ファイヤーガール
モーガンは喫茶店でノートパソコンを見ていた。
喫茶店に客は少なかった。オフィス街という良い立地で客入りの良い午後だというのに客はまばらだった。理由はこの店のコーヒーが高い上に不味いからだ。だが、モーガンは人気の少ないこの場所を気に入っていた。
モーガンはパソコンのモニターを食らいつく様に見ていた。画面には一人の少女が映っている。ITube 世界最大の動画投稿サイトである。世界中の人々が一日に何千という動画を投稿する。その中で今一番注目を浴びているのがその動画であった。
一人の少女が映るその動画のタイトルは『ファイヤー・ガール』と冠されていた。動画に出てくるのは十歳位の女の子である。肩まで伸ばしたブロンドの髪をポニーテールにしており愛くるしい姿だった。
その少女が人気の少ない公園でテーブル付きのベンチに座っている。撮影者は少女の向かいの席に腰を下ろして撮影していた。少女の前のテーブルにはクシャクシャに丸められた紙が置かれている。
少女が両手を紙の上にかざす。紙と少女の手は十cm程離れている。少女は目をつぶった。じっと集中して眉間に皺を寄せている。
念力を送っているのか、両手がプルプルと震えている。
次の瞬間、紙が一気に燃え広がった。一瞬で全体が燃え上がったのである。少女はあわててベンチから立ち上がり、テーブルの上から燃える紙を振り落とした。
動画の撮影者が興奮した声を上げながら燃え上がる紙を踏みつけて炎を消した。映像は消し炭になった紙をズームした後、少女の笑顔で終わっていた。
モーガンはこの動画に心奪われた。彼は直感でこの動画はちゃちなトリックではないと感じていた。モーガンはこのような超能力やUFOなどオカルトに関するものに並々ならぬ熱意を持っていた。
彼の現在の仕事 FBI職員も子供の頃に見た人気ドラマに憧れてのことだった。
だが実際はドラマの様にUFOに誘拐された少女を連れ戻したり、国家の陰謀を暴く事件などは無く、人の起こした血なまぐさい事件を捜査するばかりであった。
喫茶店のドアが開く、一人の女性が店内に入ってきた。店の中の男達がその女性に目を奪われた。その女性はモーガンの向かい椅子に腰を下ろした。
「やっぱりここに居たのね。もう昼休みはとっくに終わっているのよ」
モーガンはPCモニターから目を離す。赤毛のロングヘアーが艶やかに光っていた。彼のパートナーのリリーだった。
赤毛で凛とした彼女と一緒に捜査しているとあのドラマの主人公になった様な気分になる。ただドラマと違うのはリリーはすでに結婚してる事であった。
「わるい、ちょっと夢中になっててね」
「モーガン、あなたは中高生のオタクじゃないのよ。FBIの職員なの。何時間もパソコンに噛り付いているのは感心しないわ。そんな事してたらクリスに目を付けられて、職務怠慢で減給なるわよ」
モーガンは二十六歳、リリーは二十八才であった。リリーは事あるごとにモーガンのことを子ども扱いしていた。
「仕事が溜まってるの。さっき連絡を受けたんだけど、ここから三マイル離れた公園で男性の遺体が見つかったわ、しかもその男のとても個性的なのよ、自分の頭を何処かに置き忘れたみたいで、代わりに犬の頭を付けてるのよ。まったく世も末だわ」
「……」
「ちょっと、モーガン聞いてるの!?」
「ああ、聞いてるよ」
「それで、私たちに応援に来て欲しいだって」
「そうか」
「そうよ、早く行くわよ」
リリーは椅子から立ち上がり鞄を肩にかけた。モーガンは相変わらずPCのモニターを見続けている。
「そのドッグマンの事件、わるいんだけど棄権させてもらっていいかな」
リリーは顔を捻り、眉間に皺を寄せた。
「何言ってるの! そんな勝手な事がゆるされわけ……」
モーガンは黙ってパソコンのモニターをリリーに向けた。画面には『ファイヤー・ガール』の動画が流れていた。
