32 学校の怪談・中編
神様から書いた文字が具現化するルーンマスターの能力を授かった主人公・リュウセイは、異世界で偶然知り合った姉妹・エリスとアエスタと行動を共にする。
学校を作りたいというアエスタの言葉に、リュウセイはかつての恩師の面影を見るが、それがエリスのやきもちを招いてしまう。
そんな浮かれ気分の一行が訪れた学校候補地は、いわくつきの幽霊屋敷だった――
ログハウスから出ると、例の御者が馬車を乗りつけてきた。エリスとルーン文字の試し書きに行ったとき、逃げ帰ってしまった御者だ。
俺が無遠慮に睨みつけてやると、気まずくなったのか、えへへと愛想笑いで誤魔化してきた。唇のすき間から乱杭歯がのぞく。
「この前はすみません。馬がハチに刺されたみたいで……なだめるのに時間がかかったんでさあ」
「あっそう。だから俺ら放っておいて、先に帰ったわけ?」
「とんでもない! 戻ったときには、お客さん方がいなくなってたんでさぁ。あっしは仕方なく、お先に戻らせて頂いたんです」
「これリュウセイ、そう睨むものではない。急に雇ったとはいえ、父上に探して頂いた御者じゃ。実際こうして戻ってきたのだから、職務に忠実だと言えよう?」
エリスが割って入ったおかげで、俺の頭に上った血は、ゆっくりと降りてきた。
確かに。俺が暴走させた大火事や洪水を見て、また戻ってきたのだから、職務に忠実な人物だと言える。俺は素直に頭を下げた。
「……悪い癖が出ちまった。つい嫌な客になっていたよ、すまなかった」
「そんな! 頭を下げないでください。それよりお客さん、出発の時間ですから客席に乗ってくださいよ」
「うむ、苦しゅうない」
かくして先週と同じく、奥・後方の席にエリス、その隣にフェレス、反対側にアエスタと俺が座った。
室内は香が焚かれ、甘い匂いが充満していた。天井にはルーン文字の彫られた宝石が、室内灯に似たオレンジ色の光を放っている。
エリスが疑問を口にした。
「内装を変えたのかの? 高かったじゃろうに」
「へえ。ほんのお詫びでさぁ」
御者は窓から顔を見せて笑う。ごますりとしては最上級の部類に入るものだったが、乱杭歯が全てを台無しにしていた。
道中、俺たちはアエスタから作りたい学校について、構想を聞かされていた。
この世界で子供向けの学校というと、数字と四則計算、神学と道徳教育を行う寺子屋に似たモノが一般的らしい。
これらは極力、数字以外の文字を使わない方針で教えられる。実際に文字の読み書きを覚えたり、本を読んだりするのは富裕層や教会に所属する特別な者に限られるのだそうだ。
「でも、人々が自分の名前しか書けないのは、おかしいと思いませんか? 我が子に名前をつけるのに、教会にお布施をして文字を教えてもらう。そんな極端な仕組みは止めて、誰でも基本の読み書きができるようにしたい。その勉強のために、多くの人が集まれる場所が欲しいんです」
「おー」
パチパチと客席に拍手が起こる。俺は、あらためてアエスタの高潔さに心打たれていた。彼女の面長な横顔を眺める。
――似ている。
こうしていると、本当に先生が生き返ったかのような錯覚をしてしまう。あの人も、こんな気持ちで俺たちに本を読ませてくれたのだろうか。
「……セイ。これ、リュウセイ!」
「あっ、ハイ!?」
「着きましたよ、お客さん」
御者にうながされて馬車を降りる。一瞬、くらりと目まいがした気がした。反射的に空を仰ぐ。日光が強いのかと思いきや、曇って雨が降りそうな気配なのが意外だった。
「また姉上を見つめおって……姉上のことが、そんなに好きか!?」
「いや、これはその、違うんだ!」
「あらあら、どう違うんですか?」
ガッシと腕をつかまれる感触。見れば笑顔のアエスタが、二の腕を強くつかんでいた。
目的の物件というのは、木造・平屋建ての一軒家だった。見るからに年季が入っていて、ホコリっぽそうな印象を受ける。
「お客さんたち、なんの用事か知りませんが、暗くなる前に終わらせてくださいよ」
不意に、御者が真面目な声を出した。
「この家はね……夜になると出るんですよ」
「出るとは、なにが出るのじゃ?」
「幽霊ですよ。夜になるとね、包丁を持った子供の霊が出て、その場にいた人間を襲うって言うんです」
ひっ、という悲鳴が上がる。見れば、なんということだ、あのエリスが口元を抑えて震えている。
「お姉さま? まさか幽霊が――」
「怖くないぞ! 妾は幽霊なぞ怖くない!」
「そうね、暗くなる前に下見を終わらせましょう」
対照的にアエスタは、なんというか――とても楽しそうな顔をしていた。
「リュウセイさん、詳しいお話はお家の中でしましょうか?」
「えっ、ええええっ!?」
逆らってジタバタするが、アエスタの手は力強く、俺の体を引っ張っていく。後ろからは、待ってたもれ、と半べそのエリスが追いかけてくる。
「お気をつけて……」
馬車の上では、御者があの乱杭歯をのぞかせて、ニコニコと笑っていた。
結局エリスは屋内に入れず、玄関でフェレスと待っていることになった。
俺はアエスタの斜め後ろを歩きながら、長い廊下を歩き始めた。ギシギシと足元の木材が鳴き声を上げる。
「リュウセイさんとは、一度ゆっくり話してみたかったんですよ」
「そうなの? 大切なことは全部しゃべったと思うんだけど」
「いいえ。一番大切なことを聞いていません」
話しながらも彼女の動きが止まることはなく、前方のドアを開けて中を調べる。元は納屋に通じていたと思われるそこは、脱穀用の農具が並び、かなりの広さがあった。
よし、と満足そうにアエスタが呟く。俺たちは次のドアを目指して歩き始めた。
「大切なことって、なにさ?」
「リュウセイさんが誰を見ているか、です。本当は私じゃなくて、誰か大切な女性を見ているんでしょう?」
「えっ」
俺は言葉を失った。誰も気づかないと思っていた。うわべだけを見て「気持ち悪い」とか「頭が悪い」と罵られることはあっても、その先を質問されることはないと思っていた。
「どうして気づいて……」
「だってリュウセイさん、私じゃなくて、私の後ろの誰かを見ているんですもの。言ったでしょう? 見つめられるのは子供相手で慣れているって」
「……」
「先生っていう人が、大切なんですか?」
アエスタはドアを開け、寝室らしい部屋に入る。俺も部屋に足を踏み入れた。ふわり、と浮遊感がする。心が浮き立っているのだろうか?
その瞬間の彼女は、光り輝いて、まるで本当に先生がそこにいるみたいで――とても尊く感じられた。
「良かったら、教えてくれませんか。先生が、どんな人だったのか」
「うん、いいよ。先生はね、俺に本を読ませてくれた――」
アエスタが振り返る。ゆっくりと。
その顔は、皮膚がはがれ落ち、目玉がむき出しになったゾンビのような顔だった!
「うわあああああ!?」
「リュウセイさん!?」
俺はとっさに彼女を突き飛ばすと、玄関めがけて走り始めた。
――キャハハハハ。キャハハハハッ!
どこか遠くで、子供の笑い声が聞こえてきた。




