外伝 千の夢、万の現 その1
目を覚ますと辺りは真っ暗だった。どうして眠ってしまったんだっけ?
そうだ、今朝早くエリスが産気づいて、お産婆さんを呼んできたんだ。ところが、かなりの難産で出産を待っているうちに夜になったんだった……
どうやら待ちくたびれて眠っていたらしい。お産に立ち会うということで、すごく緊張していて、寝るどころではなかったはずだが……我ながら薄情な夫だ。
窓の外を見る。異世界に来てから長くなったせいで、月明かりが見えれば、およその時間が分かるようになっていた。
そうして俺は異変に気付いた。月明かりが見えない。いや、そもそも窓が無い。屋敷の廊下に座っていたはずなのに、俺はいつの間にか真っ暗な空間にポツンと浮かんでいた。
遥か遠く、赤くて大きな星が見え、頭上にも足元にも銀河の煌きが輝いていた。
「どこだ、ここは!? まるで宇宙じゃないか!」
「待ちかねたぞ、我よ」
「誰だ!」
反射的に振り向く。そこには黒白のゴスロリ服を身にまとった、中学生くらいの少女がいた。燃えるような赤い髪・赤い瞳をしている。だが表情は能面のような無表情で、ただならぬ不吉さを醸し出していた。
異様なのは、そいつの足元から大量の人骨が試写会のレッドカーペットのように俺のほうへと伸びており、終端で椅子の形を成していたことだ。俺は、それに座って眠っていたらしい。
「久しぶりだな、1001人目の我よ。さっそくじゃが腹が減ってかなわぬ。食事の時間にさせてもらおうか」
「お前、なに言ってるんだ? ここは夢の中か?」
「現実世界では汝の体はスリープモードに切り替えてある。この会話が終わるまで3秒にも足るまいが、その間、こうして我と対話してもらっておるのだ」
……こいつが何を言ってるんだか分からない。この世界は夢なのか?
ここで俺は、この少女がそもそもの質問に答えていないことに思い至った。
「もう一度聞くぞ。お前は誰なんだ? この現象はお前が起こしたのか?」
「なるほど、この姿では分からぬか。お主をジャルダンの街に転生させた老人を覚えておるか?」
「ああ、神様のジイさんな。あのボケ老人がどうした」
「あれも我が化身のひとつ。我は無数の貌を持つ、神にも等しい万能者である」
「はあ?」
「そして汝、天草龍生よ。汝も我が姿のひとつ、万能者の化身である」
「……すまん、よく分からん。俺は我が子の出産という人生で一番の山場にいるんだ。早く家に帰らせてくれ」
「否。それはできぬ相談だ。なぜなら、お主は500年ぶりの我が食事となるのだからな」
少女が呟いた刹那、俺めがけて人骨でできた鎖が飛んできた!
ああ、分かっている。人骨で鎖など作れるわけがない。しかし現に、そういうものが蛇のように意思を持った動きで俺に絡みついてくるのだ!
俺はたちまち、宇宙空間に磔になった。
「少し昔話をしてやろう。汝は我から切り離され、情報が途絶しているからな」
「ぐっ……!」
少女は人骨のカーペットの上を歩いてやってくると、俺の顎につうっと指を這わせた。
「もう遥か昔のことになる。我は小さな国の巫女で、人柱になる定めだった」
少女は少し引き返して、人骨でできた椅子に腰かけた。
「こう言うと不幸だとか哀れだとか言うのが、最近の価値観らしいが、我は違う。己が人柱になることにより、前向きに、多くの人々を幸せにしたいと願ったのだ」
星が流れ落ちてゆく。星々はわずかながらに自転し、公転し、俺たちの周りを動いてゆく。
あまりに光の粒が多くて、俺は気持ちが悪かった。
「そうして人柱として民たちに捧げられたとき、我は己の本当の力に目覚めた。我は時空を改変する力を得て、複数の場所に同時に存在できる万能者となったのだ。あるいは最初からそのようであり、巫女でいる間、忘れていたのかも知れないがな」
「……つまり、なんだ。俺はお前から作り出された人形だ、ということか?」
「あまり卑屈になるな。汝は我の化身のひとつ、役割こそ違えど身分の違いはない」
俺は、この意味不明な話を聞き流しながら、いくつかの疑問を検討していた。
俺がいるこの場所は、宇宙だというのに窒息や凍死の心配はないらしい。では、この空間でルーン魔法をぶっ放すことはできるのか?
こいつは人間ではないし、話が通じる気配もない。今まで試したことはないが、全力でルーン魔法を叩きこめば打開策が見つかるかも知れなかった。
「そうして我は、かなう限り祖国の守護神としての責務を、長い間果たして参った。ところが祖国は滅んでしまった。別の我が守護する、より強大な国に攻め滅ぼされてしまったのだ。そこで我は、あの問いに出会ったのだ」
それまで無機質だった少女の顔が、にっこりとほほ笑んだ。俺の動きなど気にも留めていないようだ。
ルーン魔法を使うにはインクと紙がいる。紙は服を破いて『分裂』の文字で増やせばいいとして、インクはどうするか――体の動きを封じられた状態で、文字を書くことは困難に思えた。
「汝らを守れなくて済まぬと、姿を現して泣きむせぶ我に、死を待つばかりの王子はこう告げたのだ。『いいえ、私達はあなたに守られて幸せでした。しかし、あなた自身に幸せな記憶はあるのですか?』とな」
「それで、なんて答えたんだい」
「……分からなかった。我は神にも等しい力を持つがゆえ、誰かに守られたことなど無かったのだ。そこで我は自らの化身を用いて、守られるという気持ちを味わうことを考えた」
そこで少女は俺を見て、にいっと犬歯を見せて笑ったのだ。
「まず我が化身を新たに生み出し、神としての記憶を封印する。その上で不幸な体験をさせ、死の直前に尋ねるのだ――お主も幸せな人生を送ってみたいか、と。そして幸せの絶頂に至ったときに、我と再び統合し、誰かに守られた幸せな記憶を味わわせてもらうのだ」
その言葉を聞いたとき、ふと脳裏をよぎるものがあった。
――なんじゃ? もう飯の時間かえ?
俺を転生させたジイさんは、確かにそう言ったのだ。あれが幸せの記憶を食べさせろ、という意味だとしたら?
ヤバい。俺は口の中がカラカラに渇くのを感じた。
今までの冒険で出会った敵は、俺が自分の力を持て余していただけで、絶望的に強いということはなかった。ルーン文字の力押しで、なんとかなった。
けれど、こいつは違う。俺がなりふり構わず殴りかかっても、全くかなわないのではないか。
少女は椅子から立ち上がると、白磁のような右手を差し伸べてきた。
「さあ、500年前、賢者サナトリウス以来の食事だ。まあ食事と言っても自分自身を取り戻すだけで、痛みも苦しみもない。汝も、もうすぐ汝の全てに感謝するときが来よう」
「ひぃっ!?」
ずぷぅっ――! 音を立てて、少女の腕が俺の胸を貫いた。万事休すか!?
だが奇跡は起こった。俺の胸に炎で描かれた紋章が浮かび上がり、そこから伸びた獣人の腕が少女の手をつかんで止めたのだ。
「貴様は――!?」
「この者は既にブローディア家の者だ。仇なすというのなら、捨て置くわけにはいかん」
紋章から現れたのは、ブローディア家の守護神、獅子頭の戦士だった。




