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隠棲の魔女の失敗  作者: からは
不思議な森にて
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1

 道という明確なものはなく、足場になりそうな場所の草を踏み固めて体重を移動させる。足場が崩れないことを確かめて残された足を引き上げるという作業をずっと繰り返している。

 体力には自信があるほうだったが、鬱蒼とした森の中水分を吸った衣服は重く、また目的地までいつまで続くのか、いや果たして目的地に向かえているのかも分からない現状が彼を疲弊させていた。

 何処にでもありそうな森に見えるが踏み込んで暫く、迷わないように付けていた目印が勝手に動き回って奥に運ばれていくのを見てからは諦めて只管進むことにした。

 帰れない訳ではないだろう。おそらく出直そうと踵を返した瞬間に森の外に居る気がする。試してみる気はない。そうしたが最後こうして森の中で彷徨うことすら出来ずに門前払いを食らうことになる。

 試されているのだ。

 既に彷徨いだしてから3日は経ったと思うが、木間から見える薄暗い空が果たして真実を映しているかは定かではなかった。


 自国に立ち寄った旅人がから聞いたという不思議の森の話を聞いてここに彼女が居ると確信していた。

 外から眺めている分には急いでも丸一日はかかりそうに見えるものの実際足を踏み入れると小一時間で向こう側まで着いてしまうと不気味に噂されていたが、もっぱら通行が楽になるので付近の村人もそこまで気にしていないようだという話だった。

 稀代の魔女の住まう場所ではあるが、隠れ住んでいる以上たいして口端には上るまい。として小さな与太話の類を集めていた。

 どうにか都合を付けて来てみればこれだ。千里を見渡せるという魔女の事だ、自分がこうしていることも承知なのだろう。その上で覚悟を推し量っているのだ。

 例えここで朽ちようとも彼女に会わなければならないのだ。ぎりっと唇を噛み締めて遠く魔女の視線に応えるように森の奥を睨み返した。


 やがてするっと解けるように緑が薄くなり明るさが増した。さわさわと草木のゆれる音がする。

 突然の事に少し足が止まったが、慌てることなく進むことにした。

 そこからしばらく行くとようやく森を抜け拓けた場所に出ることが叶った。

 小さな小屋のような家だった。周囲に畑が広がり柔らかな陽光が育んでいる。想像していたより遥かに長閑な光景に戸惑いを隠せない。いや正直に言えば物語にでも出てきそうなもっとおどろおどろしい光景を予想していた。流石にそれはないとしても違和感が拭えない。

 自分は何か間違えたのだろうか?ここが期待していた魔女の住処だとは自信が持てなくて、それ以上踏み込むことを躊躇わせた。

 あの扉を叩いて尋ねれば何処にでも居そうな老夫婦が顔を出して誰何し魔女なんて知らないと声を揃えていう姿が想像が頭を過ぎる。

 ぶるりと頭を振って想像を打ち消す。

 そうであっても確かめねばならないと思い直した。この旅は失敗になるが結果は見届けねばなるまい。

 意を決し、魔女のまやかしに小屋が消えてしまわないようにしっかりと見据えたままゆっくりとした足取りで向かった。


 扉を叩こうとした瞬間にはかったような間合いで音を立てて開かれた。いままさにノックしようとした手が空を彷徨い持て余す。

 戸惑いながらも中を窺うが、誰の姿も見当たらなかった。どうやら魔女の家で間違いないらしい。

 しばらく扉を眺めながら逡巡したが、勝手に入ることは心が咎めるので「失礼します」と声を上げて扉をくぐることにした。

 入って直ぐは水場や台所であった。薬草等ではなく野菜が置かれいいて何処にでもありそうな村の家に思えた。

 いや、そうではない。違和感を覚えてもう一度見渡す。

 汲み置きの水。整理された調理場。その彼処に本が詰まれていた。意識してみれば本当に呆れるほど散見している。水周りでこれなのだから家の中にはどれほど内蔵しているのか。手近にあった一冊を手にとってみれば著名な親子愛をテーマとした小説だった。向こうに見えるのは地理誌だろうか。あまりジャンルには頓着ないらしい。

 置かれていた本を検分していたら、ぱっと頭上に明かりが灯りゆらゆらと揺らめいた。白く小さな発光体がつーっと移動するのを目で追うと、奥にと吸い込まれていく。どうやらあちらへ来いということらしかった。

 ぶしつけに人の家の中を眺めていたことに気が付き慌てて視線を外すと明かりを追った。


 導かれるまま隣の部屋に入ると何処にでもありそうな小屋の一室ではなく、何処までもまっさらな何もない空間が広がっていた。見渡しても壁はなく見上げるも天井もない。明らかに小屋の一室という趣ではなかった。

 構わないことにする。

 その空間の正面に大きな椅子だけががポツンとあり、そこに一人の女性が座っていた。

 夜の色を垂らしたような艶やかな髪がゆるく弧を描き、対するような白い肌はしかし頬から唇まで柔らかな色彩に彩られている。すっと通った鼻筋も刷いたような柳眉も人形のように整えられていて。

