ウサギとカメ
◆◇◆
なんだかカメみたいな奴だな、と言われたことがある。
確か小学校の四年生の頃だ。
そう言われた時には、ただの悪口だとしか思えなかった。だって、そうだろう。いきなり、カメみたいだ、なんて言われたら、それも体育のサッカーでチームメイトに言われたのだとしたら、誰だって「ノロマ」と貶されたのだと邪推してしまうだろう。いや、邪推するまでもなく、ただそうとしか思えないだろう。
けれど、今になって考えてみると、やっぱりあれは邪推だったのかもしれないと思うくらいには、彼は良い人だった。
良い人、という言葉は、とても曖昧で危うい言葉だと思うのだけれど、というのも、それが極めて主観的なものだからだが、ともあれ、彼は比較的良い人だったと思う。
そんな彼が、ただ「ノロマ」と貶したとは思えなかった。
だから、ごく普通に考えれば、実は「普通」という言葉も好ましくはないのだけれど、あれはイソップ寓話の『ウサギとカメ』から来たものだったのだろう。
この寓話は、過信や油断によって失敗することや努力によって得られるものがあることを教訓としたものだ。つまり彼は、僕を「努力の人間だ」と思った、ということなのだろう、と思う。
まあ、本当にただ使えない僕に対する苛立ちからの一言だったのかもしれないけれど。
何しろ、僕はスポーツがからっきしだ。足も遅いし、反応も遅いから、例えば、野球ではミットに収まってから振る有り様だ。あの時のサッカーでは、ゴール前で空振りでもしたのかもしれない。
ああ、なんだかそんな気がする。
けれど、そんな僕にも根気良くパスを出してくれるくらいには、彼は良い人だった。
ともあれ、僕はまあ、そういう人間だ。
要領が悪いから、それこそ人の倍くらいはやらなければ他の人の成長速度についていけない。
彼の言葉は、今の僕の自分自身に対する評価にぴったりだ。
つまり、カメみたい、である。
何で僕がこんな事を考えて、昔のクラスメイトの言葉を思い出したりしているかと言えば、今僕は自分を見つめ直しているからだ。
でもそれは、何かに失敗して反省しているとか、そういったマイナスな動機ではない。
いや、どこか自分を卑下しようとしているところもあるから、若干マイナスな面もあるのかもしれない。
とはいえ、差し当たり、僕は幸運を手にしたラッキーな人というのが、正しいのではないだろうか。
何がラッキーなのかと言えば、そう、宝くじに当たってしまったのである。
何においても、結果に至る過程が長い、カメのような生き方をしてきた僕にとって、それはまさにウサギさながら過程をひとっ飛びしてきたかのような、奇想天外な、摩訶不思議な出来事だった。
お金を得るには、ちゃんと働いて働いて、それでそれに見合った給料を頂く。それが、僕の中にあった唯一の方法だったはずなのだ。
だから、急にポンッと、それこそくじを買っただけでお金がどっさり貰えてしまうなどという状況は、何やら気味悪い感じがした。
誰とも知れない誰かに騙されているのではないか、と。とはいえ、僕に対してそんなことを仕掛けてくるような人物に心当たりなどない。
だから、まあ事実として受け入れれば良いのだけれど、受け入れ難かった。
ならなんで宝くじを買ったのか、という話なのだけれど。
そんなこんなで、僕は悩んでいた。
目の前に金の詰まったアタッシュケースを置いたまま、僕はもう、三時間くらいああでもない、こうでもない、と思案している。
何しろ、見たこともない程のまとまった金額だ。
どうすればいいのか、困ったものだった。
金は、無ければそれも困るけれど、有れば有るで困らせてくれるとは、何とも皮肉なものだ。それこそ、良いものではない。
僕が小心者なだけなのだろか。
いや、よく言うではないか、お金なんて、人を惑わせて狂わせるだけだ、と。きっと、そういうことだろう。
とはいえ、手を付けずに手放すなんてことはできそうになかった。
前言を返すようだけれど、やっぱり、金は無いより有る方が良いに決まっているのだ。
ふと、思った。
宝くじに当たった人は、例えばどんなことにそれを使っているのだろうか。
僕にとっては、なんだか素直に喜べない金だけれど、世の中にはとにかく金大好きな人だっている。それに、僕の知らないところでは、意外と宝くじに当たっている人もいるはずだ。
彼らはどのように、この降って湧いた金を使っているのだろうか。
疑問に思った僕は、何度もアタッシュケースが閉まっていることを確認した後、やかんを火に掛けた。
ノートパソコンを持ち出してきて、アタッシュケースの脇に置く。スイッチを押して、起動するまでの僅かな時間に、コーヒーを淹れた。
僕は紅茶やお茶ではなく、コーヒー派だ。大した理由とか、こだわりはないけれど、何となく、コーヒー派だ。
一口飲んで落ち着いてから、僕はパソコンで検索してみた。
『宝くじ 当選 使い道』
検索結果が表示される。そろそろと上から下までスクロールしてみてから、僕はそっとパソコンを閉じた。
やっぱり、駄目だ。金は良いものではない。
宝くじの当選者に、華々しい人生は残ってないようだった。
何故だろう。
所謂金の魔力に魂を奪われたのだろうか。
はたまた、金の亡者に陥れられたのだろうか。
だから嫌なんだ。良い話には落とし穴があるというように、宝くじの当選には不幸があるのだろう。
僕はカメだ。
ウサギのように一足跳びには進めない。
他人の一歩に対して、僕は二歩も三歩も掛かる。
それ以外の方法で、イレギュラーな方法で手に入れた何かは、僕にとっては尋常ならざる幸運の産物なのだ。
宝くじの当選には不幸がある。僕はそう言ったが、それはやはり、正確な言葉ではなかったかもしれない。
僕にとって、これは幸運だ。
二度とないような異常な幸運だ。
だから、期待してはいけない。これ以上の幸運はきっと訪れないだろう。それほどのことだ。
期待せずに、感謝しよう。
金に溺れず、欲に溺れず、運にすがらずにいこう。
僕は静かにアタッシュケースを開けた。
中に鎮座する、札束を見る。
はじめに見たときよりも、どこか素直に喜べる気がした。
じわじわと、実感が湧いてくる。
ほおがほころんだ。
「……当たった、百万円!」
僕は小躍りした。
カメのように、のそのそと。