プロローグ 始まりは突然に
日本ではないどこか、今ではないいつか。だだっ広い平原で、俺とソイツは対峙していた。
――ドラゴン。日本では物語やゲームの中でしか出会わなかった存在が、俺を噛み殺そうとしている。
その目は怒りに輝き、口からはマグマのごとき炎がボウボウとあふれ出ていた。
……急がなければ、ヤツの攻撃が来てしまう! 俺は鉛筆を握りしめ、ドラゴンにペコペコと、頭を下げた。
「頼むよ、もうちょっと待ってね。えーと、辞世の句って何がいいのかなぁ。俺の死体を発見した人に、今の気持ちを伝えるんだよな?」
ギャオオオオッ! ドラゴンが苛立ちの声を上げる。
「分かった、分かった。もう適当でいいや。『死にやがれ 俺を残して みんな死ね』っと」
断っておくが、俺は本当に『死ね』だなんて思っていなかった。ただ転生した直後に、理不尽な死を再び味わうことに、心底腹が立っていただけ。言葉のあやってヤツだ。
だというのに……文字通り、世界は灼熱の嵐に巻き込まれた。大爆発が視界を覆う!
ドラゴンの鱗が剥がれ落ち、骨だけになり、それすらも吹き飛ばされて消えていく。草木が焼失し、大地がひび割れ、山が吹き飛んでゆく!
「なんだよ、これ……どうなってんだよ!?」
俺は口をあんぐり開けて、こうなった経緯を思い出していた。
※ ※ ※
「いやー、すまんすまん。間違えてお主を死なせてしもうた。この通り、許してくれ」
「……」
俺は絶句して、白ひげのジジイと2人、足元を見下していた。
4畳半のアパートでは、貧相な顔をした男が泡を吹いて倒れている。俺だ。俺は魂だけの存在になって、死んだ自分を眺めている。
「おい、ジジイ」
「は? なんじゃ? もう飯の時間かえ?」
「ちげーだろジジイ、なんで飯の話が出てくるんだよ!? ええと、アンタが神様で、間違って俺を死なせてしまった。そうだな?」
「そうじゃ、そうじゃ。まず生まれた瞬間から別人の運命と取り違えての、ありったけの不幸を背負わせてしまったわい」
俺は再度、絶句した。言われてみれば、子供の頃からツイてない人生だった。両親は物心つく前に借金をして逃げ、残された俺は親戚中をたらい回しにされた上、養護施設に放り込まれたのだ。
成人もしないうちに――両親は法律の通じない相手から借金をしていたらしい――莫大な借金を返せと迫られ、働きづめの日々。
あげく体を壊して病気になった。すると、ご丁寧にもヤブ医者が見事なヘタクソ手術で治療してくれて、思うように動かない体を引きずるハメになった。もちろん、高額な治療費のオマケつきだ。
やっとの思いで帰ってきたアパートで、急に息が苦しくなったと思ったら……神様を自称する、仙人みたいな恰好をしたジジイとお話しするハメになったわけだ。
「お主には悪いことをしたと思っておる」
「だったら生き返らせてくれよ! 健康な体で、借金なんか無い状態で!」
「それは出来ぬ」
ジジイは、つっけんどんに答えた。
「この世界における、お主の運命は確定しておる。いたずらに変更しようとすれば、無関係な人間を巻き込んでの大惨事が起きること間違いなしじゃ」
「じゃあ、どうするんだよ」
俺はもう疲労感でいっぱいだった。このジジイを適当にあしらって、天国でも地獄でも、ここでないどこかへ行ってしまいたい。そう考えていると、ジジイは何やらうなずき始めた。
「この世界の運命を変えるのは無理じゃが……ちょうど別の世界に一人分の魂の空きスペースがある。そこへ行ってみぬか?」
その言葉の意味を理解するのに、やや時間がかかった。
「つまり、異世界に転生させてくれるってことか?」
「そうじゃ。お主、生まれ変わったら、どんな職業に就きたい?」
「職業? なんでもいいのか?」
「そうじゃ」
「えっと、その、照れくさいんだけど……も、文字書きになりたい!」
「文字書き!? 文字書きとな」
そう、本こそは俺が現実から逃避する手段。小さかった頃は絵本を読むのが大好きだった。特に恐竜の話が好きで、養護施設では何度も同じ本を……すまん、余計な話だった。
とにかく、こうも金に困った暮らしをしていなければ、小説を書いてみたかったのだ。
するとジジイ、いや、神様は重々しくうなずいた。
「そうか、文字書きか。ならば、どんな運命であろうと、お主の意のままに切り開いてゆけるだろう」
「オッケーなのか!?」
「構わぬ。これを持って行くといい」
ジジイはそう言って、懐から紙束と鉛筆を取り出した。
「最初はこれを使え。書く物が無くては仕事にならぬだろうからの」
「ありがとう、ジイさん!」
「では若き文字書きよ、新たなる人生を踏み出すが良い!」
へ? ルーンマスター?
なんだそれ、と聞き返したときには遅かった。俺は頭上に空いた謎の穴に吸い込まれ、異世界へと飛ばされて行った。