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メルニー=カロッサは14歳になったばかりだ。生まれつき魔力が強く、持て余した両親が親戚の伝手を辿って遠縁のマユウ=リドリに預けられた。
「まあ、当たらずとも遠くはないわね」
メルニーは現在の自分の『設定』をそう評す。ちなみにカロッサ家は山間のへき地に実在し、子沢山の大員数家族である。人一人くらい増えたり減ったりしても近所の方々もよく分かっていない。
幽霊を紛れ込ませるにはうてつけな家なのだ。
現在は半数が神殿に詰めている魔法隊に所属している。
このポっと出の新入りは当の魔法隊には熱烈に歓迎された。
それはもう熱烈に
下手すれば涙を溢さんばかりの熱烈具合にメルニーはドン引きした。
それというのも魔法隊は近頃休みは身体を実質休めるくらいしか取れず、家と職場を行き来するだけ、下手すれば風呂にも入れず泊まり込みという場面もあったという。
通常業務があるのに半数は神殿警護に取られているのだから無理もない。生来の特殊能力が必要な業務であるため単純に人員増加が出来ないのは大きかった。
それが彼女が入れば交代で休暇が取れるという。
だからメルニーが休日に跳躍の魔法でどんな遠方に帰ろうが、『親戚』のマユウに頻繁に呼び出されようが彼らにとっては些細な問題なのだ。
話は変わるが女性に人気のある男性というのはどういった人物か?
逞しいとか優しいとか色々好みはあるだろうけど一般的にお金持ちで身分が高く顔の良い男性が思い浮かぶと思う。メルニーもそう思っていた。
ところがお金持ちは妙なやっかみや身の危険を生み、身分は面倒なしきたりや格式を厳守せねばならず、度を過ぎた顔の良い男は様々な誘惑が纏わりついて嫌だと言うのが城勤めの総合的な見解のようだ。
彼女らが自分たちで稼ぐ頭の良い女性達であるのもあるが、自分達より稼げて跡取りではなくそこそこ顔をしていれば充分で、一般的な理想の男は観賞用か遊び用といって憚らない。
とどのつまりマユウ=リドリは実は凄く女性からの注目度が高いなのだ。
その縁者との触れ込みのメルニーも神殿から離れ一歩城に入れば女官やら侍女達が一斉にその視線を向ける。そこに悪意が混じらないのは偏にマユウよりメルニーは一回り以上も年下で対象外なのに加えて、何のかんのと話しかけてくる女性達に出来る限りにこやかに受け答えをしているからだ。
山奥でひっそり暮らして来たメルニーにとって山のように知らぬ顔と接するのは初めてで毎日必死だ。始めこそぎこちなく言葉少ないメルニーを眉を顰めていた連中も段々分かってきたのか今では気軽に話しかける者も少なくなくなってきた。
二つの条件が合わさって王子の執務室に辿り着くころに幾つかのちょっとしたマユウへの贈り物が女性の名前の入ったカード入りで持たされる。
たぶんユールノイアは自分の名前で呼び出すとやっかみがあるのだと思っているらしいからマユウの名前を使うのは彼なりの配慮だ。マユウの方が角が立つのだと言ってみたが信じなかった。実際行き会った時の歓声はユールノイアの方が断トツに大きいのだから無理もない。しかしあの中のどれくらいが本気で届かぬ星に手を伸ばそうとしているのか。
だから着くまでに疲れてしまうのは甘んじて受け入れることにしている。
「メルニーです」
執務室を警護している兵に挨拶をして繋いでもらう。魔法を使えば執務室まで一瞬だけれど手順を踏んで足で来なければならないのは面倒だが仕方ない。
中では最初に見た時より幾分キリッとした男二人が真面目に仕事をしていた。
メルニーが現れたことにより休憩を取ることにしたらしく侍女にお茶と軽食を持ってくるように指示した。
とりあえず手の中の品は纏めてマユウの机の上に乗せる。ついでに預かった書類も纏めてマユウの机の上だ。ぐうと男の呻き声が聞こえたが無視した。
メルニーが城の女性を賢いと思うのはこういった場面に食品が含まれていないこと、必ずガードが添えられている点だろう。
