外伝 千の夢、万の現 その3
少女は小首をかしげて俺を見、それから手の中に収まった金属板に注目した。
「なにか書いてある……これは!?」
金属板が光を放つ。そこからホログラフィめいて映し出されたのは、現代日本で死に別れた、先生の姿だった。
さすがに少女も想定外だったらしく、キョトンとした顔で先生の顔を眺めている。それはそうだ、なんの戦闘力も持たない一般人の魂を呼び寄せるなんて、思いもつかなかっただろう。
先生は、そっと両手を開くと、少女の体を優しく抱きしめた。
「こ、こら、なにを……!?」
『あなたは不安だったのね』
先生は少女に――ああ、懐かしいあの声だ――柔らかなテノールで話しかけた。
『あなたは自分が幸せかと聞かれて、とっさに迷ってしまった。世間の常識でいう幸せと、自分が考える幸せは別物だと知っていたから。頭が良くなければできない発想よ』
「それは我が変わり者だと、けなしているのか?」
『いいえ。けれど、あなたは自分の常識を疑ってしまった。だから自分と世間、どっちが幸せなのか知りたくて、こんなことを始めたのよね。違う?』
少女の目が見開かれる。目じりには輝くものが溜まりつつあった。
『だから幸せですかと聞かれたら、あなたはこう答えると良かったのよ――その質問をしてもらえたことが、私にとっての幸せです、と』
「そんな! そんな単純な答えで良かったのか? 我のしたことは無駄だったのか!」
少女の目から涙があふれだす。同時に、彼女が呼び出したブラックホールはひとつずつ消えて行った。いつか俺の呼び出した虚無が、先生やエリスやアエスタの幻影によって封じられたように。
少女の言葉を思い出す。俺に害をなさないものは、彼女にも害をなさない。いちかばちかの賭けだった。
『あなたが寂しいなら、私が一緒にいてあげる。だからリュウセイくんを家に帰してあげて。ねえ、リュウセイくんは、そうしたいのよね?』
「……はい、先生」
『よろしい』
それから先生は、俺のほうへ近づいてきた。
『リュウセイくんのこと、死んだ後も、ずっと見ていたんだけれど……これからはリュウセイくんのそばにいられなくて、ごめんなさい』
「……俺は大丈夫です」
『大丈夫じゃないわよ、そんな捨て猫みたいな顔しないの!』
先生はグシャグシャと俺の頭をなでまわす。こうやって笑った先生こそ、俺の大好きだった先生そのものだった。
名残を惜しむ俺の肩を、獅子頭の戦士が揺らした。
「リュウセイ。エリスたちが呼んでいる」
「ああ、そうか……出産に立ち会うんだった。行かないと」
帰らなくちゃ、と思った途端、星々の輝きが強くなった。視界が白く塗りつぶされていく中で、俺は確かに先生の声を聞いた。
『またね、リュウセイくん。きっと、また会えるから!』
「……どうやって?」
『それは、今から考えるわ。なにしろ、神様が一緒に悩んでくれるしね』
「あ……私のことか!? そうだな、できることならまた会おう、リュウセイ!」
なにも見えない輝きの中で、幻だろうか、手を振る先生と少女の姿を見たような気がした……。
「むにゃむにゃ、先生……」
「旦那様、旦那様!」
「えっ!?」
使用人のおばちゃんに揺り起こされて飛び起きる。そこはエリスと俺の住む屋敷の廊下だった。俺は椅子に座ったまま、壁にもたれて眠っていた。
なにか夢を見ていた気がするが、うまく思い出せない。
眠い目をこすって視界を確保する。窓からは、初夏特有の強い日差しが差し込んできていた。
「俺どうしたんだっけ、たしかエリスの出産を待っていて……」
「そのまま寝てしまわれたのですよ、旦那様! もう朝です、とっくに出産は終わりましたよ!」
「嘘!? どうしよう、やっちゃったぁ……」
頭を抱える俺を、おばちゃんは引っ張って立たせた。
「落ち込んでないで、早くお嬢様の顔を見に行ってください。赤い髪と目が綺麗な、かわいい赤ちゃんですよ!」
「え? 赤い髪?」
なんだろう。なにか大切なことを思い出せそうな気がする。
まあ、いいか。子供の顔を見ることより大切なことなんて無いはずだ。俺は赤ん坊の泣き声が聞こえ始めた部屋へ、意気揚々と入っていった。
了