「あなたまさかこんな手品を真に受けてるの!?」
「リリー、これは手品なんかじゃない、彼女の名はヨハネス。正真正目のエスパー、パイロキネシスだ」
「呆れた。ドッグマンはもう良いわ。これからあなたの頭を見に病院に行きましょう。付いて行ってあげるわ」
「そういうなよ、この事件に関係する無視できないデータもあるんだ」
モーガンは素早くキーボードを叩いて新しい画面を立ち上げた。モニターにはアメリカの国土と赤いグラフが出ていた。
「それは何? いえ、いいわ、分かった。最近のモスマンの目撃情報ね」
「ちがう、この動画がITube上に出回ってからの不審火の増加パーセントだ。十五歳以下の少年少女が起こしたね」
「そんなのよく調べたわね。……大体、西海岸で二%、東海岸で一%、その他で一%以下の増加?……」
「他にも日本やヨーロッパでも一%以下だが増加しているんだ」
「それがその少女のせいだって言うの? 天候のせいじゃないの?」
「それがそうじゃないんだ。日本やヨーロッパでは今雨季だし、東海岸いったいではしばらく雨が降っていた。それにデータを地域別に見てみると興味深い差が出てくる。ネットの環境の整った場所に不審火が多いんだ」
リリーは呆れたようにくすりと笑った。
「それでモーガン、あなたは何が言いたいの?」
「ずばり、この少女の動画に触発されてエスパー、パイロキネシスに目覚めた子供たちがいる」
「馬鹿馬鹿しいわ、日本のアニメの見すぎじゃないの?」
「そうと言い切れるかな? 僕らが子供の頃、ユリゲラーって流行ったよね」
「知ってるわよ、スプーンを曲げる手品師でしょ」
「そのユリゲラーをテレビで見た子供たちが実際にスプーンを曲げた事があるんだ」
「……」
リリーはモーガンの目をじっと見つめた。
「……いや、本当だよ。確かな報告書はFBIにも無いけど事実だ……本当に……」
「……わかったわ、あなたの熱意は私には十分伝わったわ」
リリーはスーツのポケットからスマートフォンを取り出した。
「後は嫌味な上司のクリスを説得するだけよ。がんばってね」
モーガンは三時間を掛けて捜査の許可を取り付けた。
次の日、モーガンとリリーは午前五時からハイウェイを走っていた。何しろ『ファイヤー・ガール』のヨハネスの家まで州が三つも離れているのだ。このドライブでの約束は運転はモーガンが担当すること、目的地までの休憩は一切無しだった。モーガンはその条件を甘んじて飲んだ。
ヨハネスの母親にはすでに連絡を取ってある。どうやらあの動画が広まっていらいヨハネスはイジメられているらしい、そこでモーガンは教育委員会の関係者と身分を偽ってヨハネスの家を訪れることにした。その電話中リリーはずっと眉間に皺をよそてモーガンを睨んでいたが、ヨハネスを助ける為だと説得した。
ハイウェイを抜けてしばらく進むと電話で聞いていたヨハネスの住所の近くまで着いた。そこは色違いで形は同じの住宅がいくつも並ぶアメリカでよくある住宅地だった。ヨハネスの家は緑色をした家だった。彼女の家の近くには動画の撮影場所の公園があった。
モーガンは車を止めるとヨハネスの家のベルを鳴らした。しばらくするとドアが少しだけ開いた。チェーンでロックされている。扉の向こうから女性が顔を覗かせた。ヨハネスの母である。
「こんにちは、電話でお話させていただいた教育委員会のモーガンです。中に入れていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ……」
女性は美人ではあったが虚ろな表情であった。目と鼻立ちが動画のヨハネスに似ていた。チェーンが外されて二人が中に入る。
「私はモーガンのパートナーのリリーです。よろしくお願いします」
「どうも……」
リリーが部屋の様子をヨハネスの母に気付かれない様に見渡してから尋ねた。
