王の帰還Ⅱ
白髭に髪をカールさせた貴族は、邪教徒に対して驚いている様子はなかった。
「こ奴らはアモンの目と言う邪教徒なのだが私の領民も何度か襲われている。貴公らも知っていると思うが、あの黒い塔が現れてからよく出没するようになったのだ」
「なるほど、そうでしたか」
「一説によると、あの塔は魔人が現れる前兆とも言われており、周辺の警戒を行っていたところだ」
「あの災厄をもたらすという魔人ですか?」
「ああ、アモンの目が復活させようとしている魔人アモンか、それもとまったく別なモノかはわからぬが、関連性はあるだろう」
セバスと貴族が話をしている横で、兵達が邪教徒の死体を片付けていく。
「恐らく同じ組織だと思うが、聖紋を確認させていただいても良ろしいかな?」
「ええ、構いません」
貴族の男は布のかけられた死体の一つを確認すると、その死体は浅黒い肌をした、まだ年若い少女だった。
「こんな若い子が……」
「おかしい、聖紋は間違いなくアモンの目だが……」
「どうかしましたか?」
「アモンの目は西方で広まっている邪教だ。しかし、この娘は明らかに南側ドロテア領側の住人だろう。この肌の色と耳が少し尖っているのが特徴で、この特徴を持つ種族は西方で確認されていない」
「では邪教が南で広がっている可能性が?」
「わからぬが、ドロテアは宗教関係は厳しく取り締まっているはずなので、南で広まっている可能性は低いのだが……」
貴族の男が、深く調べるために聖紋と呼ばれる不気味な瞳の入れ墨に触れると、その瞬間少女の目がかっと見開かれ、止める間もなく起き上がり貴族の首を締める。
「なっ!?」
「バカな!?」
セバスは即座に手袋から鉄を編み込んだ糸を引っ張り出し、少女の首を糸で切りおとす。
首の落ちた少女は、今度こそ息絶えたのか完全に動きを止める。
「死んでいたはずなのに……」
「ぐ、あああああああああっ」
聖紋に触れた貴族の体中に血管が浮かび上がり、体中の穴という穴から血が流れだす。
千切れた血管がブシュブシュと音をあげ、まるで血の花が咲いたように全身を赤く染め上げていく。
この異常な光景に、見ていた誰もが息を飲む。
貴族は苦悶の声を上げながら上半身をのけぞらせて倒れた。
「大丈夫ですか! 旦那様!」
貴族の護衛が即座に近づくが、セバスは制止する。
「危険です。近づいてはいけません!」
「旦那様をこのままにしておけるか!」
だが、次の瞬間貴族は近づいてきた護衛の首筋に喰らいつく。
その目は赤く不気味に輝いており、正常な状態でないことは誰の目にも明らかだった。
「ぐああああああああっ!!」
貴族の首筋には不気味な瞳の聖紋が浮かび上がっていた。
「転移するタイプですか……」
セバスが苦い顔をすると、次はその護衛にも聖紋が広がる。一人が二人に、二人が四人、四人が八人と爆発的に聖紋は広がっていく。
しかも恐ろしいのが、噛まれてもいない兵にも突如として聖紋が浮かび上がり、邪教徒と同じように思考を乗っ取られ周りに剣を向けるのだった。
「非常にまずいですぞ。ディー様に連絡を、邪教徒の名はアモンの目! 聖紋が転移するタイプのものです。既に援軍にきた貴族軍に転移が始まっています!」
そしてなによりも一番タチが悪いのは門を開放しており、貴族軍は領地の中に侵入していることだった。
報告を聞いたディーはぞっとする。
パンデミックの原因が領地の中に入り込んでしまった場合、その部分を完全に切除して焼き払う以外に生き残る方法がないのだ。
「正門、レイラン、エーリカ、敵に組み付かれ身動きが取れません!」
「リリィ様から伝令、敵の能力が格段に向上しており、我がチャリオットは防戦を強いられています! 聖紋は援軍に来た貴族軍ほぼ全てを侵食したとのことです!」
「くっ、援軍が仇になるとは、いや、援軍が来ずともこちら側に聖紋が転移してきていたか」
