5 嵐を呼ぶルーキー(物理)
しばらくして、ゴツイおっさんどもがワラワラ集まっていく店を見つけた。中から漂ってくるのは、肉を焼く匂いと……酒の臭い。
「どう見ても居酒屋だよなあ?」
しかし入口付近の壁から扉にかけて「冒険者募集」と書いたビラが大量に貼ってある。ここっぽいが、確証が持てない。
入口でウロウロしていると、顔を出したお姉さんが「何か御用でしょうか?」と首をかしげた。思い切って用件を切り出す。
「今夜泊まるところを探しているんですが、冒険者ギルドってここですか?」
「はい、そうです。他のお客様のご迷惑ですので、中に入ってもらえますか」
「あっ、すみません!」
俺はスイングドアを押し開けて、おそるおそる店内に入る。その途端、ガヤガヤとうるさかった客同士の会話が、半分以下のトーンに抑えられた。むさくるしいオッサン共が俺の身なりを観察している。
分かってるよ、現代日本の服を着てるから目立つんだろう? でも俺は構うことなくギルドに入店した。着替えも無ければ金も無い、無い無い尽くしのこの状況じゃ背に腹は代えられないのさ。
やたら綺麗な受付嬢が――さすがに場慣れしているらしく――平然と話しかけてきた。
「泊まるところをお探しとのことですが、無所属の方をお泊めすることは出来ないんですよ。また所属するにしても、審査に時間がかかります。もし、どうしても泊まりたいということでしたら、教会の救済小屋を訪ねられてはいかがですか?」
……はあ。溜息が口からこぼれる。たらい回しかよ。転生前に親戚の家を転々としたトラウマがよみがえった。
受付嬢は営業スマイルを絶やさず告げる。
「ギルドへの加入申請は、明日あらためて手続きするということで」
「そんな面倒くせえ手続き、いらねえよ」
いきなり会話に割り込んできたのは、いかつい鎧を着たオッサンだった。敵意むき出しの目つきで近づいてきて、1mほどの距離で立ち止まると、手にした酒の入ったジョッキを投げつけてきた。
ビシャッと音がして、俺のズボンが濡れる。
「その変な服、ルーンマスターの坊ちゃんだろう? ここはな、お前らみたいなお上品な連中の来るところじゃねえんだ。帰ってママのミルクでも飲んでるんだな」
――そうだ、そうだ! 帰れ、帰れ!
連鎖的にテーブル席から野次が飛ぶ。
「まったく。これだから人間ってヤツは嫌いだ――」
「は? ってお客様、何をするんですか!?」
俺が紙と鉛筆を取り出すと、受付嬢が顔色を変えた。オッサンはと言えば、ヘッピリ腰で1~2歩下がると、腰の剣を抜き放った。
「な、なんだテメェ! やる気か!? ギルドでもめ事を起こせばなあ、俺たち全員が敵に回るんだよ! 分かってんのか!?」
「俺も敵になるんだぞ!」
「俺もだ!」
酒の勢いか、元から性格が悪いのか、オッサンどもは揃って威嚇してきた。
……バカの寝言はウンザリする。それが複数なら、なおさらだ。
俺は黙って紙に『温風』と書いて、濡れたズボンにかざした。ぬくもりが、じんわり伝わってきて、ズボンが乾いてゆく。
オッサンは、その様子をポカンと眺めていたが、
「テメェ、バカにしやがって!」
と叫ぶと、カウンターに置いてあった羽根ペンで、自分の剣に文字を書いた。それは、この世界の文字で『水』という意味。
文字使いの能力のせいか、俺にはこの世界の言葉を理解することが出来るようになっていた。文字が、まばゆい光を放つ。
「俺だってなあ、1文字くらい書けるんだよォ! しかも炎使いに強い『水』の文字! くらいやがれェーッ!」
水で刀身が膨れ上がった剣を、オッサンが振りかぶる。けれど、俺は全然別のことを考えていた。
『水』なら俺も使えたから、この世界では、書かれた文字がどんなモノでも実体化するんだと思っていたけど。
属性? 炎使い? そんな決まりがあるの?
(まあ、何だって関係ないか)
頭のオカシイ奴に付き合う気はない。俺は『温風』を捨てて、新しい紙に『無敵』と書こうとした。しかし、
「あっ、しまった!」
『無』まで書いたところで、紙が濡れて『敵』が書けないことに気づいた。
目の前にはオッサンの剣が迫る。ええい、ままよ!
「どうなっても知らねぇからな!」
俺は『無』を盾代わりに突き出した。その途端、オッサンの剣を覆っていた。水が、黒インクのように濁って流れ落ち『無』の中へと吸い込まれていった。
「あん? なんだこりゃあ?」
オッサンは再度、羽根ペンを手に取る。だが二度とその文字が光を放つことは無かった。
オッサンも、その仲間も、受付嬢でさえ呆然と成り行きを見ていた。
――もしかして、ここは一丁、恰好つけていい場面なんじゃないか?
「ひいッ!? なんだ? お前、何をしやがった!?」
「気に入りましたよ、お姉さん。俺、このギルドに入りたいです」
「はあ!?」
その場にヘタリこんだオッサンを無視して、俺は受付嬢に話しかける。
「ギルドへの入会申請書類、書かせてください。名前の欄は、と――」
カウンターの内側から、勝手に用紙を取って記入欄を探す。あった、あった。俺はそこに自分の名前を書いた。
――天草龍生。それが転生前の俺の名前だ。
言い訳しておくが、このとき俺は悪気なんてこれっぽっちも無かった。ただ、文字の属性がどうのと言うので、属性なんて無さそうな文字を書いてみたかっただけなのだ。
書き終えた途端、俺の名前が光り出す。次の瞬間、俺の足元からは、草花が芽吹き、美しい眺めとフローラルな香りを室内に充満させた。
さらに、ギルドの屋根を貫いて、天空から光の柱が差してくる。受付嬢が
「あ、あの困りますお客様! ……っていうか天使様?」
と、的外れなことを言うのが聞こえた。
やがて、光の柱を伝うように、東洋風の蒼い龍がしずしずと降りてきた。
『文字書きよ、いかなる用件か?』
龍はギョロリとオッサンどもを睨む。
『この者たちを排除すればいいのか?』
いやいやいや! 俺は好奇心で自分の名前を書いただけで、本物の龍が出て来るなんて思わなかったんだ!
この龍がどういう存在なのか分からないけれど、ここで「YES」と答えたら、間違いなく厄介なことになる!
「あっそうだ、ここにいるオッサンたちと“仲良く”なりたいんだ。そうだよ、それで呼んだんだけど!?」
「ひいッ!?」
俺が指さすとオッサンどもは後ずさった。しかし龍は首を振って答える。
『気遣いは無用だ、文字書き。先ほどの成り行きは見せてもらった。この者たちの扱いに難儀しておるようだが、先に手を出したのは相手側。すぐにも、人間の法律で罰せられるであろう』
「そうなの? じゃあ、特に用はないです……」
『申し訳なさそうにするな。いつでも私を呼ぶが良い』
そう言って、龍は天に昇って行った。オッサンの仲間が、震える声で俺に問うた。
「なんだったんだ、ありゃあ……なんなんだよ、お前」
俺は肩をすくめて、こう答えた。
「ただの“文字書き”さ」
ぽっかり屋根に空いた穴から涼やかな風が吹き込んでくる。いつの間にか日は沈み、頭上には、三日月が浮かんでいた。