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窓辺に腰掛けた少女がぽつりぽつりと瞼裏に浮かんだ情景を言葉にする。
彼女は饒舌な方ではない。それでも彼のために知り得た事を可能な限り口にしようとしてくれている。
遠見の魔法。ここではない遠くの景色を見渡す力。
彼もある程度は使えるが、ここまで遠く離れた場所から集中して使うのは難しい。
それを容易く使いこなす彼女に感心しつつ語られる言葉にに耳を傾ける。
人伝てに聞いている所為か何だか現実感があまりない気がする。
少しだけ、関われない立場の自分の身の上を歯がゆく思った。
そうだ。と声をあげて、ユールノイアは今しがた思い出したような素振りで手を打った。
同時にそれまで王妃に向けていた視線をさっと周囲に巡らせる。
特に今のところ彼に不審な目を向けているものはいないようだ。幾人かを除いては。事前に繋ぎをつけていたため事情を把握している者、そして察しのよい者。そして奥にいる王も口こそは笑みの形を模ってはいるが目は全く笑っていなかった。
かつては彼も賢王として名を馳せていた。先代の死で若くして王となったが、近隣諸国に遅れを取るどころか圧倒し国を富ませていた。ユールノイアから見ても王がその頃行っていた政策は感心することが多い。
彼に欠点があったとすれば非情に徹せなかったことだろう。
異界の小娘の希望を黙殺していたら今の我が国ではなかった。それでも初めは王妃を抑えながらよく健闘していたが、それもやがてぱったりと諦めたようになるように任せるようになってしまった。
個人的には気持ちは分からなくもないがそれで一番影響を受けるのは国民だ。そのままでいいはずはない。
「道中、一人の隠者と行き会いました。
かの人は博識で、求めれば知りえた世界の真実の一端を教えてくれました」
そんな言葉で始めた。
「短い時間でしたが、異国から来た者たちが何故驚くほど、それこそ魔族をも凌ぐ力を持っているのかを聞くことが出来ました。
曰く、それは世界の反発なのだと。異物に世界が過剰反応を起こしているのだそうですよ。
だから勿論無限に続くわけなどない、世界に根を下ろし同化と共に枯渇する力だとも。
母上は知っておられましたか?」
問われた当人はきょとんとして何故自分に話が振られるのかも分かっていないようだった。
こっそり溜息を吐くと話を続ける。
「この世界の物事で身体が構成される。すなわち食物を食べ、他人と誼を結び、家族を作り育てていく。この世界の理を知り、それに従って生きていく。そうすることで異世界の者ではなくこの世界の者として順応していく。だから過剰反応たる薄れていんだそうですよ。
ねえ母上、母上は俺を産んでからその力に衰えは感じなかったんですか?」
今度こそ王妃は顔の色をなくした。
「そ、それはその者の妄言でしょう。わたしの力に衰えなど」
朗らかな笑顔でその言葉を受け、ユールノイアは思わせぶりな態度で頷いてみせる。なんだかわざとらしいその態度に王妃は苛立ちを覚えた。
「まだ自覚するほどの衰えはないのですね。それは良かったです」
「な、なにを……」
咄嗟に怒鳴ろうと開きかけた口が予想外の言葉に戸惑う。自分の訴えが肯定されたにしては言い回しが可笑しくなかっただろうか。
そこでようやく王妃は王子たる自分の子供の顔を見た気がする。自分の生んだ子はこんな顔をしていたのだろうか。
笑顔を浮かべている割にはこちらへ向ける目線が鋭利で柔和な印象からは程遠くそら恐ろしいものを感じた。
被りを振ってそんな思いを振り払う。そんな筈はない。自分はこの世界で大いなる力を得たのだ。その自分に恐れなければならないものなんかある筈がない。
そんな王妃の心のうちが透けて見えてユールノイアは笑うしかなかった。
「そこでですね。聖女様には神殿にてこの世界に染まらないように過ごしていただくことを進言したい」
その言葉を合図に広間の扉が開け放たれた。
前方に屈強な騎士達が立ち並び、その後ろに対魔族専門だった術士隊が顔を揃えていた。まるで反乱でも起こしている様な展開に広間中が騒然となる。
「ああ、安心してください。彼女に神殿に安全に移動してもらう為の……ただの護衛ですよ。皆様には害は及びません」
雰囲気に呑まれ腰を浮かせた者に向かって声をかけ宥める。その言葉の通り騎士達や術士隊は真っ直ぐに王妃に向かったまま周囲には目を向けない。しばらくその様子を確認したあと彼らはそろそろと浮いた腰を再び椅子に落ち着けた。
そこまで待ってからユールノイアは青くなったまま固まっていた王妃に声をかけた。
「というわけで大人しく神殿に移動していください」
「……い、嫌よ。何を勝手に。私はここで王妃の責務が」
あくまで毅然と振舞おうとする王妃をこれ見よがしに鼻で笑う。
「成果のあがらないどころか余計なことしかしない王妃が何の責務があるんですか?ああ我が国を陥れようと?近隣の国のどこかに頼まれましたか?それとも?今は亡き魔族に肩入れでもしていましたか?」
「っ!何を。私は今までこの国ために尽力してきました。それをそのように言うなんて失礼な」
「尽力?結果的に王都ですら孤児が溢れる国になって、よくそんな言葉が吐けますね。『精一杯頑張りました』で済まないのが国を動かすということですよ。もう何十年もそこにいて、そんなことも分からないんですか?無能は罪だ。さっさと去るがいい」
けして声を荒げることはしなかったが、押し殺した威圧感が響いた。
誰も何も言わなかった。
王妃自身でさえも。
王城の一角
特に衆目に晒されるわけでもないのにいつも綺麗に整えられている場所がある。
ただ珍しくもない花がふと見れば季節ごとに映えるように植え替えられていた。それがこの国の側妃だったネフィーレの故郷の花だとこの城に棲む幾人が知っているだろうか。
王が特に命じたわけではない。彼女を慕う庭師の老人がいまだに続けているだけのこと。
たまに振り返るように訪れる人がいるのを彼は知っていた。
墓は別にある。
曲がりなりにも王の側妃であった扱いはされている。
しかし王妃に気兼ねして誰も訪れない寂しい場所になっていた。それよりも彼女が好きだったこの場所の方が余程彼女を偲ぶのに相応しい。
さやと吹き込む風や柔らかな日差しの何もかもに彼女を思い出す。
自分を呼ぶ声も向けられた笑顔も少し困ったようにむくれる顔も全部思い出せるのに。
この風景もあのころのままなのに。ただ――。
「君だけがいない」
どこで間違えたのかは知らない。ただ彼女を幸せにしたくて頑張ったつもりだったのに。
結局できなかった。
彼女がいなくなった時点で全て無駄になってしまった。今回も終わらせたのは彼ではない。
でもようやく彼女を想って行動しても誰にも咎められないようになった。
ようやく。
そう溢して男は飽きることなく小園を眺めて在りしに日思いを寄せた。