10 持たざる者の痛み
・前回までのあらすじ
神様から「書いた事象が実体化する能力」を授けられた主人公リュウセイは、転生先の異世界で恩師そっくりの修道女アエスタに頼まれ、大金を必要としていた。
おりしも仕事をもらいに行った冒険者ギルドで、ギルドマスターから「わしに勝てば金貨10,000枚をやろう」と試合を申し込まれ、これを受けて立つことにした。
コロシアムの中は不気味なほど静まり返っていた。廊下に入ると、金髪の――ギルドの受付嬢の服を着た――俺より背の高い女性が待っていて、これに着替えるようにと貫頭衣を渡してきた。
「なんだか見世物っぽいなあ」
「貸し切りとは言え、由緒あるコロシアムで戦おうというのです。礼服を着るとお考えください」
金髪の受付嬢は、わずかに目を細め、厳しい表情で言い放った。由緒あると言われても、日本から転生してきたばかりの俺には、どれくらいスゴいことか分からない……
もたもたしていたら乱暴に腕をつかまれ、部屋のひとつに通された。更衣室だろうか? 銭湯を思わせる、木製の古い棚が、壁面に取り付けられている。
部屋の隅には剣や棍棒、槍などの武器が用意されていた。
「さあ着替えて武器をひとつ取ってください……神様へのお祈りもお忘れなく」
「え、武器……? 俺いらないんだけど」
「取ってください! それが、しきたりです!」
金髪のお姉さんは、上から顔を押し付けるようにして命令してきた。
それから、はあ、とため息をついて
「ルーンマスターだか何だか知りませんが、こんな貧弱なボウヤがマスターと戦おうなどと、どういう神経をしているんだか」
「あの、さ。俺、着替えるんだよな?」
「そうです、早くなさい」
ああ、この金髪のお姉さん、怒りすぎて気がつかないのか。俺はコホン、と咳払いして大事な用件を伝えた。
「つまりね、服を脱ぐから、出て行って欲しいんだけど。それとも俺が着替えるところ、見て行く?」
「――なっ!?」
金髪のお姉さんは、ボッと音がしそうなほど顔を赤くすると、
「言われなくても出ていきます!」
と風のように退出して行った。
――なんだ、かわいい所もあるんじゃないか。
俺はそれを見届けると、指定された服に着替え始めた。と、ここであることに気づく。
武器をひとつ取れと言われた。この服はポケットが無いため、鉛筆と紙束は両手で持つことになる。
「武器を持ったら鉛筆が持てないな。鉛筆が武器です、と言い張ってもいいのか?」
これは真剣な問題である。俺はジイさんを殺したいわけではない、金が欲しいのだ。
金をもらうためにはルールだか伝統だかにのっとり、正々堂々と戦わねばならない。少なくとも、そう見えるようにしなくては。
そしてジイさんに負けを認めさせて、初めて対価が得られるのだ。
「……よし」
俺は一度身に着けた貫頭衣を脱ぎ、思いついたことを実行に移した。
「おお、準備が出来たか。待ちくたびれたぞ」
コロシアム中央の広間に出ると、ジイさんはもう待機していて、準備運動をしているところだった。手には一振りの白い短剣を構えている。
観客席はガランとして、見ている者は20人程度しかいない。冒険者ギルドからついてきたイヤな先輩連中と、赤毛の受付嬢だ。ご丁寧に、全員ジイさんの後ろに座っている。
「マスター、そいつぶち殺してくださいよ!」
「新入りィ、マスターに何かあったら生きて出られると思うなよ!」
「おじいちゃん、がんばって!」
声援を背に受け、ジイさんは苦笑いをした。
「やれやれ、ナールのヤツめ。マスターと呼べと教えておるのに、こういうときだけ孫に戻りおる」
「いいではありませんか、おじい様。応援するときぐらい孫に戻りたいのは、私も同じです」
「えっ!? お姉さんも孫なの!?」
後ろで控えていた、金髪のお姉さんが想定外の言葉を発しながら、ジイさんにキスをして客席に上がって行った。なんと、このジイさん、孫娘2人を自分の手元に置いているらしい。
ジイさんもまんざらではない様子で「これ、よさぬか」などと笑って対応している。
――幸せそうな家庭を持ちやがって。
反射的にこみ上げるものを、俺はかろうじて飲み下した。自分には手に入らないと分かっていても、いや分かっているからこそ、家庭という言葉は真冬の風のごとく、俺の心臓を切り裂いて通り抜ける。
「さて若いの、始めるとするか」
「……先に謝っておく」
俺は更衣室から持ってきたセスタスを、深く、両手にはめ直した。
「手加減するつもりだったが、気が変わった。うっかりこの世界ごと吹き飛ばしても、悪く思うなよ!」
「何をぬかす、小僧!」
次の瞬間、疾風のような勢いでギルドマスターが突っ込んできた。