「現在エーリカ、レイラン、セバス、カチャノフ、ロベルトで戦線を維持できなくなっています! フレイア様は倒れたソフィー様を搬送中」
「ダメだ、アモンの目の転移条件がわからない状態で一人にさせるな!」
「東門より伝令、オークの群れが戦闘に気づきこちらに向かってきています至急援軍を!」
「こんなときにか! 血の臭いを嗅ぎつけてきたのか豚どもめ」
次々に舞い込んでくる情報に、ディーは指令を飛ばしていく。だが、ジリ貧になっているのは明らかだった。
「東門防衛限界ラインです!」
「オリオンさんが城内から出撃を申し出ています!」
「ダメだ。彼女は最後の切り札だ! それを動かすわけにはいかない!」
それに今結晶剣のエネルギーを増幅させるエネルギータンクが故障しており、今のオリオンは断空剣が放てない状態だった。そのオリオンを投入したところで劇的な戦況の変化は見込めないだろう。
オリオンは黒い煙の上がる城下町を見つめるのも限界をきたしており、これ以上はもう待てんと城を出ようとする。
「お待ちくださいオリオンさん! あなたに出撃命令は出ていません!」
「離せ! 離せよ! あたしが行って全部ぶっ倒してきてやるから!」
「結晶剣を使えなくては勝機はありません!」
「あたしを断空剣だけの女みたいに言うな! 剣がなくたって拳で、拳がなくても歯で戦ってやる! ここはあたしたちの家なんだ! それをむざむざ潰されてたまるか!」
「ですから、あなたがここでやられては困るのです! 大人しくしていてください!」
「うるさいな! あたしに命令すんな!」
「国の為! 王の為こらえてください!」
「う、ぐぅぅぅ……」
王の為、これが一番オリオンにきく呪文であった。
オリオンは唇を噛み、拳を血が出るほどきつく握る。
領地からはいくつもの煙や銃声、剣戟の音が風に乗って聞こえてくる。
それと同時に仲間の戦っている悲鳴や絶叫、泣き声が聞こえ、元から沸点の低いオリオンは臨界をきたしていた。
「う、うぅぅぅ咲のバカーーーーーーーーーー!! アホーーーーーーーーー!! さっさと帰ってこいーーーーーーー!!」
オリオンの天を裂くような叫びが聞き入れられたのか、突如城の周囲に黒い雲が浮かぶ。
黒い雲は雷鳴を伴い、ゴロゴロと機嫌の悪そうな音を鳴らすと、一瞬稲光が輝き雷を城の真上に落とす。
隕石でも落ちてきたかのような、凄まじい衝撃音が城内に響き渡ると、オリオンはふと気配がして城を駆け上っていく。
一瞬で城の屋根まで駆け上がると、オリオンがいつも彼の帰りを心待ちにしながら声を上げていたトンガリ屋根が雷に打たれ黒い煙をあげている。
そのすぐ近くで、空に穴が開いているのだ。
「あれは……」
オリオンが見たものはいつぞや、誰も信じてくれなかったが違う世界へとつながる次元の切れ目が再び開いているのだ。
しかし今度の次元の切れ目は異世界の風景を映し出してはいない。
ただどす黒い暗闇が広がっており、入れば二度と抜け出せないようなそんな奈落の底のような雰囲気がある。
手を伸ばせば次元の切れ目へと届く。
まるでこの穴はオリオンの為に用意され、そして王に会いたければ最後のチャンスだと言っているようにも思える。
「この中に……咲はいるのかな……」
次元の切れ目はバチバチと光を上げると、徐々に薄くなって消え行く。
前はチャンスを逃した。今回も見逃していいのだろうか。
いや、嫌だ。
もう一度会いたい。
その心が彼女の足を突き動かし、次元の切れ目へと飛び込む。
「う、うわああああああああああっ!!」
オリオンは叫びを上げながら真っ暗な空間を落下する。
漆黒の空間は方向感覚を狂わせる上に、体がバラバラになりそうな速さだ。自分が今上を向いてるのか下を向いているのかすらわからない。
