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ユールノイアはこれまで意図的に発言力を増さないよう振舞ってきたつもりだった。
無論王妃の権威を少しでも増やさない為だ。まだ王が退くのには早いが本格的に世継ぎとなれば生母を諫める人間は皆無となる。
故にあく迄王の臣下の姿勢は崩してこなかった。
しかしここにきて王妃の問題がある程度片付いた今、彼の判じなければならない書類が増えてきた。
加えて彼は王妃を神殿へ封じ込める役割の魔法隊の主力を担っている。
有り体に言えば息を吐く暇もないほど忙しい。
今も書類に目を通しながら遠見でチラチラと王妃の動向を追っている。利点といえば近場に詰めていなくて良いことだけだろう。
マユウなどは心配して嫌味を言ったりするのだが、さりとて代わりの人材がいないのだから仕方がない。
打算的に考えても兄を引き留められなかったのは痛手だった。
『死人を生き返らせてどうする』
兄の言葉は道理だった。きっちり葬儀も済ませて何年も経っている第一王子が生きている等と公式に発表など出来ようもない。
国内の混乱は元より諸外国に対しても我が国の基盤を疑わせる結果になる。
それはその通りなのだが
「誰かに手伝って欲しいと思うのは烏滸がましいのか」
ポツリと本音が漏れた。
すると声をまるで吸い込むかのように部屋の隅でしゅるりと空気が軋む音がした。
足元から風が巻き起こり『境』を作る。
誰かが魔法を使って移動してくる兆しだ。
ユールノイアも控えていたマユウも思わず書類から視線を上げて見守った。
ふわりと舞い降りるかのように魔女を名乗る少女が現れ風を払った。
「こんにちは」
ちょこんと頭を下げて礼をとる。
慌てて席を立ちユールノイアも彼女を迎えた。
「今日はどうしたんですか?」
彼女の言を突き詰めれば、意図して他者との関わりを絶っている節がある彼女が物見遊山でユールノイアを訪ねて来るはずもない。
聞かれた彼女は言葉を探すように視線をさ迷わせたあと、少し笑って
「ええと、口利き?」
と?聞き返すしかない一言を放った。
「知り合いの家に最近家族が増えたのでね、そこのお嬢さんが働きに出るというものだから折角なら私が売った恩の中から一番高く雇ってくれそうな所に口利きをしようと思って来たの」
取り合えず椅子を進めて何か飲み物をと手配すると、追い打ちをかけて納得出来るような出来ないような極めて庶民的な内容が出てくる。
王妃との一件は彼女の中で「恩を売った」となっていて見返りを求める事項となっているらしい。意外とちゃっかりしていると苦笑する。
言葉を仮に額面通り受け取るならばどこかのお嬢さんの働き口を探しているらしい。確かにそのくらいなら容易いのだが。
「若い娘というと、メイドとか侍女とか?」
聞いた内容を半信半疑でかみ砕いてみる。そもそもこの魔女に『知り合いの家』というのが存在することが想像できない。
「いいえ今なら神殿?魔法部隊の所属しているところで」
ガタッと音を立てて腰が浮いた。それを意にも介さない素振りで彼女は運ばれてきたお茶に口をつける。侍女の真似事をしたマユウはそのまま自分の分のお茶ごと自席に戻った。互いに初対面の筈なのだがユールノイアから彼女の話を聞いていたマユウは尊重して極力関わりを持たないというスタンスらしい。
人払いが必要なら彼女のほうから要望がある筈だから放っておくことにする。
「誰に相当する?」
魔法部隊で一番の使い手はセルフォという20代後半の男で穏やかな外観からは想像つかないが対象を破壊することに長けている。次に思い浮かんだニモニアは砕けた風貌で、国に雇われる前は借金取りをしていたというくらい追跡を得意としている。
隊の人材を次々思い浮かべる。彼らはよくやってくれているが不測の事態を考慮すると少々心許ない。欠けた場合の交代人員がいないのだ。
彼女は静かにカップを置いた。
「この国の魔法部隊なら一人で相手にできるくらいかしら?」
「よし雇おう」
書類を整えていたマユウが嫌な顔をした。
「人事の予算は年単位で決めており、急な出費は要らぬ詮索ややっかみの元ですよ」
「分かっている。今年は俺の私費で雇う。来年ねじ込んでくれ」
二人のやり取りを魔女が不思議そうにぼんやりと見上げる。
「何か?」
「いえ?本人の人柄とか家柄とかは確認しなくていいのかなと思ったのよ」
普通一番気になるところじゃない?という問いに肩を竦めて見せる。
「人柄や家柄でいざという時に王妃を止められるならそうしますよ。だいたい実力や人柄に問題ある人間なら貴方が紹介しないでしょう」
「私が言うのも違う気がするけど、人柄も家柄も良いに越したことはないのよ?」
重石は重い方が滅多な事は出来ないでしょうと彼女は知った風に言う。
「身軽な者も腰の重い物も使いようですよ。何かを新たにするときは身軽な者の方が役に立つ場面もある」
言いながらマユウの方に視線を向けると彼女もそちらに視線をやり「なるほど」と納得していた。
言葉が途切れると彼女はやおら立ち上がる。
「あれこれ言うより実際会った方が早いでしょう」
軽い動作で何もない空間を示すとシュっと風のうねる音が後に続いた。
いつ見ても不思議な光景だ。何もない空間が切り裂かれ人影が姿を現す。
残された薄布を拭うように現れた少女は薄紅の淡い色彩を纏ってた。
年の頃は十代半ばといったところだろうか?魔女殿の横に並ばれると幾分か見劣りはするもののなかなかに整った容姿で、翠の瞳と相まって春の花芽を思わせた。
しかし儚げな外観を裏切って鋭い眼差しと引き結んだ唇が印象を強くしていた。
「メルニーよ。よろしく」
ぶっきらぼうに名だけ名乗った。
性格からの言葉の少なさなのか分からないが、それ以上の自己紹介はないことは押し黙ったその様子から見て取れる。
「はいはい、メルニーっと。王城で働くのに登録が必要なんでね。姓も用意してもらえないですか」
マユウは書類に書き留めながら一切構わずに話を進める。しかも姓を名乗れじゃなくて用意しろっとか言ったか。知ってはいたがなかなか「優秀」な側付きだと改めて気を引き締めた。
メルニーは少し考える素振りを見せたあと、首を振りながら拒否した。
「適当に付けてちょうだい。養い親の苗字はあるけど、どのみちアレも偽名だから受け継ぐ意味ないし」
なかなかに正直者で、なかなかに問題児だということは理解できた。
「どの道当たり障りのない家の娘ってことで押し通すんでしょうから別にいらなくない?姓はその家のを使うんでしょ」
そしてなかなか使える頭を持っているようだ。
「別に貴方たちに隠すつもりはないわ。ここじゃあどんな『目』があるか分からないから……そうね、養い親の名前はマテイン=ルークって言えば分かるかしら?」
はっと言いを飲む音は自分のものかマユウのものか知れない。今日は驚いてばかりだ。
──今朝届いたばかりの報告書にその名があった。
『お探しの人物はこの国の隣国の国境沿いの小さな村に居を構えています。
名をマテイン=ルークと名乗っているようです。面立ちは穏やかで青い髪緑の瞳と外的特徴は違いますが魔女が裏にいるなら目くらましの魔法の可能性もあると思い、確認に向かわせました。
結果フルース=ノア=セイグリッドで間違いないと』