外伝 千の夢、万の現 その2
獅子頭の戦士は少女の腕をつかんだまま、俺の体からズルリと這い出た。お陰で少女が俺の胸に突き刺していた腕は、自然と引っ張られて抜け出した。奇妙なことに、あとには出血どころかアザさえ残らない。
少女は眉をひそめて問うた。
「誰かと思えば、炎の精霊ではないか。汝のようなか弱い存在が、なにをしに参った?」
「無論、この者を守りに来た」
獅子頭の戦士は少女から俺をかばうように、堂々と立ちはだかった。
ややあって少女がコロコロと鈴の音のような笑い声を上げる。
「守るもなにも、この者は我とひとつの存在。再びひとりに戻るのに、なぜ他者の許しを得なくてはならぬのだ?」
「俺は嫌だぞ! 子供の顔も見ずに死ねるもんか!」
「死ぬのではない、再びひとりに戻るだけ――」
「それを死ぬって言うんだよ! 俺の心が死ぬんだ!」
俺がありったけの声を張り上げると、戦士は肩をすくめてみせた。
「リュウセイよ。お主の力は神の力、文字さえ書ければあやつとも互角に戦えよう」
「そうなのか。けど書くものがないと……」
「こんなこともあろうかと金属板を持ってきた。私がお主に憑依するゆえ、炎の力で文字を刻むがよい」
炎が俺の内側からあふれ、両手が毛皮に覆われ、視覚が鋭くなってゆく。
助かった! 変身の感触に俺は心の中で拍手喝采した。
「だが忘れるな。私は本来、お主より弱い力しか持たぬ。憑依しても、お主の力以上のものは出せぬ。全てはお主の力次第だ」
「分かった。なら、先手必勝!」
返事もそこそこに、俺は戦士の懐に入っていた金属板に文字を書きつけた。
思いっきりやってやる。俺は迷わず『メテオ』の文字を書いた。巨大な隕石群が飛来し、少女めがけて襲いかかる。
「ふん」
しかし少女は衝突の寸前、右手のひらで隕石を軽くはたいた。それだけで、ひとつめの隕石は麻婆豆腐のようにグチャグチャになって砕け散った。
それだけではない。吹き飛ばされた隕石の破片が別の隕石に当たり、少女へ至る軌道を変えて、通り過ぎていった。
「これならどうだ!」
俺は次に『太陽』の文字を書いた。超高熱の星が足元から現れ、少女を焼き尽くそうとする。
しかし少女は、その場でくるりと回ってみせた。スカートの裾がわずかに持ち上がり、かすかな風を伴って足元に戻る。
すると、そこで発生した風が極寒の冷気となって太陽を覆い、氷漬けにしてしまった。少女は微笑を浮かべて話しかけてくる。
「無益な抵抗は止めるが良い。我とひとつになって、幸せな記憶と共に生きてゆこうぞ」
「絶対イヤだ!」
最後の手段だ。俺は金属板に『虚無』の文字を書いた。背後に巨大なブラックホールが現れ、俺以外の全てを飲み込もうとする。
流れ星が、凍てついた星が、燃え盛る星が、こちら目指して進み始めた。しかし少女が吸い込まれる気配はない。
「なんでだ!? どうして効かない!?」
「我と汝は一心同体。汝に害をなさないものは、我にも害をなすことはない」
「なんだと……!?」
次! 次の文字を書かねば!
俺は右手から炎を放ち、金属板の表面を溶かして平らにすると、別の言葉を刻み始めた。
一方、少女は右手をかざして優雅に告げた。
「ふむ。文字の記載が必要な制限された力で、我と戦おうというのか。仕方ない、気が済むまで相手をしてやろう」
「なにっ!?」
次の瞬間、少女の背後に10個……いや20個……もはや数え切れないほどのブラックホールが出現した。俺の出したブラックホールに吸われていた星々が動きを止め、少女のほうへと引っ張られ始める。
それどころか俺の体が、手にした金属板もろとも吸い込まれそうになった。少女のほうは身じろぎもしないのに……!
「なんでだ!? あいつに効かないものは、俺にも効かないんだろう?」
『リュウセイ、これは失策だったかも知れぬ。彼女が呼び出した虚無は、お主と合体した私を吸い込もうとしているのだ』
「なんだって!? ……ああっ!」
戦士の声に驚いている間に、俺は金属板を手放してしまった。少女は自分のほうへと吸い寄せられたそれを、なんなく受け止めてみせた。
「汝よ、これでイタズラはできなくなったな。どうだ、観念したか?」
『マズいぞリュウセイ! これ以上、何か手はあるのか!?』
「これ以上、手はない」
俺は歯噛みして言った。獅子頭の戦士が、そうか、とため息をつくのが伝わってくる。
少女は上機嫌に、そうか、と笑顔を見せた。
「ただし」
俺は少女を睨みつける。
「最後の賭けは始まったが、な」
「賭け?」




