エピローグ 異世界で小説家に必要だったもの
「だぁーッ! やってらんねーですぅ!」
黙って文字を書きつけていた獣人の娘・フェレスは、机に腕を叩きつけると勢いよく立ち上がった。
俺は指を口に当て、静かにするようジェスチャーで伝えた。それまで編み物に集中していたエリスが、音に驚いて身じろぎしている。
エリスの腹部はバランスボールのように大きく膨れ、まもなく新たな命が生まれてくることを示している。臨月になにかあったら大変だ。
フェレスはコホンと咳払いすると、椅子をくるりと回して、俺の方を向いた。
「なんなんですか、このラストは」
「なんだって、俺たちの実体験だよ。お前も見ていただろう?」
「そうじゃなくてですね」
フェレスはトントンと椅子のひじかけを指で叩く。
「ラストでいきなり私の出番が無くなりましたね? ただでさえお姉さまとケダモノの、き、キスシーンなんか見せられてショックだったのに……」
そこまで言うと、フェレスは顔をふせてワッと泣き出した。
あのときのことを思い出す。強敵を倒してフェレスの方を振り返ったら、なんと泡をふいて倒れていた。
……余程お姉さまを愛しているのだろう。こんなに慕われて、エリスはさぞ幸せだろうな。勝手な想像だが。
あのあとサハムは逃げようとしたが、アエスタのほうが足が速く、関節技をきめられて小一時間泣き叫んでいた。
それより印象的だったのは、ギルドマスターのじいさんだ。エリスのお父さんと素手で殴り合い、ふたりとも顔中鼻血だらけにして、それでも戦いを止めようとしなかった。
しかし俺たちがサハムの身柄を捕らえたと言うと、ぐったりとその場に座り込んだ。
「ワシの負けじゃ。いかなる責めも受けよう。バハロフ、お主には世話をかけた」
しかしエリスのお父さんは大物だった。
「なに言ってんだ。俺たちは友達だろう。ダチが間違ったら体を張って止める、それが身内ってもんだ。これ以上お前を責めようなんて思っちゃいねえよ」
そう言って、じいさんに手を差し伸べたのである。俺は、この娘にベタ惚れでチャランポランな父親の本当の顔を、初めて知った気がした。
その後、ギルドマスターのじいさんは引退を宣言して山奥に引きこもった。友に許すと言われても、自分の過ちが許せなかったのだろう。もっとも定期的にアエスタが訪問しているそうなので、完全に世捨て人というわけではない。俺も今度連れて行ってもらうつもりでいる。
大きな話をすると、住民投票で奴隷制度廃止の議案が否決された。この宰相バハロフが打ち出した議案は賛否両論を巻き起こし、政府、教会、自治体、果ては魔法連盟までもが大きく揺れた。
しかし、奴隷が社会で担っている職務の大きさから慎重な意見が勝り、撤廃は見送られた。
この話を聞いたとき、俺たちは宰相がさぞ落ち込んでいるだろうと思ったものである。
しかし、あの男は一度や二度の失敗で引き下がるタマではなかった。
「孫が生まれてくるまでに、奴隷のいない街を作ってみせる。うん、おじいちゃんヤル気がわいてきたぞ!」
そんなことを、すっかり大きくなったエリスのお腹をさすりながら言ってのけたのである。つかみどころの無い男だが、根は真面目でまっすぐなのかも知れない。
肝心な話をしよう。俺は冒険者ギルドを脱退し、エリスと婚約した。今は商人として、鉛筆やインクの大量生産に取り組んでいる。
そして今やっているのは、この街で初の小説の執筆だ。そう、俺が書いた文字は魔法の力を暴走させてしまう。ならば、誰か文字を書ける者に代筆してもらえば良いのだ。
誰かを信じて、誰かを頼る。現代日本にいた頃の俺には、無かった発想だ。
「ふたりとも、仲良くせぬか」
エリスが笑いながら言う。俺とフェレスも笑って立ち上がった。
「小説家になる夢を果たすために!」
「お姉さまを喜ばせるために!」
「生まれてくる子に、妾も知らない『小説』という楽しみを授けるために!」
俺たちは拳を握り、ぶつけ合った。これから何が起こるか分からない。けれど、きっと未来は変えていける。俺と、家族と、誰かの書く小説が。
異世界で小説家になるために必要なもの。それは俺の場合、家族の絆だった。
了
リュウセイの物語にお付き合い頂き、ありがとうございました。
この後1~2話の外伝を挟んで、リュウセイの物語は終わりとなります。
しかし小説の執筆を止めるつもりはなく、ぜひ近いうちに次回作でお会いできればと、いくつかの案を用意しております。
どうかこれからも、末永く拙作をお楽しみくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。