「娘さんは今どちらに?」
「二階の娘の部屋に…… 電話でもお話しましたが、あの動画が広まって以来学校でイジメられたらしくてずっと部屋に閉じこもってるんです……」
モーガンが二階へと続く階段に目を移す。
「娘さんにお会いしたいのですが、よろしいですか?」
「呼んでも出てくると思いませんが……」
ヨハネスの母が娘の部屋をノックする。
「ヨハン、あなたにお客さんよ出てらっしゃい」
扉の向こうからくぐもった声が響いてきた。
「嫌よ! 誰にも会いたくないって言ってるでしょ! 出て行って!」
モーガンが母に代わってドアの前に立った。
「ヨハネス、聞いておくれ。僕たちは君の力になりたいんだ」
中から返事は聞こえない。
「ヨハネス、君は今苦しんでいるよね? 僕は前にも君のような力を持った少年を助けたことがあるんだ。きっと君の力にもなれるはずだ。だからドアを開いてくれないか」
しばらくしてドアがゆっくりと開かれた。向こう側からはヨハネスが上目使いで覗いている。
「本当に助けてくれるの?」
「ああ、本当だ」
ヨハネスの部屋は物のあまりない片付いた部屋だった。何個かキャラクターのぬいぐるみが置いてあるだけだった。ヨハネスはベットに腰掛けていた。母親はドアの前で立ち、モーガンとリリーは部屋の中心に椅子を置いて座った。
「ここでの事は絶対に誰にも言わないよ」
「本当?」
「ああ、本当だ。約束する」
リリーもヨハネスに優しく微笑みかける。
「ヨハネス、今まであった事を話してくれないかな?」
「ええ、でもどこからしゃべったらいいの?」
「そうだな、君の力が出てきたところからで良い」
「わかったわ、うん、そう、最初はテレビで手から火を出すヒーローを見たの。そのヒーローは悪者の科学者をやっつけるの、わたしとってもかっこいいって思ったわ。そしてわたしも手から火が出せたらいいのにって思ったの」
「それから毎日、寝る前に練習したの。テッシュとノートの切れ端でね。ぜんぜん火は出なかったけど、わたし絶対いつか成功するって信じてたの。そしたら火が着いたの。本当よ」
「それを友達のキャッシーに話したの、そしたらキャッシーがお家からビデオを持ってきて、世界中の人たちに見せてあげようって言って撮影したの」
「ビデオをパソコンに流したの。それを見た学校の友達が、お前はペテン師だとか魔女だって言っていじめるの……」
そこまで話すとヨハネスは泣き出した。モーガンはヨハネスの頭に手をそっと置いた。
「よくわかったよ。辛かったね。ヨハネス」
ヨハネスが泣き終わるのを待ってからリリーが尋ねた。
「ヨハネス、あなたが手から炎を出して、ビデオを撮影したのはよく分かったわ。……その、それは今でも出来るのかしら?」
ヨハネスは不安そうにモーガンの顔を見る。
「大丈夫だよ、正直に答えてごらん」
「うん、……分からないの、最近やってないから……」
「そう、……もしよかったらお姉さん達に見せてもらっていいかしら?」
四人は動画の撮影場所である公園に向かった。現在公園には人気は無い。公園の端にあるテーブル付きベンチに腰を降ろした。
リリーは鞄から紙を取り出してヨハネスに手渡した。
「これにビデオみたいに火を付けてくれるかしら?」
「やってみるわ」
ヨハネスは紙を丸めてテーブルに置きその上に両手をかざした。小さな咳払いをして目を閉じる。ゆっくりと鼻から息を吸い込み、口から吐き出す。少女の周りを囲む大人たちもその様子を見守る。
ヨハネスが集中してからリリーはふと辺りの様子が気になった。周囲が急に静かになった気がした。何かが少女の周りに集まっているような気が…… リリーは手のひらに汗を掻き少し息苦しさを覚えた。
ヨハネスが目を開いた。
「ごめんなさい、できないわ」
「別に落ち込むことはないんだよ、ヨハネス」
モーガンは傷心のヨハネスを慰めた。ヨハネスは泣き顔になっている。