カードを検めているマユウの手が止まった。
「サルコット=マトワなら、そのインクを入手した姪がカード書いたと言ってたよ」
筆跡に違和感を覚えただろうと予測してメルニーは説明する。カードは別にアピールのためではなく責任の所在を明らかにする為のものだ。だからこういう時も姪の名前ではなくサルコットの名前が記されている。
インクの差し入れとはなかなか渋いところを突いてくる。これでもっとお仕事してくださいということだろう。なかなか酸っぱい話だ。
「それで?呼び出して何の用ですか?私これから買い出しして里帰りの予定なんですけど?」
マユウに渡した書類を律義に紐解きながらユールノイアが視線も投げずに答えた。
「お前が帰郷する折に城下に出ているという話を聞いてな」
予想もしなかった切り口に戸惑う。
「え?なに駄目だった?みんな普通に行ってるから別に疑問にも思わなかった」
駄目なら控えようか。いやそうとなればお土産はどこで手に入れよう。たいした物ではないがメルニーが買って帰る物を出来たばかりのおじい様おばあ様は祭りでもあったのかというような具合で喜んでくれるので多少無理しても用意して行きたいのだが…。
自身が難しい立場にあることは承知なのであまり面倒をかけたくないし目立ちたくないのも確かな話だ。
「いや駄目なことではないがまだあの辺も治安が良いとはいえないんでな、気を付けて欲しい」
なんだそんなことかと頷く。
「誤解するな。何かあった時に気軽に魔法に頼るなと言っている」
「……」
「お前は今即座に頷いた。まだ年若いお前が仮に暴漢に襲われたとして普通は太刀打ち出来ない。取れる方法は一つだ」
それはその通りだろう。
「魔法で攻撃するか、姿をくらますか」
「ユールノイア様、それじゃあ方法が二つです」
即座にちゃちゃを入れたマユウの脇腹に鉄槌が穿たれる。
「っつう」
「考えてもみろ、この国は30年ほどまで魔族の国と戦争をしていた。もちろん身内を魔族に殺された者もいる。そういった者が巨大な魔法を行使する人間を見てどう思うか」
想像は付くだろう?とユールノイアは蹲るマユウを他所に苦い顔をしながら指を組んだ。
確かに魔族を連想する者がいてもおかしくはない。それはメルニーが絶対避けねばならないことであった。
自分の至らなさに恥ずかしくなり顔を伏せた。
「――そういえばおば様も…、町に行くときは必ず人気のない場所に降りてた。あれはそういう意味があったのね」
ため息交じりに溢すとユールノイアが「おば様?」と訝しんだ。
「そう、おば様が…」
「お前の肉親の話はあまり聞かんのでな」
まるで互いの知り合いのように話すメルニーに気を使って言葉を濁した。
「違う。肉親じゃなくて…もう!おば様にあなたを紹介してもらったじゃない」
「魔女殿のことか!」
正確に言えばメルニーも魔女ということになるのだが、そう叫んで驚くユールノイアにそうそれと頷いて見せた。
こういう時に個人を現す名前を知らないのは不便だ。メルニーには他に的確に彼女を現す言葉に思い至らない。しかしユールノイアにとっては意外な呼び名だったらしく「そんな…、いや?でも」などとブツブツ呟いている。
何を疑問に持つことがあるのか、相手は自分の母親より年上の人間だ。間違ってはいない筈。心の中で今一度確認する。
うん、間違っていない。
メルニーの視線に気が付いてユールノイアは咳払い一つで気を取り直した。話の途中だったことを思い出したようだ。
「まあ、あまり王城に居る者を色眼鏡で見られると困る。絶対使うなと言っている訳ではない。何事かあったら勿論身を守ることを優先しろ。ただ少し念頭に入れて行動して欲しい」
王子の言葉に今度は慎重に頷いた。
「分かり、ました。
話はそれだけですか?」
肝に銘じるだけ銘じてそわと退出したい旨を匂わせる。
「見ただろう。お前がいると休憩ができる。もう少し付き合え。朝からずっとだったんだ」
はっきり言って知ったことではないが雇われている身なので雇い主の願いには弱い。
仕方がないと諦めテーブルにつくことにした。