かしこまりましたマドモアゼル、すぐに処分いたします」
「早くして!」
アランは彼女の手を引っ張って、砂浜をズルズルと引きずり森の方へと運んでいく。
「全くなぜ私がこんな汚物の処理をしなければならないんだ。奴隷は奴隷らしく、大人しく人のいない場所でひっそりと野垂れ死んでくれないか」
「たす……け……て。そっちは……嫌……」
「お嬢さん、恨むなら奴隷に身を落とした自身の境遇を恨んでくれたまえ。弱いものとはこういった薄暗い森の中で誰にも迷惑をかけず死んでいくもので、私のような高貴な人間が歩く道を汚しちゃいけない」
「おねがい…………、なかま……が」
「聞き分けのない子だ」
アランはサクヤを森の中にある段差下に蹴り落とした。
さして高くない2、3メートル程度の段差だが、今の彼女にはどんな高い山よりもそびえ立って見えたことだろう。
「おねが……い、たすけ……」
アランもあまりにもボロボロなサクヤの姿を見て、頭をかく。
「私は本来こんなことはしないのだが……」
アランは大きく息を吸うと、砂浜の方に向けて声をあげる。
「こんなところで人が倒れてるぞ!!」
一言だけ叫んでアランは踵を返した。
「これでもしかしたらお人よしな誰かが助けてくれるかもしれない。気づかれなかったとしても私を恨まないでくれよ」
「……ありが……とう」
アランはそのあまりにも消え入りそうな感謝の言葉に、耳を塞ぎながらキャンプに戻るのだった。
☆
『こんなところで人が倒れてるぞ!』
森の方からアランの叫び声が聞こえ、キャンプにいたオリオンはふと頭を上げる。
「咲、なんか森の方でアホが叫んでるよ」
「昨日毒キノコ食わせたのバレたからな。その腹いせにしょうもない嘘ついてるんだろ」
「だよね」
と言いつつも森の中へと入っていく俺とオリオン。
「なんで森の中入るの?」
「あれだキノコ探しだよキノコ探し。別に深い意味なんかねぇよ」
「キノコならマイコニドが出してくれるよ」
「俺はこういうところに生えてる新鮮なキノコの傘の裏側の匂いをかぐのが好きなんだよ」
「変なの。そういやマイコニド、ソフィーが名前つけたいって」
「あいつにつけさせたらまたわけわからんのになるぞ」
「ヴァイス・シュヴァルツにしようって」
「キノコにはちょっとカッコ良すぎるだろ。ヴァイスって大体カッコイイキャラの名前だろ」
「それヴァイス差別じゃない? キノコのヴァイスがいてもいいでしょ」
「そりゃそうなんだけど、そんな主人公みたいな名前してちんまいキノコが出てきたら、もう出オチ担当みたいになるし」
くだらない話をしていると、俺達はあのアホが叫んでいたと思しき場所へとたどり着いた。
「なんもないね」
「やっぱアホのしょうもない嘘だったか」
帰ろうかなと思い、ふと踵を返そうとすると、地面に何かを引きずった跡がある。それも真新しい。
俺はその跡を追っていく、すると段差になった先に、泥にまみれた人が倒れていることに気づく。それがサクヤだとわかったのは更に近づいてからだ。
彼女の体はボロボロの傷だらけで、いたるところが泥と血にまみれている。これではまともに息をしているかも怪しい。
「キャンプに運ぶぞ! 怪我が酷いソフィーとクロエに回復の準備をさせろ! あとお湯とか体をふけるものもだ。急げ!」
「がってん!」
俺は大慌てで段差を滑り降り、サクヤの体を抱く。
「大丈夫か! 何があった!?」
「……す……け……て」
「任せろ!」
俺は彼女の体をすぐさま担ぎ上げて、一気に森の外へと運ぶ。
砂浜で俺たちチャリオットは彼女を囲み、ソフィーとクロエはヒーリングをかけ続け、リリィたちが体の洗浄を行う。
「怪我は思ったよりも酷くなくて麻痺毒さえ取り除ければ回復はします。ただ……」
「ただ、なんだ?」
「彼女はもう歩けませんよ……」
「なんでだ。怪我は酷くないんじゃ」
「体の怪我はほとんどないです……ただアキレス腱が切られています。左足は治るかもしれませんが右は多分無理です……」
「!?」
確かに彼女の足首あたりから出血した血が酷く、やばそうだとは思っていたが、まさかそんな酷いことになっているとは。
ソフィーたちのヒーリングによって、サクヤは目を覚ます。
「大丈夫か?」
「助けて……お願い……」
「なにがあった?」
「ハゲテルが……仲間の足を全部切って……動けなくして……モンスターを呼ぶ……エサに」
サクヤの瞳から涙が零れ落ちる。仲間を助ける為、ボロボロの体で森の外まで逃げ出してきたのだろう。
その悔しさ、悲しさ、辛さは推し量るに余りある。