ただただあいつに会いたい。その一心でオリオンはもがく。
「負け……ない! 咲に会うまでは絶対」
すると、そこに自身と同じスピードで落下している人間の姿があった。
忘れようもない、この間抜けな顔を。どこもかしこも生傷だらけで、苦労人で、女にだらしなくて、こんなに強いメンバーがたくさんいるのにいつも傷だらけにされて、それでも前を向いて立ち向かっていくバカで大事な自分の王様が。
「あぁ……あぁ……ここに……いたんだ」
オリオンは必死にもがきながら少年に手を伸ばす。だが、その手はぎりぎりで届かない。
少年は目をつむったまま全く動かない、死んでいるのではないかと思う。
まさかひょっとしたらここは地獄に繋がる世界なのではないかと思ってしまう。
オリオンは必死にもがいてみるが、体はぴくりとも前に進まず、彼との距離は縮まらない。
「咲! 起きろバカ! 何寝てるんだ! っていうか今までどこ行ってたんだ! 起きろ!」
必死に呼びかけるが少年は目を閉じたまま落下を続ける。
「気絶してるのか!? あたしの手を掴め! 落ちて死んじゃうぞ!」
オリオンの叫びは届かない。少年はピクリとも動かず、そのまま落下していく。
「咲! 咲! あたしのことわからないのか!? あたしは咲のこと忘れたことないぞ! 今までずっと忘れたことないぞ! だからお前も思い出せ! あたしの名を!」
オリオンはやっとあえたのに動かない少年を見て涙を流す。
やっと会えた、やっと会えたのに。
それなのに届かない。
手も声も、心も。
「バカアホおたんこなす! 言いたいことは山ほどあるんだぞ! だから……だから、思い出して……あたしのあたしたちのことを!」
落下する先に赤黒い光が見える。まるで本物の地獄へと向かうゲートのような不気味な光だ。
あそこに落ちたら二度と戻ってこれないような、そんな嫌な気配に直感で気づく。
もう時間はない。これが最後のチャンスである。
「起きろ咲! そしてもう一度あたしの名を呼べ、サーーーキーーーーーーーーーーー!!」
その叫びに答えるように少年の目がゆっくりと開かれる。
死体だった体に血が通い、心臓という名のエンジンに火が灯るように鼓動を刻む。
そして彫像のような唇が開かれ、声が発せられる。
「なんだよ、うるせぇな至近距離で怒鳴るなよ」
「!!」
その言葉にオリオンがどれほどの感動を覚えたか。
どれほどその言葉を待ちわびたか。
「って落ちてんですけどぉ! なにこれ!? なんか下にすんげー怖そうな光が見えてんですけど!」
「ですけどですけどうるさいな。ここは覚醒シーンなんだから、普通の主人公はかっこよく異世界へと再臨するシーンでしょ?」
「俺がそんなテンプレ的役割だったらとっくの昔に魔王でもなんでも倒してハーレムつくっとるわ」
「まぁそうだよね。咲って村人Aがすんごい頑張って勇者目指してるけど結局無理でした的なポジションだもんね」
「逆だ、俺は村人Aだったのにいきなり勇者に選ばれたから魔王倒してこいやって言われて、やってみたけどやっぱ無理だった系で、なんかわかんねぇけど仲間だけは強い奴ばっか集まってきて、最終的に主人公のくせにパーティーメンバーから外れてる残念な奴だ」
「あぁそれは残念だ。咲可哀想な奴だ。あたしはどんだけ使えなくてもパーティーに入れといてやるからな」
「普通に哀れむのはやめろ」
「それに村人Aは否定しないんだな」
「俺が雑魚なのは間違いないからな。だから」
お前がいるんだろ? と返すと、オリオンは八重歯をのぞかせながら笑みを作り、おうっと元気よく答えた。
そうして二人が落ちていた暗闇はガラスのように砕けて消え去り、周囲は異世界エデンへと舞い戻る。
落雷は二度城に直撃した。だが、今度の雷はただの雷ではない。
王の帰還を告げる、光の咆哮でもある。
「なんだ、この光は……」
全員が光り輝く城を見つめる。