 美しいと感嘆した。

 よく見ると、女性というには少々幼い面立ちをしている。最初女性だと思ったのは眼差しの落ち着き具合が妙齢の女性を思わせただけのようだ。

 たゆたうような黒の髪に黒曜石のような黒の瞳をしている割には重苦しい印象は受けず、どちらかといえば澄んだ面差しであった。そのどれを取っても彼女を語るには足りないと思えるくらい彼女は凛とそこにあった。

「何の用?」

 細い声が尋ねた。慌てて背筋を伸ばす。

「俺はセイグリッド国の騎士でマユウ=リドリと申します。魔女殿にお願いしたい事があって来ました」

 マユウが名乗ると少女は整った顔をを歪めこちらを推し量るように沈黙した後「まあいいでしょう」と言う声と共に嘆息した。

「座って」

 どこに?と問う間もなくマユウの背後に椅子が現れた。驚く事はない、彼はこういったことには意外と慣れていた。振り返れば彼が入ってきたはずの扉も姿を消していた。

 促されるまま座ると次に彼女との間にテーブルが現れ、コトリと音を立てて淹れたてのお茶で満たされたカップが現れた。

 一応は話を聞いてくれるということらしい。

 口を開こうとすると逆に魔女が制した。

「いいわ、分かりきっていることを言うのも面倒よね。あなたの国の聖女の話よね」

 少しばかりせっかちに話を進める魔女に面食らったが、話が早く済むなら彼としても願ったり叶ったりだ。小さく頷くに留めた。


 かつて人は魔族と争っていた。魔族と言っても領土を持ち、互いの利益の為に争っていたのだが今となっては言っても仕方のないこととなってしまった。

 争いに疲弊したセイグリッドの王は異界から聖女を召喚し彼女の助力を得て魔族を打ち払った。と、世界の誰もが知っている話である。またそれに応えた聖女は後に王に求められ王妃になったと、若い娘は頬を染めてここまでを話しに上らせる。

 魔族とは人より高い魔力を持ていたが聖女はそれ以上の魔力を行使したと、戦いを目の当たりにした人達は当然の如く語っていた。

「それでめでたしめでたしじゃないの?」

 カップに口をつけながらどこか突き放したように魔女がいう。

 反対にマユウは持ったカップに浮かぶ茶色い液体に視線を向けながらじっと何かに耐えているように魔女の言葉を聴いた。

 やがて重く口を開いた。

「いいえ、彼女は王妃になるべきではありませんでした。そもそも聖女という呼称すら相応しくはなかった」

 乞われたとはいえ大いなる力を持ち、他族を滅したもの。それが聖なると者とどうして言えたのか。

「だってあなた達が望んだんじゃない」

 そうだ、王がそう願った。どれだけ魔族が人に酷いことをしたのかを切々と訴え、共に打ち倒してくれないかと真摯に説得していたときく。

 彼の生まれる前の話ではあるがマユウとてそれは重々承知していた。

「聖女は――別に王に乞われて王妃になった訳じゃない。彼女自身が望んだことだ」

 搾り出すようなマユウの声に魔女は特に反応しなかった。

「異界から呼び寄せ、彼女に本来関係のない戦いに巻き込んだ王がどうして拒めただろう」

 見返りに栄華を求めた。聖女は確かに欲を持った一人の人間だった。

「それでもあなた達が求めた結果よ。人一人の欲が満たされてそれで国が助かったなら安いものでしょう」

「安くなどなかった!」

 弾かれたようにマユウが叫んだ。

「栄華を求める程度の人間が治められるほど王の役割は軽いものではい。また彼女自身が自己の欲求を自覚して煌びやかに着飾っていればまだ良いものを、始末の悪いことに彼女は聖女という役割をいたく気に入っていて聖女ぶりたがった」

 最初は孤児院への寄付や病に侵されたものへの慰問などであった。それもごく軽い症状のものに限られ、怪我や皮膚病で醜く崩れ落ちた者や無残な有様の重病人などは捨て置かれた。

 次に政治に口を挟みだす。災害が起これば慎重に進めようとする声を無視して被災者をやれ助けよと一も二もなく命ずる。「困っている方々を見捨てる気ですか」と渋る重鎮に言い放った。

 お金が必要だった。物の集まる王都で行き交う荷に税を掛ければいいじゃないと思いついたようで反対する人間はお得意の魔術で黙らせた。結果荷はセイグリッドを避けるようになり王都は廃れた。

 今度は地方に分散している領主達から用立てるように申し付けた。大きな所領を持つ領主も痛手を負ったが小さな所領を預かる何人か首を括った。それを聞くなり被災地への支援はぴたりと止まった。もう何も思いつかなかったらしい。

 それでもその間に僅かに助けられた何人かが王妃に対する感謝の言葉を述べると、やはり自分が正しかったのだと悦に入るといった具合だった。

 滅茶苦茶だ。

 国は目に見えて衰退している。他国に表立って侵攻されないのは偏に彼女の持つ力がそれだけ巨大だと諸国も承知しているからであって今も何かあればと虎視眈々としている事だろう。