「前は出来たの、わたし嘘つきじゃないわ……」
「それは分かってるよ。僕たちも君のビデオを見たからね。信じてるよ」
「うん……」
しばらくの沈黙後、モーガンはヨハネスに優しく語りかけた。
「でもねヨハネス、火を扱うことは危ないことだ。分かるよね?」
「ええ」
「僕たちとしても、これ以上、ヨハネスが手から火を出すのは止めた方が良いと思うんだ」
「そうなの? ママ?」
ヨハネスの母は優しい顔で頷いた。
「そうね、これ以上するのはあなたの為にもならないと思うわ」
「……ならわたしも火を出すのはもうしないわ」
「ありがとう。約束してくれるね」
「ええ」
モーガンとヨハネスは約束の握手をした。
「ところでヨハネス、一つお願いがあるんだ」
「ええ、なに?」
「君の撮ったビデオを見た人たちが、君を真似しないように協力してして欲しいんだ」
「ええ、いいわよ」
その日モーガンとヨハネスが撮った映像はITube上にアップデートされて大ヒットした。
数日後。
リリーがノートパソコンを広げて喫茶店でコーヒーを飲んでいた。以前モーガンを呼びに来た場所だ。相変わらず昼時だというのに客の姿はまばらだった。リリーもそこが気に入った。喫茶店のドアが開き、モーガンが入ってきた。
「昼休みの時間はとっくに終わってるよ」
「ああ、ごめんなさい」
やる気の無さそうなウエイターが注文をとりに来る。
「ぼくもコーヒーを一つ」
リリーはパソコンの画面に釘付けになっている。
「何を見てるんだい?」
リリーはパソコンをモーガンの方に向けた。
画面にはヨハネスが映っていた。題名は『ファイヤー・ガールのその後……』とある。動画の中でヨハネスはあの公園のベンチに座っている。彼女の目の前にはクシャクシャの紙が置かれている。
彼女が念じると紙が燃え上がった。彼女は水を掛けて炎を消すと笑顔で画面からフェードアウトした。……ヨハネスが居なくなっても映像はまだ続いている。静かな公園を映し、公園の向かいの道路で車が動いている。
突然ベンチが動き出した。テーブルの下で何かが動いているようだ。テーブルの向かいから紙袋で顔を隠した男がひょっこりと出てきた。その手にはチャッカマンが握られている。男はそのまま画面から消えた。
映像はそこでブラックアウトした。黒の映像に白い文字が打ち込まれていく。『彼女には秘密……』とあった。動画はそこで終わった。
「うまくやったわね」
リリーはモニターから目を離して微笑んだ。
「なんのことだい?」
「この動画のおかげでヨハネスのイジメは治まったんでしょ? 彼女は嘘つきじゃないものね。あなたが彼女を騙していたんだから」
「ああ、それとあなたの言っていた十五歳以下の不審火の方はどうなったの?」
「そっちも治まったみたいだよ」
「結局はパソコンでヨハネスを見た子供たちが、彼女の真似をしようとして火事を起こたのよね?」
モーガンは笑顔で首を横に振った。
「それは違うよ。彼女たちは本当に炎を起こしたんだ」
「何言ってるの? ヨハネスは私達の前で火を起こせなかったじゃない」
「あれは学校の友達から偽者だと言われて自信を失ってたからだよ。そしてこの動画を見た子供達も自分の力を信じることが出来なくなった。超能力には信じる力が大切なんだ」
「あきれた……」
ウエイターがコーヒーを持ってきた。
「嘘も役に立つってことだよ」
モーガンはコーヒーにクリープを入れて、スプーンでかき混ぜた。
「嘘って言えば、ヨハネスの部屋に入れてもらうときにあなたサイキックの少年を助けたって言ったわよね? あれは何のこと? あなたが主人公のアニメの話かしら?」
「リリー……」
モーガンはコーヒーの中からゆっくりとスプーンを上げた。
スプーンの先は曲がり捩れていた。
「僕も昔はスプーン曲げ少年と言われていたんだ」
終わり