瓦礫の落ちる城の前に立っていたのは美しい少年と、赤い髪をした勇ましい少女である。
あまりにも美しい少年に誰もが見惚れる。
銀の髪に見慣れぬ剣を持った少年はカツカツと足音を響かせ、城の外へとでる。
そこには武装したディーの私兵の姿があり、不審者である少年を止める。
「誰だ貴様は!」
兵は剣を構えるが、全員の背筋に一瞬ゾクリと悪寒が走る。
少年の後ろに何か大きな影が見えたのだ。
それは真紅の甲冑を身にまとった骸の武者であり、巨大な刀を携えている。
見ただけでこの武者がただの力ではないとわかり、その身にまとう死の気配に誰もが後ずさってしまうほどの迫力があった。
ソフィーのヘヴンズソードが天使の騎士だとしたら、こちらは死神の武者である。
「何に攻められてるんだ?」
「邪教徒だって。遠くに黒い塔が見えるだろ? あれが建ってから変な事件がいっぱい起きてるんだ。って誰だお前!?」
オリオンはさっきまで隣にいたのはいつもの間抜けな王だったのに、突如自分より美しいのではないかと思ってしまう美少年に入れ替わって度肝抜かれる。
「俺だよ俺」
「お前……」
「わかってくれたか?」
「さては昔咲が言ってたオレオレ詐欺って奴だな」
「お前はバカのくせに変なところ記憶力がいいよな」
「本当に咲なのか?」
「あぁ、間違いねぇ。説明するのがめんどくさいから省くけど、別の世界に飛ばされてこの力を身につけて帰って来た」
「確かに凄い力を感じる……咲の行った世界はそんな恐ろしいところだったのか?」
「まぁな。お前の嫌いな学力で戦う世界だ。どれだけ教科書の内容を暗記したかで強さがかわってくる世界で、明確に自分の能力が数字にされる。4か月に一回自分の戦闘力を記した評価表がもらえて、これが低いと生きていくのが困難になっていく」
「やばそうな世界だな……あたし絶対行きたくない」
オリオンはごくりと生唾を飲み込む。多分面白いこと考えてんだろうなと思いつつ、遠くに見える黒い塔を見やる。
「俺がいたときあんなのなかったよな?」
「咲がどっか行った後に急に地面から生えてきた」
「迷惑なタケノコみたいなやつだな。まぁディーさんが調査してるだろ」
少年は前に進むが、それを兵たちは止める。
「何者だ! 名を名乗れ!」
「オリオンさん、この男は誰なのですか!?」
「誰って……咲じゃん。今言ったでしょ?」
「はっ?」
「イケメンになりたいって願ってたらこの顔になったんだ。Yesファンタジークリニックって感じだろ? そんでディーはどこにいるんだ?」
「ディ、ディー様は領地中央にて戦線を指揮しています」
「そうか、ありがと行くぞオリオン」
「おう」
「お待ちください! オリオン様はここで待機命令が下されています!」
「それ誰の命令?」
「ディー様ですが……」
「じゃあ俺の方が偉いからいいだろ。見たところ敵の数はそんな多くなさそうだけど押されてるみたいだし」
少年はオリオンを連れて狭い領地を歩いて下っていく。
「咲、なんかイケメンだね」
「嬉しいだろ。この格好になると口調がかわるはずなんだが、どうやらなくなったみたいだ」
「うん、カッコイイよ。アホな女がめっちゃ釣れそう」
「だろ、一流の結婚詐欺師にでも転職しようかと思う」
「でも咲は喋るとバカだから喋らない方がいいよ」
「マジかバカにバカって言われるとは」
「ここにいる奴皆バカだからな。咲が帰って来るまで誰も抜けなかったよ」
「そうか、そいつはバカばっかだな」
「咲嬉しそう」
「当たり前だろ。愛すべきバカたちに俺が帰って来たこと伝えないとな。よしオリオン吠えろ。俺が帰って来た合図だ」
「ワオーーーーーーーーーーーーン!!」
王は無駄に遠吠えの上手いオリオンに笑みを返し、二人は鼻歌交じりのまるでピクニックに行くかのような気持ちで邪教徒退治へと向かう。