8 他人事だと思っていたら自分もハマっていたでござるの巻
「なんで……フェレスが奴隷なんかに……」
男たちが猫耳娘を連れて帰った後、アエスタは放心して座り込んだ。
俺は黙ってパンとスープを食べ終えると、ごちそうさま、と言って――たぶんキッチンはここだよな――食器を片付けた。
「奴隷になるなら誓約書にサインしないといけないのに。どうしてあの子、サインしたのかしら。もしかして無理に書かされたとか」
「それはないな。俺が救済小屋への道を聞いたとき、あの子は1人で歩いていた。自分で奴隷市場に行ったと考えるのが自然だ」
「そんな……じゃあ私に力が足りなかったの? いつもお金が無くて悩んでたから、気を遣ったの!?」
俺はアエスタの隣に椅子を運ぶと、並んで座った。
「あの子とは仲が悪かったのかい?」
「とんでもありません! フェレスは自分の名前が書けるようになりたいって言うから、文字を教えていたぐらい、仲良しでした」
「だから自分を犠牲にして、この施設にお金を寄付しようとした?」
なんか違和感があるな。他にどんな可能性があるだろう?
俺はぐっと上半身をそらすと、椅子の縁に両手をかけて、天井を見上げた。
「奴隷って、どんな仕事をするの?」
「人によって様々です。工芸や楽器の心得があれば、お抱えの芸術家みたいに扱われることもあるでしょうし、重労働を命令されることや、その……主を慰めるハメになるかも」
「市民の身分に戻るには?」
「誓約書はルーン魔法の一種が仕込まれていて、持ち主が破棄するまで奴隷の身分のままなんです」
なるほど。その後の人生をかけた、大博打ってわけだ。フェレスという少女、なかなかの度胸があると見える。
けれど、なんでこんなことをしたんだろう。俺はフェレスの気持ちを想像してみた。
「窮屈になったのかなあ」
「きゅうくつ?」
「そう。居心地が良すぎて窮屈だから、独り立ちしたくなったとか」
――先生が描いた、あの絵本の恐竜みたいに。
「だからって、奴隷になるなんて!」
アエスタが立ち上がって叫ぶ。俺は……そっと下を向いた。彼女の声が涙声になっているのが分かったからだ。先生そっくりの顔が泣き崩れるところなんて、見たくもない。
だがしかし、彼女は意思も固く涙をぬぐうと、俺の正面に回り込んできた。
「リュウセイさん。お願いがあります」
「やだよ」
「お金を貸してください! 何年かけてでも返済します!」
「その金であの子を買い戻すって? それで、また奴隷になられたらどうする」
「それはっ……!」
アエスタは、さめざめと泣き始めた。……ああもう、止めてくれよ。アンタの顔見てると、先生を思い出して辛いんだよ。
俺は――自分の甘さに舌打ちしながら――立ち上がって、こう言った。
「分かった。明日になったら仕事がないか、冒険者ギルドで聞いてみる。これでいいだろう?」
「本当ですか!? ありがとうございます、ありがとうございます!」
アエスタは俺の手を握って、何度も、何度も上下に振った。
その後、俺はダイニングに並べた椅子の上で眠ることになった。体が痛くなるだろうとは思ったが、こちらの世界へ来てからの疲れが溜まっていて、眠気に逆らえなかった。
――翌朝。俺は子供たちの不審そうな目に見送られて出発した。
なんとか覚えていた道をたどって冒険者ギルドに着く。そして、受付嬢に仕事がないか聞こうとすると。
「リュウセイさん、大事なお話があります」
「仕事の話? お金が儲かると助かるんだけど」
「いいえ、ギルドマスターからの呼び出しです」
言われた途端、体が「気をつけ!」の姿勢を取り、身動きが取れなくなった。
ちがう、小さな文字が縄のように俺を取り囲んで、動けないようにしているんだ!
「うわっ!? なんだこれ、体が勝手に……」
「リュウセイさんはギルドの入会申請書に署名しましたからね。ギルドマスターの命令が一定の拘束力を持つようになります」
そんなバカな! あれはノリと勢いでやったことで……会ったこともないギルドマスターに、人生預けたつもりは無かったんですけど!?
周囲からは「いい気味だ、天井に穴開けやがって」「ジイさんに絞られてこい」といった、ヒソヒソ声が聞こえる。
「さあ、今すぐギルドマスターと会ってください」
「くっ、この文字め……」
「文字? なんの話です?」
怪訝そうな――ルーン文字が見えていないのだろう――受付嬢を無視して、カウンターの羽根ペンに手を伸ばす。俺の力が神様に与えられたものだってんなら、強制力を中和する文字が書けるはずだ。
みんな最初は笑って俺を見ていたが、俺の手が羽根ペンに近づくにつれ、驚きの声が上がり始めた。
「嘘だろう!? 入会申請書の拘束に逆らうのか!?」
「ルーン文字に逆らえるヤツなんているのかよ!?」
「リュウセイさん、ギルドの命令に逆らうんですか!? すごいと思いますけど、じゃあ、何のためにギルドに入ったんですか!?」
受付嬢――赤毛にソバカス、緑の服を着た少女――も声を上げる。彼女は俺が取れないように羽根ペンをしまおうとした、そのときだった。
「構わんぞ、ナール。その小僧がどこまで力を持っているのか、この目で見てみたい」
「ギルドマスター!」
威厳のある声に、誰もが振り返る。そこには身長こそ俺より低いながら、筋肉ムキムキに鍛え上げた、ローブ姿のジイさんが立っていた。