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魔族とは人より強い魔力を持った種族である。
古の書物にはその姿を身体の大きな獣だったり、異形の化け物のように書かれることもあるが、その実人と大差ない姿をしている。
そして性質は夜を好み暗がりに生きる。
代わりに彼の瞳の色は総じて薄く日の光に弱い。といっても陽の下で溶けるとかいった話ではなく、薄い瞳が採光に耐えられない、皮膚が赤くなりやすいといった極めて物理的な作用によるものだ。
これらは目くらましの魔法を使おうと防ぎようもない。故に日の下をに出歩けるということはそれだけで魔族というのは否定される。
「って知らないはずはないでしょうけど」
メルニーは濃い新緑の瞳を向けて男にこの世界では常識の魔族の説明する。
それをどこ吹く風で男は聞き流している。笑みは相変わらずだ。
「瞳の色なんて魔力の強い者なら目くらましの魔法で何とかなるもんなぁ」
「…それだけじゃないでしょ。日中出歩けるなら魔族の筈が…」
カウンター越しに覗き込むように男の視線がメルニーを捕える。笑みの気配をすーっと消した。
「例が極端に少ないからあまり知られていないが、魔族と人の混血ならば瞳の色も人のまま日中も普通に歩ける。魔力は純血にすこーしばかり劣るが、ただの人間よりは遙かに強い魔法を使えるな」
しんと沈黙が降りた。続いてガタンと音を立ててメルニーは立ち上がった。しまったと気がつく。これでは図星を刺されたと言っているようなものだ。
「まあ。落ち着けって。別に悪いようにはしないよ。ってか人の話を聞け」
この男の言った通り、混血児について知るものは少ない。この国の人間には皆無だろうし魔族にもどうなるか知っている者がいるとも思えない。そのくらい魔族と人は長らく敵対してきた。
メルニーが知るところの最強の魔法使いであるおば様ですらメルニーを見て驚いていた。
男は取り立てて特徴のある顔はしていない。多少客商売で受けが良さそうな色男風ではある。少し垂れ気味の目が特徴といったら特徴だろうか。
凡庸な、と形容しても差し支えはない。しかしただの男ではないことは明白だ。
分からない。分からないことは怖い。相手の目的が読めないから。男はわざとメルニーに手の内を明かして見せている。
単なる知識者か魔族と関わりのあるものか、ゆっくりと吟味している余裕はない。何某かの脅迫を目的としていた場合メルニー以外の者に多大な迷惑がかかる。
「夜しか動けないのも怠惰で朝に弱く堅気の商売じゃなければ不振がられないよ」
ぐっと拳を握る。その手から魔法の圧力が広がる。なるべく見た目を派手に、威力は最小限で。
魔法で攻撃を仕掛ければ男も防戦せざるをえない。メルニーの攻撃ならば最大限の防衛だ。取り繕うことは出来まい。その時に男の真価が垣間見えるだろう。
メルニー自身の強い魔力が魔族を連想させることはあるかもしれないと思っていた。それも日の下を闊歩して見せれば特に問題はないだろうと高を括っていたのだ。
空気を渦巻かせの塊を作る。それを凝縮させ圧力をかける。店の中が煽られてカタカタと震えた。
「おいおい店を壊さんでくれ」
この中でいて男は慌てた様子も見せずに手酌で酒を注ぎながらのんびりと声上げている。
男が酒瓶をテーブルに置くとメルニーが練り上げていた圧力弾がすっと溶けた。
何が起きたか分からなかった。
「店壊さんでって言ってるでしょ。他人の魔力に圧力かけるのめっちゃ難いんでやめて、ってか。聞けよ」
ここにはメルニーと男しかいない。メルニーより強い魔法が使えるのは知る限りおば様くらいで、そのおば様ですらこんな魔法が使えるだなんて聞いたことがない。
男が大げさにため息をついて見せた。
「いいかよく聞け。俺が分かるのは混血児を知っているからだ。お前の他にだ」
良く見ろよと声をかけて自身の魔法を解いて見せた。
ふわっと空気の変わる気配が走り抜け男の容姿が変わる。
目眩ましの魔法。
明るい赤髪は紫に変わり、濃茶の色が薄青となる。蠱惑的な色を増したその顔は、もう凡庸なとは思えなかった。唯一残った垂れ気味の目尻だけが先程までいた凡庸な男との繋がりを示している。
「ま、魔族?」
「そ、だから嬢ちゃんよりまずい立場なのよ俺。分かる?だから嬢ちゃんを糾弾したりしないし吹聴したりもしない。出来ない」
安心した?とニッカっと男が笑う。
メルニーはその場に座り込みたくなる衝動をなんとか耐えて、促されるまま再度カウンターに座った。
皿を洗いながら男が話を進めていく。
それを警戒心が溶けたのも手伝って振舞われた料理をぱくつきながらメルニーがぼんやり聞いた
「まずだな。国に居たのが魔族の全てじゃない。既に国との繋がりも切っていたから知ってる奴は少ないし、他に吹聴する事でもないからな。
人の国の情報収集が目的で諜報活動が得意な奴が潜り込んでいたり、商い目的の奴がいたり、単に人との繋がりがあったから国を出た連中もいるな。
俺?俺は魔族の国に閉じこもるのが嫌だったからおん出た口だな。青かったから人間なんか別に怖くないとか騙すの簡単じゃんとかも思ってたしな。
そのうちまあ国との出入りがあるとちょーっと不味いかなって状況になってきてこっちに本格的に移住することになったと、端折るとこんな感じかな」
きゅっと水を止めながら話も締めた。
「一応何人かの魔族の顔は知ってるが今はどうしているかはしらねーな。会えば分かるかな?本格的に目眩まし掛けられてたら分かんねーし。混血児も何人か見たことある。でお前を見たとき何となく混血かなって」
ひょいとメルニーが食べようとしていたパンを掠め取って頬張った。ぎょっとしたが元々この料理は男の奢りのものなので文句を言うのは違う気がして黙った。
「ま、魔力の強いただの人間と思わなかったのは何故ですか?」
「だってお嬢、魔法を使い慣れてたじゃん。人の中に居て経験則から魔力を隠してるならそもそも魔法を使う機会がないよね?路地へ走り込んで来てから遠見へ集中して転移。一連の流れがね早かったよね」
頭を抱えるしかない。あの時は一刻を争っていた。それが裏目に出るなんて。
「これは人間世界に溶け込んで来た俺のアドバイスだけどね」
笑顔と共に友好的な雰囲気が消え去った。
「本気で隠れる気ならああいう時は殴られて連れ去られるくらいしろよ。こっちは命がけで隠れてるんだ。生半可して魔族が生き延びてんのを悟られるようなヘマすんな邪魔だ」
剣呑な雰囲気に息を飲む。
「ご、ごめんなさい」
それでもなんとかその言葉だけは絞り出した。男はうんうん頷いて分かればよろしいとメルニーの頭を撫でた。
「俺はマルキオ=ザナッティだお嬢ちゃんの名前は?」
「――メルニー=カロッサ」
先程はいっそ殺されるかもしれない程の殺気を見せたのに、もうへらりとした軽薄な男に戻っている。
二転三転する雰囲気にメルニーは呆然とするばかりだった。