 現に小競り合い程度なら今までも何度かあった。その度に最後は彼女が赴いて一人で収めてしまっていたのだが…。

 そんな姿を見るたび国内で彼女に進言する者は少なくなっていった。

「それで?あなたは何を私に望むの?」

 興奮して捲くし立てるように現状を訴えるマユウが水を浴びせたような魔女の一言で我に返った。

「王妃の…聖女の力を封じて欲しいんです」

 あなたなら出来るでしょう?と探るような彼の視線を涼やかに受け止めてまた魔女はコクリとお茶を飲んだ。

「冷めてしまったわね。淹れなおして頂戴」

 魔女の言葉に二つのカップが消えた。その言葉にマユウが首をかしげた。誰か他に居るのだろうか?魔女の言葉はそれを伺わせるものだった。

「確かに彼女と共に召喚された私にはそれが可能ね」

 静かに魔女が宣言した。


 それっきり何も言わなくなった魔女が暫く経って動いたかと思えば暖かな湯気を立てたカップが目の前にあった。

 それに早速口をつけているところを見ると話が終わった訳ではなく、単にお茶が淹れ直されるのを待っていただけらしい。

「でもその必要はないわ」

 突然話が再開されたので咄嗟に何を言われたのか理解が及ばなかった。

「あなたは聖女や私の力が何処から来るのかご存知?元の世界、あなた達が言う異界ではただの普通の人間でしかなかった私達が振るう力は秘められた力というには度が過ぎている」

 淡々と魔女が語る。既に我々が忘れてしまっている世の理を。

「周知のように魔力は誰でも持っているとこの世界では常識ね。魔族でなくとも魔女なくともあなたでも行使できる力であるわ。

 異界の者の力も本来大して変わらない微弱なものよ。だからねこれは世界の異界の人間に対する力に対する拒否反応なの。世界が異質なモノを受け入れられなくて過剰反応するの」

 あなた達が魔族を受け入れられなかったのと同じね。

 魔女の皮肉にマユウは顔を顰めた。

「それがどうして必要ないことと結びつくのですか?」

「逆にそんな世界の反発が永続的に続くとあなたは思うの?」

 確かにそんな都合の良い力が永久にあるとは信じられない。どこかで途絶えるという方が自然な気がした。

「単なる異質なものへの反応だもの、世界に馴染めばそれだけ薄れていくわ。具体的に言えばこの世界の物の摂取、世界の文化を受け入れ、世界の人間と交流を深める等ね」

 魔女は少し言いよどんだ。

「最後のは情を交わすだけじゃなく、その、身体を繋げたりね。えっと、子供を生むなんて致命傷ね」

 そこだけは見た目どおりの年若い少女のような反応で、マユウは少し面白く感じた。

 彼の目端が和んだのを感じたのか魔女はこほんと咳払いをし、緩んだ空気を打ち払う。

「世界から拒絶されている間は時の流れすら我々にあまり干渉してこないわ。私はこうやって世界と隔離して生きてきた。王妃は?今いくつくらいに見える?彼女、わたしと同い年なのよ」

 確か記録によればもうすぐ五十歳くらいなはずなのだが、王妃は未だに三十そこそこの若々しさを誇っていた。対して目の前の魔女はどう見繕っても十代にしか見えなかった。

「だから特に封じの魔法は必要ないわ。彼女の力は既にかつてのように巨大ではない。時折見せる術も、彼女の力の一端に見せているけれど。あれが彼女の今の精一杯よ。セイグリッド国第二王子ユールノイア殿下」

 その言葉に驚くでもなくマユウと名乗っていた青年は肩を竦めた。

「やはり騙されてはくれませんでしたか」

「私を誰だと思っているの。人に頼みごとする人間が名を騙るなんて馬鹿にしているわ」

 言葉とは裏腹に彼女は特に怒っている様子ではなかった。

「あながち嘘でもないんですけどね。ここに居るのは建前上マユウの筈なんですから。

 ユールノイアはこの国に遊学中で、今頃王城に居るはずなんですから。千里を見渡す聖女の手前、いついかなるときもマユウと国を出たときから振舞っていたものでつい」

 分かっているわと魔女が応じた。

「大丈夫よ。ちゃんと聖女の目に映る千里の様子に目隠しをして、王城で影武者を頑張っているマユウという人間はユールノイアに見えるようにしているわ。あなたが国を出たときから」

 敵いませんねとユールノイアがここに来て初めて笑った。少し肩の荷が下りたのかもしれない。

「それでユールノイア、あなたは王妃、いいえあなたのお母様をどうするつもり」

「どうもこうも、聖女は聖女らしく最後まで振舞って貰うだけですよ。そこからは我々が独力で成さねばならないことだ」

 血生臭いことにはなりませんよ。ご安心を、というと魔女は安心したように微かに笑った。


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