50 孤独からの終着駅
神様から書いた文字が具現化するルーンマスターの能力を授かった主人公リュウセイは、転生した異世界で宰相の娘エリスを助けた。
さらにエリスを逆恨みする婚約者ナグム=サハムの計略を破り、悪事の証拠をつかむことに成功する。
しかしサハムに味方する魔法連盟が、切り札として暗殺者を送り込む。その戦闘力に一同はルーン魔法を使うこともできず窮地に陥る。そこまできてようやく、エリスとリュウセイはお互いの気持ちを打ち明け、恋人同士になることができたのだった――
「貴様らァ、なんだこの茶番は!? 泣きわめいて命乞いをせんか!」
「すまないが今いいところなんだ、後にしてくれ」
「こ、この野郎……ぶっ殺す!」
俺たちがイチャイチャしていると、男は怒鳴り声を上げて襲いかかってきた。
「死ねぇ!」
「危ないっ!」
男の動きを感じ取ったアエスタが俺を突き飛ばす。一拍遅れて、ヒュオ、と刃が空を切る音が聞こえた。
そのままバランスを崩した俺たちは倒れこむ。……左手に、バシャッと液体のかかる冷たい感触がした。手にしていたインクを落とし、床に撒いてしまったのだ。
音に気付いた男は、くっくっと嬉しそうに笑い出す。
「今の音、インクがこぼれたな? 慣れない暗闇に加えて、ルーン文字を書くための筆記用具も失ったわけだ」
「リュウセイ。お主に言いたいことがある」
エリスの手が床をさぐり、偶然ぶつかった俺の膝に指をつたわせてきた。
「妾は信じておる、お主はどんな敵にも負けぬと。だが万が一、この状況がどうしようもないと言うなら――そのときは素直に申せ。死ぬときは一緒じゃ」
「死なせるな! その女は僕が直々に調教するんだ!」
「御意」
この事態の元凶であるサハムのわめき声が聞こえる。エリスが、ぐっと指を握りこむのが分かった。
だが俺は笑って答えた。
「大丈夫だ、エリス。もし俺を信じてくれるなら、今から少し離れていろ。こいつら、すぐにやっつけるから」
「な、なんじゃと!?」
「なにィ!? 貴様、今なんと言った!?」
「もう遠慮は無しだ。どうなっても知らないからな!」
そう。俺は既に、この状況を打破するモノを所持している。
暗いから文字が書けないというのは、半分正しくて半分間違っている。暗くても文字を転写することができれば、ルーン魔法は発動するのだ。
俺はエリスにもらった短剣に描かれた、ブローディア家の紋章に、左手についたインクをなすりつけた。
そのままハンコを押す要領で自分の胸に押し付ける。その直後、俺の体を炎の柱が飲みこんで――俺の周りの時間が止まった。
「――虚無を持つ者よ、我を呼んだか」
「おう、呼んだぜ」
なにも見えない暗闇の中、俺は獅子頭の戦士と向かい合って立っていた。この戦士こそ、エリスたちブローディア家の守護神である。かつて俺が命の危機に陥ったとき、偶然この戦士に助けられたことがあったのだ。
俺は、できるだけ飾り気のない言葉を選んで話しかけた。
「いま俺たちは厄介な敵に狙われていて、エリスもアエスタも命が危ない。だから、ふたりのためにアンタの力を貸してくれ」
「ひとつ聞きたい。なぜ、我に頭を下げるのだ? お主がなにも考えずに力をふるえば、逆らえる者などおらぬはずだ」
「なんでって、そりゃあ手加減するのが下手だからさ。俺はエリスたちを傷つけずに助け出したい。そのためにはアンタに任せるのが一番確実だと思ったんだ」
獅子頭の戦士は、じっと俺を見つめている。やがて、ふっと表情を緩めた。
「そう言って、守護神たる我と絆を結ぼうとするか。虚無と孤独を引き連れて我の世界にやって来たときとは、まるで別人だな」
「絆……」
何気ない彼の言葉は、深く俺の胸を打った。そうか、絆か。現代日本にいた頃、なんで先生を慕ったのか、今なら分かる気がする。
俺は絆に飢えていたのだ。そして絵本の中で、絆を失う悲しさを描いた先生なら、俺の気持ちを分かってくれるんじゃないかと勝手に思い込んだのだ。
「おしゃべりが過ぎたかな。では虚無を持つ者よ、その体を借り受けるぞ」
「ああ。あとは頼むぜ!」
そして俺の周りの時間は動き出した。
――体が熱い。まるで心臓から血液の代わりに炎が送り出されているかのようだ。
その炎によって、まさに俺に斬りかかろうとしていた男が、全身を照らし出されている。
「ハァッ!」
「ぐぁっ!?」
炎をまとった左拳が、こぼれたインクを蒸発させながら、男のみぞおちにめり込んだ。男は後ろへ吹き飛び、壁にぶつかる寸前で受け身を取った。
「……浅いな。寸前で見切って後ろに跳んだか」
「バカな。なんだ、この変身魔法は!? そもそも暗闇の中でどうやって発動させた!?」
「答える必要はない」
体が勝手に動く。右手に持った短剣が炎を噴き上げ、俺の身長ほどもある刃となって振り下ろされた。とっさに防いだ男の剣が、加熱されたバターのように半ばから溶けて落ちる。
「くそっ、ならばこれで!」
男は剣を捨て、杖でルーン文字を描く。すると炎でも照らしきれないほどの闇が生まれ、彼の体を包み込んだ。
「闇は光を飲み込む。それは炎とて例外ではない。その刃、この身には届かぬと思え!」
「ふむ」
人型の闇が押し寄せてくる。その足元めがけ、俺は燃え盛る短剣を投げつけた。高熱は床の表面を溶かし、男の足はわずかに滑った。そして、身体能力の向上した俺には、その一瞬の隙で十分だった。
猫科の肉食獣めいて両足の筋肉がしなる。体のバネをありったけ引き絞って、渾身の回し蹴りが男の側頭部と意識を刈り取った。
闇が晴れ、俺の体から炎と力が抜けてゆく。
――ありがとう、虚無を持つ者よ。そんな声が聞こえたような気がした。




