3 通行料
助けた女の子はエリスと名乗った。聞けば、自分の街に帰る途中だったらしい。
「お主、馬車は使えるか? 使えるな?」
「……ごめん、実は生まれてこの方、馬に乗ったことがない」
そう答えると、エリスは目を丸くした。
「馬に乗ったことがない? 先ほどのルーン魔法といい、お主、名のある魔法使いの箱入り息子か?」
「いや、むしろ親には捨てられて苦労したなぁ」
ホントにあの親は、と言いかけて言葉を飲み込む。愚痴を言ったところで何かの役に立つのか? 違う世界まで来てしまったのだ、もういいじゃないか。
そんなことを考えていると、エリスは俺が苦悩していると思ったのか、あわてて取り繕った。
「これはすまぬ、軽々しく人に生い立ちなど尋ねるものではないな。それより、まだ野盗の残党がいるかも知れん。なのに馬車が使えず、お供もおらぬ。だから、折り入って頼みがあるのじゃが……」
「あー、こっちも頼みがある。この近くにある街に行きたかったんだけど、道が分からないんだ。よかったら案内してもらえるかな?」
へっへーん、どうだ。女の子に気を使わせない、配慮の出来る俺。恰好いいだろう? しかしエリスは、扇を口元に当てて肩を震わせている。
……なんだよ、俺、変なこと言ったか?
「道が分からぬとは異なことを。すぐそこの街道をまっすぐ行けば妾の街に着くぞ」
「えっ、そうなの?」
「そうじゃ、だから馬車で走ってきたであろう。こんな街道沿いで迷うとは、全く、本物の箱入り息子じゃな」
パチン、と扇が閉じられる。そこには、健気に笑う少女の顔があった。
俺たちは御者の死体と馬車を残し、街道へと歩き始めた。
「人は死ぬのが定めとは言え、それがいつかは分からぬものよ」
出発直前、エリスが神妙な面持ちで御者の死体に祈りを捧げていたのが印象的だった。つられて俺も合掌する。
街道には、すぐにぶつかった。エリスは懐からハンカチを出すと、近くの並木にしばりつけた。
すぐ迎えをよこすからな、と呟いている。なるほど、御者と馬車の位置が分かるよう、目印をつけたらしい。
そこからは特に何か話すでもなく、黙々と歩き続けた。
街が見えたのは、小一時間ほど歩いたときだった。検問所が作ってあり、役人らしき男たちの前には、長い行列が出来ていた。
この列に並ぶのか、とボンヤリ考えていたら、なんと役人のほうが俺たちに駆け寄ってきた。
「エリス様! 徒歩でお見えとは、どうされたのですか?」
「野盗に襲われての。御者が殺されたので、歩いてきたのじゃ」
「では、お付きの者は、こやつだけですか? 普段、見ない顔ですが……お前、手形は持っているか?」
「手形ぁ?」
なんだそりゃ。聞いてないぞ、そんなの。
「手形がなければ銀貨1枚、街へ入る通行料がいる。ジャルダンの民なら知っているだろう?」
「あー、すまない、俺は金目の物は持ってなくて……」
「近こう」
ぐいっ、と引っ張られる。役人から聞こえない距離で、エリスはそっと俺に耳打ちした。
「せめてもの礼じゃ、ここは妾に任せておけ」
そして腰に下げていたナイフを鞘ごと外すと、俺に持たせて、こう言った。
「すまぬな。野盗に追われ、手形を落としたようじゃ。だが、紋章に誓って、この者は妾の部下である。何か不都合があるか?」
「いっ、いえ! めっそうもございません!」
紋章? おお、鞘に恰好いいマークが彫ってあるぞ。人のことを箱入りだとか言ってたけど、この子のほうが箱入りのような気がする。
かくして俺とエリスは、頭を下げた役人たちの列を通って、街への入場を果たした。
けれど俺の中の奥深いところで、何かがささやいた。
――人に甘えるな。借りを作るな。
日本での暮らしを思い出せ。これまでの人生を思い出せ。人間は信じられないと学んだだろう? たとえエリスが表面上は優しくても、心の奥底で俺を拒否していないと、なぜ言い切れる?
だから俺は、役目を果たしたナイフを、エリスのほうに差し出した。そして精一杯の作り笑いで、もっともらしい言葉を述べる。
「このナイフ、返すよ。大事なものみたいだし」
だが、この少女の見せた反応は、俺にとって常識外のものだった。
「気にするでない。せめてもの礼だと申したはずじゃ」
そう告げて俺の真横に来る。と、不意に背伸びをして頬にキスをした。
柔らかな感触。一瞬、何が起こったか分からなかった。エリスが体を離して、ようやく俺は事の重大さを理解した。
「なななっ、何を……!?」
「そなたとは、また会えそうな気がする。そのときまで息災でな」
少女はカラカラと笑い声を残し、どこかへ走り去って行った。
……初めて、女の子に、キスされちゃった。
本当に一瞬のことで、触れたか触れないか分からない程度の接触だったんだけど。これキスだよな? 初キスだよな? 人の行き交う道端でキスしたので、あってるんだよな? なあ!?
「うわああああ! エリスさんの、えっちーっ!」
「うるせぇぞ! どこのガキだ!?」
俺は奇声を発すると、エリスとは反対の方向に走り去った。民家の一室から怒声が上がったが、気にしている暇も無かった。




