2 水もしたたる俺最強
「ぜぇはぁ、ぜぇはぁ……」
俺は重たい足を引きずりながら、命がけのハイキングを続けている。
世界を破滅から救い――自分のせいだけど――ドラゴンを追い払ったところまでは良かった。だが、ここは異世界なので土地勘が無い。なんとかして人の住む街までたどり着かなければ、野垂れ死にすること請け合いだ。
この世界の気候は日本でいう残暑くらい。俺の着ている服は夏向けのTシャツにショートパンツと、温度的にはちょうど良かったのだが、歩いても歩いても街につかない。だんだん汗が出て来る。
いちおう歩き出す前に頭は使った。最初に逃げてきた冒険者たち、あれがデタラメに逃げていたとは考えにくい。彼らの逃げた先に街があるのではないかと推測して、そちらの方向へ歩いてみたのだ。
けれど、続くのは見渡す限りの草原ばかり。とうとう俺は疲れ果て、草むらに倒れこんだ。
「ちくしょう、喉が渇いた……水が欲しい」
こういうとき川があれば、水も飲めるし人とも出会えるはずなのだが、そう上手くいかないものである。
飢え死になんて絶対イヤだ。せっかくチート能力をもらったのに……
「待てよ。この能力、何かに使えないかな」
俺は『水筒』と書いた紙を丸めると、その中に『飲料水』と書いた紙を入れた。さっそく、書いた文字が光を放ち始める。
期待をこめて『水筒』の縁に口をつけ、逆さまにしてみる。するとどうだ、新鮮な水が俺の口めがけ流れ込んできたじゃないか!
やや、ぬるいが贅沢は言えない。俺はゴクゴクと音を立てて水を飲んだ。
「ぷはーっ、生き返る! 助かったぞ!」
人心地ついたところで、俺は改めて周囲を見渡してみた。
向こうのほうに広葉樹が植わっているのが見える。一年を通して温暖な気候なのか、もしかしたら、四季があるのかも知れない。
この世界にも四季があるといいなあ……日本人としては、こだわりたいところである。
そんなことを考えていると、遠くから声が近づいてきた。少女の声だ。
「誰ぞおらぬか! この無礼者たちを止めるのじゃ!」
見れば、粗野でほこりっぽい服装をした男たちが、少女が乗った馬車を馬で追いかけている。御者はと言えば、背中に矢が刺さったまま、ぐったり突っ伏して動かない。
じきに男たちの1人が馬車に追いつき、御者台に飛び乗って手綱を奪い取り、馬を停止させた。そして哀れな御者を地面へと蹴り落とした。
「ああっ! グレイ、しっかりせぬか!」
「もう死んでるぜ、嬢ちゃん。それより自分の心配をしたほうがいいんじゃないかなぁ?」
「なっ、なにを……!?」
停まった馬車から飛び出した少女は、息を飲むほど美しい顔立ちをしていた。瑠璃石から作ったような蒼い瞳。褐色の肌に白金の髪が映える。
そんな宝石のような少女に、ほこりっぽい男たちが舌なめずりしながら近づいてゆく。
おいおい、これってヤバいんじゃないの、と思った瞬間。俺と男たちの目が合ってしまった。
「なんだぁ、テメェは? なに見てやがる」
「そこの者、ジャルダンの民ではないようだが……妾を助けよ、礼は十分に致す!」
なんでもありません通りすがりです、と口にする前に、女の子が助けを求めてきた。
野盗のひとりが馬を寄せてくると、俺に因縁をつけてきた。
「おい、そこのヒョウロク玉。命が惜しかったら、すっこんでな」
「何を申すか! 助けて……後生じゃ、助けておくれ!」
「はあ……」
俺は……とても困っていた。まあ、百歩譲って女の子を助けるとしよう。メリット無いけど。
なんとかするだけなら簡単である。『死ね』とでも書いてやれば、ドラゴンをも殺す炎が辺り一帯を焼き尽くすだろう。
だが、それでは女の子と馬車、御者の死体まで巻き込んでしまう。与えられた文字書きの能力を、まだ俺は把握しきれずにいた。
「おい、お前。死にてえのか? それとも俺たちの仲間になるか? さっき走ってきた冒険者は、喜んで俺様の靴をなめたぞ」
その言葉に、俺の中の何かが反応した。
「冒険者って、そいつ、頬に傷が無かったか?」
「あったぞ。知り合いか?」
「あったか。そうか。フ、ウフフ、ウフフフフッ!」
「お主、どうした? 恐ろしさで気でも触れたか?」
少女が心配そうに声をかけてくる。だが俺は――面白くて、たまらなかった!
冒険者って、さっき俺を囮にしてドラゴンから逃げた連中じゃねえの!? ドラゴンからは逃げ切れたのに、野盗からは逃げ切れなかったってか!
「アーッハッハッハッハ! ありがとう、お前らホントいいヤツだ!」
――すっごいテンション上がってきた!
流れが来ている。とてつもない幸運が、俺を包み込もうとしている。だから俺は、いちかばちかの賭けに、笑って参加した。
『水筒』と書いた紙から『飲料水』を取り出し、『飲料』の部分をちぎって捨てる。
俺の手元には『水』とだけ書かれた紙が残された。文字が、まばゆい光を放つ!
「なにしやがる!? おい、あいつを殺せ!」
「遅せえよ」
俺の心の奥底から、何かが吹き上げようとしているのを感じる。俺はそれを拳ほどの太さに絞り、男たち目がけて解き放ってやった。
次の瞬間、男たち目がけて高圧の水が放たれた。それは、消防車のポンプ級の水圧でもって、次々と男たちを吹き飛ばしてゆく。
男たちは転倒し、立ち上がろうとして泥に足を取られ、再び転倒する。
水圧で呼吸もできないのだろう、おぼれるとか何とか悲鳴を上げているところに、さらなる放水で追い打ちをかけてゆく。
しばらくして、俺は手の中の紙きれを、くしゃっと握りつぶした。放水が止まり、男たちはむせながら立ち上がろうとする。
よし、ここは一丁、ビシッと決めてやれ。
「水浴びの気分はどうだ? 服のほこりが落ちただろう。どうする、まだやるかい?」
「ちくしょう、見慣れない服を着てると思ったら、ルーンマスターかよ! 逃げるぞ、行け! 行けーっ!」
そう叫ぶと男たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
追いかけるまでもない。俺は、神様から授かった文字書きの力に酔いしれていた。
「フッ、ウフッ、ウフフフフッ……」
「そなた、よくぞ助けてくれた。礼を言うぞ」
「えっ!? ああ、その、当然のことをしたまでだよ。フヒッ」
よく分からないけど、便利な力を手に入れたらしい。しかも、こんな綺麗な女の子に感謝されてさぁ……笑いが止まらないよね。
「ウフフフフッ……」
「これ! 助けてもらってなんじゃが、そなた、気持ちが悪いぞ!」
「いいの、いいの。気にしないで」
眉をしかめ、扇で口元を隠す少女に、俺はヘラヘラと手を振って応えた。