彼女は口下手な自分を呪うように、なんとか言葉を必死で紡ぐ。
「奴隷だけど……なんでもする。全部あげる……全部あげる。お願いします。助けて……ください。お願いします。早く……しないと、皆死んで……しまう。足動かなくなって、なんにもできない。でも、頑張る。命あげます……お願いします」
ボロボロと涙を流し、必死に頭を下げるサクヤ。
彼女にとって俺達は最後の希望なのだ。必死に命を差し出してもいいから仲間を助けてくれと懇願する。
一同はその光景に苦虫をかみつぶしたような表情となっていた。
「咲……」
「………………」
俺はすくっと立ち上がった。
彼女を囲むチャリオットたちの視線がこちらに向く。その視線は真剣で、吐き気のする悪に対しての憤怒が浮かんでいる。
皆俺の言葉を静かに待つ。
俺こういうのは絶対許さんタイプだからな。
俺が拳を振り上げかけると、ディーが冷静に言葉を発する。
「王よ、一応言っておきますが現在の司法で奴隷に味方をしていいことは一つもありませんからね。最悪こちらが奴隷を逃がそうとした奴隷逃亡幇助罪や、奴隷と共謀して主人に危害を加える共謀反逆罪に問われることがあり、これはどちらも主人から奴隷を奪ったという罪にあたり、法廷で――」
「知るかそんなもん!! ディーよ、俺はその言葉を聞いてすんませんやっぱ助けるのやめときますって言ってほしいのか! 強い人間を助ける法になんの意味がある! 誰かを助ければそのはねっかえりが来るのはわかってんだよ! それが怖くて人を助けないのなら俺はただの卑怯者だ。ディー、お前は俺に卑怯な王になってほしいか!」
ディーは静かに首を振る。
「いいえ、私は勇なる王を求めます」
「なら答えは最初から決まっている!」
俺は空に拳を掲げ、咆えるように怒りの命令を下す。
「総員戦闘準備!! ロイヤルバニーを救出する! ディー、アマゾネス隊の指揮をとれ!」
「はっ! 島で捕まえた地竜を出す! 装備は最低限で構わん出撃を急ぐ!」
「レイラン、銀河、先行しろ! 立ちはだかるものに容赦するな、躊躇もするな!」
「御意」
「任せるよろし」
「リリィ先行偵察隊を飛ばせ! エーリカ強襲制圧装備用意!」
「G-13とのドッキング、G装備使用許可を」
「全装備の使用を許可する。フレイア、ソフィーと一緒に彼女を護衛しろ。ホルスタウロス隊は後列にて進行開始! 速度が命だ、助けにいったら皆死んでましたなんて無様なことになるなよ!」
「「「「了解!」」」」
「連れて……いって……お願い……」
サクヤは出撃しようとする俺の手を必死に掴んだ。彼女の仲間を思う気持ちに応え、俺は首を縦に振った。
「食料調達用の荷車があったな。ソフィー、フレイア彼女をそれに乗せるんだ。シロ、クロ引いてやれ!」
「モォッ!」
シロとクロは任せろと、どんと胸を叩く。
「正義の味方なんてかっこいいことは言わねぇ、ただ気に入らねぇ奴を今から全力で殴りに行く! 総員駆け抜けろ! 出撃だ!」
「「「了解!」」」
「オリオン旗持って騎馬隊の一番前を走れ!」
「がってんだー!」
森の中を恐ろしいスピードで走る肉食獣のような集団が駆け抜ける。三叉の槍が描かれた旗を掲げた少女が地竜隊の先頭に立ち、地鳴りを響かせながら完全武装した騎馬隊は一直線に沼を目指す。
木々の枝上を忍びとアーチャー隊、黒衣の不死族が飛び駆け、後列にバトルアックスを担いだホルスタウロスが制圧隊として進み、目に見えぬところでクラーケン達が島の周囲を取り囲んでいた。
腐敗沼では既にベルゼバエの産卵が始まろうとしていた。
ロイヤルバニーたちに組み付いたハエは、彼女達の体内に卵を産み付けようとする。
吐き気がするような不快感と深い絶望に彼女たちは耐えていた。
バニー全員が終わりを覚悟した時だった。
自身に組み付いていたベルゼバエの頭に日本刀が突き刺さる。
「えっ?」
直後ロイヤルバニーに組み付いていたベルゼバエが、青龍刀、クナイ、弓矢、弾丸と様々な武器で刺し貫かれていく。
頭を潰されたハエたちは仰向けに倒れ、卵管から卵をまき散らしながら沼の中へと沈んでいく。
その後に遅れて、大勢の人間の声が波となって聞こえてきたのだ。
旗持ちの少女と、本来一番奥にいるはずの王が揃って沼へと到着する。
「俺一番!!」
「咲ずるい! フラッシュムーブとか反則!」
「うるせぇ、何使ってもいいんだよ」
「ノーカン! ノーカン!」
沼の中にいるカリンと目と目が合う。
「あなたは」
「助けにきた!」
あまりにも簡潔な答えに、カリンは一瞬言葉を忘れ、ぶわっと涙がでそうになったのをおさえる。