36 最後のひと筆
神様から書いた文字が具現化するルーンマスターの能力を授かった主人公・リュウセイは、異世界の街ジャルダンで、宰相・バハロフの娘エリスを刺客の襲撃から守った。
それがきっかけで行動を共にしていたのだが、バハロフからエリスに帰還命令が出る。
そして冒険者ギルドに出頭したリュウセイを待っていたのは、他ならぬ宰相・バハロフ本人だった――
俺とバハロフはフードを深くかぶり、ギルドの裏口から外に出た。そこには屈強な男がふたり待ち構えていて、俺を捕まえようとした。
すると思いがけないことに、バハロフがこれを制した。
「待て、待て。わざわざ捕まえなくても、この青年は逃げも隠れもしないよ。なあ?」
「しかし宰相殿……」
「どうだい、青年?」
問われて俺は、おずおずと答えた。
「そりゃ、逃げる気はないけど……」
「ほら、な?」
「かしこまりました」
男たちが渋々、先導する形を取る。しかし俺は釈然としなかった。
一体なにが「なあ?」なのか。このオッサンは俺のなにを知っているというのか。この距離感の近さというか、ある種の図々しい態度は、エリスやアエスタのような乙女が取るから許されるのだ。
「……そうか、あの2人の性格はお父さんからの遺伝だったのか」
「? なんの話かね、青年?」
「なんでもないです」
俺は黙って、男たちの後ろを歩き始めた。
宰相・バハロフという男は、良く言えば気さくだが、悪く言えば馴れ馴れしい。たとえば道中、俺にこんな話を振ってきた。
「青年、監獄塔の場所は知っているかね?」
「場所もなにも、初めて聞きましたよ」
「ほう。この世界のことをなにも知らないというのは本当みたいだな。じゃあ、オジサンが教えて上げよう」
バハロフは、なぜか上機嫌な様子でしゃべり始めた。
「この街を作った初代イーマーン王は、北側から侵攻してくる蛮族に対処するため、南の港方面に展開する商人たちの協力のもと、長い城壁と兵舎を作った。つまり街の中で2番目に古い地区なんだなあ」
「はあ……」
「そして、捕らえた蛮族を拷問し、見せしめとして吊るすために、高い高い塔を作った――監獄塔のもとになった建物だ」
「止めてくださいよ、脅してるんですか?」
するとバハロフは、眉ひとつ動かさずに、
「ま、最後の部分は、いま俺が考えたんだけどな」
と言い放った。
俺は足元がつまずきそうになるのを、懸命にこらえた。
「ん? どうした青年? なにもない場所でつまずくのは、老化の始まりだぞ」
「アンタが余計なこと言うからだろうが――!」
すかさず護衛のオッサンどもが割って入る。
「貴様、宰相殿に向かって、なんたる態度を!」
「しょうがないだろう!? オッサンたち仕事中なのは分かるけど、ツッコミぐらい入れさせろよ!」
「そうだぞ、お前たちは頭が固すぎるんだ」
「はっ、申し訳ございません」
「ああもう、この人たち誰か止めてぇ!」
こんな感じで、終始ペースを握られたまま、俺は監獄塔に着いた。入口まで来ると、バハロフは心底楽しそうに笑ってみせた。
「いやぁ、本当に着いてきてくれるとは思わなかった。青年は好青年だなぁ」
「俺、ケンカはキライですから」
「だろうな。青年、覚えておくといい。世の中には2種類の人間がいる。最後のひと筆を、書ける人間と、書けない人間だ」
「……!?」
変化は突然だった。宰相・バハロフの声は、なんの前触れもなく、冷徹な大人のそれへとトーンを変えた。
「ルーン魔法に限らず、文字のやり取りは、ときとして人を殺す。だが、トドメとなる最後のひと筆を書けない人間がいる。青年、キミやエリスがそうだ」
「じ、じゃあ、お父さんはどうなんです?」
「書ける」
返答に迷いはなかった。獅子に睨まれた猫のように、俺の全身の毛は逆立っていた。いままで出会った雑魚どもとは殺意の純度が違う。
「アエスタもそうだ。あれは書ける人間だ。だから青年はアエスタに惹かれているんだ」
「それは……」
「おっと、悪い、悪い。立ち話もなんだから、中に入ろうや」
そう告げると、バハロフは喫茶店にでも入るような気楽さで、監獄塔の鉄扉を指した。
「青年には聞きたいことが、たくさんあるんだ。たとえば――」
バハロフの目がギラリと光る。
「うちのエリスに手を付けて、生きて帰れると思っているのか、とかな」
「はあ!? お父さん、エリスとなに話してるんですか!?」
「うるさい、お父さんとか言うな! さっきから、それ聞く度に腹が立つんだよ! ホレ、
とっととコレを中に入れろ!」
「御意」
かくして俺は、護衛のオッサンどもに両脇を抱えられて、監獄塔へと入場するハメになった。




