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宿と一口に言っても高級感と行き届いた心遣いを売りにした上質な宿から、安さだけを売りにしたもの、大人数が泊まれるに特化した宿や、長期滞在が出来ると謳った宿など様々ある。
その宿の中でも仮にも王都にあるのに、安すぎず高すぎないあまり目立たない、かといって便も良くない宿に数日前から不似合いな一行が出入りしていた。
この程度の宿を利用するには身なりが立派で、他所であれば奇異な目で他の客から見られてしまうところだが、この宿ではその心配があまりない。
それもその筈でこの宿はそれを売りにしていた。
いわゆる身分の高い方々がワケありで利用する場所。ゆえに宿の主人はだんまりを決め込んでいて朝夕の食事以外は特に構う事はしない。
今宿を利用しているのは基本的に数人で貸し切っている。ただ外部からそれ以上の人数の人間が出入りしていた。
一番大きい部屋を陣取っているその一行は、机の上に積み上げられた資料を前に珍しく全員が集まっていた。揃いも揃って一目で身分のある人間だと分かる出で立ち。騎士然としいた男達も何人か肩を並べている。
和やかな雰囲気は一切なく、沈黙を持って場を満たしていた。
「集められる情報はこれで全部だな」
一人椅子に腰掛け揃った全員を見渡しながらユールノイアは再度確認した。
「はい。王城以外にも神殿側からも集められるだけ集めました。念のためそれ以外にも目撃者が居ないか当ろうとしたのですが、無作為に聞き回る訳にはいかないもので、側付きの者達の『王妃様は供を連れないで外出することはありません』という言葉を信用する事にしました。彼女の性格から考えても取り巻きなしでうろつく事はしないでしょう」
今回遊学で他国に行っている事になっているユールノイアに付き従った騎士の一人が私見を交えて報告する。
それに頷きながら既に何度か目を通した資料を手に取った。
「私見を言う前に皆の意見を聞きたい。俺の意見は希望的観測が入ってしまうかも知れないからな」
魔女の前で見せた丁寧な態度とは裏腹に、上に立つ者の態度で集まっている人間を見渡した。
口を開いたのは彼の身代わりを勤めていたマユウだった。
幼い頃からユールノイアの側付をしている男で、王子の嗜好や癖は勿論、過去のあれやこれやまで把握している。すこし神経質そうな見目さえ何とかなれば、身代わりには打て付けな人間であった。
今は傍らで王子の政務を補佐している。
「魔法は専門外なので見た目の印象だけで言わせてもらいますが、実際に敵軍勢を薙ぎ倒す程の派手な術を使っていたのは召還されてから3年ほどですね。魔族の殲滅、ゼノウ国との国境線防衛。アーミタイト山脈の山賊退治。これは相手に甚大な被害が出ている。
その後も国境線防衛は断続的に続いていますが、被害は圧倒的に少ない。これは相手が学習して王妃が出てきたらすぐ撤退しているものと認識でした。
次に王城や市井の目撃談を総合すると、やはり初期の頃の印象でみな今の王妃を語っているようですね。
癒し力もも不治と言われる程の人間を直したのは王妃となる前の話で、それ以後は『あまり力に依存するのは良くない。私も死を免れぬ人間なんだから』と乞われても尤もらしい言葉で無視を決め込んでいる。
暴走する彼女を止めに入いる臣下への制裁も、防衛戦と同じで甚大な被害が出たのは最初だけ、及び腰になった人間は彼女が軽く威嚇するだけで意見を翻している。反して制裁の回数が多くなっていますね。意見すること事態は減っているのに関わらず。最近は些細な事でも怒ってしまい。ますます臣下が意見することが少なくなっています。つまり…」
ここまで一気に話をまとめて結論を一区切り置いた。周囲から反論がないか目で問うが誰も反しない。それもその筈だ、これまで何度も意見をし合いながら答えを皆で作ってきたのだから。
「つまり魔女の言うとおり、王妃こと聖女に昔ほどの力はない。しかも力の使い方を変えてきているところをみると、彼女もそれを充分理解している」
マユウの言葉が終わるとユールノイアはこれにも頷いてみせた。
「そうだ。問題は今の彼女を我々で抑えられるかだ」
ユールノイアは自分の実の母の事を『彼女』と他人行儀に呼んだ。あまり身分の高い方ではない中流貴族のマユウが側付きとして城に上がった時に王妃から浴びせられた言葉、それを恥ずかしそうに俯いて詫びた彼を未だに覚えている。
そもそもマユウが選ばれたのだってネフィーレ妃の尽力だった。そもそも王妃は子を産み落とした後は放ったらかしだったというのだから呆れる。
きちんとした教育や環境、愛情ですら側妃が与えていた事をきっと彼女は知らない、知ろうとしないのだろう。
本来ならもっと小さい時に側付き候補が遊び相手として周囲を固めるものなのだが、彼は十歳に近くなるまで放置されていた。それに気が付いた側妃が慌てて国から候補を募り厳選してマユウを決めた。王妃がそれを知ったのはマユウが城を訪れる日の朝だったという。
報告はその前から散々していたのに関わらず聞いていないと言い張って揉めたと疲れ果てた顔の案内してくれた衛兵が愚痴を溢していた。
そして彼女は挨拶に訪れたマユウを見るなり「みっともない。もっとマシな子はいなかったの?」と言い放った。
けしてマユウが粗末な身なりをしていたわけではない。学問も武術も教養も人並み以上に修めていた。王子付きとして恥ずかしくはないとされたからマユウが選ばれたのだ。
初めマユウは身分かなと考えていた。確かに身分はけして高くはないが、第一王子の付きだって似たような身分なのだから、本来ならば問題ない。
もっと言えば本来の候補を選ぶ次期に打診していれば上流貴族からもいくらでも候補者が出せたのだ。しかし既に子供の進路は決まり歩き出している時になっていきなり生き方を変えるような事はさせたくないだろう。しかもあの王妃の子供である。打診はしたものののらりくらりとかわされてしまったらしい。
それでマユウというわけである。
一応王妃の子ということで第一王子付きに劣らない身分の者。それなりに優秀であること、気楽な三男という事が決めてであったらしい。
そこまでの配慮をされていたのに王妃は不満たらたらな様子であった。
そして聞くともなしに聞いていた彼女の愚痴と嫌味を総合していくと、どうも彼女が不満なのはマユウの顔であったらしいと気が付いた時には思わず笑ってしまった。
『息子の側にいるからには誰もが見惚れる姿でないと』と臆面なく子供に言ってしまう王妃にむしろ拍手を送りたくなった。
へらへらと受け答えをしながら、これは早々に父に進言して国外脱出を図らねばと密かに考えていた。この辺り中流貴族は気楽でよい。しがらみも少なければ適度に金もある。
どこの国がいいかなと考えているうちに王妃との会見は終了した。
そのときは折を見て職を辞しようと考えていたのだが、人生は分からないものだ。いまだに自分は王子付きとして彼の側にいるのだから。
先ほどから続いている話し合いを今度は一歩置いてマユウは見守っていた。
まだ王子の身分とはいえ的確な指示と判断を見せる主を皆信頼して国の命運を任せている。あえて臣下に結論を出させるやり方も士気を高める大きな一助だ。
自分ももう他国へ逃げることなんて欠片も考えていない事を彼らの姿を見ながらしみじみと噛み締めていた。