6 俺はただ宿に泊まりたいだけ
ギルドでのやりとりの後。俺は今夜の寝床を求めて、救済小屋という施設に向かっていた。
救済小屋までの地図を書いてくれと頼むと、受付嬢は顔を真っ赤にしてこう言った。
「お客様、やっぱり高貴な出自なんですね。私たち庶民にとって、紙は高級品なんですよ! 口で説明しますから、覚えて行ってください」
ああ、もったいないと受付嬢はプリプリ怒り、早口に道順を告げた。
それで、言われた方向に来てみたのだが……俺はポリポリ頭をかいた。
「迷ったな、こりゃ」
――ヒヒーン!
「危ねえぞ、どこ見てる!」
「うわあっ!?」
急に後ろから怒鳴られて、驚いた。暗く、足元が見えにくくなる中を、背後から馬車が追い越してゆく。
メンタルが現代日本人の俺としては、この世界の道路事情は受け入れがたいものがあった。道端に馬のふんとか落ちてるし。
いや、だからこそ立ち止まっている場合ではない。なんとか救済小屋を見つけないと、道端で寝たら馬に蹴られる。
ふと前方を走っていく女性が目についた。黒い頭巾のようなものをかぶっている。地球でいうキリスト教の修道女に似ていると感じた。
ここで、俺は救済小屋の話を思い出した。たしか教会が作った施設だ、みたいなフレーズだったよな?
「おーい、そこの尼さん! ちょっと待ってくれ!」
俺は修道女を追って駆けだした。少しでも気づかれやすいよう、大声を上げ右手を振る。彼女はすぐに俺に気づくと、なぜかこっちへ駆け寄ってきた。
「ああ、親切な方! フェレスを見つけてくださったのですね?」
「フェレス? いや、俺は救済小屋を探しているんだけど……」
「まあ、そうでしたか……」
修道女は人を探していたらしい。俺が無関係な人間だと分かると、露骨に肩を落とした。
……まあ、そんなもんだよな。知らぬ他人より、近くの身内。俺の世話を拒否した親戚どもの“かわいい我が子”たちが脳裏をよぎる。どいつもこいつも、平和ボケした顔をしていた。
あいつら今頃どうしてるんだろう。俺と同い年なら、もう社会人になっただろうか。案外、結婚して幸せな家庭とやらを築いているかも知れない。なんにしろ、俺のことなんて覚えてもいないだろう。
クソッ、なんで日本でルーンマスターの力が手に入らなかったんだ。
「この力があれば、あんな連中、皆殺しに……」
「みなごろし?」
「あぁ、いや、なんでもないです! あの、救済小屋に泊まりたいんですけど、場所を知りませんか?」
慌てて話題をそらす。つい考えていたことの一部が、口に出てしまった。
その途端、修道女はハッと目を見開いて俺の顔を見た。俺も初めて、正面から彼女の顔を見た。
温和を絵に描いたような女性だった。日本人のような黒と茶色の瞳、化粧っ気の無い薄い唇。それらは紫檀の木目を思わせるウェーブのかかった髪に縁取られて、丸く収まっている。
そして、なぜだか送られてくるのは、まるで大事な宝物を見つけたかのような――俺にはふさわしくない――眼差しだった。
胸のどこかが、チクリと痛んだ。
――先生、僕も先生みたいな本を書く!
――そうね、きっと書けるわね。
「……あの? あの、もし?」
「! はい、なんでしょう?」
修道女の呼びかけで、俺の意識は現実に引き戻された。うっわー、この人、目が輝いている。夜だけど分かるぐらい、めっちゃ輝いてる。
「さっき救済小屋に御用があると仰いましたね。私、アエスタと申します。あなたのお名前は?」
「アマクサ、リュウセイ、です……」
「どちらがファーストネームですか?」
「リュウセイ、ですけど」
「なるほどぉ」
なにを納得したんだか、彼女はうんうん頷くと、俺の手を握ってブンブン上下に振り回した。
「リュウセイさん。実は私、救済小屋の管理人を務めております。よろしければ今からご案内しましょう」
「えっ!? それはうれしいけど、何か大切な用事があるんじゃないの?」
「同じくらい大切な用事が見つかりましたから。詳しい話は救済小屋でしますわ」
さあさあ、と走り出すアエスタ。
――なんで? 俺、何かしましたか?
彼女に手を引かれている間じゅう、ずっと頭の中で、そんな疑問が渦巻いていた。