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 助けた女の子はエリスと名乗った。聞けば、自分の街に帰る途中だったらしい。


「お主、馬車は使えるか? 使えるな?」

「……ごめん、実は生まれてこの方、馬に乗ったことがない」


 そう答えると、エリスは目を丸くした。


「馬に乗ったことがない? 先ほどのルーン魔法といい、お主、名のある魔法使いの箱入り息子か?」

「いや、むしろ親には捨てられて苦労したなぁ」


 ホントにあの親は、と言いかけて言葉を飲み込む。愚痴を言ったところで何かの役に立つのか? 違う世界まで来てしまったのだ、もういいじゃないか。

 そんなことを考えていると、エリスは俺が苦悩していると思ったのか、あわてて取り(つくろ)った。


「これはすまぬ、軽々しく人に生い立ちなど尋ねるものではないな。それより、まだ野盗の残党がいるかも知れん。なのに馬車が使えず、お供もおらぬ。だから、折り入って頼みがあるのじゃが……」

「あー、こっちも頼みがある。この近くにある街に行きたかったんだけど、道が分からないんだ。よかったら案内してもらえるかな?」


 へっへーん、どうだ。女の子に気を使わせない、配慮の出来る俺。恰好(かっこう)いいだろう? しかしエリスは、扇を口元に当てて肩を震わせている。

 ……なんだよ、俺、変なこと言ったか?


「道が分からぬとは異なことを。すぐそこの街道をまっすぐ行けば(わらわ)の街に着くぞ」

「えっ、そうなの?」

「そうじゃ、だから馬車で走ってきたであろう。こんな街道沿いで迷うとは、全く、本物の箱入り息子じゃな」


 パチン、と扇が閉じられる。そこには、健気に笑う少女の顔があった。


 俺たちは御者の死体と馬車を残し、街道へと歩き始めた。


「人は死ぬのが定めとは言え、それがいつかは分からぬものよ」


 出発直前、エリスが神妙な面持(おもも)ちで御者の死体に祈りを捧げていたのが印象的だった。つられて俺も合掌する。

 街道には、すぐにぶつかった。エリスは懐からハンカチを出すと、近くの並木にしばりつけた。

 すぐ迎えをよこすからな、と呟いている。なるほど、御者と馬車の位置が分かるよう、目印をつけたらしい。

 そこからは特に何か話すでもなく、黙々と歩き続けた。


 街が見えたのは、小一時間ほど歩いたときだった。検問所が作ってあり、役人らしき男たちの前には、長い行列が出来ていた。

 この列に並ぶのか、とボンヤリ考えていたら、なんと役人のほうが俺たちに駆け寄ってきた。


「エリス様! 徒歩でお見えとは、どうされたのですか?」

「野盗に襲われての。御者が殺されたので、歩いてきたのじゃ」

「では、お付きの者は、こやつだけですか? 普段、見ない顔ですが……お前、手形は持っているか?」

「手形ぁ?」


 なんだそりゃ。聞いてないぞ、そんなの。


「手形がなければ銀貨1枚、街へ入る通行料がいる。ジャルダンの民なら知っているだろう?」

「あー、すまない、俺は金目の物は持ってなくて……」

「近こう」


 ぐいっ、と引っ張られる。役人から聞こえない距離で、エリスはそっと俺に耳打ちした。


「せめてもの礼じゃ、ここは妾に任せておけ」


 そして腰に下げていたナイフを(さや)ごと外すと、俺に持たせて、こう言った。


「すまぬな。野盗に追われ、手形を落としたようじゃ。だが、紋章に誓って、この者は妾の部下である。何か不都合があるか?」

「いっ、いえ! めっそうもございません!」


 紋章? おお、鞘に恰好いいマークが彫ってあるぞ。人のことを箱入りだとか言ってたけど、この子のほうが箱入りのような気がする。

 かくして俺とエリスは、頭を下げた役人たちの列を通って、街への入場を果たした。


 けれど俺の中の奥深いところで、何かがささやいた。


――人に甘えるな。借りを作るな。


 日本での暮らしを思い出せ。これまでの人生を思い出せ。人間は信じられないと学んだだろう? たとえエリスが表面上は優しくても、心の奥底で俺を拒否していないと、なぜ言い切れる?

 だから俺は、役目を果たしたナイフを、エリスのほうに差し出した。そして精一杯の作り笑いで、もっともらしい言葉を述べる。


「このナイフ、返すよ。大事なものみたいだし」


 だが、この少女の見せた反応は、俺にとって常識外のものだった。


「気にするでない。せめてもの礼だと申したはずじゃ」


 そう告げて俺の真横に来る。と、不意に背伸びをして(ほほ)にキスをした。

 柔らかな感触。一瞬、何が起こったか分からなかった。エリスが体を離して、ようやく俺は事の重大さを理解した。


「なななっ、何を……!?」

「そなたとは、また会えそうな気がする。そのときまで息災でな」


 少女はカラカラと笑い声を残し、どこかへ走り去って行った。

 ……初めて、女の子に、キスされちゃった。

 本当に一瞬のことで、触れたか触れないか分からない程度の接触だったんだけど。これキスだよな? 初キスだよな? 人の行き交う道端でキスしたので、あってるんだよな? なあ!?


「うわああああ! エリスさんの、えっちーっ!」

「うるせぇぞ! どこのガキだ!?」


 俺は奇声を発すると、エリスとは反対の方向に走り去った。民家の一室から怒声が上がったが、気にしている暇も無かった。

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