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隠棲の魔女の失敗  作者: からは
不思議な森にて
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第二王子ユールノイアの蒐集録

 近頃学に無縁そうな海の男達が奇妙なことに本を買い求めているらしい。

 しかもあまり流通していない稀少なものばかり。

 読むのかと訝しがりながら聞いた者に船乗り達は一様に「あげるんだよ」と答えたらしい。




 ついてねぇ、と船長のダールは一人つぶやいた。

 波も悪かった。航路も都合が悪かった。船主からねじ込まれた仕事は、ひたすら急げと言う割には報酬は通常時と変わらなかった。

 ぎりぎり間に合いそうな東のルートを提示すれば、いや間に合わない西回りで行けとごり押しされた。ダールのような弱小には断れなかった。

 それでも潮を読み慎重に行けば出来ない事はない、ようは船乗りとしての腕の見せ所だと考えて了承した。せざるをえなかった。所詮雇われである。

 しかし半分まで進んだ夜半。音もなくクラーケンが船体に体当たりされて船底に穴が開いた。

 濁流に飲まれるような穴ではなかったため何とか抑えようと船員を総動員したが、どうも駄目らしい。

 別に船主の船はこれだけじゃない。あの日都合のいい場所に自分たちが居ただけだ。前の航海が幾日かずれていたらこのような場所で死ぬ事もなかった。

 まったくついてない。

 後は船の中で波に浮きそうな物を船員達に押し付ければ仕舞いだ。

 先ほどは空になった樽をトマスに押し付けてきた。もう船体がだいぶ傾いているので進むのが困難だが仕事は最後までやるのが流儀だ。

 こんな深夜の海に浮かんでも助かる可能性は低いが、陸や島に沿って運行してきたお陰で比較的島が近い。奴らだって潮や星を読むことは出来る運が良ければ助かるだろう。

 こんな運の悪い船長と一緒に居なければ可能性も高くなるっていうものだ。

 

 最後まで手を付けなかった荷もどうせ沈むならと何かしら助けになるものがあればと物色しに貨物の扉を開けた。

 なんてこった。

 目の前に何があるのか一瞬分からなかったが、自ら息を飲み込んだ音で我に返った。

 少女が荷に腰を降ろしてこちらを見下ろしていた。普通の町娘が着るような装いとは少し違和感のある服を着た、黒髪を長く垂らした少女だ。

 容貌はダールのような男がついぞ見たこともないくらい美しく整えられていた。

 そこまで大きな船じゃない。隅々までダールが掌握できるほどの大きさ、ずっと船に潜んでいたとは考えられない。そもそも斜めに傾いだ船体、船に慣れた男ですら既に何かに掴まりながらでなければそろそろ立っていることすらままらない中で、そこだけ遮断されたように平静な空気が流れていた。

 もう一度ダールは唾を飲み込んだ。

「じょ、嬢ちゃんは『魔女』か?」

 船乗り仲間の中で真しやかに流れた噂。沈み行く船に稀に魔女が現れるという。

「分かりきったことは時間の無駄ね。ここに『ヨーキアの夜衣』があるでしょう?あれは海に沈めるには惜しい本だわ」

 特に顔色も変えずに少女が遮った。

 魔女は沈む本を求めるという。聞いた話をそのままに目の前の少女は要求する。

「早く救わないと塩水に濡れてしまう」

 船にはまだ生きた人間が乗っているのだがとダールは苦く思った。だが別に構わない。魔女が本に興味を示してここに現れたことの方が重要だ。

「ああ、欲しいなら持っていけ。その代わり船員を港まで届けてくれないか」

 きっとこの少女が魔女なら出来るのだろうとダールは取引を持ちかけた。

 魔女は少し小首をかしげて思案したようだった。

「あの港ってどこの?」

「あ-、キノアだ」

「キノアでいいの?この船はミラトニアに向かっていると思ったんだけど」

 ダールは一番近い港をあげたのだが、魔女はここから遠く離れた最終目的地の名前を挙げた。

「そりゃミラトニアまでいければ越した事はないがよ、荷がないとミラトニアまで行っても仕方が無いだろう」

 むしろ船がない面子では帰ってくる方が大変になってしまう。

 渋面を作ってダールは腕を組んだ。加えて船を沈めてしまうから全員失業は免れないだろう。だが生きていれば何とかなる。

「じゃあそれで」

 高く澄んだ声をあげた魔女は上空をじっと見据えたかと思えば、次いで視線をダールに戻した。

「送ったわ」

 言われたが、あっけなさ過ぎて本当に船員たちが助けられたのか。疑うわけではないが現実感がなかった。

 だが今のところは信じるしかない。

「すまないな」

「いえ」

 本の代償に命を助けてくれるという話を信じていたわけではなければなかったが、信心深い友人の強い勧めで嘘のように高価な本を買い求めた。一月は遊んで暮らせそうな金額が飛んだ。付き合いの側面もあった買い物だったが、お陰で役に立った。

 せっかく買い求めたのだからと思ってちらりと目を通して見たが、生憎と異国の一部族の淡々とした日常が心を占めることはなかった。あれならば幼い頃聞いた冒険譚の方が心躍らせるものがあった。

 だからまるで其処に本棚でもあるような動作で虚空から取り出された『ヨーキアの夜衣』の状態を検分しているらしき魔女聞いてしまった。

「なあそれ面白いのか?」

 半分無意識だったが聞いてみれば俄然興味が湧いた。圧倒的な魔法を駆使する魔女がこんなケチな船と関わってまで手に入れたいどんな魅力があるというのだろう?

 魔女はそれに心なしか顔を顰めたような気がした。

「興味もないのに船に積んでいたの?」

「稀書を積んでいればいざという時に魔女様が助けてくれると聞いたもんでね」

 肩を竦めながらダールは正直に答えた。

「当てにされても困るわ。いつも海洋に目を向けているわけではないもの。それに…、潮風に当てられていたら本が傷むじゃない」

 読む権利は誰にでもあると我慢していたのにとブツブツと魔女が愚痴を溢した。

「まあ皆願掛け程度の認識だから気にしなくていいし、命の方が大事だからな」

「…確かに命の方が大事ね」

 諦念を含ませながら彼女は同意を示した。


「イミル族は三百年ほど前に彼の地に移り住み独自の文化を形成している」

 唐突に話が転換した。ヨーキア地方のイミル族、本に目を通していなかったら一番最初の問いに対する答えだとは分からなかったかも知れない。

「日照時間の少ないヨーキアでの農業の工夫のあとや知恵。元々は農業の盛んな地域からの移住による信仰対象の変異など。枝分かれしたといわれている部族と比べてみると環境に寄る思考の変化が推察できるわ。絶賛文化形成中の様子が丁寧に描写されているから後世にとっても有益な資料よ。ただイミルもカストアも水に対する敬意が共通して残されているから、もっと昔はどこか水辺に住んでいたのかもしれないわね」

「詳しいな。もしかして読んだことがあるのか?」

「ええ、あなたが購入する前にね」

 じゃあ何故わざわざという言葉は余りにも今の自分の状態を棚上げしているので飲み込むことにした。

「それじゃあ、それ持って帰ってどうするんだ?」

 話を聞く限りでは熟読した後のようだった。

「もちろん折を見て市場に戻すわ。読まれてこその本だもの」

 俗に言うコレクターの類ではなかった事にダールは僅かながら安堵を覚えた。話を聞いていてまるで推理物の物語のようなそれが秘されるのは勿体無いと感じたのだ。

 その時ぎいいと大きな音を立てて船が傾き、ダールの身体は堪えきれず後ろの扉に叩きつけられた。痛みに蹲ったままのダールの耳に死神の宣告がそれとは感じさせないほどの清浄さをもって下された。

「時間切れね。……沈むわ」

 ああ、お喋りの時間は終わったのだ。

 船員を助けてくれといった時、その船員の中に自分も含めてくれないかなと期待したが、取り残された瞬間に虫のいい話だったと理解した。

 後はまあ最後まで付き合ってくれた魔女には感謝をしなければならない。お陰で恐怖を感じずに済んだ。みっともなくのた打ち回らずに済んだ。

 どう取り繕っても死はやはりどうしたって怖い。

 せめて苦しみが少ないと良いなと最後に願ってダールはそのまま目を閉じた。




 船長、船長と揺り動かす声にダールはパチリと目を開けた。

「え?」

 自分は死を覚悟して目を閉じたのではなかったか?見渡せば波に浮かんだ船がいくつか見える。どこかの港のようだ。

「船長。大丈夫ですかい?」

 聞きなれた声はトマスのもの。振り返れば見慣れた面々が心配そうに覗き込んでいた。

「え?」

 ダールはまだ状況が把握できない。

 港、仲間。そこまでもう一度認識してようやく魔女が自分も助けてくれたのだ分かった。

 まったく魔女も人が悪い。いや、そうではないな。魔女は何も言わなかったのから、勝手にダールが勘違いしただけだ。

「とするとここはキノアの港か」

 夜の街は目を開けたばかりのダールには良く見えなかった。ただキノアにしては香る潮の匂いに違和感があった。

「いや船長。どういうわけかミラトニアの港のようですぜ」

 え?と聞き返して慌てて目頭をこきゅこきゅと揉んで夜に慣れさせる。

 目を凝らしてようやくようやく見えてきた風景は確かにミラトニアのようだった。

「荷がないからキノアにしてくれと言ったんだが」

「荷ですかい?たぶんあそこにあるのが俺らの船に積んでた荷ですよね。……、船長。なんで俺らここにいるのか知っているんですかい」

 トマスの言葉に振り返ると、波打ち際に確かに積荷が整然と並べられていた。

「ねー、船長」

「お」

 呆然としたままのダールに船員たちが声をかける。小さな呟きに続く言葉をおとなしく待った。

「お前ら全部あとだ!荷が濡れる!!」

 船長の一喝。一目散に荷に飛びついたダールに慌てて船員たちも続いた。


 助かった安堵感からか荷を運ぶ船員たちが軽口を叩き合っている。

 手が止まらぬうちはダールはそれを咎めないことにした。

「ねー船長。これからどうしますか?」

 一番年若い船員がダールに話を振ってきた。

「…――そうだな。金貯めて船持ってもう一度海に出るんじゃないか?」

 あの魔女が本に執着したように、結局自分は海が好きなのだと少し考えて答えを出した。

 その頃にはきっと『ヨーキアの夜衣』も何処かに出回っているだろう。探してもう一度きちんと読んでみるのもいいかもしれない。 ミラトニアの夜を見上げながらそんな事をダールは考えていた。

 

 

 その後、再び海に戻ったダールが『ヨーキアの夜衣』の影響を受けてか、航海の途中で出会った人々の事を書き止めた『ダール船長の航海記』という簡素なタイトルの記録書が後世の貴重な資料として残されると同時に、多くの少年たちに海への憧れを抱かせる結果となったが、それはまた別の話。

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